5-3 Hit Factory

オフィシャルサイト「Digitalian is eating breakfast 2」の曲目が発表されました
01. Vienna feat.Miu Sakamoto & KREVA
02. Go Crazy feat.Krayzie Bone & K-C-O
03. 奇跡 feat.Zeebra
04. ほほえみのちから
05. Every feat.Mitsuhiro Hidaka(AAA)a.k.a.SKY-HI & K-C-O
06. Years Later feat.VERBAL(m-flo)
07. Free My Mind feat. Mitsuhiro Hidaka(AAA)a.k.a.SKY-HI
08. L.W.R feat.Misako Uno, Naoya Urata(AAA) & Wataru Yoshida(Purple Days)
09. Reality feat.Nipsey Hussle
10. Extreme
11. Carry On
12. Ayrton feat.Naoya Urata(AAA)
13. THX A LOT(Album Version) / a-nation's party


AAAが参加しまくっていますね あとKCOが2曲ですか
個人的には小室ソロですし、AAAやglobeの歌モノっぽくないのを望みます
「Go Crazy」ってMySpaceにアップされてたやつですよね
あとNipsey HussleとかVERBALとか、まだ続いていたんですね


ちょうどニコニコ動画に、ラジオ音源の「Vienna」「ほほえみのちから」がアップされてたんですが、
どっちも…小室さんが歌っていました!(笑
なんか嬉しいですねえ
売上に反映される要素かどうかはともかくとして


そして「Vienna」なんですが、
久しぶりに小室さんの力の入った作品になっている気がします
ラップとの合わせ方はもうちょっと直せるかもしれないけど、
全体としては小室さん的音が反映されていて、
かつ良曲ではないでしょうか
この水準の曲でアルバム全体が構成できていれば、
結構期待できるかもしれません


あと松任谷由実さんのラジオもアップされていましたが、
ちょうどマイアミの話が出ていました
それって今回ブログで書く話ですよ
なんというシンクロ…
ちゃんと参照させていただきました


では本題に入ります

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小室哲哉の活動の中心は、1991年まで常にTMNに置かれていた
ソロ活動を行なっている場合でも、それはTMの復活を前提としたものだった
しかしタイムマシンを離れた小室は、
1992年5月以後しばらく、TMNおよびその人脈と絡まない形で、
活動を模索していく
当初その活動は、TMN時代のサブワークを発展させる形、
あるいはタイムマシンと絡まない人脈を活用する形で展開された


実はこの時期の小室は、かなり多くの試みを行なっている
ただそれは高まる創作意欲のたまものというよりは、
TMNに代わり得るものを求め、
手当たり次第に手を出したものと言う印象が強い
おそらく小室としては、
デビュー以来もっとも苦しかった時代だったのではないか


これまでの小室の活動をおさらいしてみると、
一つにはアイドルや女性ミュージシャンへの楽曲提供がある
特に渡辺美里「My Revolution」は小室の出世作となった作品で、
実は小室個人の場合、TM NETWORKよりも楽曲提供の方が成功は早かった
「My Revolution」は1986年、「Self Control」「Get Wild」は1987年)


第二に、サウンドトラックの制作がある
小室の名前が前面に出た作品は1985年の「吸血鬼ハンターD」が最初で、
その後TM NETWORKブレイク後は、
角川映画のサウンドトラックとして「Seven Days War」「天と地と」を担当した
1991年には映像会社グラデミーも設立し、
TMN作品をモチーフにした映画製作も計画していたが、
これが実現していれば、映画音楽も担当するつもりだっただろう


第三に、クラシックと接点のある活動も行なっていた
具体的には1991年に舞台音楽を担当した「Mademoiselle Mozart」がある
作品自体がモーツァルト関係のものであることもあるが、
アルバムのレコーディングで生オーケストラを使うなど、
実際に音楽面でもクラシック的な要素を取り入れようとした


モーツァルト関連企画では、同年の「V2 Special Live Virginity」でも、
オーケストラとの共演を果たしている
これらが音楽的に成功したかはともかくとして、
小室がクラシックへの関心を示していたことは確かである


第四に、ボーカリストとしてソロ活動も行なっている
1989年リリースの「Running To Horizon」以後、
1991年まで5枚のシングルと1枚のアルバムを出している
実はシングル一位は、TM NETWORKよりもソロの方が早い
またソロではないが、YOSHIKIとのユニットV2でもボーカルを担当した


第五にクラブイベントでの活動があった
具体的には小室の友人で喜多村豊のバックアップで、
「Tour TMN EXPO」の前後に全国で行なわれた「TK Tracks Night」があった
小室はこの頃、喜多村の縁を通じ、
マハラジャやKing & Queenなどのクラブを全国展開していたノヴァ21グループと接触していた


「EXPO」期のハウス系TMN楽曲にも、その影響は色濃く出ていた
1992年にはTK Tracks Labelも設立し、
そこから小林勇人・久保浩二をデビューさせている


以上、おおまかに見て、
この頃の小室にはTMN以外に5つの可能性があった
その中の一つ目、楽曲提供については、
おそらくもっとも可能性がありそうだった


これまでも小室は、
渡辺美里・中山美穂・小泉今日子・宮沢りえなどに楽曲を提供してきた
ただ中山・小泉などは、もとより単発の楽曲提供であるし
あくまでも楽曲提供で、編曲は他者が行なっていた


関わり方が多少異なったのは宮沢りえで、
デビュー曲・セカンドシングルともに、
小室が楽曲提供したことがアピールされ、実際にヒットもした
単なる楽曲提供でもなく、編曲やプロデュースも担当するなど、
この2枚のシングルは小室の色がかなり濃く出ている
しかし1990年、3枚目のシングル「Game」以後、
宮沢は小室から離れ、セールスも低下する


もっともコンスタントに行なわれたのは渡辺美里への楽曲提供だが、
それもこの時期に終わりを告げる
1992/7/8リリースの「Hello Lovers」は、
それまでのヒット曲のリメイクを中心とした特殊なアルバムだった
この頃にはTMNだけでなく美里も全盛期が終わろうとしており、
その中でのテコ入れ的作品と言える


このアルバムにはかつての小室作品から、
「My Revolution―第二章―」「ムーンライトダンス」
木根作品から「さくらの花の咲くころに」が収録されたが、
その他に新曲として小室が「青空」を提供した
ちなみに「My Revolution―第二章―」は4/22に先行シングルとなり、
美里最後の(シングルでの)2位獲得作品となった


美里は翌1993年、アルバムプロデュースに小林武史を登用し、
かつての作家陣を一新した「Big Wave」をリリースした
そのため小室作品も木根作品も、同作には入っておらず、
以後小室曲の提供はなくなる(木根はまだ続く)
1994年の「baby faith」には小室の「I Wish」が入っているが、
これは過去に小室が提供して没になったものを採用したものであり、
小室の楽曲提供は1992年で終わりということになる


このように、90年代初めは楽曲提供の面でも転換点となったが、
この時期に小室提供曲でヒットを飛ばした新たなアイドルが出た
観月ありさである
1992/5/27リリースのシングル「Too Shy Shy Boy!」は、
作詞・作曲・編曲とも小室哲哉が担当した(編曲は久保も参加)
Chasse(KIRINビバレッジ)のCMというタイアップもついていた


この作品は4位でチャートに初登場し、6週目まで10位内に残った
総合36.8万枚、年間54位の成績で、
首位を獲得したTMN最新シングル「Wild Heaven」(39.9万枚)と
ほとんど変わらない売上を出した
これは観月のシングル作品で最大のヒット作である


観月は中学生時代にTMNのファンだったこともあり、
小室の楽曲提供には喜んでいた
また従来楽曲を提供してきたアイドルと比べれば、
ボーカル自体にも魅力があったと思う


1993/1/2「タモリの音楽ステーション」「Music Station」正月特番)では、
小室が観月と一緒に出演している
この時小室はスタジオで即興で新年の曲を作り、
その場でその曲に合わせて観月と一緒に歌った
小室パートの「はっぴにゅういやぁおめぇでとぉん」は、
耳にまとわりついて全然おめでたい感じがしない


この時は「Too Shy Shy Boy!」も演奏したが、
おそらくアルバムバージョンの「Extended New Re-Mix」を意識しており、
サンプリングボイスも交えた小室の即興シンセプレイを見ることができる


小室はこれ以前、1991年の観月のデビューアルバム「ARISA」に、
「夢だけのボーイフレンド」を提供していたが、
「Too Shy Shy Boy!」の成功もあり、
1992/10/1リリースのセカンドアルバム「Shake Your Body For Me」では全10曲中5曲を担当した
この内でタイトルチューン「Sheke Your Body For Me」は、
観月主演のドラマ「放課後」の主題歌にもなった


楽曲はいずれも「EXPO」の中のハウス楽曲と雰囲気が近く、
「Too Shy Shy Boy!」「Shake Your Body For Me」「Give Me Your Love Tonight」
などは、特に「Crazy For You」と近い
小室はアルバム全体のプロデュースこそしていないが、
かなり深く関与していたと言えるだろう


小室はこれ以後も、
「happy wake up!」(1994)、
「あなたの世代へくちづけを」(1995)、
「Promise to Promise」(1996)、
「oh-darling」(1998、convertible名義)
など、長く観月への楽曲提供を続けた


また観月は、TKプロデュースミュージシャンによるイベントブ「TK Dance Camp」(1995)や、
1997年のTKファミリーシングル「You Are The One」などにも参加している
ある意味で観月の「Too Shy Shy Boy!」は、
TKプロデュースの先駆けといえる作品だったのかもしれない


個人的に「Too Shy Shy Boy!」は佳曲だと思うが、
(1992年の小室作品中では一番のでき)
観月の他作品も続けて聞くと、同じような曲の量産という感じで、
あまり良い印象はない
辛らつな評価を言えば、「EXPO」の焼き直しであり、
「EXPO」の後に出すべき新しい音を見つけられていなかったことを、
端的に示してしまったと言えると思う


ただ観月の成功を受け、小室は他にも積極的に楽曲提供を行なう
一つは東京パフォーマンスドールである
当時EPIC/SONYが売り出していた、ダンスもできるアイドルグループだった
その中で1992/11/21「十代に罪はない」から始まり、
1993/5/21「キスは少年を浪費する」
1993/11/10「ダイヤモンドは傷つかない」
までの3枚のシングルは、すべて小室が担当した


またアルバムでも、1993/6/23「Make It True」と、
1993/11/10「Seven on Seven」は、
全体が小室のプロデュースによる作品となっている
(ただし楽曲提供は一部である)


ただ彼女らはシングルもアルバムも売上は微々たるもので、
20位に入る作品はなかった
ちなみに「Make It True」には「Beyond The Time」という曲があるが、
これはTM NETWORKの同名曲とは関係ない


東京パフォーマンスドールについては、
すでに1991年、「Love Train」のPVにも出演している
ただこれはEPIC/SONYの縁によるもので、
TMNとそれほど親しいわけではなかったと思われる
(篠原涼子もTMNの名前を知らなかったらしい)


東京パフォーマンスドール自体はブレイクに至らなかったものの、
結果としてこの縁は後の小室にとって大きいものになった
メンバーの篠原涼子との縁ができたからである
周知の通り小室は1994年、篠原涼子 with t.komuro名義で、
「恋しさとせつなさと心強さと」をリリースし、
これが小室初のダブルミリオンのセールスを達成している
この点で東京パフォーマンスドールとの関係も観月と同様、
後のプロデューサー期につながるものと評価できる


なお東京パフォーマンスドールで多く作詞を行なっていた前田たかひろは、
「十代に罪はない」の作詞も担当している
おそらくその縁で1995年には、
小室作曲の篠原「Lady Generation」の作詞も行なった


以後東京パフォーマンスドールの活動が停滞し消滅に向かう中で、
前田は安室奈美恵・trf・鈴木あみなどの楽曲を手がけるようになり、
TKプロデュース作品で頻繁に名前を見る存在になる
TM関係では1996年、
小室・ウツ・木根名義で発表された「Detour」の作詞を担当している
(TMシングル集「Time Capsule」収録)
またおそらく小室経由の紹介で、木根やウツのソロ作品にも関わるようになる


この頃の小室の他の提供曲では、
1993/5/21宮沢りえに「My Kick Heart」を提供している
シングル「赤い花」のカップリングという地味な扱いである
シングル表題曲を狙って没になったのかもしれない(知らないが)
ただこれは小室としてはお気に入りの曲だという


変り種では1993/12/15、
野球選手の池山隆寛に「自由の女神」を提供している
ヤクルトスワローズ選手のCD「To The Victory Road」に収録される
池山は「Tour TMN EXPO」にゲスト出演して「Get Wild」を歌ったことがあり、
TMNメンバーとは縁があったらしい


このように、小室はこの頃様々なところで楽曲提供を行なっており、
特に1992年には観月ありさ、
1993年には東京パフォーマンスドールに力を入れていた
そしておそらくこれと関わると思われるのが、
1992/10/21リリースのソロアルバム「Hit Factory」である
この頃を契機に、小室は「Factory」という言葉を頻繁に使うようになるが、
おそらく「EXPO」期にも参照していたC&C Music Factoryからの発想だろう


これはインスト作品を除けば、
「Digitalian is eating breakfast」以来のセカンドソロアルバムとなる
ただし最近の小室の発言によれば、
これはカバーアルバムという位置づけで
(オリジナルの?)ソロアルバムという認識ではないらしい


「ヒット作工房」というタイトルからは、
TMN以外にも多くのヒット曲を残してきたことをアピールしようという、
小室の思いが伝わってくる
90年代に音楽業界が大きな変革を迎えていた時期、
80年代の業績をまとめておこう、
あるいは80年代の作品を90年代のアレンジで聞いてもらおう、
という意識も働いていたのだろう
小室としては自分のメロディを確認するという意識が強く、
その点で実験性よりはメロディを重視する立場を取ったという


本作は、マイアミのSouth Beach Studioで制作されたもので、
そのためCDのライナーには、
マイアミでの小室のプライベートショットが満載である
さらに同時期にはマイアミ小室の写真集「Hit Factory」も発売されている


この時にマイアミに行ったのは、意味があったらしい
意外なことだが、小室は小学生の頃にはSergio Mendesなどラテンが好きだったという
この頃の小室もGloria Estefanなどラテンに興味を抱いていたようで、
Gloria EstefanがいたMiami Sound Machineのレコーディングに参加していたRafael Padillaが当時マイアミにいたため、
彼のパーカッションが欲しかったと言う


またラテンピアノを弾いてもらったPaquitoなる人物も、
同じくMiami Sound Machineのレコーディングに参加したことがあるが、
小室はそのグルーヴ感に大きな衝撃を受けたという
「Too Shy Shy Boy!」のラテンピアノのことだろうか
小室は日向大介の縁でMiami Sound Machineのピアニストに弾いてもらえたと言っているが、
おそらくこのPaquitoのことだろう


一方でデジタル機材については制約があった
スタジオにはシーケンサがAKAI MPCしかなかったという
これは1991年リリースのMPC60Ⅱだろうか(または1988年のMPC60)
ただ小室はこれを試しに使ってみたところ気に入り、
次の「二十歳の約束」も含めて、
シーケンサとしてはシンクラヴィアはほとんど使わず、
もっぱらMPCを使ったと言う


さて、この時期の小室の風貌はあまり評判が良くないが、
私もかなりまずいと思う
むしろ「Rhythm Red」「EXPO」の時期がかなりいけていただけに、
なにこのキモロンゲ???と思わざるを得ない
しかも悪いことに、この髪型はこの後も結構長く続く


…(lll゚Д゚)…!!!


アルバムの制作時期は明確ではないが、
東京である程度レコーディングを行なった後、
1992年7月初めに渡米してからも2ヶ月近く制作を続けた
小室としては、かなり余裕を持って制作できたという


小室はマイアミでレコーディングを行なった後、
ニューヨークでマスタリングを行ない、
その後ロスアンゼルスに飛んで、9月上旬に帰国したから、
レコーディング期間は東京の期間も含めて6~8月と見て良いと思う
後述するように8/5には小室版「Too Shy Shy Boy!」の音源がほぼできているので、
7月中にはかなり作業が進んでいたようである


レコーディングは久保こーじと日向大介との3人を中心に行なわれた
このグループは名前の頭文字を取ってT.C.D Hitsと名づけられた
浅倉がタイムマシンに残り仕事を頼めなくなった今、
小室が音楽面で頼りに出来たのはこの二人だったということだろう


このアルバムは、新曲「Magic」「Futari」「South Beach Walk」と、
セルフカバー7曲で構成されている
この構成は、あるいは美里の「Hello Lovers」から着想を得たものかもしれない
当初は全部アイドル提供曲にする案もあった
選曲はすべて小室によるものであるという


新曲の中で「Magic」は、
1992/10/1に小室の6枚目のシングルとしてもリリースされている
カップリングは「Resistance」だったが、
当初の予定では宮沢りえ「Dream Rush」のカバーが入るはずだった
小室版「Dream Rush」はいまだに発表されていないが、
おそらく途中まで音源制作はされていたのだろう


「Futari」はじっくり聞かせるバラードだが、
「Never Cry For Me」と同様、こういう曲は小室ボーカルではつらい
なお新曲の作詞はともに坂元裕二である


「South Beach Walk」はスタジオの名前から取った曲目だろう
南国風のさわやかなインストである
「二十歳の約束」の制作に入る前に、
久しぶりにインストを作っておこうと思って作ったというが、
歌詞を付ける案もあったという


セルフカバーでは、TM NETWORK「Resistance」が目を引く
本作はTMの「humansystem」収録の商品版ではアップテンポだが、
本来は「Self Control」レコーディング時にバラードとして作られていたものだった
「Hit Factory」ではこのバラード版に準じている
詞は小室みつ子に依頼して書き直してもらったもので、TM版とは少し違う


他のミュージシャンに提供したヒット曲としては、
小泉今日子「Good-Morning Call」、中山美穂「50/50」の他、
最新作の「Too Shy Shy Boy!」の3曲が入っている


「Omoide o Okizarinishite」は、ヒット作でこそないが、
1987年の堀ちえみのラストシングル「愛を今、信じていたい」の歌詞を変えたものである
往年の人気アイドルのラストシングルを担当できたことは、
小室にとっても一つの記念だったのだろう


あとの2曲はアルバムから、知る人ぞ知る曲を選んでいる
一曲は松田聖子に提供した「kimono beat」で、
1987年、結婚後の復帰アルバム「Strawberry Time」に収録されている
当時小室はシングル狙いで提供したのだが、
採用されたのはレベッカの土橋安騎夫提供の「Strawberry Time」だった


もう一曲は渡辺美里に提供した「Kimi ni Aete」(原曲「きみに会えて」)で、
1985年のデビューアルバム「eyes」収録である
美里なら「My Revolution」などのヒット曲も多いのだが、
ここはあえて、知られていない名曲を知ってもらおうと思ったのだろう
高校の頃に作った曲と言うので、思い入れもあったのかもしれない
ただ小室の歌唱力では、無理があった気もする


「Hit Factory」の特徴は、歌詞が原曲から変えられていることである
それぞれの作詞者に依頼して、書き直してもらったという
なお小泉今日子作詞の「Good Morning-Call」も書き直しを依頼したが、
そのままで歌ってほしいと返答されたため、これは原詞のままとなった


また渡辺美里「My Revolution」の書き直しも依頼されたが、収録は見送られ、
美里への提供曲からは「きみに会えて」が採用されることになった
(本記事赤とんぼさんコメント参照)
他にも収録案があったが見送られたものはあったようで、
たとえば生前の岡田有希子に提供した楽曲(「Sweet Planet」「水色プリンセス」)を収録する計画もあったという
(本記事haruさんコメント)


特に「Omoide o Okizarinishite」はまったく違うが、
それ以外も変わっている曲は多い
「Kimono Beat」には着物を着たお見合いの場を抜け出した女性とその恋人が登場するが、
歌詞のシチェーションは同じながら、
女性視点の原曲に対して小室版は男性視点とする面白い試みを行なっている
一部対比してみよう

・聖子版
竹林横切れば身を隠すその背中
かくれんぼあなただわ 噂でも聞いて来たの?

・小室版
Takebayashi yokogireba miwo kakusu bashomo nai
Kakurenbo mitsukatte iiwakemo ukaba nai
(竹林横切れば身を隠す場所もない
かくれんぼ見つかっていい訳も浮かばない)


上記の通り、本作はタイトルだけでなく、
日本語の歌詞もローマ字で、きわめて読みづらいが、
これはこれで一つの遊びとも言える
小室はこれについて当時のインタビューで、
歌詞ではなくメロディに集中してほしかったためと述べている
(本記事DJ SHNYAさんコメントによる)


曲のアレンジは、「Digitalian is eating breakfast」やV2のように、
ハイテンポな曲はまったくない
小室の歌に合うように心がけたのだろう
そのため、「Digitalian is eating breakfast」よりは、
歌は聞きやすいかと思う


「EXPO」期以来のハウスアレンジも大いに反映されている
むしろソロ作品ということで、
TMN以上に思う存分やってみているという感じである
「50/50」などは原曲を知っている人ほど驚くアレンジだろう
個人的にはこのアレンジはかなり好きだ


ただポップな作品は思いっきりポップになっている
たとえば「Kimono Beat」の間奏のシンセなどは、
小室ファンならかなり嬉しい音ではないだろうか


だが個人的に本作でもっとも聞くべきと思うのは、
「Omoide o Okizarinishite」「Magic」の幻想的な楽曲群である
「South Beach Walk」も近い雰囲気かもしれない
「EXPO」期のハウス系サウンドの再生産ではなく、
また1993年のテクノ系サウンドでもない、
本作独自の雰囲気が、これらの曲では出ている
「Magic」は、今後も使える新しいパターンを意識して作ったものだという


特に「Omoide o Okizarinishite」のイントロは、
メロディとともに複数の音の絡み合いが絶品である
小室のボーカルもうまく処理され、
むしろ曲の雰囲気をよく引き出している


ただしシングル「Magic」、アルバム「Hit Factory」ともに、
あまり成績はよくなかった
「Magic」は6位、9.2万枚
「Hit Factory」は2位、15.9万枚で、
シングルは小室作品中で最低の成績となった
アルバムもボーカルメイン作としては、
前作「Digitalian is eating breakfast」の2/3以下である


なおアルバムと写真集の購入者特典で、
抽選1000名にCDシングル「Boys Be Singing!」がプレゼントされた
「Too Shy Shy Boy!」「50/50」のインストが収録されたものである
大して嬉しい内容でもないが、レアアイテムではあろう


ちなみに小室は1992/8/5「サウンドアリーナ」で、
マイアミから生中継で出演し、「Too Shy Shy Boy!」を演奏している
レコーディング最中で、CDリリースの2ヶ月半前のことである


小室はプールの上のステージでシンセを弾きながら歌い、
後ろには二人の黒人女性コーラスやサックス・ギター・ドラムなどもいるが、
完全に口パク・当て振りである
ただ当時としては、出来たばかりの音源を映像付きで見せてくれたと思えば、
まあまあお徳だっただろう


以上、TMN活動休止後の小室について、
楽曲提供とボーカリストとしての活動を見てきた
これ以外の活動に関しては、次章で見ていくことにしよう

(2011/3/7執筆、2013/2/11・2014/8/5・2017/12/10加筆)

Hit Factory
エピックレコードジャパン
1992-10-21
小室哲哉

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この記事へのコメント

真衣夢改めいりい
2011年03月07日 16:06
当時は、TMNから離れて、東京パフォーマンスドール(以下TPD)のファンになったばかりのころでした。

ただ、小室さんがTPDの楽曲を提供ということ自体は私としては、嬉しかったのですが、最初の提供曲「十代に罪はない」にしては、当時のTPDファンからすれば、非難が多くて、そのついで、TPDファンからの小室非難もかなりあったので、私は驚いたのと同時に、「え?そんなに曲がおかしいのか?」って思いましたけどね。
でも、それ以降のTPDの小室作品は今聞いたら、名曲だと思うのは、私だけか・・・。

HIT FACTRYの小室さんの髪型はスーパーマリオのクリボーみたいです(笑)。
のんき
2011年03月07日 20:59
好きな曲もあるのですが、《Digitalian is eating breakfast》に比べるとあまり聴かない一枚です。

管理人様の言葉を読んで、もう一度聴いてみたいなと感じました。

髪型は確かに気持ち悪いかも…

後に出てくる《一途な恋》辺りになると格好良いかもと思います。

話は変わりますが、文中にある安室さんの名前が違っている様に思いました。

《奈美恵》だったと思います。
青い惑星の愚か者
2011年03月07日 22:44
>めいりいさん
HN変えたんですね
TMN→TPDというパターンもあるんですね
小室さんとは関係ない話ですが、TPDは目指していたものは面白かったと思います
曲名知らないけど当時ラジオでたまたま聞いた原宿ジェンヌの曲とか、気になる曲があった気がします

>のんきさん
あぁー名前間違えました!
直しておきます ありがとうございます
髪は…久しぶりに見た小室さんがあんなことになっていて、当時衝撃でした
一途な恋のジャケットは、よく見えないからマシに見えるだけかもしれないですよ(笑
fe
2011年03月08日 18:57
こんにちは。

「様々な可能性を試す」と書けば
聞こえはいいですが、
今回の場合はどうも、今までの仲間を
ガン無視しているイメージが拭えませんね。
それでも、この活動がなければ
松浦さん、DJ KOO等との出会いもなかったと
思うと複雑な気分です。

小室先生の歌声はコーラス・ラップだと
聞きごたえがでてくるんですよね~。
(華原朋美の「Every Morning」と
TKDの「AFRiCA」がいい例)

「思い出を置き去りにして」では
エンジニアさんは本当にいい演出したと思います。
青い惑星の愚か者
2011年03月20日 00:22
この時期の小室さんをどう評価するかは、立場によって大きく変わってくるでしょうね
TMファンからすれば「終了」へのカウントダウンでしょうし、TKファンからすれば黄金の時代の始まりということになるでしょうから

Omoide~のオケは、特に力を入れた出来と思います
本文では書かなかったけど、歌詞が意味深ですよね
「どこにいるのだろう いつしか僕は一人で 方角を見失い 時代の群れにはぐれた」って、この頃の自分のことかもしれませんし、それならば「思い出を置き去りにして自分の道を歩き始めよう」ってのはTMNを振り切って先に進もうという歌詞なんじゃないかという疑念を持っています
GAUZE
2011年03月21日 00:00
こんばんは。震災後としては最初のカキコになりますね。青い惑星の愚か者ならびにこのブログを閲覧している方々はご無事でしたでしょうか?。豊島区の僕の家は家族を含めこれといった被害はありませんでしたが、江東区の実家に帰ったときの液状化現象による泥だらけの道と地盤が沈下した痕跡を見たときは背筋が凍りました。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災地の方々の一日も早い復興を祈るばかりです。さて、「Hit Factory」ですが、セルフカバーの曲は原曲をほとんど知らなかったので(今も昔もアイドル系は全くといっていいほど聴いていません)、あまりギャップを感じずにすんなり聞けましたね。ボーカルは相変わらずだなーとは思いましたが、「Digitalian is eating breakfast」より音が優しくてまた違った魅力があったなぁと感じました。それより小室さんのルックスがアチャーだった印象のほうが強かったです…。プレゼントCDの存在は全く知りませんでした。写真集を買っていなかったからかな?。是非手に入れたい一品ですね。
青い惑星の愚か者
2011年03月21日 01:06
東京も場所によっては液状化現象が起こっているんですね
そっちが大災害につながらないでよかったです
人が作ったものって本当にもろいものですよね

私はテレビで50/50やGood-Morning Callは知っていましたが、堀ちえみや松田聖子の曲は知りませんでした
GAUZEさんのように本作で過去の提供曲が知られるケースがあったことを考えれば、本作はその点でも意味があったのかもしれませんね
douran
2013年08月07日 15:14
ここ、すげー偉そうに論評してやがるね。
何様のつもりなんだろ。
痛すぎる
青い惑星の愚か者
2013年08月10日 02:30
ここはTM関連の作品とかライブとかの音楽活動を、「通史」としてつなげて概観するスタイルでやっているんで、どうしても解釈が入りますし(Aの結果Bになった、Aが否定されてBが生まれたなど)、そうなると論評風にもなりますね
合う合わないがあるでしょうが、ここはともかくそういうところだとご理解下さい
それに「通史」と言っても、私の組み立てた解釈以上のものではありませんので

作品データを客観的に網羅したサイトならすでに立派なのがたくさんありますから、そちらをご利用すると良いと思います
DJ SHNYA
2014年08月01日 23:50
拝見しました、小室さんについて良く勉強されてまとめてあり感服しました。
私も小室さん大好きです。
とくに昔の、物悲しいメロディーが・・。
さて申し訳ないのですが、2点だけちょっと違うのでは・・という箇所がありましたのでコメントさせていただきます。

■kimonobeatの歌詞
TKのkimonobeatの歌詞は、同じ情景を違う視点(聖子バージョンはお見合いしている女性目線、TKバージョンはお見合いをぶち壊しにきた男性目線)から歌っているので聞き比べるととてもユニークです。なので、2番の歌詞が意味不明ということはありません。ぜひとも聞き比べてみてください!

■HITFACTORYの歌詞が全部英語なのは、当時のインタビューで「HITFACTORYはメロディーメーカーとしての自分の集大成なので、歌詞ではなくメロディに集中してほしいので全部英語にした」と言っていました。遊び後ごろではあるのでしょうが・・
青い惑星の愚か者
2014年08月05日 00:56
kimono beatの件、聖子版も確認したら、小室版が歌詞をカットしたわけでもなく、ちゃんと意味も通じますね
不十分な検討を元に書いてしまって、非常に反省しています
改めて比較してみるとなかなか面白かったので、加筆してみました

また、歌詞が英語(というのでしょうか?)である理由についても、まったく存じ上げず…
貴重な情報をありがとうございました
こちらも合わせて、本文を修正しておきました

また何か気づいたところがありましたら、是非ご教示お願いします!
初めまして。
2015年03月17日 00:46
色々と調べておりましてここへ行き着きました。
プレゼントCDはお持ちですか?
是非、一聴してみたいものです。
青い惑星の愚か者
2015年03月21日 00:41
私もCDは持っていませんが、どういうものかは聞いたことあります
まあ、あのまんまですよ(笑
zozozo
2015年08月31日 09:00
初めまして!すごいblogですね!
私のhitfactory時のてっちゃんはめっちゃカッコいいという印象でした(笑)音楽もビジュアルも。人によって違いますね。
あの頃、いろいろあったんですねー。なにも考えず次は何をするのかと楽しみに見てました(^-^)
青い惑星の愚か者
2015年09月02日 02:01
え、Hit Factoryの小室さん、かっこいいですか!?
ホント印象て人によって違いますね

この頃の小室さんは、いろんな可能性を考えてもがいていたんだろうなと思います
あと文中でも書きましたが、美里のHello Loversと小室さんのHit Factoryは、両方小坂洋二さんのプロデュースなので、連動した企画かもしれません
青い惑星の愚か者
2016年04月27日 23:49
このインタビューは知りませんでした。
時間軸とかイベント名とかがあやふやで、情報が錯綜しているのが残念ですが(この頃の小室さんの動向に触れてくれているだけに)、ロンドンまで付いてきていたとか、この頃のKOOはホント小室さんにべったりだったんですね。
かしこ。
2016年11月15日 17:15
以前のソロ作品に比べ、アルバム『Hit factory』内のボーカル曲の聴きやすさが増したのは、意図的にボーカルディレクションを変更した点にもある、と思います。

当時の音楽雑誌インタビューによると・・・確か記憶では『GB』や『pati pati』あたりに・・・小室さん自ら「今回のアルバムはボーカル多重録音と(エフェクトなどによる)ボーカル音声処理を施した」という主旨の話をしてました。

当時の小室さん曰く、以前のソロ活動で掴んだ感覚と周囲からの感触、いちプロデューサーとして「自分のボーカルを客観視した結果」だそうです。

先行シングル『magic』は特に意識したそうで・・・リスナーに「真夏の心地よい通り雨」や天気雨のように歌声が降り注ぐイメージでボーカルのディレクションをした、と語っていました。

分かりやすい例で言うと・・・珠玉の名曲『fool on the planet』イントロの小室さん1人コーラススタイルを、アルバム『Hit factory』内のボーカル曲全てに施した、という感じです。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2016年12月09日 01:12
ご提供いただいた情報によれば、小室さんもhit factoryの時にはご自身の歌唱力を客観的に見ることができるようになっていたんですね
いやあ、まあそりゃあ、いやでも評判は耳に入ってきていたはずですよねぇ…
特にV2の購買層はTMファンよりXファンの方が多かったでしょうから、遠慮ない批判もあったはずですし
それでもまたボーカルやっちゃうあたりが小室さんですけども(笑

ただ歌唱力の問題は措くとしても、omoide~なんかはあの小室ボーカルとあのミックス以外はありえないと思っています
赤とんぼ
2019年02月09日 14:30
川村真澄さんのブログにhit factoryのことだと思われるエピソードがありました。(TK全盛期のことだと書いてあるので時期的には一致しないですが…TK時代にhit factory2の計画があったのでしょうか?)
https://suuji.exblog.jp/8893401/

hit factoryというタイトルなのにマイレボが入ってないのがずっと疑問だったのですが、どうやら入れるにあたって少し揉めてた(?)っぽいですね…。

あと、too shy shy boyはカジャグーグーのtoo shyのオマージュなのかな?と思っています。
青い惑星の愚か者
2019年03月24日 05:21
ほう。これは興味深い記事。
この事件がきっかけなのか前からなのかは分かりませんが、川村さんは小室さんに良い感情を持っていないようですね。

時間軸はかなり適当ですが、それも本人が明言しているように、日常的な付き合いがなかったこともあるんでしょうね。
仰る通りマイレボの件はHit Factoryの時の可能性が高そうですね。
ちょっと加筆しておきます。
Too Shyは、仰る通りかもですね。
青い惑星の愚か者
2019年03月24日 05:37
そういえば川村さんは宮沢りえ「ドリームラッシュ」の作詞も担当していますが、これも本来は「Magic」カップリングに入るはずでした(たぶんアルバムにも収録予定)
だとすると川村さんには2曲の書き直しを依頼していたことになりますが、実現せずお蔵入りになったのかもしれません。
モグワイ
2019年06月15日 04:04
細かいところですみません
「キスは少年を浪費する」の作詞は前田たかひろさんではなく、売野雅勇さんです。
青い惑星の愚か者
2019年07月03日 13:43
おっと!ご指摘ありがとうございました。
「キスは~」は削除しておきました。
electronic prophet
2020年05月09日 10:38
こんにちは!
元FANKSですがこんなに歴史をまとめたブログがあったとは!
今頃知って最初から見ていますがすごいですね。

僕も「Omoide o Okizarinishite」のイントロ~Aメロは絶品だと思います。
ところで「Futari」は作詞は坂元裕二氏ですが、内容は当時離婚した奥さんのことを歌ったものとファンの間では言われておりました。
青い惑星の愚か者
2020年05月09日 19:37
初めまして。
omoide~は素晴らしい曲ですよね。こんな曲、この後も作ってほしかったです。

Futariについては、噂はありますよね。This NightとかLove Trainも小室さんのプライベートに引き付けて言われることがしばしばあります。
ただその手の話で裏が取れるものがないこと、歌詞の内容自体からはそこまではっきりとは言えないことから、あえて本ブログでは取り上げていません。
私はこの件については、ファンの間で生まれた解釈が広まって既成事実化している可能性が高いと思っています。
haru
2022年10月26日 21:03
 「サウンドアリーナ」で久々に小室さんの姿を見て私も思わず「わっ…」と声が出てしまいました。ロン毛にする若手俳優が複数出始めた頃ではありましたが。そんなロン毛小室さんが満載の写真集「Hit Factory」ですが、アルバム収録曲の歌詞が通常の漢字仮名交じり文(と英語)で記されている、という点では資料になり得るのかな…?(ならないか。)

 ロン毛はともかく、番組で「Too Shy Shy Boy!」を演奏し近況が聞けて新たな楽しみが出来ました。そして先行シングル「Magic」を聴いて、随分爽やかな楽曲だなーと感じました。いい歌だなと思いましたが季節が少々ズレているのでは、という気もしました。「Resistance」が元々スローテンポだったことは知っていましたが、数多くあったTMの楽曲の中から選び原曲に近づけた、ということで管理人さんが別の項で指摘された通り小室さんの思い入れが相当強かった事が分かりました。

 そして20日後にアルバムを聴いて私も「Omoide o Okizarinishite」が一番良かったと思いました。もちろん他の曲も良かったのですがやっぱりバラードになると…。「Futari」は楽曲自体はいい出来だったので勿体無いですね。ちなみに私と三つ違いの兄は「50/50」は中山美穂さんの楽曲の方が良かったと言っていました。また「Kimono Beat」の”お茶の席で~”が「Get Wild」の”(何も)怖くはない~”と同じメロディーで、両方ともそれを使ってサビに入っているじゃないか、と指摘していました。(2曲とも87年春頃に世に出てはいますが。)

 当時の「What's IN?」インタビューで岡田有希子さんに提供した楽曲を収録しようと思ったけど歌詞の問題で断念した、と小室さん自身語っていました。マイレボの事も記されていますがセルフカバーするにあたり作詞家と折り合いがつかなかったことも少なからずあったんですかね。

 それから購入者特典の「Boys Be Singing!」、数年前に某オークションで落札しました。確かにオフボーカルにしただけでそのまんまですが、やはりインストが聴けるのは貴重なので宝物です。

 毎週のようにセンター試験の模試を受けて一喜一憂していた頃でしたが、宇都宮さんと木根さんが相次いでソロデビューすることも聞こえてきて楽しみが増えた高3の秋でした。
青い惑星の愚か者
2022年11月03日 00:25
私、写真集は持っていないのですが、歌詞の日本語(?)版が読めるんですね。
少し貴重かもしれないです。
岡田有希子さんの件は知りませんでした。
そうですねえ。歌詞の変更には抵抗を覚える方もいらしたかもしれないですね。
最期を考えると、今さら作品をいじられたくないという意見もあったのかもしれないですし。
haru
2022年11月03日 21:03
 「What's IN?」92年11月号に掲載されたインタビューで小室さんは、

 ”今度の「Hit Factory」でも(小室さんが最初に提供した)岡田有希子さんに書いた曲をやろうと思ったけど、歌詞の問題とかあって見送りになったんですけどね。彼女に書いた曲は2曲(「Sweet Planet」「水色プリンセス」)あるんですけど、どちらもすごく好きな曲ですからね。”

と答えています。両曲とも作詞は三浦徳子さん(ちなみに編曲は松任谷正隆さん)ですが、おそらくセルフカバーするために歌詞の書き直しを依頼したものの三浦さんに断られたのかもしれません。(小室さんが原曲の歌詞を読んだ時点で断念した可能性もありますが。)

 …ただどんな事情があったとしても、これで良かったのかもしれないなと管理人さんの返信を読んで思いました。

 86年春に起きたあの出来事は歌番組を見るのが大好きだった当時小6になったばかりの私には相当衝撃的な事だったし、30年以上経った今でも毎年命日が来るとファンが集まって故人を偲んでいると聞きます。岡田さんの作品は例え作者であっても手を加えることなく永遠にそのままにしておいた方が一番良いんでしょうね…。

 …何か湿っぽくなってしまいましたが、「Hit Factory」を制作する際岡田さんに提供した2曲が候補に挙がっていた、ということは事実のようです。
青い惑星の愚か者
2022年12月10日 14:06
この記事は見ていなかったと思います。
岡田有希子さんの曲をやる計画があったとは。
おっしゃる通りこの頃はまだ記憶が生々しかったし、難しかったでしょうね。
本文に加筆しておきます。
ありがとうございました。

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