第五部完
今日9/26は、木根さん55歳の誕生日でした
木根さん、おめでとうございます
ちなみに小室さん、このタイミングでTwitterで、
「木根さん、50年以上生きてきてなににを思います?幸せだよね、、、。間違いなく、、。 」
とか、何か意味深なことをつぶやいています
木根さんはさらりと、「そうですね。ほんと、ありがたいです。」と返していますが…
そして今日、木根さん4連続ベストアルバムの最後、「キネソロ」がリリースされました
あとは四公演の20周年記念ツアーが待っています
それにしても、いよいよ四捨五入して60歳…ゴクリ
TM NETWORK「incubation Period」は、
BDウィークリーチャートで3位、DVDチャートで10位を獲得しました
音楽BDチャートでは1位、音楽DVDチャートでは7位で、
セールスはそれぞれ5780枚・3433枚です
1週で合計9千枚を越えましたので、
多分最終的に1万枚くらい行くでしょう
(ちなみに音楽BD2週目は8位、608枚、DVD2週目は圏外)
この件はネットニュースにも出ています
ORICON STYLE 2012/9/19の記事より
どうもこの記事を見るに、TMのDVDが10位内に入ったことは初のようで、
BD3位だけでなく、DVD10位も、結構いい線行っているようです
今年の復活、締めくくりとなるBD/DVDリリースまで、
非常にうまく行ったという印象です
TMの活動は、今年はこれでほぼ終わりでしょう
(年末くらいに来年に向けての動きが少しあるかもしれませんが)
ちょうどこちらのブログも今回で第五部終了ということで、
歩調が合っている(?)気がします
そういえば、第五部終了に先立って、
トップページのカウンターが30万を超えました!
今年の復活騒動で、一気に数万増えました
どうもありがとうございます
また具体的な数字は分かりませんが、
TRFの「EZ DO DANCE」を使ったエクササイズDVD「EZ DO DANCERCIZE」がバカ売れしているようです
小室さんによれば、「アルバムに換算したら、もうすぐミリオン」だそうです
そんな売れてたのか、あれ!?
それと小室さん、TM NETWORKに続いてglobeも再開させるそうです
ただしもちろんKEIKOさんは抜きで、小室さんとマークのユニットになるようです
9/24の小室さんのTwitterで、
「とりあえず、僕とマークで、globeのともしびを消さぬようKCOが元気になるまで、活動しようってことになりそうです」 と言っています
そういやあ少し前、2015年はglobe20周年とか言っていましたね
avexとしては、マーク単体では使いようがないので、
今の内に多少ともglobeとして動かしておこうということなんでしょう
ボーカル無しでインスト中心になるんでしょうか
小室さん、最近EDMをやりたいと強調してたんで、
そこらへんをglobeでやるんでしょうかね
まあ、そんな派手な活動にはならないでしょうけども
さて、積極的に触れたい話題でもありませんが、
ちょうど節目ということもあり、
小室さんの借金の話も少ししようと思います
まずは簡単におさらいを…
(くわしくはこちら)
2008年逮捕前後の小室さんの借金は約20億円ありました
その内多額だったのは、avexのプロデュース料前貸し分6億数千万円と、
「被害者」Sへの返済金など6.5億円で、
そのうち後者はavexの松浦勝人さんが肩代わりして下さいました
これら約13億円は、小室さんが活動を再開した2009年以来、
少しずつ返済しているものと思われます
おそらく他の数百万~数千万円単位の借金についてもaxexが整理して、
無利子か低金利で返済を待ってくれているものと思います
そんな中でavex・「被害者」Sと並んで多額だったのが、
元嫁吉田麻美への慰謝料・養育費でした
小室さんが借金のために慰謝料・養育費の支払いができなくなると、
吉田麻美が訴訟を起こして、
2005年から小室さんの著作権使用料1年間1億円の差し押さえの権利を得ました
その支払い予定総額は、2005年1月の時点で7億8000万円でした
当時の小室さんの著作権使用料による収入は年間2億円程度と考えられ、
その約半分を吉田麻美が取得することになります
しかも法的に吉田麻美が優先的に収入を得ますから、
吉田麻美に1億円支払われるまで約半年、
小室さんは著作権使用料による収入を失います
すでに自転車操業状態だった小室さんは、
これによって半年間、
印税収入にょる借金返済や納税が不可能になります
しかも吉田麻美による小室さん窮乏情報の暴露によって、
小室さんは融資を受ける信用を失い、
闇金融やヤクザまがいの投資家に接近することになります
この結果が2008年の破滅でした
とまあ、小室さん破滅の最大の原因となった吉田麻美の著作権使用料差し押さえですが、
こちらは毎年1億円ずつで最終的に7億8000万円支払うわけですから、
2005年から始めれば2011年で7億円返済されたことになります
去年末の時点での残額は8000万円となりますが、
すでに9月も終わりですから、この支払いも終わったでしょう
つまり小室さんはこれを以って、あの吉田麻美との関係を、
法的にも完全に断ち切ることができたはずです
実際には慰謝料・養育費もavexがすでに清算している可能性が高そうですが、
仮に清算していなかったとしても、すでに処理は終わったことになります
おめでとう! 小室さん!
まあ吉田麻美との縁を完全に断ち切る直前に、
現嫁が病で倒れてしまったわけで、
なかなか満足な状態になれない人だとは思いますが、
それでも今の小室さんは90年代以来、
一番前向きに生きているように見えます
これからも頑張ってほしいですね
ちなみに松浦さん個人への返済分はともかくとして、
2000年12月にavexから前借したプロデュース料に関しては、
過去の報道より総額10億円だったことが分かっており、
2005年3月の時点で6億9000万円がこの内の未済分でした
これは現在どうなっているんでしょうか
そこで極めて大雑把な試算として、
2001~2005年3月にavexでリリースされた小室さんプロデュースのアルバム、
あるいは小室楽曲が半分程度を占めるアルバムをリストアップしてみましょう
あくまでも概算なので、数字は千の位で四捨五入し、
5千枚未満の作品は取り上げません
他にシングル・DVDなどもありますが、
アルバムだけでもおおまかな傾向はつかめるでしょう
以上を見るに、だいたいアルバム167万枚くらい売ると、
3.1億円分の契約消化ができるようです
では2005年4月~2012年のavex作品はどうでしょうか
以上の内、逮捕前の分(2008年以前)はglobeの3枚9万枚だけで、
大部分が裁判後の活動再開期のものとなります
逮捕時の未済額が約7億円と言われ、2005年と変わっていないのも、
実際に2005~08年に契約消化できた分がほとんどなかったためと思われます
それはともかく、上記の作品の成績を見るに、
だいたい2001年~2005年3月の1/3程度となっています
ただし現在はネット配信のシェアが大きくなっていますし、
活動再開直後には単価の高いファン限定BOXが出たし、
今年はソロCDやソロDVDもたくさん出ました
他にTRFのエクササイズDVDなど意外なものが売れていますから、
実際には2001年~2005年3月の半分かそれ以上と見積もって良いでしょう
ならば2億円前後ということになるでしょうか
以上のように考えると、小室さんは10億円中の約半分は返済し終わり、
残りは5億円程度ということになろうと思います
これに松浦さんの借金立て替え分6.5億円を加えれば、
松浦さん・avexへの負債は11.5億円となります
もちろん他にもライブの興行収入やその他余剰収入から、
松浦さん・avexに別に返済しているものもあるでしょう
現在は残り10億円くらいにはなっているんじゃないかと推測します
avex・松浦さんへの本来の返済額以外にも借金はまだありますが、
今まで吉田麻美のものになっていた著作権使用料も返済に回せば、
還暦(2018年)を待たずに完済も可能かもしれません
仮に著作権収入全部を返済に回せば、
毎年2億円だから、5年で10億円返せるんですよね
(現在も毎年2億の著作権使用料が入っていればですが)
以上はほとんど情報がない中でのいい加減な推測ですが、
小室さんには早くキレイな身になって欲しいなと思いますし、
それに向けて可能な環境が整ってきていると思います
そんな感じで、色々と妄想をまとめてみました
では本題に入ります
--------------------------
2006年から今まで6年間、
前史と第1部~第5部、合計160章を費やし、
ようやくTM NETWORKの始まりからリニューアルを経て、
TMNの「終了」に至る流れを見通してきました
なお補うべき部分は少なくありませんが
彼らの10年間の活動とその前後の動向について、
主な出来事は一通り触れることができたものと思います
本ブログではこれまでインターネット上の「記録」作成の意味も込めて、
細かい事実関係の確認を行なってきました
その締めくくりとなる今回、最終章で、
TM NETWORK―TMNについて、
大まかにとらえなおす作業も必ずしも無駄ではないと思います
もちろんこうした総括エッセイ的なものは、
すでに書籍にもネットにも無数に氾濫しています
私は、その中で見落とされてきた新たな論点を提示するという、
大それた意図を持っているわけではありません
おそらく熱心なファンにとって本章で語られることは、
たいていどこかで見たことのあるものでしょうが、
今回だけということで、御寛恕を願います
さて本ブログでは、
TM NETWORKの「終了」までの歴史を、
第1~5部に分けて見て来ました
これを第1~5期と呼んでまとめると以下のようになります
これらを商業的見地から見ると、
第1期は低迷の時期、
第2期は人気の上昇期
第3期で頂点を迎え(同時に上昇の終わり)、
第4期では伸び悩みを見せるようになります
そしてそのネームバリューが決定的に失われる前に、
「終了」を敢行したのが第5期でした
いわば80年代の第1~3期は成長の時期であり、
90年代の第4・5期は衰退の時代と言えるでしょう
これは一人TMだけの問題ではありません
SONY系レーベルが中心となった80年代バンドブームは、
80年代後半から末にかけて過熱し、
職業作家が作り出す歌謡曲のシェアを奪っていきました
TM NETWORKはロックバンドという形態ではありませんでしたが、
やはりこの動向の中にいたミュージシャンであり、
独自の動きを示していたわけではありません
しかし90年頃、飽和状態になったバンドブームは
その頂点で弾けました
さらに1991~93年頃、
タイアップソングを中心にヒット曲が生まれる構造が出来上がると、
それと並行して、
80年代後半の音楽シーンを牽引したミュージシャンたちは、
次々と解散・活動停止をしていきます
今思うと、おそらくバンドブームの仕掛け人たちは、
ミュージシャンを長期的に売るための戦略を欠いていました
中高生を支持層とするミュージシャンが継続的に活動するためには、
支持層の成長に合わせて自らを変えていくか、
常に新たな中高生ファンを獲得していくかしなければ、
いずれ失速せざるを得ない宿命にあります
この点について明確な戦略を持っていた仕掛け人は、
当時の業界にはあまりいなかったと思います
だから中高生ファンが高校を卒業する前後まで、
せいぜい5年程度がブーム継続の限界となったのでしょう
(TMの場合は1987~91年)
その点で、小室さんが90年代後半のプロデュース作品で、
OLなど社会人を意識した詞を作るようになったのは、
一つの解答ではあったのでしょう
ただこのような一般論を述べるだけでは、
TM NETWORKの論にはなりません
やはりTM固有の事情もあったはずで、
それも考えてみようと思います
TMの特徴として挙げるべきは、
やはりシンセやコンピュータの使用という点です
TM=デジタル機器というイメージは、
陳腐ではあるけれども、
世間でもっとも広く共有されているイメージでした
もっとも彼らのデビューした80年代前半の音楽界において、
デジタル機器というツールの使用は、
決して新たな動向というわけではありませんでした
むしろ当時は70年代末以来のテクノブームや、
それに並行したテクノ歌謡が、
すでに沈静化しようとしていた時期であり、
1983年のYMO「散開」はその象徴でした
この点では、バンドブームが終わる時期にハードロックを試みた「Rhythm Red」と同様に、
小室さんは時代の流行を読み誤っていたと言えるかもしれません
いささか皮肉を込めて言えば、
実はTMは大事な局面で時代に乗り遅れてきたわけです
ただしTMはデジタル機器を活用したものの、
音楽性はテクノとまったく別物でした
スタッフ側はYMOの後釜の地位を狙っていた可能性もありますが、
(実際にテクノカットスタイルでデビューする案もあった)
幸いにもTMが意識していたのは日本のテクノではなく、
イギリスのニューロマンティックでした
この音楽性の違い故に、
TMは当初からデジタル機器をアピールしながらも、
テクノの亜流として扱われることなく、
独自の立場を示すことができたといえます
(それが商業的に成功したかは措くとして)
ニューロマンティック路線はまもなく放棄されますが、
その後もTMは洋楽の流行を取り入れ、そのことをアピールします
たとえばモータウンサウンドを取り入れた1986年のFANKS、
欧米のプロデューサーにリプロダクションを依頼した「Dress」、
同時代のニューヨークのハウスサウンドを取り入れた「EXPO」などが、
その顕著な例として挙げられるでしょう
TMの特徴を、目指している音楽から語ることは困難です
彼らは常に無節操に新しい音に挑戦し、
その点では一貫したものを持っていなかったからです
むしろ彼らの特徴として挙げるべきは、
デジタル機器の活用と同時代の洋楽の受容という2点と思われます
その強調の度合いは時期ごとに変化しますが、
これら2点が否定されることはありませんでした
TMはこの2点によって、「新しさ」を体現し続けます
先端の技術と海外の流行が、TMの新しさの根拠だったわけです
それが本当に最新のものだったのかはともかく、
中高生にそうだと信じ込ませることはかなり成功しました
そしてこの新しさと表裏の関係にある未来志向も、
TMの大きな特徴でした
新しさを観客に実感させるのに有効だったのが、
派手な演出や突飛な設定でした
テレビやライブでは実際に使わないものも含めて多くのシンセを積み上げ、
演奏には不要なスクリーンセーバーが映し出されるだけのモニターを置き、
レーザー光線やMIDI制御の照明装置を利用するなど、
「見せる」ことに意識を注いでいました
また小室さんは、自らを異星人や未来人になぞらえるSF的演出を好み、
それが通常のロックバンドとは異なる独自性をTMのステージに付与します
これはデビューからまもない頃から、「金色の夢」のキーワードで表現されました
しかしこのファンタジー色の強い「新しさ」は明らかに未成年向けの世界観であり、
その幻想が崩れると同時に、幻滅を生み出す恐れを内包するものです
おそらくこれに対応しようとしたのが、
ブレイク3年目(中学生が高校生に、高校生が大学生・社会人になる年数)の1990年に敢行した、
TMNへのリニューアルでした
TMNはこの時同時に、シンクラヴィアという高額機材の導入によって、
機材面での「新しさ」も担保しようと試みます
1990年代に入り、バンドブームの収束と並行して、
80年代的な新しさはすでに前時代的なものになりつつありました
その点でハードロックという方向の是非はともかくとして、
1990年は実は変化のタイミングとしては絶妙だったのかもしれません
しかしTM NETWORK時代のイメージは極めて強固であり、
そのイメージの更新は困難を極めました
当時小室さんがTMNファンの固定化を嘆いたのは、
直接には過去のファンを嫌っていたというわけではなく、
支持層が変わらないTMNでは時代の変化に対応することができず、
音楽業界での生き残りの目処が立たなくなっていたという見通しもあったんだと思います
実際に90年代には、TMNの新しさの根拠が揺るぎ出します
その根本的な原因は、コンピュータやデジタル機器の普及でした
80年代半ばには高価で、かつ同期演奏も困難な代物だったデジタル機器が、
90年代には安価なモデルも販売されるようになり、性能も格段に上がっていきます
TMNは「新しさ」を体現し、アピールしなくてはなりません
そのためアマチュアにもシンセが普及し、性能も向上してくると、
TMNはさらにその先の、
アマチュアが扱うことが困難な音や技術を提示しなくてはいけませんでした
つまり「新しさ」を標榜したTMNは、
活動を続ける限り常に進歩することを宿命付けられていたわけです
一例を挙げれば80年代TMのトレードマークだったサンプリングボイスは、
90年代には子供用アニメ主題歌「踊るポンポコリン」(1990)でも使われたように、
すでにお茶の間でパロディの対象とされる代物になっていました
所詮パロディではありますが、
その実践の垣根もリスナーへのインパクトも、
80年代と比べれば遥かに低くなりました
1990年に小室さんが多額の経費でシンクラヴィアを購入したことも、
必ずしも見栄や無計画性によるものというだけではなく、
デジタル機器に関してファンの先を行くことを義務付けられていたTMNにとって、
必然的な結果だったとも言えると思います
しかも皮肉なことに、
当時デジタル機器に対するアマチュアの憧れを増幅させたのは、
他でもないTMNであり、小室さんでした
小室さんはYAMAHAがライトユーザ向けに販売したEOSのイメージキャラクターを務め、
ライブでもYAMAHAのシンセを大量に使用しました
一面でTMNや小室さんは、
自らの活動によって自らを追い詰めていたとも言えます
一般への普及に伴い低価格化と性能向上を実現する機材と、
その一歩先へ先回りするTMNのいたちごっこも、いずれ限界は来ます
1994年がその限界地点だったのかは分かりませんが、
この頃家庭用PCが急速に普及するようになっており、
アマチュアのDTMに対する障壁も下がっていたことは事実です
より身近なところで言えば、「パラッパラッパー」(1996)など、
家庭用ゲーム機の音ゲーがヒットを飛ばすようになる時代も、
もう近くまで迫っていました
仮にTMが1994年を乗り越えられたとしても
いずれこの点で限界に直面することは避けられなかったはずです
もちろんTMの素晴らしさは技術の新しさだけではありませんが、
80年代以来のアーティストイメージとして、
「デジタル機器を駆使する音楽」という点は抜きがたく存在しました
90年代半ば、DTMの壁が低くなってくるとともに、
このイメージはむしろ80年代という時代性を以って認識される原因にもなるでしょう
ただしTMNの新しさのもう一つの要素、同時代の洋楽の受容という点は、
いまだ可能性がありました
むしろ1992年、TMNが活動を休止した後の小室さんは、
この方向性をより重視するようになります
クラブ発のユーロ・テクノを試みた実験ユニットtrfや、
洋楽ナンバーに遜色のない音を目指したEUROGROOVEのプロデュースは、
TM時代以来の洋楽志向をさらに推し進めたものといえます
TKブーム期の小室さんは、しばしば欧米音楽界との接点を強調し、
それを自らのカリスマ性の裏付けにしようとしました
ただしこの点での新しさは、日本と海外の距離が接近し、
同時代の洋楽に接することが容易になることで薄まることになります
特に21世紀のインターネットの普及はこれに貢献しました
今や我々は様々なルートで、流行の洋楽に直接アクセスすることができます
一時期はこれを利用して、日本のヒット曲の「元ネタ」探しも盛んでした
これはミュージシャンにとっては、
同時代の洋楽の動向を紹介するという仕事のハードルを上げることにもなったでしょう
これまた皮肉なことに、インターネットに注目し、
その活用を早くから声高に主張したのも小室さんでした
この面でも小室さんは、
自らのハードルを自ら上げる挙に出たことになります
TKブーム期のことはともかくとして、
1994年のTMN「終了」についてみれば、
そこに小室さんを取り巻く環境やスタッフ問題など、
様々なものがあったことは間違いありません
しかし仮にこうした問題がなかったとしても、
TMNが新しさのアピールを一つの命題としており、
そのハードルが90年代に大きく上昇したことを考えれば、
その永続的な活動は元より困難だったのではないかと感じます
TMNの歴史的使命が終わったということでもあったのかもしれません
ただしTMNの方向性を変える試みもありました
たとえば小室さんには、映画など様々な事業に手を伸ばし、
一種のメディアミックスを自らの手で行なおうという考えもありました
しかしこれをめぐっては、
堅実な路線を主張するスタッフとの意見対立も起こりましたし、
実際に小室さんの思いつきはかなり無謀だったところもありました
こう考えると、「終了」の一因となった小室とスタッフの対立は、
そもそもTMを継続するための方針・戦略に直結するものでした
TMは内部対立でうまくいかなくなって終わったのではなく、
うまくいかなくなって内部対立が起こり、
終わったということもできるかもしれません
結局1991年の「EXPO」が期待した成績を収められなかった時点で、
TMNの先は見えていました
ルーチンワークとして音楽活動を続けることは可能だったでしょうが、
新作の発表ごとにファンを驚かせるような活動は、
ほとんど期待できないと、少なくとも小室さんは感じていたでしょう
その後もメンバーやスタッフはなんとかしようと2年間もがきましたが、
その間に新たに生み出されたものはほとんどありません
TMNは「EXPO」とその後のツアーで事実上終わっており、
「終了」は当事者自身によるその追認行為に他なりませんでした
しかしTMNは1997年に再結成を宣言し、
1999年にTM NETWORKとして復活します
この時点で彼らは復活したTMを、
どのような形で動かそうと考えていたのでしょうか
断言ではできませんが、おそらく3人とも、
怒涛のTKブームの勢いを利用すればどうにかなる、
という程度の目算だったのだと思います
1999年の活動は極めて低調だった上、翌年前半は活動が中断したため、
再結成当初の構想を読み取るのは難しいですが、
新たなTMを提示する独自のアイデアがあったようには見えません
2000年以後のTM NETWORKの活動は、
小室さんのルーツ=プログレの表明である「Major Turn-Round」、
小室さんが数年来トランスを試み続けたことの延長である「Easy Listening」、
TM結成前に存在したバンドを意識した「SPEEDWAY」、
ヒット曲のオリジナル演奏を趣旨とするライブ「TM NETWORK -REMASTER-」など、
いずれも彼らならではの新しさを提示するものではありませんでした
(その良し悪しは措きます)
21世紀に音楽の新しさを表現することは、
80年代はもちろん、90年代と比べても格段に困難になっていましたし、
またファンも必ずしも新しさを求めなくなっていたという現実もあります
そのような中で、今年2012年、
「Incubation Period」が開催されました
80年代の活動形態を今の視点を交えて再現するというメタ的手法を採用しており、
これはこれで一つの回答だったともいえると思います
新曲「I am」のリリースも併せ、
TMは第一期(1984~94)、第二期(1999~2008)に続く第三期(2012~)に入ったと言っても良いでしょう
今後も30周年までこれで行くのか、
21世紀的新しさを体現できるTM NETWORKが試みられるのか、
現時点では未知数ですが、
いずれにしろTMの80年代のイメージを完全に払拭することは、
すでに不可能でしょう
むしろこれをいかに有効に活用できるかが、
今後の成功につながることと思います
さて、これまで第一部~第四部では、各時期の好きな曲を列挙してきました
しかし第五部に当たる時期の新曲は、
「一途な恋」「Nights of the Knife」「Another Meeting」の3曲しかありません
(インスト曲・デモは除く)
この中から好きな曲を選んでも意味がないと思うので、
今回は最後に、「終了」までの全曲の中から、
私が特に好きな曲上位10曲を挙げて締めようと思います
順番は決め難いので、リリース順にします
最後の商品リンクは、記念すべき再結成シングル「I am」を貼っておきます
次回からしばらくは、ゆっくりと過去記事チェックをして、
TMの次の活動が始まる頃に第六部を始めようかな…と思います
どうぞよろしくお願いします
木根さん、おめでとうございます
ちなみに小室さん、このタイミングでTwitterで、
「木根さん、50年以上生きてきてなににを思います?幸せだよね、、、。間違いなく、、。 」
とか、何か意味深なことをつぶやいています
木根さんはさらりと、「そうですね。ほんと、ありがたいです。」と返していますが…
そして今日、木根さん4連続ベストアルバムの最後、「キネソロ」がリリースされました
あとは四公演の20周年記念ツアーが待っています
それにしても、いよいよ四捨五入して60歳…ゴクリ
TM NETWORK「incubation Period」は、
BDウィークリーチャートで3位、DVDチャートで10位を獲得しました
音楽BDチャートでは1位、音楽DVDチャートでは7位で、
セールスはそれぞれ5780枚・3433枚です
1週で合計9千枚を越えましたので、
多分最終的に1万枚くらい行くでしょう
(ちなみに音楽BD2週目は8位、608枚、DVD2週目は圏外)
この件はネットニュースにも出ています
ORICON STYLE 2012/9/19の記事より
3人組ユニット・TM NETWORKが5年ぶりに行った東京・日本武道館公演の模様を収録した、同ユニット初のBlu-ray Disc(BD)作品『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』(12日発売)が発売初週5780枚を売り上げ、9/24付週間BDランキング総合3位にランクインした。
TM NETWORKの映像作品(TMN名義を含む)の週間ランキングTOP3入りは、DVD・BD両盤で初。ビデオ全盛の90年代にさかのぼると、1994年8/29付でビデオ『final live LAST GROOVE 5.18』、『final live LAST GROOVE 5.19』(ともに94年8月発売)がそれぞれ1位と2位を獲得して以来、18年1ヶ月ぶりとなる。
また、同時発売のDVD盤は発売初週3433枚を売り上げ、9/24付週間DVDランキング総合10位に初登場。2004年9/13付で『TM NETWORK DOUBLE-DECADETOUR“NET WORK”』(04年9月発売)が記録した、過去のDVD週間自己最高位・14位を上回った。
どうもこの記事を見るに、TMのDVDが10位内に入ったことは初のようで、
BD3位だけでなく、DVD10位も、結構いい線行っているようです
今年の復活、締めくくりとなるBD/DVDリリースまで、
非常にうまく行ったという印象です
TMの活動は、今年はこれでほぼ終わりでしょう
(年末くらいに来年に向けての動きが少しあるかもしれませんが)
ちょうどこちらのブログも今回で第五部終了ということで、
歩調が合っている(?)気がします
そういえば、第五部終了に先立って、
トップページのカウンターが30万を超えました!
今年の復活騒動で、一気に数万増えました
どうもありがとうございます
また具体的な数字は分かりませんが、
TRFの「EZ DO DANCE」を使ったエクササイズDVD「EZ DO DANCERCIZE」がバカ売れしているようです
小室さんによれば、「アルバムに換算したら、もうすぐミリオン」だそうです
そんな売れてたのか、あれ!?
それと小室さん、TM NETWORKに続いてglobeも再開させるそうです
ただしもちろんKEIKOさんは抜きで、小室さんとマークのユニットになるようです
9/24の小室さんのTwitterで、
「とりあえず、僕とマークで、globeのともしびを消さぬようKCOが元気になるまで、活動しようってことになりそうです」 と言っています
そういやあ少し前、2015年はglobe20周年とか言っていましたね
avexとしては、マーク単体では使いようがないので、
今の内に多少ともglobeとして動かしておこうということなんでしょう
ボーカル無しでインスト中心になるんでしょうか
小室さん、最近EDMをやりたいと強調してたんで、
そこらへんをglobeでやるんでしょうかね
まあ、そんな派手な活動にはならないでしょうけども
さて、積極的に触れたい話題でもありませんが、
ちょうど節目ということもあり、
小室さんの借金の話も少ししようと思います
まずは簡単におさらいを…
(くわしくはこちら)
2008年逮捕前後の小室さんの借金は約20億円ありました
その内多額だったのは、avexのプロデュース料前貸し分6億数千万円と、
「被害者」Sへの返済金など6.5億円で、
そのうち後者はavexの松浦勝人さんが肩代わりして下さいました
これら約13億円は、小室さんが活動を再開した2009年以来、
少しずつ返済しているものと思われます
おそらく他の数百万~数千万円単位の借金についてもaxexが整理して、
無利子か低金利で返済を待ってくれているものと思います
そんな中でavex・「被害者」Sと並んで多額だったのが、
元嫁吉田麻美への慰謝料・養育費でした
小室さんが借金のために慰謝料・養育費の支払いができなくなると、
吉田麻美が訴訟を起こして、
2005年から小室さんの著作権使用料1年間1億円の差し押さえの権利を得ました
その支払い予定総額は、2005年1月の時点で7億8000万円でした
当時の小室さんの著作権使用料による収入は年間2億円程度と考えられ、
その約半分を吉田麻美が取得することになります
しかも法的に吉田麻美が優先的に収入を得ますから、
吉田麻美に1億円支払われるまで約半年、
小室さんは著作権使用料による収入を失います
すでに自転車操業状態だった小室さんは、
これによって半年間、
印税収入にょる借金返済や納税が不可能になります
しかも吉田麻美による小室さん窮乏情報の暴露によって、
小室さんは融資を受ける信用を失い、
闇金融やヤクザまがいの投資家に接近することになります
この結果が2008年の破滅でした
とまあ、小室さん破滅の最大の原因となった吉田麻美の著作権使用料差し押さえですが、
こちらは毎年1億円ずつで最終的に7億8000万円支払うわけですから、
2005年から始めれば2011年で7億円返済されたことになります
去年末の時点での残額は8000万円となりますが、
すでに9月も終わりですから、この支払いも終わったでしょう
つまり小室さんはこれを以って、あの吉田麻美との関係を、
法的にも完全に断ち切ることができたはずです
実際には慰謝料・養育費もavexがすでに清算している可能性が高そうですが、
仮に清算していなかったとしても、すでに処理は終わったことになります
おめでとう! 小室さん!
まあ吉田麻美との縁を完全に断ち切る直前に、
現嫁が病で倒れてしまったわけで、
なかなか満足な状態になれない人だとは思いますが、
それでも今の小室さんは90年代以来、
一番前向きに生きているように見えます
これからも頑張ってほしいですね
ちなみに松浦さん個人への返済分はともかくとして、
2000年12月にavexから前借したプロデュース料に関しては、
過去の報道より総額10億円だったことが分かっており、
2005年3月の時点で6億9000万円がこの内の未済分でした
これは現在どうなっているんでしょうか
そこで極めて大雑把な試算として、
2001~2005年3月にavexでリリースされた小室さんプロデュースのアルバム、
あるいは小室楽曲が半分程度を占めるアルバムをリストアップしてみましょう
あくまでも概算なので、数字は千の位で四捨五入し、
5千枚未満の作品は取り上げません
他にシングル・DVDなどもありますが、
アルバムだけでもおおまかな傾向はつかめるでしょう
◇globe=119万
「outernet」15万
「global trance」9万
「Lights」28万
「Lights 2」16万
「global trance 2」4万
「8 Years」29万
「Ballads & Memories」6万
「Level 4」5万
「global trance best」2万
「globe decade」5万
◇安室奈美恵=31万
「Love Enhanced」31万
◇song+nation=17万
「song+nation」16万
「songnation2」1万
◇合計=167万
以上を見るに、だいたいアルバム167万枚くらい売ると、
3.1億円分の契約消化ができるようです
では2005年4月~2012年のavex作品はどうでしょうか
◇小室哲哉=1万
「Digitalian is eating breakfast 2」1万
◇globe=11万
「globe2 pop/rock」5万
「maniac」3万
「new deal」1万
「15 Years」2万
◇AAA=17万
「Buzz Communication」7万
「#AAABEST」10万
◇浜崎あゆみ=27万
「Love songs」27万
◇合計=56万
以上の内、逮捕前の分(2008年以前)はglobeの3枚9万枚だけで、
大部分が裁判後の活動再開期のものとなります
逮捕時の未済額が約7億円と言われ、2005年と変わっていないのも、
実際に2005~08年に契約消化できた分がほとんどなかったためと思われます
それはともかく、上記の作品の成績を見るに、
だいたい2001年~2005年3月の1/3程度となっています
ただし現在はネット配信のシェアが大きくなっていますし、
活動再開直後には単価の高いファン限定BOXが出たし、
今年はソロCDやソロDVDもたくさん出ました
他にTRFのエクササイズDVDなど意外なものが売れていますから、
実際には2001年~2005年3月の半分かそれ以上と見積もって良いでしょう
ならば2億円前後ということになるでしょうか
以上のように考えると、小室さんは10億円中の約半分は返済し終わり、
残りは5億円程度ということになろうと思います
これに松浦さんの借金立て替え分6.5億円を加えれば、
松浦さん・avexへの負債は11.5億円となります
もちろん他にもライブの興行収入やその他余剰収入から、
松浦さん・avexに別に返済しているものもあるでしょう
現在は残り10億円くらいにはなっているんじゃないかと推測します
avex・松浦さんへの本来の返済額以外にも借金はまだありますが、
今まで吉田麻美のものになっていた著作権使用料も返済に回せば、
還暦(2018年)を待たずに完済も可能かもしれません
仮に著作権収入全部を返済に回せば、
毎年2億円だから、5年で10億円返せるんですよね
(現在も毎年2億の著作権使用料が入っていればですが)
以上はほとんど情報がない中でのいい加減な推測ですが、
小室さんには早くキレイな身になって欲しいなと思いますし、
それに向けて可能な環境が整ってきていると思います
そんな感じで、色々と妄想をまとめてみました
では本題に入ります
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2006年から今まで6年間、
前史と第1部~第5部、合計160章を費やし、
ようやくTM NETWORKの始まりからリニューアルを経て、
TMNの「終了」に至る流れを見通してきました
なお補うべき部分は少なくありませんが
彼らの10年間の活動とその前後の動向について、
主な出来事は一通り触れることができたものと思います
本ブログではこれまでインターネット上の「記録」作成の意味も込めて、
細かい事実関係の確認を行なってきました
その締めくくりとなる今回、最終章で、
TM NETWORK―TMNについて、
大まかにとらえなおす作業も必ずしも無駄ではないと思います
もちろんこうした総括エッセイ的なものは、
すでに書籍にもネットにも無数に氾濫しています
私は、その中で見落とされてきた新たな論点を提示するという、
大それた意図を持っているわけではありません
おそらく熱心なファンにとって本章で語られることは、
たいていどこかで見たことのあるものでしょうが、
今回だけということで、御寛恕を願います
さて本ブログでは、
TM NETWORKの「終了」までの歴史を、
第1~5部に分けて見て来ました
これを第1~5期と呼んでまとめると以下のようになります
・第1期:1983~1985
結成・デビュー以後
スタジオミュージシャンとしての性格が強かった時期
・第2期:1986~1988.4
FANKSの提唱以後
ライブの重視、ライブを意識した楽曲作り
・第3期:1988.4~1990.1
小室の渡英、T-Mue-Needsの提唱
FANKS克服の試み
・第4期:1990~1992.4
TMNへのリニューアル
新たな音・ライブスタイルへの挑戦
・第5期:1992.5~1995
TMN活動休止から「終了」
メンバーのソロ活動へ
これらを商業的見地から見ると、
第1期は低迷の時期、
第2期は人気の上昇期
第3期で頂点を迎え(同時に上昇の終わり)、
第4期では伸び悩みを見せるようになります
そしてそのネームバリューが決定的に失われる前に、
「終了」を敢行したのが第5期でした
いわば80年代の第1~3期は成長の時期であり、
90年代の第4・5期は衰退の時代と言えるでしょう
これは一人TMだけの問題ではありません
SONY系レーベルが中心となった80年代バンドブームは、
80年代後半から末にかけて過熱し、
職業作家が作り出す歌謡曲のシェアを奪っていきました
TM NETWORKはロックバンドという形態ではありませんでしたが、
やはりこの動向の中にいたミュージシャンであり、
独自の動きを示していたわけではありません
しかし90年頃、飽和状態になったバンドブームは
その頂点で弾けました
さらに1991~93年頃、
タイアップソングを中心にヒット曲が生まれる構造が出来上がると、
それと並行して、
80年代後半の音楽シーンを牽引したミュージシャンたちは、
次々と解散・活動停止をしていきます
今思うと、おそらくバンドブームの仕掛け人たちは、
ミュージシャンを長期的に売るための戦略を欠いていました
中高生を支持層とするミュージシャンが継続的に活動するためには、
支持層の成長に合わせて自らを変えていくか、
常に新たな中高生ファンを獲得していくかしなければ、
いずれ失速せざるを得ない宿命にあります
この点について明確な戦略を持っていた仕掛け人は、
当時の業界にはあまりいなかったと思います
だから中高生ファンが高校を卒業する前後まで、
せいぜい5年程度がブーム継続の限界となったのでしょう
(TMの場合は1987~91年)
その点で、小室さんが90年代後半のプロデュース作品で、
OLなど社会人を意識した詞を作るようになったのは、
一つの解答ではあったのでしょう
ただこのような一般論を述べるだけでは、
TM NETWORKの論にはなりません
やはりTM固有の事情もあったはずで、
それも考えてみようと思います
TMの特徴として挙げるべきは、
やはりシンセやコンピュータの使用という点です
TM=デジタル機器というイメージは、
陳腐ではあるけれども、
世間でもっとも広く共有されているイメージでした
もっとも彼らのデビューした80年代前半の音楽界において、
デジタル機器というツールの使用は、
決して新たな動向というわけではありませんでした
むしろ当時は70年代末以来のテクノブームや、
それに並行したテクノ歌謡が、
すでに沈静化しようとしていた時期であり、
1983年のYMO「散開」はその象徴でした
この点では、バンドブームが終わる時期にハードロックを試みた「Rhythm Red」と同様に、
小室さんは時代の流行を読み誤っていたと言えるかもしれません
いささか皮肉を込めて言えば、
実はTMは大事な局面で時代に乗り遅れてきたわけです
ただしTMはデジタル機器を活用したものの、
音楽性はテクノとまったく別物でした
スタッフ側はYMOの後釜の地位を狙っていた可能性もありますが、
(実際にテクノカットスタイルでデビューする案もあった)
幸いにもTMが意識していたのは日本のテクノではなく、
イギリスのニューロマンティックでした
この音楽性の違い故に、
TMは当初からデジタル機器をアピールしながらも、
テクノの亜流として扱われることなく、
独自の立場を示すことができたといえます
(それが商業的に成功したかは措くとして)
ニューロマンティック路線はまもなく放棄されますが、
その後もTMは洋楽の流行を取り入れ、そのことをアピールします
たとえばモータウンサウンドを取り入れた1986年のFANKS、
欧米のプロデューサーにリプロダクションを依頼した「Dress」、
同時代のニューヨークのハウスサウンドを取り入れた「EXPO」などが、
その顕著な例として挙げられるでしょう
TMの特徴を、目指している音楽から語ることは困難です
彼らは常に無節操に新しい音に挑戦し、
その点では一貫したものを持っていなかったからです
むしろ彼らの特徴として挙げるべきは、
デジタル機器の活用と同時代の洋楽の受容という2点と思われます
その強調の度合いは時期ごとに変化しますが、
これら2点が否定されることはありませんでした
TMはこの2点によって、「新しさ」を体現し続けます
先端の技術と海外の流行が、TMの新しさの根拠だったわけです
それが本当に最新のものだったのかはともかく、
中高生にそうだと信じ込ませることはかなり成功しました
そしてこの新しさと表裏の関係にある未来志向も、
TMの大きな特徴でした
新しさを観客に実感させるのに有効だったのが、
派手な演出や突飛な設定でした
テレビやライブでは実際に使わないものも含めて多くのシンセを積み上げ、
演奏には不要なスクリーンセーバーが映し出されるだけのモニターを置き、
レーザー光線やMIDI制御の照明装置を利用するなど、
「見せる」ことに意識を注いでいました
また小室さんは、自らを異星人や未来人になぞらえるSF的演出を好み、
それが通常のロックバンドとは異なる独自性をTMのステージに付与します
これはデビューからまもない頃から、「金色の夢」のキーワードで表現されました
しかしこのファンタジー色の強い「新しさ」は明らかに未成年向けの世界観であり、
その幻想が崩れると同時に、幻滅を生み出す恐れを内包するものです
おそらくこれに対応しようとしたのが、
ブレイク3年目(中学生が高校生に、高校生が大学生・社会人になる年数)の1990年に敢行した、
TMNへのリニューアルでした
TMNはこの時同時に、シンクラヴィアという高額機材の導入によって、
機材面での「新しさ」も担保しようと試みます
1990年代に入り、バンドブームの収束と並行して、
80年代的な新しさはすでに前時代的なものになりつつありました
その点でハードロックという方向の是非はともかくとして、
1990年は実は変化のタイミングとしては絶妙だったのかもしれません
しかしTM NETWORK時代のイメージは極めて強固であり、
そのイメージの更新は困難を極めました
当時小室さんがTMNファンの固定化を嘆いたのは、
直接には過去のファンを嫌っていたというわけではなく、
支持層が変わらないTMNでは時代の変化に対応することができず、
音楽業界での生き残りの目処が立たなくなっていたという見通しもあったんだと思います
実際に90年代には、TMNの新しさの根拠が揺るぎ出します
その根本的な原因は、コンピュータやデジタル機器の普及でした
80年代半ばには高価で、かつ同期演奏も困難な代物だったデジタル機器が、
90年代には安価なモデルも販売されるようになり、性能も格段に上がっていきます
TMNは「新しさ」を体現し、アピールしなくてはなりません
そのためアマチュアにもシンセが普及し、性能も向上してくると、
TMNはさらにその先の、
アマチュアが扱うことが困難な音や技術を提示しなくてはいけませんでした
つまり「新しさ」を標榜したTMNは、
活動を続ける限り常に進歩することを宿命付けられていたわけです
一例を挙げれば80年代TMのトレードマークだったサンプリングボイスは、
90年代には子供用アニメ主題歌「踊るポンポコリン」(1990)でも使われたように、
すでにお茶の間でパロディの対象とされる代物になっていました
所詮パロディではありますが、
その実践の垣根もリスナーへのインパクトも、
80年代と比べれば遥かに低くなりました
1990年に小室さんが多額の経費でシンクラヴィアを購入したことも、
必ずしも見栄や無計画性によるものというだけではなく、
デジタル機器に関してファンの先を行くことを義務付けられていたTMNにとって、
必然的な結果だったとも言えると思います
しかも皮肉なことに、
当時デジタル機器に対するアマチュアの憧れを増幅させたのは、
他でもないTMNであり、小室さんでした
小室さんはYAMAHAがライトユーザ向けに販売したEOSのイメージキャラクターを務め、
ライブでもYAMAHAのシンセを大量に使用しました
一面でTMNや小室さんは、
自らの活動によって自らを追い詰めていたとも言えます
一般への普及に伴い低価格化と性能向上を実現する機材と、
その一歩先へ先回りするTMNのいたちごっこも、いずれ限界は来ます
1994年がその限界地点だったのかは分かりませんが、
この頃家庭用PCが急速に普及するようになっており、
アマチュアのDTMに対する障壁も下がっていたことは事実です
より身近なところで言えば、「パラッパラッパー」(1996)など、
家庭用ゲーム機の音ゲーがヒットを飛ばすようになる時代も、
もう近くまで迫っていました
仮にTMが1994年を乗り越えられたとしても
いずれこの点で限界に直面することは避けられなかったはずです
もちろんTMの素晴らしさは技術の新しさだけではありませんが、
80年代以来のアーティストイメージとして、
「デジタル機器を駆使する音楽」という点は抜きがたく存在しました
90年代半ば、DTMの壁が低くなってくるとともに、
このイメージはむしろ80年代という時代性を以って認識される原因にもなるでしょう
ただしTMNの新しさのもう一つの要素、同時代の洋楽の受容という点は、
いまだ可能性がありました
むしろ1992年、TMNが活動を休止した後の小室さんは、
この方向性をより重視するようになります
クラブ発のユーロ・テクノを試みた実験ユニットtrfや、
洋楽ナンバーに遜色のない音を目指したEUROGROOVEのプロデュースは、
TM時代以来の洋楽志向をさらに推し進めたものといえます
TKブーム期の小室さんは、しばしば欧米音楽界との接点を強調し、
それを自らのカリスマ性の裏付けにしようとしました
ただしこの点での新しさは、日本と海外の距離が接近し、
同時代の洋楽に接することが容易になることで薄まることになります
特に21世紀のインターネットの普及はこれに貢献しました
今や我々は様々なルートで、流行の洋楽に直接アクセスすることができます
一時期はこれを利用して、日本のヒット曲の「元ネタ」探しも盛んでした
これはミュージシャンにとっては、
同時代の洋楽の動向を紹介するという仕事のハードルを上げることにもなったでしょう
これまた皮肉なことに、インターネットに注目し、
その活用を早くから声高に主張したのも小室さんでした
この面でも小室さんは、
自らのハードルを自ら上げる挙に出たことになります
TKブーム期のことはともかくとして、
1994年のTMN「終了」についてみれば、
そこに小室さんを取り巻く環境やスタッフ問題など、
様々なものがあったことは間違いありません
しかし仮にこうした問題がなかったとしても、
TMNが新しさのアピールを一つの命題としており、
そのハードルが90年代に大きく上昇したことを考えれば、
その永続的な活動は元より困難だったのではないかと感じます
TMNの歴史的使命が終わったということでもあったのかもしれません
ただしTMNの方向性を変える試みもありました
たとえば小室さんには、映画など様々な事業に手を伸ばし、
一種のメディアミックスを自らの手で行なおうという考えもありました
しかしこれをめぐっては、
堅実な路線を主張するスタッフとの意見対立も起こりましたし、
実際に小室さんの思いつきはかなり無謀だったところもありました
こう考えると、「終了」の一因となった小室とスタッフの対立は、
そもそもTMを継続するための方針・戦略に直結するものでした
TMは内部対立でうまくいかなくなって終わったのではなく、
うまくいかなくなって内部対立が起こり、
終わったということもできるかもしれません
結局1991年の「EXPO」が期待した成績を収められなかった時点で、
TMNの先は見えていました
ルーチンワークとして音楽活動を続けることは可能だったでしょうが、
新作の発表ごとにファンを驚かせるような活動は、
ほとんど期待できないと、少なくとも小室さんは感じていたでしょう
その後もメンバーやスタッフはなんとかしようと2年間もがきましたが、
その間に新たに生み出されたものはほとんどありません
TMNは「EXPO」とその後のツアーで事実上終わっており、
「終了」は当事者自身によるその追認行為に他なりませんでした
しかしTMNは1997年に再結成を宣言し、
1999年にTM NETWORKとして復活します
この時点で彼らは復活したTMを、
どのような形で動かそうと考えていたのでしょうか
断言ではできませんが、おそらく3人とも、
怒涛のTKブームの勢いを利用すればどうにかなる、
という程度の目算だったのだと思います
1999年の活動は極めて低調だった上、翌年前半は活動が中断したため、
再結成当初の構想を読み取るのは難しいですが、
新たなTMを提示する独自のアイデアがあったようには見えません
2000年以後のTM NETWORKの活動は、
小室さんのルーツ=プログレの表明である「Major Turn-Round」、
小室さんが数年来トランスを試み続けたことの延長である「Easy Listening」、
TM結成前に存在したバンドを意識した「SPEEDWAY」、
ヒット曲のオリジナル演奏を趣旨とするライブ「TM NETWORK -REMASTER-」など、
いずれも彼らならではの新しさを提示するものではありませんでした
(その良し悪しは措きます)
21世紀に音楽の新しさを表現することは、
80年代はもちろん、90年代と比べても格段に困難になっていましたし、
またファンも必ずしも新しさを求めなくなっていたという現実もあります
そのような中で、今年2012年、
「Incubation Period」が開催されました
80年代の活動形態を今の視点を交えて再現するというメタ的手法を採用しており、
これはこれで一つの回答だったともいえると思います
新曲「I am」のリリースも併せ、
TMは第一期(1984~94)、第二期(1999~2008)に続く第三期(2012~)に入ったと言っても良いでしょう
今後も30周年までこれで行くのか、
21世紀的新しさを体現できるTM NETWORKが試みられるのか、
現時点では未知数ですが、
いずれにしろTMの80年代のイメージを完全に払拭することは、
すでに不可能でしょう
むしろこれをいかに有効に活用できるかが、
今後の成功につながることと思います
さて、これまで第一部~第四部では、各時期の好きな曲を列挙してきました
しかし第五部に当たる時期の新曲は、
「一途な恋」「Nights of the Knife」「Another Meeting」の3曲しかありません
(インスト曲・デモは除く)
この中から好きな曲を選んでも意味がないと思うので、
今回は最後に、「終了」までの全曲の中から、
私が特に好きな曲上位10曲を挙げて締めようと思います
順番は決め難いので、リリース順にします
・「金曜日のライオン」
・「Electric Prophet」
・「All-Right All-Night」
・「Maria Club」
・「Fool on the Planet」
・「Kiss You」
・「Be Together」
・「Just One Victory」
・「Rhythm Red Beat Black」
・「We love the EARTH」
最後の商品リンクは、記念すべき再結成シングル「I am」を貼っておきます
次回からしばらくは、ゆっくりと過去記事チェックをして、
TMの次の活動が始まる頃に第六部を始めようかな…と思います
どうぞよろしくお願いします
この記事へのコメント
>一番前向きに生きているように見えます
本当にそのように見えます。音楽に対するひたむきさや愛情も見られ、
さらに小室さんを応援したくなりますね。
第六部の記事、期待しております。
一度大衆に付いたイメージは作られた虚構であれ真っ当な真実であれ簡単には払拭できないのは事実です。
台所事情か、純粋な戦略か、はたまた気まぐれか、小室先生は様々な切り札を使いました。それが純粋な筋のファンにとってどう映ったかどうかはともかく多角的な虹色のトリックスターとして活躍したと思います。簡単な表現でも「TMの小室」「TRFの小室」「globeの小室」「ダンスの小室」「トランスの小室」等様々な面が浮かびます。2000年代の厳しい中にもHIP HOPの勉強を怠らなかったことからも新しい「顔」を作ろうとするのはもはや「性」と呼ぶべきでしょうか。
ぱたさまの仰る通り、明るい話題がどんどん出てきているのも更に何か隠し玉がありそうで楽しみになりますね。個人的に嬉しかったのがTKCOMを来年に向けて水面下で進んでいることを明かした時。旧ティザーサイトから1曲1曲が大切に練られていることから閉鎖後も根強く待っていたのですが、黒歴史にするつもりは毛頭ないことが小気味良かったです。
2011年新たに「DOMMUNEを一般大衆に広めネットでのリアルタイムライヴへの参加の敷居を低くした」という新しい顔を手に入れた小室先生。これからどんな顔を見せてくれるか楽しみです。
とにもかくにも、第五部終了お疲れ様でした。管理人様が今までで一番キツい内容になると言っていただけに、相当な労力を費やしたと思います。それだけに細かい資料や鋭い分析力で厳しいながらも愛のある内容になったことで非常に参考になるとともにとても楽しく読むことができました。忙しい合間を縫っての更新本当にご苦労様でした。引き続き第六部も楽しみにしておりまーす。
> 支持層の成長に合わせて自らを変えていくか、
> 常に新たな中高生ファンを獲得していくかしなければ、
> いずれ失速せざるを得ない宿命にあります
> この点について明確な戦略を持っていた仕掛け人は、
> 当時の業界にはあまりいなかったと思います
この点については今もいるのだろうか?と疑問です。
長年「アーティスト」「CD」というプロダクトセールスに走り、顧客であるリスナーのLife Time Valueを考えているレコード会社があったのだろうかと主ってしまいますが。
第五部までの執筆おつかれさまでした。
私は比較的新しくファンになったものなので、自分がリアルタイムで追えなかった時期の知識を得るのにとても重宝しています。第六部以降の記事もとても楽しみにしています。
最後に、記事の本筋とは関係のないところで蛇足なのですが、globeの再始動の話について、これはavexも寝耳に水だったのではないかと思います。その証拠は微々たるものですが、1つはavex関係者のTwitterアカウント(TK_staff、宗村直哉、伊藤宏晃など)がRTすらせず話題をスルーしていたこと、もう1つはオリコンスタイルなどのavexの御用メディアが報道をしなかったことの二点からそう推測しています。
また、FACEBOOKでは「年内にイベントをやる」という旨の書き込みをしていましたが、直後のWOWOWの生放送では「何も決まってない」と言ってますので、その間に何かお咎めがあったのではないでしょうか。globeファンも兼任する者としては複雑ですけど(笑)
以前から小室先生が口にしているCAROLの再演も現代のテクノロジーと舞台芸術レベルで行えば「アリ」だと思います。シルクドソレイユ的な演出を入れて行ければ、注目度もあると思います。ただし、今のTMにそこまでの軍資金を支出してくれるスポンサーがつくとは思えないので、おそらく実現はムズカシイでしょう。残念です。
新しい音楽を抱え込むのがTMでしたが、今の海外の音楽情勢を見ても、新しい要素を拾えないでしょうし、AKBやエグザイル全盛の今、その需要もないでしょう。むしろ、今の若い世代にとっては、知らない80年代90年代こそが、エネルギッシュで魅力的な「彼らにとっての新しいモノ」として映っているような気がします。TMは時代を超えて、今でも古くない音楽をたくさん所有しているのですから、ムリヤリ新しさに走らずとも、魅せようによって十分に新しく映る存在たりえると思うのです。若くて最近TMにふれた方たち、そのあたり、どうお思いですか?
無理やり新しさに走るよりも、オペラの研究をしてみてはと思いますけどね。過去にEXPOでオペラの要素を取り入れていますしね。
>ぱたさん、aさん
応援ありがとうございます
私事ですが仕事が忙しくなっていて、
前ほどのペースでは難しくなるかもしれませんが、
来年には第六部も始めますのでよろしくお願いします
>feさん
小室さん、秋になってからすごい忙しくなっているみたいで、多分なにかやっているんでしょうね
TM NETWORKの音源も、早く形にして欲しいです
>GAUZEさん
第五部の時期は、情報が断片的である上、事実に基づく情報と憶測に基づく情報が混在していることもあって、TMとして恒常的に活動していた時期と比べると、記事を書くのが難しかったです
それと、やっぱりファンとしては書くのがつらい時期ですよね
TMNの「終了」をもう一度追体験しているような気分で…
まあ、自分の脳内もそれなりに整理できて、その点では良い機会でした
>MNSさん
第五部の時代は、リアルタイムのファンでも、何が起こっているのかよく分かっていない人がほとんどだったと思います
私も書きながら、これとこれがつながっているんじゃ…?とか気付くこともありました
globeは少なくとも、まだ具体的に何かやる段階ではないのでしょうね
フライング説もあり得る話と思います
TMに近い時期、バンドブームと別の流れでデビューしたB'zやドリカムは、やはり売れ方が違ったと思います
特にドリカムは、サザン・ユーミン・ミスチルと同様に、時代・年齢に依存しない普遍性を備えていたことが大きいのでしょうが、これに対してバンドブームを支えた個性的なミュージシャンたちがそのままの形では誰も生き残れなかったのは、やはりその活動形態において、集め得る支持層の限定性が強かったんではないかと感じます
そう考える一つの理由は、小室さんも含め、彼らがバンドなどを解消して90年代に作曲家・プロデューサーとして手がけた楽曲が大きな成果を収めていることから、楽曲の質の差によって退場を余儀なくされたとは考えられないからです
80年代バンドブームがなぜ短命に終わらざるを得なかったのか、私も十分な説明が出来ているとは思いませんが、カラオケブームなど外的要因だけでなく、ブーム自体が持つ何らかの構造的な問題があったんだと予想しています
どうでしょうかねえ
こんな風にここを掲示板風に使っていただけるの、とても良いですね
TMで新しさを求めるべきかというのは、復活後ファンの間で常に議論されている話題のように思います
ただ”新しさ”というのは、21世紀に即した最先端の技術やパフォーマンスを取り入れるということだけでなく、従来のTM NETWORKでは扱っていなかったことをやってみること(CAROLの時のミュージカルやMTRの時のプログレなど、試みたもの自体は古くからあるものもあります)を含めて考えても良いと思います
ヒット曲を同様の流れで演奏するだけのライブが続いた時代(SPIN OFF~SPIN OFF 2007~REMASTER~SPEEDWAY)が長かっただけに、仕掛け満載のincubation Periodは嬉しかったですし、私としては今後も”読めてしまうライブ”ではないものを見せて欲しいと思っています
kuri566さんがおっしゃる通り、つまり”魅せよう”なんだろうと思います