2-11 All-Right All-Night

今まで本ブログでは、TM終了ライブ「TMN 4001 Days Groove」を、「final live LAST GROOVE」と書いていました。
しかしこれはライブビデオ・ライブCDのタイトルで、ライブタイトルではないんですね…。
今まで書いたところを修正しました(読者にはどうでもいいことでしょうけど)。
さて、今回の話題に入ります。


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TM NETWORKは、8月終わりの「Fanks “Fantasy” Dyna-Mix」公演と「Girl」のリリースの後、早くも9月には4thアルバムのレコーディングに入った。


自分の中で1986年は「Fanks “Fantasy” Dyna-Mix」で終わった、と木根が当時コメントしているが、確かにこれ以後のTMは1987年の活動を見据えた活動に入ったのである。
その中で最初にレコーディングされたのは、「All-Right All-Night (No Tears No Blood)」だった。
「Fanks “Fantasy” Dyna-Mix」で初披露された曲である。


アルバムのレコーディングは12月まで続いたが、この曲はその最中の11/21に、シングルとして先行リリースされた。
ライブで披露された時点で、先行シングルにするつもりだったのだろう。
なおこの曲のレコーディング風景は、シングルリリース直前の1986/11/18に、「極楽TV」で放送された。




この曲は発表の事情から見ても、「Gorilla」期の延長上にあるといって良い。
小室も「今までの極み」と言って、FANKSの流れと言っている。
音の面でも「Gorilla」「Self Control」の中間にあると思う。
「Self Control」については章を改めて述べるつもりだが、自分はFANKSのFUNKの要素の代わりに、POPSの要素を加えた音と思っている。


シングルのジャケットは、3人が横になっているところを床目線で撮影したものである。
写真は「Girl」同様、ウツをメインとしている。
小室の顔はジャッキー・チェンに見えて仕方がない。
木根の顔は久しぶり(1年ぶり)にちゃんと出ている。


作詞は小室みつ子である。
歌詞の内容は反戦ソング的なもので、サブタイトルの「No Tears No Blood」は「血も涙も要らない」の意味だろう(「血も涙もない」直訳かと思い込んでいたが、訂正のご指摘を受けた)。
小室はこの歌詞を、「イパネマ '84」の流れと言っている。
「イパネマ '84」はミサイルが歌詞に出てくるだけで本質的にラブソングだと思うが)

破れたシャツとやせたうなじと
夢も知らない瞳の子供たちは
ただひとつだけ教えてくれる
争うために生まれてきたんじゃない
はるかなあの空に両手を伸ばしてた
幼い頃に望んだように
愛するときめき手に入れた
あの日を忘れない


ただ「All-Right All-Night」というメインタイトルは、反戦ソング的な歌詞とはまったくかみ合わない。
「こんなきれいな夜があるのを」など歌詞に「夜」の語が散見するのは、一応「All-Night」に対応しているのだろうが、それでも歌詞全体とタイトルを統一的に理解するのは困難であり、メインタイトルは語呂を重視して付けたものと思う。
小室もこの曲のコンセプトについて、たまたま耳に入った時事を取り入れただけで、それほど強いメッセージ性はないと述べている。
小室とみつ子が話をしていた時の話題の影響で、反戦ぽい歌詞になったということらしい。


実はこの曲は、「Fanks “Fantasy” Dyna-Mix」で初披露された時には、歌詞や歌い方がシングル版とはかなり違っていた。
2番冒頭の「地上に向けて星が降ちてく生命(いのち)を満たす光を放ちながら」の部分や、2番Bメロの「海の向こうから迫る叫び声に誰もが気づきはじめている」の部分は共通するが、その他の部分で完全に一致するところはない。


その中でも特に1番Aメロの、「信じていたよ You're coming back tonight 君がいつかはここまで帰ってくると」となっていたところが、「こんな綺麗な夜があるのを人はいつも忘れてしまっているね」となったのは、大幅によくなったと思うが、原歌詞はほぼ痕跡が残っておらず、差し替え状態である。
一方、1番Bメロ「両手を広げてる子供たちのように明日を探し出してゆくさ」となっていたところが、「はるかなあの空に両手を伸ばしてた幼い頃に望んだように」とされたのは、元の歌詞の痕跡を残しつつブラッシュアップしたものと言える。


音について見ると、ライブで披露された原曲はシングルよりもはるかにシンプルだが、全体の構成は変わっていない。
イントロや間奏の印象的なシンセのフレーズも、すでに原曲の時点で入っていた。
この間奏冒頭のシンセのフレーズは、勢いの良いオケの流れを一瞬クールダウンする、良いアクセントになっている。


「All-Right All-Night」「Fanks "Fantasy" Dyna-Mix」1ヶ月後の9/27、TOKYO FMで放送されたスタジオライブでも演奏された。
この時は後のシングル版とほぼ同じ歌詞となり(まだ少し違うが)、歌い方やオケも微調整されている。
ライブの後まもなく、小室みつ子も含めて、再度曲や歌詞を練り直したものと思われる。


なお小室みつ子はこの曲から作詞家として「西門加里」のペンネームを使わなくなり、現在まで本名の「小室みつ子」を使っている。
つまりこの曲は名義上では、初めての小室みつ子作詞曲ということになる。
小室みつ子はソロ歌手として1981年から活動していたが、1985年に4thアルバム「ウサギは歌を歌わない」をリリースしてから活動をひと段落させた。
歌手活動をしばらく見合わせたことで、本名での活動の幅を広げるようになったものだろうか。


このように「All-Right All-Night」は、完成するまでに紆余曲折を経た曲だった。
結果としてこの曲は、ライブでの初披露の段階よりもスタジオ版でかなり改善された印象がある。
この時期の音楽にかけるこだわりが感じられる一曲である。
小室自身、楽しんで作った曲だと言っている。


この曲はアルバム「Self Control」に入る際に、イントロなどが伸びてさらに一分ほど長くなった。
個人的には最後のアルバムバージョンがもっとも好きだ。
ただしレコーディングではアルバムバージョンで作成しており、シングルでリリースする時に短くしたらしい。


この曲はしばしば、TM早口ソングの代表として挙げられる。
実際にウツはよくライブで歌い間違えている。
単に早口というだけではなく、むしろそれ以上に、この曲はオケの勢いを非常に感じる曲である。
BPMの早さ以上に、豪華なシンセ音が勢いを感じさせるのだと思う。
他の早口ソングでは「Time To Count Down」「69/99」「Good Morning Yesterday」など、1990年の「Rhythm Red」期のロック楽曲もあるが、ことTMポップスの中からもっとも勢いのある曲を選ぶとなれば、おそらくこの曲がその筆頭に挙がると思う。


歌に注目した場合、特にAメロなどはほとんど早口言葉だ。
Hip-Hopが市民権を得た現在では早口言葉的歌詞は珍しくないが、こうした曲はこの時代には特殊だったと思う。
この頃の流行歌だと、Southern All Starsの「Miss Brand-New Day」はかなり早口だろうが、「All-Right All-Night」はこれ以上である。
「シングル的なものがすべて欠落している」と小室が評したのも、一つにはこうした点があるのだと思う。


そのため「Come on Let's Dance」「Self Control」と比べると、自然に耳に入り口ずさめる曲ではない。
音がマシンガンのように飛び込んで、脳に刺激を与え続ける。
曲としてのヒットを狙うよりは、インパクトで世間に印象付けようと考えていたのかもしれない。


カップリングには、インストが収録された。
これはシングルに通常のインストを収録した初例である。
当初はレコーディング中の別の曲を入れる予定で、3曲ほど候補曲があったらしいが、どれもカップリングにはもったいないということで見送ったという。


実はこの曲は、いまだにTVで演奏されたことがない。
「Your Song」「Girl」でさえ複数回演奏されているのに)
リプロダクションシングルを除くと、他に終了前のシングルでTVで演奏されていない曲は、「The Point of Lovers' Night」「Rhythm Red Beat Black」「一途な恋」が挙げられるのみである。
しかもその内で「一途な恋」は生では歌うことができない曲であり、他の2曲はライブ映像の形ではTVで放映されている
TVでの扱いに関して、「All-Right All-Night」は特に不遇な存在と言えよう。
それだけに世間での認知度も高くはないと考えられる。


ただしまったくプロモーションがなかったわけではない。
シングルリリースの直後に発売されたライブビデオ「Fanks “Fantasy” Dyna-Mix」のプロモーションも兼ねて、ビデオのダイジェスト映像の上に「All-Right All-Night」を流したPVが当時作成されている。
これは今では「Decade」「All the Clips」「TM VISION Ⅵ」などで見ることができる。


TV出演がなかったのは、一つには時期的な問題もあったのだろう。
リリースの前後はアルバムレコーディングの最終段階に差し掛かっていた上、YAMAHAの企画イベントにも出演しており、TVでの本格的なプロモーション活動は難しかった。
この時はプロモーション手段をTVではなく、イベント中心で行なうという計画だったのだろう。


この曲は当時のライブでも、シングルの割には演奏頻度がそれほど高くなかったが、TMN期以後でも「Rhythm Red Tour」「Live Butterfly」「TMN 4001 Days Groove」「tribute LIVE」「Double Decade Tour」「SPEEDWAY and TK Hit!!」など、TM以外のライブも含めて、2000年代まで時々演奏されており、微妙に大事にされている感がある。
実際に勢いがある曲だけあって、ライブではなかなか盛り上がる。
ただ2012年から始まるTM30周年の一連のライブでは一度も演奏されなかった。


シングルの売上は「Come on Let's Dance」とほぼ同じ1万枚程度だが、順位は43位である(「Come on Let's Dance」は35位)。
ツアー「Fanks Dyna-Mix」の成功と次の「Self Control」の盛り上がりを考えると、シングルのセールスとしてはあまり良い結果ではなかった(失敗というほどではないが)。


自分の好みで言うと、「All-Right All-Night」はTMの全シングル中でも屈指の好きな曲だ。
「Self Control」中でも、「Maria Club」と並ぶ名曲だと思っている。
特にシンプルな作りが多い「Self Control」の曲の中で聞くと、豪華なシンセサウンドは本当に気持ちが良い。


ライブアレンジについて言うと、「Rhythm Red Tour」のロックアレンジもかなりかっこいいのだが、「TMN 4001 Days Groove」でコテコテのシンセ音で聞いた時は、「これこそTMだ!」と、この曲の魅力を改めて認識した。
あまり評価されない(ライブCDにも入っていない)が、あのライブで屈指のお気に入り曲である。

(2007/3/12執筆 2008/10/13、2017/2/3、2019/7/31加筆)

All-Right All-Night
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1989-09-21
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この記事へのコメント

haru
2012年06月23日 18:43
私が初めて耳にしたTM NETWORKの楽曲が「All-Right All-Night」でした。

 あれは86年末、私が小学6年生の時でしたが、この歌を最初に聴いた時「何だこれは!?」と私の体に電気が走るような衝撃がありました。たたみ掛けるような多数の音と歌詞、そして息もつかせない怒涛の展開…。小さい頃から歌が好きで、ベストテン番組などで当時のアイドルや歌謡曲、演歌などを分け隔てなく聴いてきた私にとって「All-Right All-Night」は、今までに聴いたことが無い、全く新しい歌でした。

 それから二十数年が経ち、私もすっかり冷めたアラフォーのオッサンになってしまいましたが、この「All-Right All-Night」、そしてほぼ同時期にリリースされた久保田利伸さんの「TIMEシャワーに射たれて…」を聴いた時の衝撃は今でも鮮明に覚えているし、未だにこれを超えるものはありません。

 TMとの衝撃的な出会いをした小6の冬でしたが、即ファンになった訳ではありません。ただ当時「All-Right All-Night」を歌っている人たちのビジュアルを全く見ることなく、まず音から入っただけにインパクトは強烈で、そこからしばらく私の心のどこかに「TM NETWORK」が気になる存在として住むようになりました。


 管理人さんのブログに比べたら私の文章は全く稚拙なものですが、こんな感じで自分とTMとの歴史を振り返りながら順番に書き込んでいきますので、改めてよろしくお願いします。
青い惑星の愚か者
2012年06月25日 02:39
All-Right All-Nightは、インパクト抜群の曲でしたね
とは言っても、私はリアルタイムでこの曲を知ったわけではないのですが…
当時聞いた方はさぞかし印象に残ったものと思います

TIMEシャワーに射たれても同じ頃ですよね
あの頃の邦楽界って、何かが生まれるという期待感がはんぱなかったと思います
haru
2012年06月25日 18:58
86年半ばから87年、88年は日本の音楽シーンがガラッと変わり、一番面白かった時期だと今でも思いますし、その時代を私自身が多感な頃に体感できて良かったと思っています。

 ただ悲しいかな、そこで音楽が金になると目を付けた大人たちが多数群がって、結果的に日本の音楽シーンがだんだんつまらなくなっていってしまったのは残念でした。

 もちろん音楽も“ビジネス”の一つであることは今も昔も変わらないけれど、それが年を追うごとに露骨に出てしまっている現状は何とかなりませんかねぇ…。
青い惑星の愚か者
2012年06月28日 02:57
86~88年頃は、十代の支持を集めたマイナーなミュージシャンが次々とメジャーになっていって、その変化にメディアがまだ十分に追いついていけていなかった時代でしたね
自分たちが時代を動かしているという感覚を、若者が享受できていた気がします
もちろんそれらミュージシャンたちの背後にもスタッフやレコード会社があったわけですけど、次は何が売れるかは誰も分からなかったし、逆に何でも起こりそうという感じは、スタッフたちも若者たちと共有していたと思います
憶測ですけども、そこらへんのカオスなエネルギーを効率的に商業ルートに乗せるコースがメディアによって編み出された90年頃、若者たちは急速に白けて去ってしまったのかもしれません
エルレ
2022年01月02日 22:22
この頃の音楽シーンをリアルタイムで聴けたのはかなりうらやましく思います。私はaccessから過去に遡ってTMを聴いた世代です。
他がついていけてないってテレビテロップを見るとわかります。極端にカッコ悪いですからね。
レコードジャケットはいろいろなアーティストgsかっこいいのに。
青い惑星の愚か者
2022年01月27日 01:56
当時のビデオ録画を見ると、テレビのテロップはまだ昭和歌謡曲時代の雰囲気でした。
テレビは実際にアイドル・演歌勢が中心だったということもあるんでしょうけど、ロックをメインに据えた番組を作ってもイマイチなのが多くて、どう対応すればよいか局の方々も分かっていなかったのかなと思います。
BOOWYやブルハ、スライダースなど、こだわりのありそうなミュージシャンがテレビへの出演に敬遠気味だったのも、そこらへんを感じていたんでしょうかね。

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