4-30 TK Tracks Night

前回の更新から間が開いてしまいました
年度の変わり目は忙しいですね!(言い訳)
さて、木根さんのソロアルバム「中央線」がリリースされましたね
って、すみません 私は買っていませんが…(ソロは手を出していない)


では本題に入ります
今回のテーマは、私も詳しいことが分からないので、
お気づきの点などありましたら、
コメント欄やメッセージなどで教えていただければ幸いです

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「TK Tracks Night」は、
小室哲哉主催のクラブイベントである
日程について網羅的なデータは手元にないが、
確認される限りでは1991/10/15の新潟MAHARAJA公演が最初のようだ


ただし「TK Tracks Night」と題さないまでも、
小室主催のクラブイベントは1991年春には行なわれていた
これについても全日程を知ることはできないが、
早い例では1991/4/29、
豊橋King&Queenの「King&Queen Green Party」に出演している
「EXPO」レコーディングの最中に開催されていたことになる


King&QueenはMAHARAJAとともに、
この頃小室が頻繁に出入りしていたNOVA21グループのクラブであり、
ラジオ「EXPO '91」でもよく話題にしていた
なおNOVA21グループは「EXPO '91」のスポンサーでもあった


また1991/6/26には千葉浦安ROYALTONで、
ウツ・小室のクラブイベントがあった(木根は入院中)
TBSラジオで中継されたらしい
どんな内容だったのか聞いてみたいが、いまだにその機会を得ない
(ウツの歌はあったのか?)


1991/3/13まで行なわれた「Rhythm Red Tour」の頃まで、
小室はハードロックを強調していた
これ以前にクラブイベントを積極的に開催することはなかったと思われ、
上記の1991年春のイベントが小室クラブイベントの初期のものと見てよいと思う


頻繁にイベントを行なうようになるのは、1991年9月下旬からである
「Tour TMN EXPO」の終演後、
ライブ会場近くのクラブで行なうことが多かった
ツアーでの全国への移動は、
各地でクラブイベントを開催するのに好都合だったのだろう


このイベントをバックアップしたのは、小室の友人喜多村豊である
彼は11月にイベント会社TK Tracksを設立するが、
10月からイベントが「TK Track Night」と題するようになるのは、
この会社の設立と関わることであろう


小室は「Rhythm Red Tour」代々木体育館公演で、
喜多村にロイヤルボックスの招待券を全部託し、
プロモーションに活用するように言いつけた
喜多村は当時経営コンサルタントとして、NOVA21グループの顧問を務めていたため、
グループの幹部をこれに招待した
ここから小室とNOVA21グループの関係は急接近したという
ならば小室とNOVA21グループの関係は代々木公演の1991年3月頃に始まったことになる


だが後述の小林勇人の件で触れるように、
小室が関わったNOVA21グループのコンテストは1991年1月に行なわれたと小室が発言しており、
ならばNOVA21グループとの関係は代々木公演以前から(1990年中?)となる
どちらでも大きな問題ではないが、一応両論併記としておく


いずれにしろこのような関係を通じて、
TMNの曲は毎日NOVA21グループのディスコでかけられることになった
「TK Tracks Night」の企画も、
この関係に基づいて始まったものである
なお小室はこの縁で、
NOVA21グループの関係者である千葉龍平と知り合い、
その関係は1992年にavexの松浦勝人との出会いにつながっていく


「TK Tracks Night」「Tour TMN EXPO」「EXPO Arena」が終わった後も、しばらく行なわれた
1992年5月にはまだ行なわれていたことが確認できる
小室は7月上旬には、
「Hit Factory」レコーディングのためにマイアミに渡るので、
イベントの開催はだいたいこの頃までと見て良いだろう
1991年春から翌年春まで、だいたい1年間開催されたイベントということになる


「TK Tracks Night」は、
基本的に小室のイベントだったが、
場合によってはウツや木根が来る場合もあった
たとえば1991/9/25には豊橋King&Queenで木根の誕生日パーティが行なわれた
1991/11/27郡山MAHARAJA公演では小室が体調不良で倒れたため、
ウツ・木根やサポートメンバーが代わりに出演している


イベントでは「Love Train」「We love the EARTH」「Crazy For You」など、
TMNの楽曲が中心に流されたが、
「Dive Into Your Body」「Running To Horizon」など、
TM NETWORKや小室ソロ曲も曲目に入れられた
小室は上から洋楽のサンプリング音源をかぶせるなど、即興演奏をした
ウツがゲストで来た時は生歌もあったのかもしれない
(ここらへん、未確認)
イベント内で楽曲やダンスのオーディションが行なわれることもあった


この頃の小室にとって、最大の音楽的関心は、
クラブで流行っていたハウスミュージックであり、
クラブの世界に近づきたいという欲求は強かった
実際にどの程度自らの音がクラブで通用するか、
試してみたいという気持ちもあっただろう
ただし各会場では多くのTMNファンが殺到したから、
実際にはクラブの常連の反応を知る機会には
必ずしもならなかったかもしれない


小室は「Rhythm Red」では、
自らの関心に従ってロックを徹底したが、
十分なセールスを出すことができなかった
そのために「EXPO」ではセールスを確保するため、
ハウスを取り入れながらも妥協的な内容にせざるを得なかった
そのような小室にとってクラブイベントは、
自らのミュージシャンとしての欲求を満たせる心地よい空間だっただろう


このイベントの中で設立されたTK Tracksは現在まで続いている
小室関連の会社の中では、かなり長命と言って良い
ただし会社は喜多村が運営しており、
他の小室主導の会社とは事情を異にする
小室のマネージメントなどを行なっていたわけでもない
2006年には小室から2億円の借金のカタに、
209曲の著作権使用料を受け取っている


TK Tracksはイベント開催の他、
TK Tracks LabelとしてCDのリリースも行なった
その第一号として、小林勇人がいる


NOVA21グループの2001年というカラオケ店で開催された「ミスターニイイチコンテスト」なるものがあり、小室が審査員を務めた
小林は1991年1月、このコンテストでグランプリを獲得し、
小室のプロデュースでデビューになったとのことである
もともとグランプリ受賞者は小室プロデュースで歌手デビューするという触れ込みだった
(本記事まさとさん・かしこ。さんコメント)


小林は1992/1/21シングル「Passenger」でデビューし、
1992/5/21にはアルバム「Gamble」をリリースした
シングルのレコーディングは1991年10月頃だったという


シングルの「Passenger」と、
カップリングの「雨に誓って」は、
TM NETWORKの「Gorilla」収録曲である
「NOVA21グループ スターロードMr.2001年テーマソング」というタイアップが付いていたらしい
(かしこ。さんコメント)
よく分からないが、カラオケ店の宣伝用の曲ということだろう


こんなの



小林の作品はシングル・アルバムともに、
100位にも入らない大コケっぷりだった
このアルバムを聞くと、この時期の小室の迷走ぶりが分かる気がする
なぜこの歌で売れると思ったのか、さっぱり分からない
早い話が、とても聞けた歌ではない
小室の歌よりもダメかもしれない
当時のラジオのCMでも、流されたのは大部分がイントロで、
歌は最後にわずかに聞こえるだけだった


だが一番問題なのは、小林の歌唱力以上に、
小林の声質をまったく考慮しない派手なサウンドだろう
プロデューサーとしてはまったく失格の作品と思う
当時の「CDジャーナル」のコメントも、
どう見てもほめていないと思う

キーボードをメインにした派手なサウンドの展開は小室色があまりに濃厚。人工的な音が似合わない歌とのミスマッチもあって,主役の印象を残さぬ見事なプロデュース・ワークを披露。


もっとも本作のリミックスを行なったのは、直接には久保こーじらしい
とはいえアレンジのおおまかな方針は小室が指示したものだろうし、
いずれにしろ小室がこれにゴーサインを出したのは間違いない
あえて好意的に取れば、
歌が印象に残らないアレンジにしたのかもしれないが、
初めからやっつけ仕事だったとも考えられる


久保自らも1992/3/21にTK Tracks Labelから、
アルバム「Cozy」をリリースしてデビューしている
松本・浅倉に次ぐTMファミリーからのデビューだったが、
ほとんど売れなかった
(もっともこの時点では浅倉も大した成果は出していなかった)
久保は以後、ソロ名義では作品を出していないと思う


TK Tracksの作品は他にもリリースされたかもしれないが、
(大谷香奈子の弟大谷健吾が所属していたという説があるが未確認)
結局成功したものはなかったようである


なお久保はこれ以前より13's Paradiseというバンドを組んで活動しており、
そのメンバーは「Gamble」のレコーディングにも参加している
これ以後の小室作品のレコーディングやライブでも、サポートを務めた
彼らは後に1994年、No! Galersとしてデビューしたが、現在は活動していないらしい


メンバーの中で木村建・松尾和博(ともにギター)・住吉中(ベース)は、
2000年「Yes To Life Festival」でTMのサポートを務めている
さらに木村は同年年末の「Millenium Live」や翌年の「Log-on to 21st Century」にも参加し、
松尾は2013~15年のTM NETWORK30周年関係ライブのすべてに参加した


以上、当時TK TracksからリリースされたCD作品は、
いずれも成果と言えるものは上げられなかった
だが一方で「TK Tracks Night」という場は、
後のTKプロデュースの前提になる人脈を生み出したことも事実である
一人はtrfのボーカルYŪKI(YU-KI)で、
「TK Tracks Night」のダンスコンテストに出場したことが、
小室と出会うきっかけだった


また「MTV Japan」(1990年4月放送開始)のVJを務めていたMarc Pantherは、
面識のない小室から電話で呼び出され、クラブイベントで出会ったという
Marcはこれを1992年頃、会場は豊橋あたりのQing&Queenでのことと言っており、
豊橋ならば1991/4/29・8/11・9/25の「TK Tracks Night」となる
その後1993年初め頃に再度呼び出されてから、
小室につき従うようになったらしい
DJ KOOが小室の側につき従うようになるのもこの頃からである


さて、「TK Tracks Night」は1992年春には終わったが、
その後も小室は別のタイトルでクラブイベントを行なった
1992年末から1993年初頭までは、
「TK RAVE FACTORY」が開催された
デビュー直前のTK RAVE FACTORY(trf)のお披露目イベントである


小室主催のクラブイベントは、その後1年以上間が空くが、
1994年後半には「EUROGROOVE NIGHT」が開催された
trfの「Tour Billionaire」に併せて各地で開催されたもので、
「Tour TMN EXPO」に併せて「TK Tracks Night」を開催したのを踏襲している
このイベント内で開催されたオーディションで選ばれたのが、
globeのKEIKOだったことは有名である


この後のクラブイベントとしては、
1995年に乃木坂の店で「t jungle m」を開催している
当時小室が注目したジャングルを試みたものである
小室(t)主催で、Marc Panther(m)がMCを務めた
音楽業界関係者やモデルを集めた豪華なものだったらしい


このように小室はTMN期後期からTKブーム期、
クラブシーンとの接点を積極的に保とうとしていたのであり、
メディア戦略だけに頼っていたわけではなかった


だがプロデューサー期後半に入ると、
クラブイベントの開催は頻度が低下する
1996年を頂点とするTKブームの加熱化と、
その後の海外進出のもくろみの中での多忙化もあるのだろう
それはまた業界人に持ち上げられる中で、
世間との接点を失っていく過程でもあった


TKブーム最末期の1998~99年には、
小室の新プロジェクトTrue Kiss Destinationのお披露目イベントとして、
「True Kiss Destination Nite」が開催された
イベントの内容はよく知らないが、
この頃の小室の趣向を考えれば、R&BとHip Hopを中心にプレイしたものだろうか


その後TKブームが終わった2002年にはトランスイベント「TK Presents Synthesized Trance」
2005年には「Tribal Kicks TV Party」が開催された
さらに2005~06年頃には覆面DJ”DJ TK”として各地でDJプレイを行なった
再びアンダーグラウンドな世界からの再起を図ろうとしたものだろう
しかしこの頃の活動は、さしたる成果も出なかった


2008年の逮捕と翌年の執行猶予付き判決の後の小室は、
全国でピアノコンサートとともに、頻繁にクラブイベントに出演し、
ライブやDJプレイを披露するようになる
ただこれらクラブイベントはいずれも臨時的なもので、
「TK Tracks Night」のような統一的な名称では呼ばれていない

(2010/4/8執筆 2011/1/23・11/15・2017/12/22・2018/5/20加筆)

GAMBLE
トライエム
1992-05-21
小林勇人
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この記事へのコメント

まさと
2010年04月08日 14:46
ついに小室さんの復帰作が決まりましたね。5月5日に発売されるAAAの新曲らしいです。 正直、50曲を同じ日に一気に出すのか?とか思ってたんですが。
AAAの曲は聞いた事が無いんですが、昔TRFのカバーもしていたので、初期のTRFのイメージが勝手にあるんですよねぇ。
アザラシ
2010年04月08日 18:30
てっちゃんの復帰作が決まって、徐々に再起しつつあるんだなって思います。

去年の今頃は本当に地獄で、胃の痛みが酷くて常に胃薬を飲んでいた状態でした。でも、そんな日々もやがては笑い飛ばせる日はそう遠くない近未来の話だなって思えるようになりました。
青い惑星の愚か者
2010年04月11日 04:22
>まさとさん
AAAの曲、テレビでも少し流れましたね
アレンジは別の方みたいですが、
小室さんの王道メロディっぽいですね
AAAはよく知りませんが、
今人気は上がっているみたいなので、
うまく行くといいなと思います

>アザラシさん
去年の今頃から翌月くらいが、
一番胃が痛い時期でしたよね
多分松浦さんも色々仕掛けてくるつもりだと思うので、期待したいです
まさと
2010年04月11日 05:47
AAAの新曲、エイベックスのサイトで聞きました。正直、Aメロが岡田有希子さんの水色プリンセスじゃない?と思いましたが(笑)
まぁ、岡田さんは小室さんの作曲家としての第一歩だった訳だし、初心に帰る意味で似せたとか?100%そんな事はないですね(笑)
10万枚目標と言ってますが、今は10万枚売れればヒットですか。本当CDが売れない時代なんですねぇ。
まっちゃん
2010年04月11日 06:23
こんにちは。第一弾がAAAと聞き、今から楽しみです。昔みたいに関連商品をかたっぱしから買うことはできませんが、コレは買いますよ。記念すべき復帰第一弾ですし、売れなかったら悲しいから。FANKSからてっちゃんへのお祝いってことで!皆さんもどうでしょうか?
まさと
2010年04月11日 14:47
ちなみに、小林勇人はTK Tracks Nightではなくて、Nova21グループ主催のボーイズコンテストみたいので優勝してのデビューだったはずですよ。その審査員として小室さんが参加したはずです。
GAUZE
2010年04月13日 23:04
小室さんの復帰も大変喜ばしいですが、木根さんのニューアルバムもいいですよー。B'zの松本さんも一曲参加してますし、フィルモアとかフレッシュサウンズコンテストとかいったFANKSにとってニヤリとくるフレーズも出てくるので楽しめます。帯に推奨年齢50歳以上と記載されていますが、それも納得の純度100%のフォークサウンドをじっくり堪能できますよ。
青い惑星の愚か者
2010年04月16日 00:53
>まさとさん
あー水色プリンセスですか 近いかもですね
AAAで10万も売れた曲はないのではないでしょうか
おととしの年間100位(7.7万)や去年の年間100位(5.9万)には入っていないみたいですし
あと、小林勇人情報ありがとうございます
当時小室さんがラジオでしゃべってたんですけど、録音していなかったんですよね

>まっちゃんさん
自分は購入は未決断なのですが(^^;
でも最初くらいは買っても良いかもですね

>GAUZEさん
木根情報、全然なかったのでひそかに嬉しいです
フィルモアとか、本当のファンしか分からないでしょうね
しかし推奨年齢50歳以上って、さすがに現役ファンもそこまで行っている人は一部だと思いますが(笑
かしこ。
2017年02月09日 23:31
管理人さま。こんばんは。
連日の書き込みコメントにて失礼します。話題にある、小林勇人氏について補足情報です。

小林勇人(コバヤシハヤト)氏は、伝説のディスコ『マハラジャ』『King&Queen』を経営してたNOVA21グループの企画コンテストで輩出されて、歌手デビューした方です。

正確には・・・NOVA21グループ経営のカラオケ店『2001年』で開催された「ミスターニイイチコンテスト」のグランプリ受賞者です。

当時のグランプリ受賞者特約に『芸能界デビュー』があり、その中の最大の目玉として「小室哲哉プロデュースによる歌手デビュー&NOVA21グループによるデビュー曲のタイアップ」がありました。

NOVA21グループは、当時のTMラジオ『expo'91』のスポンサーでもあり、経営レストラン「しゃぶ禅」などのラジオCMがラジオジングルのように大量オンエアーされていました。

グランプリ獲得後の小林勇人氏も、当然のようにラジオ『expo'91』ゲストに呼ばれ、小室さんが紹介する形で登場してました。

高身長でルックス良し、声も良し、面白い特技も持ってるイケメン、という感じの紹介でした。

グランプリ受賞の決め手の1つとなったのは、小林勇人氏の特技に『ジャイアント馬場さんの形態模写(=動きのモノマネ)』で、審査員一同の心を掴んだそうです。

彼の歌手デビューは、NOVA21グループ側からの「経営を盛り上げる企画」の参加依頼の1つであり、コンテストの審査員に小室さんが選ばれた理由でもあります。

おそらく・・・NOVA21側がイベント『TK tracks night』の全面的スポンサーを 引き受ける代わりに、自社コンテスト優勝者の小室哲哉プロデュース企画を持ち掛けたのでは?と、自分は推測しています。

あしからず。
かしこ。
2017年02月10日 00:58
追記の補足情報です。

小林勇人氏のデビューシングル『PASSENGER ~a train named Big City~』の表ジャケットには、当時のタイアップ状況やリプロダクト楽曲である旨が書かれています。

まずジャケット上の端に、カップリング曲『雨に誓って~』が「NOVA21グループ スターロードMr.2001年テーマソング」と書かれています。

※ややこしいですが、この「2001年」はNOVA21グループのカラオケ店名です。

ジャケット下半分、タイトルの下の方に要約すると「この2曲は1986年のTM Networkアルバム『gorilla』からのものです。(中略)久保こーじ氏が楽曲をリプロダクトしました」というような内容が英語で書かれていました。

さらに裏ジャケットには、プロデュース小室哲哉の他に「コ・プロデュース久保こーじ&(スタッフの名前)」と明記されています。推測ですが・・・小室さんは過去の楽曲から曲だけを提供したのかもしれません。

アルバム『Gamble』を見ても、デビューシングル以外の全ての作曲は久保こーじ氏かBlossom名義になっています。

もしかすると・・・デビューシングルの他にアルバム1枚をリリースする事も、NOVA21グループ側との事前契約済み企画だったかもしれませんね。

長文乱文にて失礼しました。誠にあしからず。
かしこ。
2017年03月04日 12:18
追記補足情報です。

ミスターニイイチコンテスト。
小林勇人さんが優勝された回以降もカラオケ『2001年』で実施されてた模様です。当時の従業員が語るスレでも話題に出ていました。

ご存知のとおり、小林勇人さんの歌手生活は上手くいきませんでしたが・・・イベント『ミスターニイイチコンテスト』は非常に盛り上がり、カラオケ店の経営や売上げは上がったようです。

とりあえず結果として、経営者側の示す、最低限の希望と意向には添うことが出来た模様です。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年12月22日 18:15
ミスターニイイチコンテスト…そんなのあったんですか。全然知りませんでした。
いや、小林勇人を調べる気が毛頭起こらなかったてのもありますけどね。

EXPO '91で小林さんが来た回、多分私も聞いていたと思います。
ただ本当に興味がなくて、内容を全然覚えておらず…

ともかくいただいた情報、本文中に加筆しておきます。ありがとうございました。

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