0-2 SPEEDWAYデビュー & The Esther
1979年、木根・ウツたちはSPEEDWAYとして、東芝EMIから念願のプロデビューを果たした。
東芝の新人スカウトから声をかけられたことがきっかけだった。
バンド名の由来は、映画「スター誕生 (A Star is born)」に登場するバンドである。
木根はこの映画の1976年リメイク版が好きで(日本公開は1977年)、当時何度も映画館に見に行ったという。
SPEEDWAYの活動については、後にドラムとして参加したハタ☆ケンが立ち上げたウェブサイトに、その足跡が記されていた。
情報の少ないSPEEDWAYの歴史を知る上で、本サイトは重要な存在だが、2022年現在で見ることはできなくなっている。
コンテンツそのものは2021年まではアクセス可能だったが(本ブログ開設記事W_Cat_Pさんコメント参照)、2022年にはそれもできなくなっている。
一応以下にリンクを貼っておこう。
・News
・Profile
・History
・Single
・Album
・Memory
・Movie
・reference
・Links
デビュー当時のSPEEDWAYのメンバーは以下の通りである。
時代のせいもあり、全員カーリーヘアーの衝撃的な風貌である。
キーボード :木根尚登
ボーカル :宇都宮隆
ギター :岩野光邦
ベース :樋口潔志
ドラム :杉本ユウ
パーカッション:荒井克己

満面笑顔の木根やら、にっこりウツやら
前章で触れた通り、この中で木根・ウツ・岩野・荒井の4人はフリースペース在籍も確認できる。
全員か否かは不明だが、フリースペースのメンバーを中心に結成されたバンドであることは間違いない。
木根によれば、フリースペースに若干のメンバーチェンジを施したのがSPEEDWAYだった。
1979/2/18にはSPEEDWAY名義で荻窪ロフトのライブが開催されたことが確認でき、フリースペースは遅くてもこの時点では、SPEEDWAYに改名していたはずである。
また音楽雑誌「ロッキンf」1979年2月号(1月中旬発売)には、「第二回アマチュア・バンド・コンテスト」の2次審査の結果が発表されている(GAUZE氏提供資料より)。
デモテープによる審査で、500余の応募の中から最終選考の対象として選抜された83グループの中に、SPEEDWAYが含まれている。
2次審査が年末頃で、それ以前に1次審査があったとすれば、応募は遅くても1978年秋には行なわれていたと見てよい。
つまりフリースペースは1978年秋以前には、すでにSPEEDWAYを名乗っていたと考えることができる。
「ロッキンf」1979年4月号(3月発売)では、最終選考の中間結果が発表されている。
SPEEDWAYの応募曲は「悲しきドール」「心がゆれて」「あれは夢」の3曲である(GAUZE氏提供資料より)。
「悲しきドール」「あれは夢」はフリースペースの曲であり、この点でもSPEEDWAYはフリースペースを引き継いだバンドだったと考えられる。
「Steady」1979年4月号では(3月発売か)、すでにSPEEDWAYデビューの情報が発表されており、4/20渋谷エピキュラスでのレコードデビュー記念コンサートも告知されている(GAUZE氏提供資料)。
この告知は「アマチュア・バンド・コンテスト」の中間発表と同じ頃であり、つまりコンテストの結果発表前にはデビューが決まっていたと見られる。
なお同誌はSPEEDWAYを以下のように評している。
ただ立岡正樹は、フリースペースのプロデビューが決まってSPEEDWAYに改名したと言っている。
これを素直に取れば、フリースペースは1978年秋以前にプロデビューが内定していた上でアマチュアのコンテストに応募していたことになる。
あるいはプロデビューは決まっていたが、泊付けとして応募したのだろうか。
もしもそうなら、TMの「フレッシュサウンズコンテスト」と同様のパターンとなる。
また立岡によれば、デビューのきっかけは、コンテストの優勝だったという。
これはフリースペース史上でよく触れられる「新星堂ROCKINN」のことだろう。
しかしこのイベントは1977年9月に開催されており、もしもこれがデビューのきっかけだとすると、それからデビューまで2年近くかかったことになる。
立岡の証言には、SPEEDWAYデビューを1976年12月とするものもあり(これは実際にはフリースペースの結成時期)、細かい点では怪しいものが多く、全面的には信用できない。
デビューが決まってバンド名を改めたという点も含め、事実かどうかの判断は保留しておくべきだろう。
ただフリースペースがSPEEDWAYの前身だったことは認めてよい。
そしてその改名時期は、これまで見てきた資料より、1977年秋から1978年秋の1年の間のことと考えられる。
フリースペースの名義は2年に満たなかったことになる。
SPEEDWAYのデビューシングルは、当初1979年6月のリリースと告知されていたが、実際にリリースされたのは7/5のことである。
シングル「Dream Away~夢まで翔んで~」が、記念すべきデビューとなった。
(B面は 「Weekend Life~Hot Summer Week End~」)、
なおSPEEDWAY公式サイトには9/5リリースとあり、木根は7/21シングルリリースと述べるなど、情報が錯綜している。
だが当時の雑誌で7/5に発売されていることが明記されているので、これに拠るべきだろう。
音楽出版Jun&Keiのサイトでも、1979/7/5の発売として登録されている。
シングルリリースが6月に予定されていたことを考えれば、レコーディングは5月以前に始まっていたはずである。
年度初めの4月に東芝EMIと契約した後、まもなくレコーディングに入ったものか。
その後の雑誌記事では、6/12~16に箱根のスタジオでレコーディングしていたことが書かれており、この頃にもレコーディングは続いていたらしい。
当時SPEEDWAYが毎月出演していた新宿ロフトに、4/10~6/27の間は出演していないが、これはレコーディングのためかもしれない。
1979/10/5には、1stアルバム「The Esther」がリリースされた。
タイトルは、SPEEDWAYのバンド名の由来になった映画「スター誕生 」のヒロイン、Esther Hoffmanから取ったものだった。
先行シングルも含め、収録曲10曲の作曲はすべて木根で、作詞は半分が木根の友人青木高貴、半分が影山美樹という女性である。
(影山さんについてはよくわからないので、ご存知の方は教えてください)
なお編曲は、全曲SPEEDWAY名義となっている。
木根は当時の失敗談を語る時、ポスターを200枚しか刷ってもらえないという冷遇ぶりだったなどと述べているが、音楽雑誌などでは紹介されており、ある程度の宣伝はされていた。
キャッチコピーは、「あしたを摑えるなら早いほうがいいぜ。大物”スピードウェイ”炸裂発進!」である。
「The Esther」の楽曲から判断すると、SPEEDWAYは当時の雑誌記事にもあるように、アメリカンポップス的な雰囲気を目指していたようである。
バンド名の由来から考えても、洋楽をモデルにしていた可能性は高い。
アルバムジャケットの雰囲気を見ても、いかにも70年代洋楽である。
しかし個人的な感想を言えば、楽曲のメロディから受ける印象は、むしろ歌謡曲である。
洋楽的な要素を盛り込もうとはしているが、特に「ミズ・ミラージュ」「彼方より~A Long Distant Love~」「ドア」などは、歌謡曲そのものと言ってよい。
TMの「アクシデント」「あの夏を忘れない」が歌謡曲的といわれたりするが、このアルバムの歌謡曲度は、あんなものではない。
もちろんそれ自体は、良いわけでも悪いわけでもない(好みはあるだろうが)。
むしろ木根が非歌謡曲的な雰囲気を目指して作ったと思われる、「今夜はゲーム~Midnight Game~」「夢まで翔んで」などよりも、よほど自然に聞けると思う。
またウツボーカルでここまで日本的な歌謡曲を聞くことができるという点でも、希少度は高く、ある意味で、ウツファン必携のアイテムかもしれない 。
このアルバムでもっとも度肝を抜かれるのは、やはりシングルになった「夢まで翔んで」だろう。
ダサダサのイントロに加え、くどいほど乱打される電子ドラムの「ぽこぽーん」、しまいにはホイッスルまで入ってきて、初めて聞いた時には衝撃だった。
ただ「夢まで翔んで」も、曲自体はそれほど悪いわけではない。
むしろ問題なのは、「ぽこぽーん」に疑問も挟まないアレンジのセンスだろう(メンバー自身のアレンジだが)。
アルバム全体としても、悪いのは曲よりもアレンジという印象が強い。
特に「Super Star, Good Morning」「Just Love Story」「神話~The Mith~」あたりは、今アレンジし直せば、なかなかの曲になりそうだ。
アレンジについても、1979年という時代を考えれば、実は平均的なレベルなのかもしれない。
ただもしもこのバンドがTM NETWORKと関係なかったら、今わざわざ聞くことはないだろうと思う。
まあまあいい曲もあるけれど、このグループじゃないと聞けないほど個性的なものではないし、きめ細やかな、あるいは意表をつくアレンジが施されているわけでもない(ぽこぽーんはある意味でインパクトがあるが)。
当時の水準では許されるレベルとしても、出色の作品と評価することは難しいと思う。
おそらくプロとして、地元の顔馴染み以上にファンを広げることは難しかっただろう
付け加えれば、この時代のSPEEDWAYの曲はすべて木根の作曲であるが、やはりバラードはいいものを書く。
冗談ではなく、「神話」は木根バラ名曲選の最初を飾る曲と思う。
自分にとっての木根は、やはりバラード作家なのかもしれない。
ただ木根としては「彼方より」がお気に入りで、なんとTMやソロも含め、今まででもっとも好きな曲だとのことである。
SPEEDWAY以前(フリースペース時代?)から演奏されていた曲だという。
またウツのボーカルは、この時代から一定の水準に達している。
フリースペース時代までの活動の中で、ボーカリストとしての実力は確立されていたようである。
ウツも2008年のインタビューで、SPEEDWAY時代のトーンと現在は近いと言っている。
TM時代には意図的に変えようとしていたこともあったが、SPEEDWAY時代や現在は、自然な声で歌っているとのことである。
(2006/8/5執筆 2006/11/24、2008/9/8、2014/1/12、2016/10/3、2017/4/22、2019/8/21、2021/4/14、2022/6/2加筆)
東芝の新人スカウトから声をかけられたことがきっかけだった。
バンド名の由来は、映画「スター誕生 (A Star is born)」に登場するバンドである。
木根はこの映画の1976年リメイク版が好きで(日本公開は1977年)、当時何度も映画館に見に行ったという。
SPEEDWAYの活動については、後にドラムとして参加したハタ☆ケンが立ち上げたウェブサイトに、その足跡が記されていた。
情報の少ないSPEEDWAYの歴史を知る上で、本サイトは重要な存在だが、2022年現在で見ることはできなくなっている。
コンテンツそのものは2021年まではアクセス可能だったが(本ブログ開設記事W_Cat_Pさんコメント参照)、2022年にはそれもできなくなっている。
一応以下にリンクを貼っておこう。
・News
・Profile
・History
・Single
・Album
・Memory
・Movie
・reference
・Links
デビュー当時のSPEEDWAYのメンバーは以下の通りである。
時代のせいもあり、全員カーリーヘアーの衝撃的な風貌である。
キーボード :木根尚登
ボーカル :宇都宮隆
ギター :岩野光邦
ベース :樋口潔志
ドラム :杉本ユウ
パーカッション:荒井克己

満面笑顔の木根やら、にっこりウツやら
前章で触れた通り、この中で木根・ウツ・岩野・荒井の4人はフリースペース在籍も確認できる。
全員か否かは不明だが、フリースペースのメンバーを中心に結成されたバンドであることは間違いない。
木根によれば、フリースペースに若干のメンバーチェンジを施したのがSPEEDWAYだった。
1979/2/18にはSPEEDWAY名義で荻窪ロフトのライブが開催されたことが確認でき、フリースペースは遅くてもこの時点では、SPEEDWAYに改名していたはずである。
また音楽雑誌「ロッキンf」1979年2月号(1月中旬発売)には、「第二回アマチュア・バンド・コンテスト」の2次審査の結果が発表されている(GAUZE氏提供資料より)。
デモテープによる審査で、500余の応募の中から最終選考の対象として選抜された83グループの中に、SPEEDWAYが含まれている。
2次審査が年末頃で、それ以前に1次審査があったとすれば、応募は遅くても1978年秋には行なわれていたと見てよい。
つまりフリースペースは1978年秋以前には、すでにSPEEDWAYを名乗っていたと考えることができる。
「ロッキンf」1979年4月号(3月発売)では、最終選考の中間結果が発表されている。
SPEEDWAYの応募曲は「悲しきドール」「心がゆれて」「あれは夢」の3曲である(GAUZE氏提供資料より)。
「悲しきドール」「あれは夢」はフリースペースの曲であり、この点でもSPEEDWAYはフリースペースを引き継いだバンドだったと考えられる。
「Steady」1979年4月号では(3月発売か)、すでにSPEEDWAYデビューの情報が発表されており、4/20渋谷エピキュラスでのレコードデビュー記念コンサートも告知されている(GAUZE氏提供資料)。
この告知は「アマチュア・バンド・コンテスト」の中間発表と同じ頃であり、つまりコンテストの結果発表前にはデビューが決まっていたと見られる。
なお同誌はSPEEDWAYを以下のように評している。
ウェスト・エリア・ロック・シーンから久久に現れたメジャーを狙えるグループとして、今年最も期待されているグループ。
スピードウェイは、アメリカン・ポップスをベースに、日本語を大切にした都会っぽいサウンドが特長。スケールの大きい、セクシーなヴォーカリスト、宇都宮隆と、ハードで、スリリングなギタリスト、岩野光邦を中心に、メンバー全員がコーラスに参加し、ハッピーでセンセーショナルなステージを展開している。
ただ立岡正樹は、フリースペースのプロデビューが決まってSPEEDWAYに改名したと言っている。
これを素直に取れば、フリースペースは1978年秋以前にプロデビューが内定していた上でアマチュアのコンテストに応募していたことになる。
あるいはプロデビューは決まっていたが、泊付けとして応募したのだろうか。
もしもそうなら、TMの「フレッシュサウンズコンテスト」と同様のパターンとなる。
また立岡によれば、デビューのきっかけは、コンテストの優勝だったという。
これはフリースペース史上でよく触れられる「新星堂ROCKINN」のことだろう。
しかしこのイベントは1977年9月に開催されており、もしもこれがデビューのきっかけだとすると、それからデビューまで2年近くかかったことになる。
立岡の証言には、SPEEDWAYデビューを1976年12月とするものもあり(これは実際にはフリースペースの結成時期)、細かい点では怪しいものが多く、全面的には信用できない。
デビューが決まってバンド名を改めたという点も含め、事実かどうかの判断は保留しておくべきだろう。
ただフリースペースがSPEEDWAYの前身だったことは認めてよい。
そしてその改名時期は、これまで見てきた資料より、1977年秋から1978年秋の1年の間のことと考えられる。
フリースペースの名義は2年に満たなかったことになる。
SPEEDWAYのデビューシングルは、当初1979年6月のリリースと告知されていたが、実際にリリースされたのは7/5のことである。
シングル「Dream Away~夢まで翔んで~」が、記念すべきデビューとなった。
(B面は 「Weekend Life~Hot Summer Week End~」)、
なおSPEEDWAY公式サイトには9/5リリースとあり、木根は7/21シングルリリースと述べるなど、情報が錯綜している。
だが当時の雑誌で7/5に発売されていることが明記されているので、これに拠るべきだろう。
音楽出版Jun&Keiのサイトでも、1979/7/5の発売として登録されている。
シングルリリースが6月に予定されていたことを考えれば、レコーディングは5月以前に始まっていたはずである。
年度初めの4月に東芝EMIと契約した後、まもなくレコーディングに入ったものか。
その後の雑誌記事では、6/12~16に箱根のスタジオでレコーディングしていたことが書かれており、この頃にもレコーディングは続いていたらしい。
当時SPEEDWAYが毎月出演していた新宿ロフトに、4/10~6/27の間は出演していないが、これはレコーディングのためかもしれない。
1979/10/5には、1stアルバム「The Esther」がリリースされた。
タイトルは、SPEEDWAYのバンド名の由来になった映画「スター誕生 」のヒロイン、Esther Hoffmanから取ったものだった。
先行シングルも含め、収録曲10曲の作曲はすべて木根で、作詞は半分が木根の友人青木高貴、半分が影山美樹という女性である。
(影山さんについてはよくわからないので、ご存知の方は教えてください)
なお編曲は、全曲SPEEDWAY名義となっている。
木根は当時の失敗談を語る時、ポスターを200枚しか刷ってもらえないという冷遇ぶりだったなどと述べているが、音楽雑誌などでは紹介されており、ある程度の宣伝はされていた。
キャッチコピーは、「あしたを摑えるなら早いほうがいいぜ。大物”スピードウェイ”炸裂発進!」である。
「The Esther」の楽曲から判断すると、SPEEDWAYは当時の雑誌記事にもあるように、アメリカンポップス的な雰囲気を目指していたようである。
バンド名の由来から考えても、洋楽をモデルにしていた可能性は高い。
アルバムジャケットの雰囲気を見ても、いかにも70年代洋楽である。
しかし個人的な感想を言えば、楽曲のメロディから受ける印象は、むしろ歌謡曲である。
洋楽的な要素を盛り込もうとはしているが、特に「ミズ・ミラージュ」「彼方より~A Long Distant Love~」「ドア」などは、歌謡曲そのものと言ってよい。
TMの「アクシデント」「あの夏を忘れない」が歌謡曲的といわれたりするが、このアルバムの歌謡曲度は、あんなものではない。
もちろんそれ自体は、良いわけでも悪いわけでもない(好みはあるだろうが)。
むしろ木根が非歌謡曲的な雰囲気を目指して作ったと思われる、「今夜はゲーム~Midnight Game~」「夢まで翔んで」などよりも、よほど自然に聞けると思う。
またウツボーカルでここまで日本的な歌謡曲を聞くことができるという点でも、希少度は高く、ある意味で、ウツファン必携のアイテムかもしれない 。
このアルバムでもっとも度肝を抜かれるのは、やはりシングルになった「夢まで翔んで」だろう。
ダサダサのイントロに加え、くどいほど乱打される電子ドラムの「ぽこぽーん」、しまいにはホイッスルまで入ってきて、初めて聞いた時には衝撃だった。
Dream 夢の中までぇー Trip 翔んでみるのさぁー
燃える思いのままにぃー た・め・ら・い・などー捨ててぇー
(ピーピッ ぽこぽーん)
夢まで翔んで~ ウーメイキンラブ
夢まで翔んで~ も・え・つ・きるのさっ ウー
ただ「夢まで翔んで」も、曲自体はそれほど悪いわけではない。
むしろ問題なのは、「ぽこぽーん」に疑問も挟まないアレンジのセンスだろう(メンバー自身のアレンジだが)。
アルバム全体としても、悪いのは曲よりもアレンジという印象が強い。
特に「Super Star, Good Morning」「Just Love Story」「神話~The Mith~」あたりは、今アレンジし直せば、なかなかの曲になりそうだ。
アレンジについても、1979年という時代を考えれば、実は平均的なレベルなのかもしれない。
ただもしもこのバンドがTM NETWORKと関係なかったら、今わざわざ聞くことはないだろうと思う。
まあまあいい曲もあるけれど、このグループじゃないと聞けないほど個性的なものではないし、きめ細やかな、あるいは意表をつくアレンジが施されているわけでもない(ぽこぽーんはある意味でインパクトがあるが)。
当時の水準では許されるレベルとしても、出色の作品と評価することは難しいと思う。
おそらくプロとして、地元の顔馴染み以上にファンを広げることは難しかっただろう
付け加えれば、この時代のSPEEDWAYの曲はすべて木根の作曲であるが、やはりバラードはいいものを書く。
冗談ではなく、「神話」は木根バラ名曲選の最初を飾る曲と思う。
自分にとっての木根は、やはりバラード作家なのかもしれない。
ただ木根としては「彼方より」がお気に入りで、なんとTMやソロも含め、今まででもっとも好きな曲だとのことである。
SPEEDWAY以前(フリースペース時代?)から演奏されていた曲だという。
またウツのボーカルは、この時代から一定の水準に達している。
フリースペース時代までの活動の中で、ボーカリストとしての実力は確立されていたようである。
ウツも2008年のインタビューで、SPEEDWAY時代のトーンと現在は近いと言っている。
TM時代には意図的に変えようとしていたこともあったが、SPEEDWAY時代や現在は、自然な声で歌っているとのことである。
(2006/8/5執筆 2006/11/24、2008/9/8、2014/1/12、2016/10/3、2017/4/22、2019/8/21、2021/4/14、2022/6/2加筆)
この記事へのコメント
名残惜しいので、また最初から読んでいますww
70年代前半は四畳半フォークですね。直後にユーミンが登場してニューミュージックが始まります。公害やオイルショックなど、高度成長後の陰の時代で、歌謡曲が元気でした。70年代終わりのカーリーヘアーの元祖は、拓郎に見出された原田真二くんです(^o^;)
少しは刺激されたんでしょうか?
お言葉ですが、数ヶ月後には最初から加筆して行く予定ですので、もしも読み直すならその後がよろしいかと…
カーリーヘアの元祖、原田さんていうのは初耳です
カーリーヘアてそこから始まったんですか?
SPEEDWAYについては、時代的にはまさにぴったりですね
それにしてもここらへんにそまらなかった小室さんは、さすがだと思います
カーリーヘアは昔からあったんですけど、真二くんがこのヘアーで出てきてから流行ったんですよ。デビューシングルのジャケットはまだそうじゃないんですけどね。
真二くんはピアノもギターもドラムも出来て、テレビに出てた頃は音にうるさいのでスタッフが嫌がってたみたいです。なので、もし小室さんがクライシスのメンバーになっても絶対続かなかったんでしょうね。仲良くなってほしかった気もするけど(笑)。
広い意味では原田さんもSPEEDWAYの活動に影響を与えていたんですね
でも一時的な流行だったのだとすれば、フリースペース時代は違ったのかな?
その時代の写真、一度見てみたいです
原田さんは厳しそうですよね
ラフな演奏だけど華があるというタイプの小室さん、サポートには決定的に向かないと思います(笑
でもその後も小室さんと原田さんて全然絡みはないのかな
自分は知らないけども
共演とかは無いですが、一緒に溜りに座ってる所が映ってるのを見た記憶があります。昔の小室さんのクライシス話しを知ってましたから、見ていて感慨深いというか(笑)そんな気持ちになった気が( ̄▽ ̄;)
ウツがここで原田さんとあったことで、翌年ウツのソロアルバムに楽曲提供することになったそうです。
微妙にTMと縁がある方ですね。
バンドって見た目が大事なのが分かります。
木根さんがイケてる方と感じてしまいますからね。。。
前回のサッカー部でモテたというエピソードに思わず納得してしまいました。
私は感覚としてはわかんないですけど、きっとカーリーヘアーの男がモテる時代だったんでしょう。
ウツはTM時代を知っていると、カーリーが全然似合っていませんね(笑