5-27 TKブームの到来

8/11、「FREEDOMMUNE 0」が開催されました
去年は台風で中止になりましたが、今回は実現しました
小室さんも待望の出演となりました
ただ、見てはいたのですが、録画失敗…orz
誰か録画した方とかいませんでしょうか…


セットリストは小室さんのFacebookに出ていますが、
1曲目はオリジナルの「DOMMUNE2012」
5曲目は去年の「FREEDOMMUNE 0」代替ライブのオープニング曲「DOMMUNE2011」です


「Get Wild '89」「Over The Rainbow」も去年の「FREEDOMMUNE 0」代替ライブで演奏された曲です
「Wow War Tonight」「Many Classic Moments」及び、
その後のシンセを持ち上げてステージ前に持っていって乱れ弾きのパフォーマンスは、
最近の小室さんのソロライブの定番ですね
浜崎あゆみさん提供の「You & Me」は、
先日の「Keyoboard Magazine Festival 2012」でもやりました


今まで定番になっていたドラムソロやラストのピアノソロはありませんでした
globe「try this shoot~genesis of next」は、
ソロライブでは初めてでしょう
(なおFacebookのセットリストには「try this shoot」がありません)


一番の目玉が忌野清志郎さんの「JUMP」です
会場も盛り上がっていた気がします
自分以外の曲もやるんだ!と思いましたが、
「Cream of J-POP」でDJTK名義でリミックスしていましたよね、そういえば


今回は終始ハイテンションのままの1時間でした
ただ小室さん、「incubation Period」の時と同じく、
右手にサポーターつけていますね(たしか「All That Love」の時も?)
今年に入って手の調子が悪いのでしょうか
twitterによれば、MRIで頚椎のヘルニアが見つかったそうです
無茶なライブパフォーマンスの影響のようで、まるでYOSHIKIですね
そろそろ年ですし、体も大事にして欲しいです


ちなみに「FREEDOMMUNE 0」
小室さんの後は七尾旅人さんが出たんですが、
しょっぱなに「I'm Proud」「Be Together」を歌いました
会場に小室ファンがいることを見越してのことでしょうけど、
ちょっとびっくり


また8/12には「Weekendless Night」に出演し、
セットリストはFacebookにアップされました
T-REXの「20th Century Boy」から始まり、
「genesis of next」「Get Wild '89」「Wow War Tonight」を演奏した他、
「ガッツだぜ!」「JUMP」「Rocket Dive」と、「Cream of J-POP」収録の曲をかなりやったようです
「FREEDOMMUNE 0」以上に意外な選曲でしたね


その他、私は見られませんでしたが、
8/8小室さんが「FNSうたの夏まつり」に出演し、
TRF・AAA・安全地帯・T.M.Revolution・accessなどと共演したようです
動画はyoutubeにいくつか上がっていますが、
安全地帯の「じれったい」はかっこいいですねえ
玉置さん、すんげえ色気!
間奏の小室さんのシンセソロも良い!
一番気になるのは、aceessと共演した「Be Together」ですが、
これは今はネットには上がっていないようです


ちなみにこの番組、TM NETWORKにも出演打診をして断られたことが、
番組プロデューサーきくち伸のブログに書かれています
え!? 出ろよ!!
なんで断ったの!?



なお小室さん、8/19には「EXILE魂」出演するとのことです
演奏はあるのかな?


その一週間後、8/26には、渋谷公会堂でライブ映像上映イベントがありますが、
その時に新曲を発表するという件について、小室さんが8/9に以下のようにつぶやきました
新曲のトラックを分けて、完成形になるまで音を足して聞かせて行くという試みのようです

TM NETWORKからのお知らせが届きました。826のしぶこうで、伝達情報(新曲のことです、すいません)は1データごと届くので基本信号(クリックのこと)から全トラックをだんだん足していく作業をお聴かせ、お見せします。僕的には好きなデータがぞくぞく届いています。


それと、注文していた「ARENA 37℃ COMPLETE FILE BOOK」が届きました
本の装丁はしっかりしていて、「TMN FINAL 4001」のようにバラバラに壊れたりはしなさそうです
熱心なファンには嬉しいコレクターズアイテムでしょう


ただ「1984-1994」とサブタイトルにあったので、
本書で「終了」前の軌跡を追えるのかと思っていましたが、
1989年の後は1994年の「TMN 4001 Days Groove」レポです
「ARENA 37℃」てTMN期には接触がなかったんですね


まあむしろ初期の記事が多いのは重宝します
まだ全部読んでいませんが、結構貴重な内容かと思います
また冒頭と最後には、
音楽専科社から出た「Self Control A Film "Fake" Book」の一部も入っています
この本持っていなかったので、個人的には良かったです
この頃のメンバー、かっこいいなあ


ウツソロ20周年企画についても、情報が少しずつ増えてきました
9/5発売のニューアルバムのタイトルが決定です
「TRILOGY」とのことですが、和訳すれば「三部作」です
どういう意味でしょうか?


このアルバム、11曲入りで、作曲はすべてnishi-kenさんです
6曲はシングルとして既発表で、
残り5曲中タイトルチューン「TRILOGY-interlude-」「TRILOGY」はインスト、
歌入り新曲は3曲です
この3曲中、「インディゴの彼方」(ギター松本孝弘)のPVの一部が、
magneticaのトップページやyoutubeに上がっています


「必然の夢」「Parallel Dream」の作詞は、
それぞれ小室哲哉・小室みつ子となっています
みつ子さんはライブ会場限定販売のシングル「One of A Kind」でも、
詞を担当しています


またツアー「20 miles」の11/17・18の追加公演が発表されました
ソロデビュー20周年(2012/11/21)の直前ですね
きっと20周年はこれで終わりでしょう


一方木根ソロ20周年企画のベスト版4枚リリース企画のラスト、
リメークソロ「キネソロ」の収録曲が発表されました
(前回の更新時にすでに発表されていたんですが、見逃していました…)
「ホントの君 ウソの君」「REMEMbER ME?」「Roots of The Tree」「もう戻らない」「泣かないで」「思い出はクレセント」…となっており、
概ね予想通りの結果という印象です
発売は9/26です


以上、近況報告でした
では本題に入ります

----------------
1994/4/21各種メディアでTMN「終了」が報道されて以後、
「TMN 4001 Days Groove」終演の5/19まで一ヶ月、
小室哲哉は新作を発表しなかった
TMN「終了」後最初の作品は、
5/25リリースのtrf「survival dAnce」である


一見すると、この間の小室はTMNの活動にかかりっきりだったように見える
だが作品の企画・制作から発表までのタイムラグを考えれば、
そのように考えることはできない
「survival dAnce」のリリース日は、
1ヶ月間世間の注目をTMNへ集中させることを考えて設定されたもので、
実際には小室はすでに先を見据えて周到に動いていた


以後、小室がプロデュースした「小室ファミリー」がチャートを席巻する「TKブーム」の時代が到来し、
小室は広く「TK」と呼ばれるようになる
個人事務所もOpera GigからTK Stateに改め、
公式にも「TK」が用いられるようになる


これ以後の数年間、小室はセールス面で自身最大の業績を残すことになる
最盛期には日本の全CDセールスの1割を小室関係作品が占めたとも言われ、
邦楽史上かなり特異な時代だったことは間違いない
世に言う、「TKブーム」である
その始まりは1994年で、これを境に小室はTMNリーダーからプロデューサーへ転身したとされる


だが少なくとも「終了」直後の小室は、プロデューサーに変わったとは言え、
trfという特定のミュージシャンに軸足を置いていた点で、
TMNに軸足を置いていた1992年以前と大きく変わらない
つまりTMNの小室から、trfの小室になっただけとも言える


一般に言う「TKブーム」の特徴は、
小室が多くの歌手やユニットを同時にプロデュースし、
その作品がヒットチャートの上位を席巻した点にあるが、
1994年前半の時点では、
その意味での「TKブーム」はまだ到来していなかった
以下ではその到来までの過程を確認したい


TMN「終了」後のtrfはミリオンヒットを連発し、
同年におけるヒットチャートの台風の目の一つとなった
その始まりとなった「survival dAnce」は、
1994年4~9月に放映されたドラマ「17才」の主題歌だった
小室はここに1991年以来意識し続けたトレンディドラマの世界に、
ようやく参入することができた
以後90年代後半、小室はたびたびドラマ主題歌を手がけるようになる
さらに6/22には、コカコーラCMのタイアップを付けた「Boy Meets Girl」がリリースされた


両作を収めたミニアルバム「Billionaire」は7/27にリリースされた
5・6・7月、trfは3ヶ月連続で新作をリリースしたことになる
また小室の手に成るものではないが、
4/27には「World Groove」のリミックス「Hyper Mix Ⅲ」がリリースされており、
これも含めると4ヶ月連続のリリースである


1994年度、「survival dAnce」「Boy Meets Girl」はそれぞれ、
135.3万枚・年間7位と、122.2万枚・年間9位の記録を達成した
(最終的には137.6万枚・128.5万枚)
小室作品の年間10位内ランクインは、
1986年の渡辺美里「My Revolution」以来のことである


一方アルバム「Billionaire」の記録は、
142.3万枚・年間6位(最終的に172.1万枚)である
小室の手に成るアルバムの年間10位内ランクインは、
1988年の「CAROL」以来である(ランクインは1989年)
trfの前作「World Groove」は88.2万枚で年間9位となっており、
アルバムでも10位内に2作のオリジナル作品をチャートインさせたことになる


このようにセールス面で見ると、trfは大成功を遂げた
TMN「終了」による小室への注目も作用したのかもしれないが、
その成績はTMNをはるかに凌駕していた
TMN「Nights of the Knife」をtrfのシングルセールスと比べれば、
実に3倍の差がついている


さらに1995年1~3月には、
「Crazy Gonna Crazy」「masquarade」「Overnight Sensation」
の3曲を毎月リリースしてすべてミリオンを達成し、
3/27にはこれらを収めたフルアルバム「dAnce to positive」がリリースされている
「Crazy Gonna Crazy」は158.7万枚・年間11位、
「dAnce to positive」は236.7万枚・年間2位(最終的に238.2万枚)の成績で、
いずれもtrfで最大のセールスとなった


一方でtrfはこの頃、当初のコンセプトを変貌させ、
TMN「終了」後最初の小室作品となった「survival dAnce」以後、
trf本来のコンセプトだったクラブ発音楽という側面は払拭された
それはテクノ色を弱めた「World Groove」の路線を、
さらに徹底させたものだったと言える


「Boy Meets Girl」ではバリの伝統音楽ケチャやハウスを取り入れるなど、
新たな音楽的実験も試みているが、
それはジュリアナ発のテクノでもユーロでもない
別の方向を目指していることは明らかである


これが意図的なものだったことは、
trfのリミックスアルバムシリーズのタイトルからも分かる
1993年リリースのⅠ・Ⅱでは「Hyper Techno Mix」と題したが、
1994年のⅢ以後は、タイトルから「Techno」が脱落している


trfのライブツアーとしては、
1994年9~10月に「Tour Billionaire」が開催された
1年前には「Club Tour EZ DO DANCE」が開催されたが、
これはマハラジャなどのクラブを巡回するものだった
一方「Tour Billinaire」は全国のホール・アリーナを回る、
trf初の通常のライブツアーである
ここからもクラブの要素が除かれている


全体として見れば、trfはクラブ系の楽曲を試みる実験的ユニットから、
ヒットチャートをターゲットにしたユニットに変貌した
かつてのTMNの役割をtrfに割り当てたともいえよう


そのような中で小室は、新たなユニットでクラブ発音楽を試みる
EUROGROOVEである
ボーカルは作品ごとに海外のミュージシャンに依頼された
歌詞はすべて英語である


1994/6/29にはファーストアルバム「EUROGROOVE #01」がリリースされた
9月からは「Tour Billionaire」と並行して、
小室とDJ KOOによる「EUROGROOVE NIGHT」が各地で開催され、
EUROGROOVEの楽曲などがプレイされた
「Tour TMN EXPO」の裏で「TK Tracks Night」を開催したのと同じやり方である


ただし「EUROGROOVE #01」は洋楽のコンピアルバムで、
その中に含まれるEUROGROOVEの楽曲は、
「Scan Me」(2バージョン)と「Don’t Keep Me Hangin’」の2曲3トラックだけである
(この点で本作は、作曲家ではなくプロデューサー小室としての作品とも言える)


こうした構成は2ndアルバム「EUROGROOVE #2」でも同様だが、
小室は本作ライナーで、
「どれが僕の作品なのか、どれがUKチャートを賑わしている楽曲なのか・・・わかりますか? もし貴方の予想が外れたなら、僕の狙いは当たりです」
と書いており、
洋楽ダンスミュージックとして通用する音を目指していたようである
アルバムの構成や、欧米人ボーカルの採用も、
DJのプレイリストに入りやすい形にして、
クラブ発で楽曲が拡散することを期待したものだろう


なお小室は1994年、
映画「SHARAKU」への楽曲提供を依頼されたが、
この時にはEUROGROOVEの「Rescue Me」を提供している
(映画公開は1995年2月)


EUROGROOVEがどの程度の成功を収めたのかはよく分からない
日本のヒットチャートを目指していたわけでもないので、
数字で見ることにあまり意味は無いだろうが、
当時のクラブでEUROGROOVE作品が使われたのか、私は分からない


ただ「Scan Me」は、リミックス版が「It’s On You (Scan Me)」として、
イタリアでリリースされた
小室はこれをきっかけに1995年、ヨーロッパへの進出を試みる
1995/3/22リリースの「EUROGROOVE #3」はコンピアルバムではなく、
すべてEUROGROOVEの楽曲で構成されており、
EUROGROOVEの売り込みの方針の転換を見ることができる


4/22にはEarth, Wind & Fireの日本武道館公演の前座として、
小室・DJ KOOとゲストボーカル翠玲・Dannii Minogueによる、
EUROGROOVEのライブが行なわれた
(翠玲とDanniiは2/1リリースEUROGROOVE「Rescue Me」のゲストボーカル)
これは小室がクラブやスタジオではなくライブステージに立った1年ぶりの機会である


以上、1994年時点の小室は、
メジャーシーンでtrf、クラブシーンでEUEOGROOVEを中心に活動しており、
この時点ではそれほど異常な活動形態ではなかった
実態としても小室がプロデューサーとして主体的に動けていた時期といえる
だが小室は、契約上この二つだけを軸にすることはできなかった
小室自身はTM時代以来EPIC/SONY所属のミュージシャンだから、
avexからtrfとEUROGROOVEの作品をリリースするだけでなく、
EPICからも別の作品をリリースする必要があったのである


これに関わると思われるのが、
「ストリートファイターⅡ MOVIE」主題歌の依頼である
1994年5月半ばには歌入れが行なわれている
映画プロデューサーから曲の作り直しを求められたというので、
トラック制作は4月には始まっていただろう


ボーカルとしては篠原涼子が起用されたが、
本来は篠原名義で依頼が来たわけでなかったものが、
小室の意向で篠原に決定したものである
小室が楽曲を提供していた東京パフォーマンスドールに篠原が属していた縁によるのだろう
正式名義は篠原涼子 with t.komuroとなったが、
無名歌手の名義では主題歌として映えないという判断があったものか
本来の依頼の対象は明らかにされていないが、
1994年初め頃にEPIC絡みで小室に来たことから見てTMNの可能性が高い


これが7/27リリースの「恋しさとせつなさと心強さと」である
小室は初め「GooD Luck」を作ったが、
プロデューサーから作り直しを求められた
「寒い夜だから…」のような曲にしてほしいと言われたという
そこで作ったのがこの曲だった
なお「GooD Luck」は結局映画のエンディングテーマに使われ、
「恋しさとせつなさと心強さと」のカップリングになった


「恋しさとせつなさと心強さと」は、
長めのタイトル、イントロがなくサビで始まる構成、サビの最初が曲名と一致するという点で、
典型的なビーイング的楽曲である
小室がビーイング的商法を意識して作った末期の作品と言えよう


本作はリリース当初は大して注目されず、
1週目28位、2週目31位だったが、
3週目19位、4週目5位と、急激にランクを伸ばした
trfの成功に伴う小室作品への注目も作用したものだろう


本作は発売2ヶ月後、9月末にはついに1位を獲得し、
その後も11月まで10位内、翌年1月まで20位内に入り続けた
セールス面では1994年度でtrfを凌ぐ162.3万枚を売り、
年間3位を獲得した
(最終的売上は202.1万枚で、小室初のダブルミリオン)
これは年間5位の「My Revolution」を凌ぐ小室の新記録だった


ここまでの成功は小室自身も想定していなかっただろう
1994年前半のTMN「終了」のインパクトは、
後半の篠原によって色褪せてしまったかにも見える
以後小室は、
「Wow War Tonight」(1995)、「Departures」(1996)、「Can You Celebrate?」(1997)
と、4年続けてダブルミリオン級のヒットを出し続ける


ここに小室は、trfに限らずヒット作を出す能力が認められた
つまりtrfが売れているというよりは、
小室が売れているのだということである
この頃から小室には楽曲制作の依頼が殺到する
これによって小室の作品は矢継ぎ早にリリースされ、
同じ週のチャートに何曲も小室の作品がランクインするという状況が生まれる
いわゆる「TKブーム」の到来である


たとえばこの頃avexの千葉龍平は、
モデルのhitomiを売り出そうと小室に積極的に働きかけ、
11/21にはファーストシングル「Let’s Play Winter」リリースを実現させた


hitomiがその知名度を上げたのは、
1995/4/21リリースの3rdシングル「Candy Girl」で、
当初42位だったが、6月には15位まで上がり、累計39.2万枚を売った
本作を収めたアルバム「Go To The Top」は3位、40.6万枚を記録している
以後trf・globe・安室・華原ほどの成績は上げていないものの、
1996~97年にはチャート10位内の常連となる


千葉は、「その頃は、trfがいいとか、hitomiがいいとかは関係なく、小室さんが手がけることのほうが重要だった」と述べており、
商業的成功の見込みが高いヒットメーカーとして小室が注目されていた様子が分かる
千葉の場合はもともと小室と関係のあった人物だったが、
他にも様々な依頼が殺到していたことは間違いないだろう


小室自身もさらなる「事業拡大」を狙っていた
すでに1994年の「EUROGROOVE NIGHT」では、
モデルのMarc Pantherをラッパーとして組ませる相手を、
ボーカルオーディションで募集している
この結果選抜を通ったのがKEIKOで、
MarcとともにORANGEというユニットを結成した
翌年小室は自らこれに参加して、globeとしてデビューする


小室はTMN「終了」当初、今後はプロデューサーとして裏方に徹すると宣言していたが、
だがこれが破られるのは早かった
篠原涼子が「Music Station」に出演した時、
本番1時間前にスタッフから後ろでピアノを弾いてくれと頼まれたのが、その最初だという
小室は7月のことと言っているが、篠原は7月には出演していないので、
おそらく1994/8/26出演時のことだろう


以後小室は篠原に随伴してテレビ出演することが珍しくなくなる
その中で10/31「HEY! HEY! HEY!」出演時、
小室は司会のダウンタウンの浜田雅功からも楽曲提供を依頼された(収録日は10/22)
吉本興業からの正式な打診は、11月初めに行なわれたという


この話が実現して、1994年12月には楽曲が作られ、
1995/3/15にH jungle with t(浜田+小室)名義で「Wow War Tonight」がリリースされた
本作は210.3万枚・年間2位の大ヒットとなる
後には「Going Going Home」「Friendship」の2枚のシングルもリリースし、
それぞれ126万枚・68.8万枚を売った


1995年には松浦勝人がプロデュースしていた安室奈美恵 with スーパーモンキーズから、
安室に目を付けてプロデュースを引き継いだ
(スーパーモンキーズはMAXとして再デビュー)


さらに小室は1994年末から1995年初め頃、
アイドルの遠峯ありさと付き合い始め、
これを華原朋美と改名させて1995年にデビューさせた
「華原朋美」はイニシャルが「TK」であり、
さらにレコード会社は「komuro」を逆にした「orumok」という、
小室による新レーベルだった
華原との関係が、他と比べてかなり私的要素が強かったことが分かるが、
ここに小室は、avexとEPIC/SONYとの契約に加え、
orumokという個人レーベルも抱えることになった


他に1曲のみの楽曲提供などもあって、
すべてを挙げているとキリがないが、
1995年になると小室はさまざまなところに手を広げ、
もはやtrfの小室という状況ではなくなっていた


そのような中で開催された記念碑的イベントが、
1995/8/19(大阪万博記念公園)・8/26(東京ベイサイドスクエア)で開催された「dance Matrix ’95 TK Dance Camp」である
その出演ミュージシャンはすべて小室の声かけによるもので、
演奏楽曲も大部分が小室提供曲だった


出演ミュージシャンは、trf・hitomi・安室奈美恵・観月ありさ・篠原涼子・翠玲・globe・坂本龍一・H jungle with tである
この中でglobeはこの時が初披露で、
デビュー曲「Feel Like Dance」と未発表曲「Joy to the love」を演奏している
安室もこの頃はまだ小室プロデュース作品を発表していなかったが、
小室作曲の未発表曲「Body Feels Exit」を披露している


もっとも注目される出演者は坂本龍一であろう
YMO「Behind The Mask」と、二人の共作「Voltex of Love」が、
坂本・小室の共演で演奏された


Behind The Mask演奏中


この頃の坂本は小室と親交があり、
小室は1995/5/19には坂本プロデュースのGeisha Girlsに、
「炎のミーティング」を提供している
坂本の娘美雨が小室のファンということもあったらしい
坂本・小室の親交はだいたい1995年に限られるようだが、
翌年「Mind Circus」以後、坂本が中谷美紀に楽曲提供をしたのは、
小室の活動を意識した側面もあったのだろう


ともかく「TK Dance Camp」は、
自らが作ってきたヒット曲で自らが育てたミュージシャンと、
これから売り出す予定のミュージシャンを中心に構成されたもので、
いわば小室が自らの力で成し遂げたフェスだった
「TKブーム」到来の象徴的イベントだったと言える


このイベント前後、8・9月にはglobe・華原のデビューシングルがリリースされ、
10月には安室初の小室プロデュースシングルがリリースされる
一方篠原涼子への楽曲提供は、
8/21リリースのアルバム「Lady Generation」で終わり、
trfもセールス面でピークを過ぎる
楽曲提供者に関して見る場合、
「TKブーム」は「TK Dance Camp」前後で第1期から第2期に移った


小室が注目する音楽ジャンルも、この頃めまぐるしく変化する
小室は1994年終わり頃からは、
ユーロやテクノに代わる新たなクラブ発音楽として、
ジャングルに注目しており、
1995年にはジャングルイベント「t jungle m」も開催している
この関心を企画モノとして実現したのがH jungle with tだった


さらに1995年には、ヒップホップやR&Bへも注目する
小室がこの頃立ち上げたレーベルorumokには、
華原とともにH.A.N.Dというヒップホップユニットも所属しており、
1995年秋から1996年にかけて活動した
また1996年にはR&Bを志向したdosがデビューしている


12/11にはtrfがシングル「Happening Here」をリリースしたが、
これもヒップホップを目指したものである
ポップスユニットに変わり果てたtrfしか知らなかった人々は、
かなり驚いたものと思う


同日リリースのアルバム「Brand New Tomorrow」は、
シングル以外はほぼ「World Groove」期楽曲のリミックスで、
そのリミックスはR&Bを強く意識したものだった
この作品は新曲の少なさもあって評判が悪いが、
個人的にはH.A.N.D作品と並び、
むしろプロデューサー時代作品の中では良作に属すと思う


おそらくこのサウンドが前提となり、
1996/3/13リリースの安室のヒット作「Don’t wanna cry」が作られた
安室は松浦プロデュース時代からユーロサウンドのイメージが強く、
小室も「Body Feels Exit」「Chase The Chance」などユーロ系楽曲を提供していたが、
その安室にあえてこの曲を歌わせたことは、
小室の関心がユーロから離れていたことを象徴している


小室は現在のヒップホップ・R&B業界からはリスペクトされておらず、
これといった影響もないものの、
小室は両分野への着目という点では、
邦楽界の流行よりも数年早かった


だがこの後は、しばし洋楽の流行の直輸入は止み、
EUROGROOVEの活動も消滅する
一つには、あまりのオーバープロデュースのため、時間的余裕がなくなったこともあろう
依頼先からは「~のような曲」という売れ線楽曲が要求されることが多く、
必ずしも自由な楽曲制作が出来たわけでもないらしい
しばしば行なわれてきたクラブイベントも、1996年には行なわれなくなった
むしろ1997年には、自らの音楽を海外(主にアジア)に売り込もうという志向を強く示すようになる


以上本章では、プロデューサー時代前期の小室を見てきた
大まかに言えば、この頃の小室は商業的には上り調子だったし、
世間での認知度がもっとも強かった時代でもある
プロデューサーとしての小室についてはまだ語ることはあるが
本ブログは小室個人の活動が趣旨ではないので、
ひとまず以上で筆を擱くことにしたい

(2012/8/13執筆、2016/4/25加筆)
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この記事へのコメント

kuri566
2012年08月13日 02:24
FNS歌謡祭に先立ち、8/7の21:00から「火曜曲」というSMAP中居と江角マキコが司会の番組にも小室センセが出演していました。番組冒頭では、まさかの全国放送でシンセソロ。まあ、おせじにも全国電波にのせていいのかという程度の即興に近いちょろっとした演奏でしたが、Timetoイントロ~マイレボ、GETWILD、安室のCAN YOU~など披露。メロディをちょろっと弾くだけで、AKBメンバーがワーとかキャーいってましたが、どこまで知ってて言ってるんだか。
むしろ見所はその後、trfとのコラボで3曲。(CRAZY、EZ、サバイバル)その後AKB48のメンバーと「愛しさと~」と「BE TOGETHER」の2曲をコラボ。中居らとのトークコーナーもあり、なかなか内容の充実した番組でした。小室先生のTV露出が増え始めており、これがTMの活動の追い風となってくれるといいのですが。
智紗
2012年08月13日 08:31
当時の自分の暗黒の高校時代wを思い出してしまいます。小室さんの輝かしい時代なのに、逮捕を知っていると、個人的な思いも重なって、目に汗が…。

流行歌ってすごいですね。
個人的には小室曲がカラオケで原曲キーで歌えるようになったことは嬉しかったのを覚えています。
ドミュン
2012年08月13日 14:21
旅人さんは、ライブでしょっちゅう小室さんの曲歌ってますよ~
fe
2012年08月13日 18:41
こんばんは、DOMMUNE楽しんできました!

小室先生が即興で付け足している部分が前のライブより強調されていて、かつ気持ち良く思えるくらいに根底の部分となる作り変えた構成が作られている。進化をひしひしと感じました。

リアルタイムリミックスとはいかなるものか・どうあるべきかをキーボーディスト・DJの両方の側面から小室先生に教えられた様な気がしました。

小室先生は「ジャンルを尊重しつつ自分の世界を作るように没頭する」というより、「世間に浸透しそうだと感じたジャンルを持ってきて売れるように編集する」面が強いと思います。それがジャンルを信条する人によっては偽物と取れる部分もある。

小室先生が後者ばかりではなく、前者も沢山出している事実もあるのですが(「H.A.N.D」「MTR」「Lights」「Far Eastern Wind」が良い例でしょう。)小室ブーム期が一番知られている為に、小室先生の真の面白さがあまり知られていないのが悲しい所ですね。
GAUZE
2012年08月13日 23:46
TMN終了後はウツ・木根ソロはかろうじて追っかけていたのですが小室さんのプロデュース業まではフォローしきれなかったので、今回の記事で94年後半からの小室さんの主要な活動が把握できてとても参考になりました。当時の僕はXやBUCK-TICKなどの90年代のビジュアルやメタルバンドを積極的に聴いていたので小室プロデュースのアーティストには一切興味を持っていませんでした。今でもそのスタンスはあまり変わっておらず、聴く音楽はTMや小室サウンドとは真逆のコアな日本のロックバンドを愛聴しています。11日の「FREE DOMMUNE 0」でも、非常階段や遠藤ミチロウさん、TAKOやメルツバウに不失者といった日本の伝説的バンドが参加していた事の方に興味がいってしまう邪道なFANKSです。もちろん小室さんの演奏も観たかったですけどね(^_^;)。
FANKS潜伏中
2012年08月27日 13:17
こんにちは。

三人組の8月のイベントが、無事終わりましたね
三人が客席を歩いてくれたみたいで、参加された方々が羨ましい限りです
私は行けない留守番組なので、参加者が至近距離で、三人組を撮影出来たのを知って涙涙です…(泣)

話は変わりが…

小室さんの、プロデュース時代(TK時代?)は無知なので、とても勉強になります。
これからもTK時代を、お願いします。

またTK時代と平行していた御二人の事にも、それぞれ触れてもらえると嬉しいです。

てっちゃん→TKに変わってしまったのを、果たして御二人は、どのように思い見てたんだろう…

手放しで活躍を喜んでいたのだろうか?
元メンバー(当時)として焦りや怒りは、なかったのだろうか?
離れてしまった寂しさは、なかったのだろうか?

些細な事でしょうけど、とても気になってしまいます…

TK当時はご本人方にも、どうしようもない事情があったと思います。
でも今、再び本格的に動き始めたと言う事は、当時の事情が解消したから…と思いたいですが実際は、あの悲しい出来事や、KCOさんの事もあるからでしょうけど…

個人的な事を長文で申し訳ありません…(泣)
青い惑星の愚か者
2012年08月30日 04:31
>kuri566さん
火曜曲、AKBの分だけはアップされていますね
せっかくのBe Togetherなのに鈴木あみバージョンですか… まあそりゃそうか
トークとかも見たかったです

>智紗さん
あの頃の小室さんの勢いは、当時を過ごした人じゃないと信じられないレベルでしたね
でもたしかにあのブームの結末が…って思うと切ないです

>ドミュンさん
あー旅人さん、そうなんですね
ライブ見たことなくって
旅人さんはたまに小室さんのことを語っているみたいで、思うところもあるんでしょうね

>feさん
小室さんが他ジャンルの人から評価されない事情は、そんなところでしょうね
あと音楽評論家の脳内にある「あるべきミュージシャン」像にも合致しないために、音楽誌で好意的に取り上げられないことも大きいように思います
以前その手の本に書いたことがありますが、小室を評価するのは恥ずかしいと思っているんだろうなあという記事が一杯でした
BOOWY、X、ブルハ、RCを無前提に褒め称えるのと表裏なんでしょうね
青い惑星の愚か者
2012年08月30日 04:32
>GAUZEさん
私も一応記事は書きましたが、実は小室ブームはかなり冷めて見ていたクチです(かといってウツ木根ソロも聞いてませんでしたけど)
良いかダメかという以前に、TMじゃない小室哲哉にそれほど興味がなかったというか…まあ良い曲もあったのは事実ですが
DOMMUNEの不失者はすごい迫力でしたねえ
ライブ初めて見ました
やくしまるえつこ・TAKOから始まる構成も、サブカル臭が満載でしたね

>FANKS潜伏中さん
私と同じ、イベント不参加組ですね
お互いご愁傷様です…

TKの話はメインで書くつもりはないですが、ちょこちょこ話題は入れていくつもりです
もちろんあと2人のことも書きますよー
個人的には、3人が集まり出すのは、思ったよりも早かったなあという印象です
YUKI
2012年09月01日 00:12
はじめまして。
映画SHARAKUの主題歌ですが、SCAN MEではなく、 RESCUE MEですね。
PVには映画の映像が含まれたバージョンもありました。
青い惑星の愚か者
2012年09月01日 00:27
はじめまして
ご指摘ありがとうございます
ケアレスミスでした
そもそも直後にSCAN MEのこと書いているのに、なんで間違えているんだ…orz
さっそく直しておきました!
まっきー
2013年06月08日 18:16
こんにちは。私はむしろTKプロデューサなら知ってるけどTMは名前くらいしか知らなかったという後発ファンです。友人の影響で、華原朋美のブレイクあたりから1999年くらいまでTKの曲は良く聞いたし、カラオケでも良く歌いました。特に TRF は歌いやすくて好きでした。でも、globe の wanna be a dreammaker がレコ大になる頃には、友人も私もTKから離れていきました。ああいう歌になってしまうと、もうついていけないという感じでしたね。あそこあたりから小室さんもまた大衆を離れて模索の時期に入っていったのでしょうか?

TMの終了以前で唯一覚えているのは、Get Wild をスーツを着て踊りながら歌っているヴォーカルの姿(今思えばウツ)をTVで見た事くらいです。その頃私は邦楽にあまり興味がなく(邦楽はダサいと勝手に思っていた)同時期に好きだったのはハイエナジー系の Dead or Alive でした。
まっきー
2013年06月08日 18:17
TKブームが来た後、確か飯島愛が、「(小室哲哉を見たとき)髪型から兵頭ゆきかと思った。」とバラエティ番組で言ってるのを聞いて、「へえ、小室哲哉は若い頃 TM NETWORK だったんだ~」と初めて知ったくらい無知でした。後発ファンなもので、TM の魅力は主に過去の映像からしか垣間見れないのが残念です(TT)
でも、今になると思うのは、ラスグルで小室さんもウツも絶頂期という程格好良く、表現力も素晴らしく、美しかったというのに、なぜTM終わってしまったんだと。
小室さんが次の方向に行きたくて仕方のないのはわかるけど、ウツと木根さんは TMがあったからこそ全速力で走ってこれた(という事が終了して明らかになった)
特に若い頃のビジュアルが魅力の50%以上を占めていたウツは、TM終了後、ビジュアルを気にすることさえ忘れたおっさんに変貌(ー0ー)
いや、個人的にはああいう素朴なウツが好きです。ウツはマイケル・ジャクソンみたいに外見も徹底的に完璧にこだわるようなスターではなかった(だからきっと長生きしてくれると思う)
青い惑星の愚か者
2013年06月14日 02:39
wanna be~は私個人としては好きなんですが、あの頃になるとカラオケ需要を意識しない音作りに傾斜するようになった感じはします
カラオケ向けの定番TKサウンドが飽きられてジリ貧状態に陥り始めた頃だったし、違う方向を目指したところもあったんだと思います
翌年のTrue Kiss Destnationと再結成TMもその流れだったんでしょうね
それが成功だったのかどうかは措くとして

兵藤ゆきは、多分1989年頃の小室さんですね
当時を知るファンは、今でも兵藤ゆきって言いますよ(笑)
しかしまっきーさんのコメントを見るに、TKブームのおかげでTM NETWORKの知名度が保たれた部分もあったんでしょうね
まっきー
2013年06月18日 23:32
お返事書き込みありがとうございます。
私は1975年生まれなので、本来ならTMターゲット世代なはずなんですが、どういう訳かTMは名前くらいしか知らなかったです(ごめんなさいm(__)m)

小室さんが影響受けたという Duran Duranや、Pink Floyd、YMO などはその当時からの古いファンなのですが。

1990年後半から2000年前半にかけてはTK以外にもその当時の流行(あゆ、Speed、宇多田光など)CDを定期的に買いました。どうも私はマニア路線とミーハー路線の双方が好きみたいです。でもTMはその中間的な色合いですね。

カラオケでは、確か1997~1998くらいに男友達が Get Wild や Love Train を歌っていたのを覚えてますから、TM知名度はそれなりあったのだと思います。、
しかし飯島愛のような人々にとって、当時兵頭ゆきの方が小室さんより有名だったようですね。
青い惑星の愚か者
2013年06月23日 03:21
兵藤ゆきの方が有名だったというか、実際に似ていたんですよ、当時の小室さんと
よくテレビにも出ていたから、兵藤ゆきスタイルの小室さんの印象が強かったんじゃないでしょうか
you
2016年04月25日 15:27
過去記事修正されたとのことで(お疲れ様でした!)、ふと読み返してみていました。(なかなか修正箇所見つけるの難しいですね笑)

先生はHIPHOP界隈からは確かにリスペクトはあまりされてなさそうですが、KREVAやZeebraとは縁ありますよね。この辺あまり経緯は詳しくないのですが。
ブログ本旨とずれているところですみません、ふと気になりまして。
青い惑星の愚か者
2016年04月27日 23:26
大部分は前のままですから、そんな必死に探さないでもいいですよ(笑
今やっている作業て、今後見る方のために再確認みたいなものなので

Zeebraは後で小室さんと知り合って意気投合したというところで、活動歴的に小室さんの影響は考えづらいです
KREVAさんの世代になると、TMの影響も出てくるんだと思います HipHopの文脈ではないでしょうけど
今活躍している人たちはTM世代が中心でしょうが、そろそろTK世代も出てくるかもしれないですね
かしこ。
2017年02月07日 23:36
管理人さま。こんばんは。
小室さんがtrfに民族音楽を取り入れた件について補足情報を少し書きます。

1990年代初頭あたりから、ヨーロッパの音楽業界では民族音楽やお経などの宗教を音楽の一部としてサンプリングし、流行の楽曲やビートに乗せてミックスするのが密やかなブームになっていたようです。

俗に言う『ワールドミュージック』により一目が置かれ、新しいジャンル音楽として一般リスナーにも少しずつ注目され始めてきた時代でした。

その反面・・・プロミュージシャンであっても、サンプリング音源元である歌い手当人の知的財産権を調べずに無許可で発表し、後に世界的な問題と物議を醸し出してしまう時期でもあります。

1994年にシングルカットリリースされ、世界的に有名な代表曲はエニグマ『リターン・トゥ・イノセンス』で、小室さんもTMのラジオ番組で何週にも渡り(某ラジオ語録の「パワープレイ」状態で)曲を流してました。

当時の小室さんはヨーロッパの音楽業界の流行に敏感で・・・おそらく日本の有名な音楽家の中でイチ早く取り入れ、お茶の間にも馴染む姿にし、大ヒットさせた方だと、自分は思います。

あしからず。
かしこ。
2017年02月08日 16:07
補足情報です。

1990年代初頭からヨーロッパ音楽業界で広がる、宗教音楽・民族音楽・お経などをサンプリング、ミックスした楽曲ブームについて。

19世紀末に始まった古楽への関心の高まりは、20世紀の音楽にも影響を及ぼしており、1991年にグレゴリオ聖歌をサンプリングした音楽が発表されています。

世界的に大ヒットした有名曲はエニグマ『サッドネス・パート1』で、日本ではテレビ朝日で1991年頃に放送されていた ドラマ 「不思議な幻燈館」に使用されていました。

エニグマは1990年暮れ、ヴァージン・レコードからシングル「サッドネス・パート1」でデビュー。1991年初頭には本国ドイツを始めヨーロッパ各国でヒットし、2月にはアメリカでも発売され、4月にはトップ5入りを果たします。同年に発売された1stアルバム『サッドネス・永遠の謎 (MCMXC a.D.)』もヒット。同作品の世界的なヒットにより、全面に使用されたグレゴリオ聖歌が再び脚光を浴びました。

エニグマ以外の有名な同ジャンルのバンドには・・・エニグマを脱退した音楽プロデューサーのフランク・ピーターソンを筆頭とするドイツのポップスのバンド『グレゴリアン』があります。

グレゴリアンは1991年に結成され、グレゴリオ聖歌を題材にした楽曲を発表し、高い人気を得ています。

ブーム始まりは、グレゴリオ聖歌がきっかけのようですが・・・民族音楽やお経にまで関心が高まり、エニグマ『リターントゥイノセンス』のような名曲も生まれました。こうしてワールドミュージックの盛り上がりは一時代を築く事になるのですが・・・この流れを小室さんは独自の嗅覚でかぎ分け、日本の音楽業界に持ち込んだのだと思います。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月02日 03:59
私の印象としては、バリのケチャは一回やってみたかっただけで、それ以後は全然出てこない気がします。
BOY MEETS GIRLにしても、おまけの要素にしかなっていないし。
伝統音楽について、邦楽はともかくとして、小室さんは一般にはあまり関心は強くないのかなと思います。
かしこ。
2017年03月02日 11:35
管理人さま。こんにちは。
コメント1つ1つに丁寧なレスを頂き、ありがとうございます。

自分が伝えたかったのは・・・当時もヨーロッパ音楽業界の流行に小室さんは注視していた、という事です。

サンプリング音源の素材の1つとしてワールドミュージックをミキシングする「流行」に乗っかり、実験的な試みと小室さん自身の引き出しを増やすため「新たなエッセンスとして取り入れた」という感じでしょうか。

小室さん自身の得意分野や持ち味は「大衆音楽」にあるので、今後もワールドミュージックを極めるつもりはナイと、自分も思います。小室さん自身、ワールドミュージックに対する密かな憧れがあるのかしれませんが。

先に具体例として挙げたアーティスト『エニグマ』や『グレゴリアン』も、実はワールドミュージックそのものに興味を抱いてる方たちではないようです。

彼らもワールドミュージックを「自分たちの音楽を彩るエッセンスの一部」と捉えてる部分があるからです。

特にエニグマは世界的なヒット曲『リターントゥイノセンス』にて、サンプリング音源もとの民族音楽の歌い手と「無形文化遺産と著作権」の訴訟問題まで巻き起こしてしまいました。

小室さん作曲の中で、屈指の珠玉曲『World groove~』は・・・ワールドミュージック的なグルーヴ感やメロディーラインなど「小室さんの中で昇華できた」からこそ産まれた楽曲のような気がします。

ワールドミュージックやオリエンタルなエッセンスについて音楽以外のtrfプロデュースで言えば・・・シングル『Boy meets~』からアルバム『Billionaire~』までのビジュアルイメージを通していました。おかげで彼らのイメージ面の殻を破り、新たな可能性が拡がったような気がします。

誤解を招くような書き方をしてしまい、陳謝いたします。あしからず。
かしこ。
2017年03月05日 05:00
連投コメント失礼します。

小室さんの中で「ワールドミュージックをサンプリング音源の1つとしてミキシングする」というエッセンスを昇華した作品について。

trf以外の楽曲で強いて言うなら・・・globeのシングル『Freedom』冒頭にあるKEIKOさんのフェイク部分でしょうか。

おそらく他の楽曲のように、フェイク部分も小室さんがKEIKOさんのボーカルディレクションをされていると思われます。

ワールドミュージックの感覚が無ければ・・・あの印象的なフェイクを入れるアイディアも生まれなかったのでは?と推察してます。あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月11日 05:23
小室さんがエニグマみたいなことをやってみたかったというのはあるかもしれないですね。
ケチャに強い影響を受けたと言うよりも、そっちの方がありそうな話です。
秘密結社まゆゆ
2021年04月10日 14:30
H Jungle with tの「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」ですが、メロディーの一部が、東京パフォーマンスドール在籍時の篠原涼子、穴井夕子が歌った「Sanctuary -淋しいだけじゃない」(1993年、篠原涼子のアルバム「Lady Generation 〜淑女の世代〜」1995年にも収録)と同じであることは、ご存知でしょうか。

・ニコニコ動画「【適当に】Cha-DANCE PARTY【寄せ集め】」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19755757
の冒頭で聴くことができます。

明らかに、以前のネタの使いまわしなのですが、「WOW WAR TONIGHT」のほうが圧倒的に売れました。こうした点もチェックするのは面白いです。
青い惑星の愚か者
2021年04月14日 21:00
あ、本当ですね。まんまですね。
ここらへんの作品はまともに聞いていないので、知りませんでした。
忙しくなって、昔の売れなかった作品を再利用することもあったんでしょうね。
でも再利用したということは、巡り合わせ次第で評価されるメロディとも思っていたんでしょうね。
秘密結社まゆゆ
2021年07月10日 16:24
>管理人さん
>本来の依頼の対象は明らかにされていないが、
1994年初め頃にEPIC絡みで小室に来たことから見てTMNの可能性が高い

これは、何を根拠に書いているのでしょうか?

東京パフォーマンスドール(TPD)のメンバーだった頃の篠原涼子さんについてですが、私は今年初めに、ネット通販で「東京パフォーマンスドール オフィシャルハンドブック」(学研、1993年)という本を購入しました。TPDは大人数グループでしたが、主要メンバーによるソロ・ユニット曲も多数発表していました。篠原さんの場合、「愛しさと~」の知名度が高いので、それ以前のソロ曲はあまり知られていませんが、彼女のソロデビュー曲は、洋楽のカバーである「恋はシャンソン」(1991年)です。

TPDは、グループとしてのCDセールスは低かったですが、メンバーは歌唱力重視で選ばれており、ソロで歌う経験も積ませていました。TPD出身者は篠原さんだけでなく、市井由理さんも「EAST END×YURI」名義の「DA.YO.NE 」でミリオンセラーを出しました。TPDは、グループとしてはセールス的には成功できませんでしたが、ソロでは成功者を出しました。
青い惑星の愚か者
2021年07月10日 18:00
篠原さんを指名した依頼でなかったことの根拠は、何かの小室さんのインタビューだったはずですが、すみませんが今すぐには確認できません。
ただ取り急ぎ手元の資料を見るに、小室さんが2013/4/8のRadio Digitalianで、スト2の依頼を受けた後で自分で篠原さんを選んだと言っています(つまり篠原指名ではない)。
また、今wikiで恋しさと~の項を見ると、月刊カドカワを典拠として、「スポンサーからは「大物を使ってミリオンを獲得してください」という条件を出されたが、『ダウンタウンのごっつええ感じ』で顔が広くなりつつあった篠原に可能性と潜在能力を見出した」と書かれています。

年始の時点でSONY絡みでTPDに依頼が来たのを、何らかの事情で引き受けられず断ったという想定もあるかもしれませんが、TPDはこの頃積極的に動いており、ライブもシングルリリースも行なっていることを考えると、その可能性はあまりないように思いますし、「大物を使って」の条件にも合いません。
やはりSONY絡みでは、TMNの可能性が一番高いように思います。
秘密結社まゆゆ
2021年12月28日 22:12
韓国Kポップの楽曲で、1990年代の小室作品に近い印象のメロディーラインの曲があります。

少女時代のデビュー曲「Into The New World」(2007年)
https://www.youtube.com/watch?v=0k2Zzkw_-0I
は、日本語バージョンが発表されなかったので、少女時代に詳しくない日本人は知らないかもしれません。でも、僕が最初に聴いた時は、メロディーの良さに鳥肌が立ちました。この曲のメロディーはJポップに近いとの指摘は、ネット上でもたびたび見かけますが、個人的には、小室作品の「Can't Stop Fallin' in Love」(歌:globe、1996年)
https://www.youtube.com/watch?v=4ctWvVAmQpo
に、サビの雰囲気が似ているような気がします。もちろん、メロディーは全く別の曲ですが、哀愁を感じる点や、音符の上がり下がり具合が、なんとなく似ているように感じます。

「Into The New World」の作・編曲者であるKENZIE氏は韓国人女性(本名:キム・ヨンジョン)ですが、日本の島根県出身で、日本人男性の名前である「ケンジ」をもとにペンネームを決めたとの説もあります。
https://danmee.jp/knews/k-pop/twice-topic-20/
ならば、日本の曲の影響を受けていても不思議では無いでしょう。
あるてみ
2023年03月19日 23:39
いつも熟読させていただいています。
「終了」後にTMを聴き始めたいて、90年代のことにはだいぶ疎く、このブログは本当に勉強になります。

> 「ARENA 37℃」てTMN期には接触がなかったんですね

とすると、TMN期のインタビューや記事を書いている音楽雑誌はあったりするのでしょうか?
「WHAT'S IN」などでしょうか?


ジャン
2023年04月05日 14:39
坂本龍一さん亡くなられましたね。

キーボードプレイヤーとしての知名度としては双璧をなす二人です。
小室氏は坂本氏の持つアカデミックな雰囲気や評論家筋からの絶賛をうけるようなアルバム「B2ユニット」「音楽図鑑」「未来派野郎」、はたまたラストエンペラーの音楽などの世界的評価などに憧れていたと思います

対外的には86年の宝島における対談、95年?のTK MUSIC CRAMPでの対談
TK dance campでの共演のみが知られていますが

このほかにも二人が共演したような機会があったのでしょうか

坂本美雨の結婚式には小室氏は参加していましたが、父の坂本龍一は参加していなかったように見受けられます
青い惑星の愚か者
2023年04月21日 18:50
>あるてみさん
What's IN?の他、TMN時代もパチパチ・GBには継続的に出ていたと思います(SONYの御用達雑誌だし)。
Keyboard MagazineもなぜかTMN時代は取り上げなくなりますね。
ハードロック路線に転向したことが業界内での評価に影響したんでしょうか?
Keyboard Specialでは取り上げられていますが。


>ジャンさん
坂本さんはかなり前から闘病生活に入っていたし、最後と銘打ったライブ音源の配信もしていたから、驚いたというよりは、「ついにその時が来たか」という感じでした。

小室さんの坂本さんとの共演はご指摘のものくらいと思いますが、TM結成の時の3人組理論も含め、意識はしていたはずです。
以前書きましたけど、ラスグルは明らかにYMOの散会・再生を意識していましたし。

少し調べてみたら、小室さんの坂本さんに関する発言は、渡英の頃に結構ありました。
ぼくらの七日間戦争の音楽制作をしていたのと、海外で名前が知られていたことで、自分の先達として意識したんでしょうね。

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