6-7 TKの海外進出と地盤沈下
U_WAVEの「Tour フォースアタック」が始まりました
私は行っていませんが、参加した方によれば、7月よりは元気そうだったとのことです
きっと順調に回復しているものだと思います
ツアーパンフに新曲CDが付属していることは前回書きましたが、
その中で「AI」「Still the one」は10/12にiTunesで配信が始まっています
TM NETWORK関係の商品では、
BD/DVDの「START investigation」が、
amazonでも値下げが発表されました
BD限定版=7808円、BD通常版=5855円、DVD=5075円となっています
また11/27、なぜかいまさら「Dress」だけが
Blu-spec2でリリースされます
小室さんの誕生日だけど、何か関係あるんでしょうか
小室さんは9/30に来年のTM NETWORKについて打ち合わせがあったようで、
30周年の日程はおおよそ決まっているのだろうと思います
まだレコーディングはしていないものの、曲はできているそうで、
「うつに元気になって新しい言葉を歌ってもらいましょう」と言っています
(でもウツ、U_WAVEの新曲はレコーディングしているんですが…)
3月頃にはTMのレコーディングがあったはずですが、
仮にこれと同じ曲ならば、
新しく作詞し直してまたレコーディングするということでしょうか
というか、もう30周年なんだから、
シングルとかじゃなくてアルバムを出してほしいです
今回出なかったら、もうオリジナルアルバムは永久に出ないですよね
一方小室さんは10/13にTwitterでファンから、
「globeは2015年まで完全復活しないのですか?」と質問され、
「完全復活は、2014/4/21からでしょう」と答えています
この日付は明らかにTM NETWORK30周年を意識したものです
小室さんの回答では分かりづらいですが、
要はTM30周年が終わったら、2014年の間にglobeを復活させる考えのようです
ありそうなのは、globeデビュー記念日の8/9の新曲リリースでしょうか
実際のところglobeが順調に復活できるかは予断を許しませんが、
少なくとも小室さんはglobeの活動のための時間は空けておくはずです
だとするとTM30周年の活動は、4月から始まって、
夏頃には終わってしまう可能性が高いです
正直、30周年が終わった後にTMが継続的に活動するかはかなり疑問なので、
30周年はできるだけ長くやってほしいのですが、
20周年が2月のシングルリリースから6月のライブまでだったことを考えると、
実際こんなところかなあ…とも思います
さて、小室さんは一連のライブイベントと「DEBF EDM 2013 SUMMER」作成が終わってから、
ますますやる気モードのようです
まず10/11には DJ AFROJACK「The Spark」のリミックス音源「Afrojack Club Edit」が、
DJ AFROJACKのサイトで公開されましたが、
これは小室さんのリミックスとのことです
4/26に来日中のDJ AFROJACKに会っていましたが、この時の縁ですね
また来年には「DEBF EDM WINTER」の制作、TM NETWORK30周年、歌姫探しを考えていると言っています
EDMシリーズ、また出すんですね
しかし少し前にTM EDMを年内に出すとか言っていたんですが、
もしかしてこの企画は消えたんでしょうか…?
「歌姫探し」については、小室さんが10/14に、
「もし、勇気と自信と度胸があり僕の奏でる音で、一緒に作品を創りたい女の子、存在するのなら、今、僕に教えて下さい、just in timeです」
とTweetしたところ、Yahoo!ニュースなどに取り上げられたこともあり、
応募が殺到して、帰宅してからもチェックする日々が続きました
(10/20に締め切りました)
これが形になるのかどうかはともかくとして、
思いつきがすぐに反応となって返ってくる様子に楽しんでいるようです
もう少し近い話では、
小室さんが11/2に「FNS歌謡祭」に出演するそうです
毎回思いますが、なんでTM NETWORKとして出ないかなあ
その方が受けもいいだろうに…
さて、本題に入ります
長かった1996年の話は前回で終わり、
今回からはしばらく1997~98年の話です
正直、本ブログで一番つまらないところになることは間違いないですが、
「通史」と銘打っている以上、仕方なく書きます
どうかしばらくお付き合い下さい
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小室哲哉は1994年のTMN「終了」後も、
trf・篠原涼子・H jungle with tなどで商業的成功を収め、
1995年に「TK Dance Camp」を成功させた
1996年にもglobe・安室奈美恵・華原朋美作品を中心にさらなる躍進を遂げ、
1997年元旦にはTKファミリーのチャリティソング「You Are The One」をリリースし、
さらに同年2/19リリースの安室奈美恵「Can You Celebrate?」は、
約230万枚の売り上げという、小室作品最大の成果を上げている
ここまでの小室哲哉は、
プロデューサーとしてまったく順風満帆の3年間だった
このような中で、小室はさらなる展開として、海外進出を試みる
もともと小室がインターネットに積極的だったのも、
ひとつには海外との連携を視野に入れていたこともあり、
インターネット普及事業への参加自体も海外進出志向とも関わるものだろう
小室はこれ以前、1994~95年にはEUROGROOVEで、
ヨーロッパへの進出を試みていた
これは商業的成果を求めたものというよりは、
自らの音を本場で流したいというミュージシャン的な欲求による部分が大きかったのだろう
だが小室は1996年末から、アジアにも注目を向けるようになる
12月にはアメリカのメディア王Rupert Murdochとともに、
香港に音楽ビジネス会社としてTK Newsを設立し、
ここを拠点にアジア市場進出を目指した
中国・台湾などを潜在的な巨大市場として目をつけたものだろう
この頃から小室はロスアンゼルス郊外のマリブに豪邸を建てて住所を移し、
日本と海外をせわしなく往復する日々を過ごす
後に2007年、この頃の日々を回想した曲が、
TM NETWORK「SPEEDWAY」収録の「Malibu」である
小室のアジアでの活動を具体的に見てみよう
まず5/27・28には台北市立中山足球場で、
「TK Pan-Pacific Tour in Taipei」が開催された
(ツアーといっても一会場二日の単発ライブだが)
これには小室の他、安室・TRF・globeが出演し、
それぞれのヒット曲を披露した
当時台湾ではTK作品が大ヒットしており、
海外進出第一弾としては妥当なところだっただろう
さらに11~12月には、日中国交正常化25年記念イベントとして、
北京・上海・香港で「TK Presents Groove Museum」が開催された
小室はこの頃中国政府より、音楽親善大使に任命されていた
11月には安室、12月には華原が出演し、
小室・Marc Panther・OliviaのユニットTK Museumの出演もあった
なおOliviaはアイドルグループD&Dのボーカルで、日米のハーフである
英語を母語としていたため、小室が海外進出に当たって注目したものだろう
後で述べる小室・Jean Michel Jarre共作の「Together Now」でもボーカルを務めている
小室との関係は「Together Now」以後無いようだが、
Oliviaはこれを契機にソロ活動を始め、D&Dからは事実上脱退した
TK Museumのサポートとしては、DJ DragonとVJの原田大三郎がいた
実現はしなかったものの、TK Museumはこの後、
小室・DJ Dragon・原田に中国歌手を加えて活動する予定だったらしい
小室と原田の共演はこの時が初めてのようだが、
DJ Dragonについては、1995年のクラブイベントt jungle mで知り合っていたという
Dragonは1999年TM NETWORK「10 Years After」のレコーディングにも参加している
小室は2000年頃からDJ Dragonとtatsumakiというユニットで活動を始め、
2001年からはこれに原田を加えてGaballを始める
この”TKブーム以後“の活動の種は、中国ツアーでまかれたことになる
中国ライブの台湾ライブとの違いは、globeのKEIKOやTRFがいないことの他、
中国現地歌手の出演があったことである
現地歌手としてはgrace ip(葉佩雯)・陳引・DAI RAOが参加した
これは当然中国での事業展開を念頭に置いたものだろう
このうち、grace ipは1998年にTKプロデュースで香港デビューしている
さらに1997年には、小室監修の台湾の音楽番組「小室魔力」が始まった
明らかに日本で小室が関わっていた「ASAYAN」の台湾版である
番組内オーディションでグランプリを取った林楡涵はRingとして、
1998/4/23シングル「Process」で日台同時デビューを果たす
これは当時「ASAYAN」オープニングテーマでも使われた
1999/7/22にはRingのアルバム「Teen’s Ring」がリリースされた
このアルバムには自身の3枚のシングルの他、
安室「a walk in the park」や華原「I’m proud」の中国語カバー版が収録されている
ただ少なくとも日本では、
「Process」(14位、7.1万枚)以外ほとんど売れなかった
以上のように、1997~99年の小室はアジア市場に目を付け、
様々な活動を展開しようとした
ところがMurdochは1997年終わりに、
この事業からの撤退を決定した
商業的成果を上げることは困難と判断したためだろう
だが小室は撤退せず独力でこれを発展させ、
1998年1月にRojam Entertainmentを、
同年に上海にRojam Discoを設立する
小室としては1997年の活動は準備期間であって、
本格的な展開は1998年以後と考えていたと思われ、
ここで引くわけには行かなかったのだろう
(Ringやgrace ipのデビューは1998年)
だがアメリカのメディア王が無理と考えたものを、
小室が独力で成し遂げられると判断したのは、
その事業の巨大さを考えれば、極めて危険な試みだった
もちろんこれは後の小室没落を知る者の結果論ではあるが、
小室の無謀な試みや散財がこの頃から目立ち出すのも事実であり、
没落の種はこの頃からまかれていた
なお小室は1998年にはグァム政府の観光局の依頼で、
観光キャンペーンのテーマ曲として、
鈴木あみのデビュー曲「love the island」を作り、
さらに7月にはグアムでglobeのアコースティックライブを開催している
中国・台湾・グァムと、政府関係者筋との縁がうかがわれるが、
この方向性は1999年、自民党との関係にもつながるものだろう
これは小室の目指す海外進出に必要なものだったのかもしれないが、
傍目から見ているとむしろ胡散臭さを感じるところもあった
小室はこの頃、軽く日焼けをして、鼻のホクロを取り、歯並びを直すなど、
全体的に微整形を施す(ついでにロン毛も復活する)
海外との交渉の際に、素の弱々しい雰囲気を隠すためもあるのだろうが、
身の丈以上のところに手を出そうと無理をしている印象で、
個人的には大変違和感を感じた頃である
さて、以上述べてきたところはアジア方面での活動だが、
この頃の小室の活動拠点はアメリカのロスであり、
ここを拠点に欧米向けの音楽活動も活発化させた
まず1997/7/9には、1992年「Pure」以来5年ぶりに、
ソロシングルとして「Speed TK-Remix」がリリースされた
これは1997/6/13公開のハリウッド映画「Speed 2」のテーマ曲である
「Speed 2」はヒット作「Speed」の続編で、
「Speed」テーマ曲のリミックスを小室が手がけたのである
したがって本作の小室の担当は編曲で、作曲ではない
この曲は後に格闘家桜庭和志の入場曲になったこともあり、
小室ソロ曲では1989年の初期作に次いで有名と思われる
また小室哲哉名義での公式アメリカデビュー作ともなった
小室も自身のソロライブや、
2008年のTMツアー「SPEEDWAY and TK Hits!」などで演奏している
また1997/8/1には、
Backstreet Boys「Backstreet’s Back」に「Missing You」を提供している(ただし共作)
外国ミュージシャンとの関与では、
1995年にC&C Music Factoryの「Silent Lover」(C+C+TK名義)のアレンジを担当したが、
同時代的な人気を考えれば、これをはるかに上回る仕事だった
1997年秋にはフランスのJean Michel Jarreと親交を深め、
その成果は1998/4/22リリースの共作「Together Now」として発表された
フランス開催の1998 FIFA World Cup公式テーマソングとして依頼されたもので、
この上なく豪華なタイアップが付いていた
小室の名前はここに全世界に知られることになったのであり、
小室の音楽生活の中で、もっとも誇るべき成果といえる
7/14にはパリのエッフェル塔前のシャン・デ・マルス公園で、
Jeanとともに「Rendez-vous 98 ELECTRONIC NIGHT」を開催している
ワールドカップの日程が6/10~7/12だったので、
その終了に合わせた日程である
この映像の編集版は中国ツアーのTK Museum楽曲を収めたCDとともに、
11/26リリースの「TK 1998」に収録された
もっともこの時に演奏されたのはすべてJeanの曲であり、
(小室関連は「Together Now」のみ)
小室とJeanは決して同格扱いではなかった

エッフェル塔前にて
「ELECTRONIC NIGHT」は、小室の音楽史上で重要な意味を持つ
それまでステージ上の小室はおおむねキーボード奏者だったが、
このライブではミキシングコンソールを用いて音源の調整を行なうリアルタイムミックスが重視された
この点でDJイベントに近いライブだったといえるが、
小室は2001~04年のトランス期、
globe・Gaball・TM NETWORKでもこの手法を積極的に用いている
この時はエッフェル塔の手前で花火を上げまくったが、
その火の粉が群集の中に落ち、ステージのテント生地にも着火するというアクシデントがあった
この火は数分で消火され、中断されていたライブも大歓声の中で再開された
小室がこの時の体験を元に、トラブルによるライブ中断の演出を取り込んだのが、
1999年globe「Tour Relation」であり、
2012年TM NETWORK「incubation Period」だった
さて「ELECTRONIC NIGHT」では、
旧dosのダンサーasamiも前座として歌っている(曲目は不明)
おそらくこの頃には、小室の新ユニット構想が立ち上がっていた
ニューヨークに設立したインディーズレーベルTRUE KiSS DiSCの第一弾アーティストとしてデビューするTrue Kiss Destinationで、
小室とasamiの二人のユニットだった
1998年秋頃にはTrue Kiss Destinationのレコーディングも始まる
翌年1/19にはデビューシングル「Precious Moments」をリリースし、
翌月には1stアルバム「True Kiss Destination」が発表された
本作ではニューヨークのミュージシャンも多く参加している
1998年はMISIAのブレイクに見るように、
日本ではR&Bが盛り上がりつつあった
そこで小室はR&Bユニットdosの旧メンバーとともに、
自らR&Bを試みたのである
結果としてTrue Kiss Destinationは成功しなかったが、
1999年の宇多田ヒカルの大ヒットを見ても、
R&Bに注目した小室の見立て自体は正しかった
これ以前、dosの活動はほぼ1996年に限られる
1997年元旦リリースの「You Are The One」に参加したのが、
おそらく活動の最後である
ただ1997年には4/16にボーカルtaecoが「deep Grind」でソロデビューし、
9/10にはTK Product featuring asami名義で「10 TO 10」がリリースされている
そしてtaeco・asamiの中で小室のおめがねに叶ったのがasamiだった
asamiが個人的にも小室と付き合い、後に結婚・出産に至るのは周知のことである
交際開始時期はよく分からないが、
True Kiss Destination結成はその関係を前提としたものと思われる
なおasamiは後に小室について語ったインタビューで、
1999年1月頃から付き合い始めたと言っている
だが同月に華原・小室の破局報道がされたことを考えると、
これは自らの交際が略奪であるという指摘を避けるべく設定したものだろう
同インタビューでは、その後KEIKOによって小室を略奪されたことを暴露し、
その非道徳性を言外に非難しているが、
仮に自分が1998年から小室と交際していたことにしてしまうと、
その非難は自らに跳ね返ってくることになる
さて、TRUE KiSS DiSCは設立後まもなくSONYグループ傘下に入った
True Kiss Destinationはその後1999年4~11月に5枚のシングルをリリースし、
11/17には2ndアルバム「Gravity」をリリースした
(この間、ユニット名をKiss Destinationに改称)
小室はこの頃TM NETWORKも復活させたから、
TM、globe、Kiss Destinationの3ユニットに属していたことになる
その中で1999年、もっとも力を注いでいたのがKiss Destinationだった
他にも1999年の小室は、
ハワイのオアフ島に豪華なレコーディングスタジオを作り、
アメリカのR&B女性グループBlaque Ivoryに楽曲提供し、
シカゴのHip HopユニットInfamous Syndigateと関わるなど、
(鈴木あみやKiss Destinationの作品に関与)
アメリカ臭が極めて目立つ
マリブの豪邸や高級なヨット・車の購入など、
派手な生活がアピールされるのもこの頃である
国内での存在感の低下を補うため、
にこうした点を意識的にアピールしたところもあるのだろう
(こうした虚勢は逮捕まで続く)
当時の小室には高価な買い物を勧めてくる連中が群がっており、
小室はそれを言われるがままに購入していたという
Rojam破綻以前から、小室周辺にはすでに不穏な空気が流れ始めていた
TKブームが終わりを告げようとしていたこの頃、
取り巻きたちは小室の仕事から収益を得るのではなく、
小室の財産を吸い取る方針にシフトしたのかもしれない
ついでに触れておくと(他に触れる機会もなさそうなので)、
1999~2000年の日本テレビ系列で、
深夜に放送された宣伝番組として、
「哲にいさん」「コムロ式」があった
1997~98年にはフジテレビ系列で、
「komu@com」「TK SPARK COM」が放送されていたが、
局を変えて番組の雰囲気も一新された
「哲にいさん」では小室の妹という設定の3人のトークを挟み、
小室関係の情報を流すのだが、
この脚本が大変寒々しいものだった
(妹役の一人は後に歌手デビューする島谷ひとみ)
そこで紹介する小室情報も、
外国での生活やら散財ぶりやら忙しい日々やらで、
「小室はこんなことしてるぞ、すごいだろう?」
とひたすらアピールするのだが、
それが音楽的には驚くほど空虚な内容である
脚本のひどさのため、
ハイテンションなナレーションも白々しく感じられて仕方なく、
私などはこれを非常に冷めた目で見ていた
そのさなかのTM復活もやはり素直には歓迎できず、
あまり興味も湧かなかったというのが正直なところである
たとえばTM NETWORKの紹介に際しては「唯一の野外ライブ」として、
1988年の「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」の映像(明らかに屋内)を何度も流していた
「唯一の野外ライブ」は1986年読売ランドの「Fanks "Fantasy" Dyna-Mix」だが、
「Dyna-Mix」の一致から同じものと判断したのだろう
小室の音楽歴を悉知するスタッフが関与していないことは明らかである
ずいぶんと話が先まで行ってしまったが、
要点をまとめれば、小室は1997年以後、
積極的に海外進出を図った
ところが、すでにここまででもたびたび触れていたが、
その間に日本ではTKブームが収束に向かっていた
そのことを端的に示したのはTrue Kiss Destinationで、
小室が満を持してリリースした「Gravity」は、
7位、6万枚の成績に終わった
シングルでの最大の成果は、
1999/5/12リリースの「Girls,be ambitious!」で、
9位、22.6万枚を記録し、
TOTOのカバー「AFRiCA」も16位、6.2万枚の成果を出したが、
他はシングル・アルバムともに3万枚に満たない成績だった
「Gravity」は楽曲自体はよくできており、
その点では末期TKプロデュース作品でも随一だが、
それでも失敗したのはボーカリストasamiの魅力の問題もあろう
MISIAや宇多田と張り合うには、
asamiではカリスマも歌唱力も足りなすぎた
だが失敗の原因はそれだけなく、
「TK」イメージの陳腐化もあったに違いない
小室のネームバリューは、
1998年からプロデュースを始めた鈴木あみの成功によって、
同年中にはまだ一定度は保たれていた
しかし1999年には、小室が全力で売り出そうとしたユニットが失敗した
“小室が出せば売れる”というかつての業界の了解事項は、
この時点で過去のものになっただろう
以後も小室は鈴木あみ・安室・globeで一定の数字は出すが、
それらは過去に売り出しに成功したものの遺産である
小室はなおも新しい歌手・ユニットを次々と手がけたが、
成功した例は一つもない
実際に中野さゆり・MIYUKI・小林幸恵・BALANCe・zento・R9・female non fictionなどを挙げられても、
ピンと来る者はほとんどいないだろう
True Kiss Destination失敗の頃には、
すでにTKブームといえる状況は失われていたといえるが、
これはそれ以前から徐々に進行していた事態だった
TKブームにとって、上昇から下降への曲がり角は、
私見では1997年半ばである
実は小室にとって1997年とは、
最大のヒット作「Can You Celebrate?」を発表した年であるとともに、
ミリオンヒットを出した最後の年でもある
小室最後のミリオンシングルとなったのは、
1997/4/23華原の「Hate tell a lie」(105.8万枚)である
小室はそれ以前にも1~2月に、
「You Are The One」「FACE」「Can You Celebrate?」
でミリオンを達成しているが、
4ヶ月4作のミリオン達成に対して、
5月以後にはミリオン作が出なくなる
これ以後の小室作品では、
安室「How to be a girl」(5/21、77.2万)、
華原「Love is All Music」(7/2、65.3万)、
globe「Wanderin’ Destiny」(10/15、87.6万)
などが最大限のところとなり、
これ以外は安室と鈴木あみを除き、
50万を越すこともなくなる
一方アルバムではまだミリオンの壁は守っていたが、
実はより顕著に数字を落としたのはアルバムの方である
比較のために前作と併記しよう
安室「Sweet 19 Blues」(1996/7/22、335.9万枚)
→「Concentration20」(1997/7/24、193万枚)=43%減
華原「Love Brace」(1996/6/3、257.1万枚)
→「storytelling」(1997/12/24、136.6万枚)=47%減
globe「Faces Places」(1997/3/12、323.9万枚)
→「Love again」(1998/3/31、165.8万枚)=49%減
このように見ると、TKファミリーの三大ミュージシャンは、
いずれも1997年前後の1年間でセールスを4~5割減少させており、
ある意味でシングル以上にTK凋落を顕著に示している
なお小室は1994~97年には年間10位内に数作をランクインさせていたが、
1998年には1作も入っていない
小室が海外に目を向けている間、
足元の日本ではそのブームが終わろうとしていた
その背景にあったものは何か
小室はこのことを調べるため、1998年にマーケティングを行ない、
旧globeファンがもっとも多く流れたのがL’arc~en~Cielであるという結論を得た
L’arcはすでに1996年末、
アルバム「True」でミリオンを達成するほどの人気を得ており、
翌年メンバーの不祥事で活動を一時休止したが、
活動再開後には大人気を博し、1998~99年頃に全盛期を迎えた
1998年にはシングル「Honey」「花葬」「侵食」の3枚を同時リリースしていずれもミリオン近いセールスを記録し、
翌年にはアルバム「ark」「ray」を同時リリースしてともにダブルミリオンを達成している
他にもこの頃の日本では、
L’arcを含むヴィジュアル系バンドが盛り上がっていた
Luna Seaは早くからX Japanとともにヴィジュアル系バンドの代表的地位にあり、
1994年「True Blue」以後たびたびチャート1位を獲得していた
1997年にはバンドの活動が一時休止したが、
リーダーの河村隆一は4枚のシングルと2枚のアルバムを出し、
特に2ndアルバム「Love」は278.8万枚の大ヒットとなっている
1996年にはGlayが「グロリアス」「Beloved」などで人気を伸ばし、
1997年以後最盛期を迎えた
特に1997年のベスト版「Review」は487.6万枚を売り、
globe「globe」が出した日本記録を打ち破った
1997年度のみで333.4万枚を売って、アルバム年間1位も獲得している
シングルでも1998年に「誘惑」が161.1万枚を売り(最終的に162.6万)、
シングル年間1位を獲得しているし、
1999年も「Winter, again」で163.8万枚を売り(最終的に164.2万枚)、年間2位となっている
1997~99年にはこれらビッグバンドだけでなく、
有象無象のバンドが毎週チャートをにぎわせる状況になっており、
SHAZNAやMalice Mizerなど、
いささか色物系のバンドもヒット曲を出すようになっていた
まさにTKブームに代わる「ブーム」である
その他、ヴィジュアル系には含めがたいが、
黒夢やThe Yellow Monkeyも多くの名作を発表していた
ヴィジュアル系の盛り上がりは、
ライブハウスでの地道な活動によるところも大きい
一方この頃の小室はドームなど巨大規模のライブでしか姿を現さなくなっており、
業界人やら海外やら、一般人には手の届かないところを相手にしていた
その意味でヴィジュアル系バンドは、
当時の小室とは対極的なところから現れたといえる
TKブームの基盤だったタイアップ・メディア露出至上主義は、
もともと80年代バンドブーム終息の後に現れたものだったが、
今度はそれが新たなバンドブームによって取って代わられようとしていた
また1997年頃の小室は、
1994~96年のような分かりやすい曲をあまり作らなくなっていた
小室は、いわゆる「四つ打ち」に飽きていたとも言っているし、
実際にTKサウンドの過剰露出の結果、
そうした音は世間でもすでに飽きられ始めていた
しかもその対応として出された新たな楽曲は、
以前の「四つ打ち」サウンドほどとっつきやすいものでもなかった
熱心なTKファンならともかく、
TKブームに乗って聴いていただけの浮動層には魅力は薄かっただろう
特に安室・華原などは、音楽的魅力というよりは、
若い女性の憧れとしてメディアに取り上げられたところがある
ならばそのブームが陳腐化したり別のブームが来たりすれば、
浮動層が離れていくのは容易だったと思われる
複雑な仕掛けのないヴィジュアル系の音などは、
その点で格好の対象だった
つまりはTKサウンドが飽きられて新しいブームが生まれたということだが、
そうはいってもこれらはいわば浮動層の問題であって、
小室が音楽活動を堅実に続けていれば、
その流れは一定のところで留まっただろう
しかし実際にはTKブームは時を追って退潮していく
その結果が1999年のTrue Kiss Destinationの失敗だった
おそらくTKブームの急激な退潮は、
日本国内での小室のサポート体制の変動も関係していた
しかし本章はすでにかなり長くなっていることもあり、
この点はもう少し後で触れることにする
本章では、1997年にTKブームが見かけの派手さにもかかわらず失速を始め、
1999年には事実上終わりを迎えていたことを確認しておきたい
この時代観は、TM NETWORKの歴史を考える上でかなり重要である
TMNは1997年終わりに再結成を宣言し、1999年に実行したが、
このタイミングはまさにTKブーム退潮の過程での一コマだったのである
つまりTMN再結成の話は1996年当初の目論見とは異なり、
TKブームの恩恵を受ける形ではなく、
その失速を補う形で宣言され実行された
このタイミングが示す意味については、
次章以下でTMNを絡めつつ見ていくことにしたい
私は行っていませんが、参加した方によれば、7月よりは元気そうだったとのことです
きっと順調に回復しているものだと思います
ツアーパンフに新曲CDが付属していることは前回書きましたが、
その中で「AI」「Still the one」は10/12にiTunesで配信が始まっています
TM NETWORK関係の商品では、
BD/DVDの「START investigation」が、
amazonでも値下げが発表されました
BD限定版=7808円、BD通常版=5855円、DVD=5075円となっています
また11/27、なぜかいまさら「Dress」だけが
小室さんの誕生日だけど、何か関係あるんでしょうか
小室さんは9/30に来年のTM NETWORKについて打ち合わせがあったようで、
30周年の日程はおおよそ決まっているのだろうと思います
まだレコーディングはしていないものの、曲はできているそうで、
「うつに元気になって新しい言葉を歌ってもらいましょう」と言っています
(でもウツ、U_WAVEの新曲はレコーディングしているんですが…)
3月頃にはTMのレコーディングがあったはずですが、
仮にこれと同じ曲ならば、
新しく作詞し直してまたレコーディングするということでしょうか
というか、もう30周年なんだから、
シングルとかじゃなくてアルバムを出してほしいです
今回出なかったら、もうオリジナルアルバムは永久に出ないですよね
一方小室さんは10/13にTwitterでファンから、
「globeは2015年まで完全復活しないのですか?」と質問され、
「完全復活は、2014/4/21からでしょう」と答えています
この日付は明らかにTM NETWORK30周年を意識したものです
小室さんの回答では分かりづらいですが、
要はTM30周年が終わったら、2014年の間にglobeを復活させる考えのようです
ありそうなのは、globeデビュー記念日の8/9の新曲リリースでしょうか
実際のところglobeが順調に復活できるかは予断を許しませんが、
少なくとも小室さんはglobeの活動のための時間は空けておくはずです
だとするとTM30周年の活動は、4月から始まって、
夏頃には終わってしまう可能性が高いです
正直、30周年が終わった後にTMが継続的に活動するかはかなり疑問なので、
30周年はできるだけ長くやってほしいのですが、
20周年が2月のシングルリリースから6月のライブまでだったことを考えると、
実際こんなところかなあ…とも思います
さて、小室さんは一連のライブイベントと「DEBF EDM 2013 SUMMER」作成が終わってから、
ますますやる気モードのようです
まず10/11には DJ AFROJACK「The Spark」のリミックス音源「Afrojack Club Edit」が、
DJ AFROJACKのサイトで公開されましたが、
これは小室さんのリミックスとのことです
4/26に来日中のDJ AFROJACKに会っていましたが、この時の縁ですね
また来年には「DEBF EDM WINTER」の制作、TM NETWORK30周年、歌姫探しを考えていると言っています
EDMシリーズ、また出すんですね
しかし少し前にTM EDMを年内に出すとか言っていたんですが、
もしかしてこの企画は消えたんでしょうか…?
「歌姫探し」については、小室さんが10/14に、
「もし、勇気と自信と度胸があり僕の奏でる音で、一緒に作品を創りたい女の子、存在するのなら、今、僕に教えて下さい、just in timeです」
とTweetしたところ、Yahoo!ニュースなどに取り上げられたこともあり、
応募が殺到して、帰宅してからもチェックする日々が続きました
(10/20に締め切りました)
これが形になるのかどうかはともかくとして、
思いつきがすぐに反応となって返ってくる様子に楽しんでいるようです
もう少し近い話では、
小室さんが11/2に「FNS歌謡祭」に出演するそうです
毎回思いますが、なんでTM NETWORKとして出ないかなあ
その方が受けもいいだろうに…
さて、本題に入ります
長かった1996年の話は前回で終わり、
今回からはしばらく1997~98年の話です
正直、本ブログで一番つまらないところになることは間違いないですが、
「通史」と銘打っている以上、仕方なく書きます
どうかしばらくお付き合い下さい
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小室哲哉は1994年のTMN「終了」後も、
trf・篠原涼子・H jungle with tなどで商業的成功を収め、
1995年に「TK Dance Camp」を成功させた
1996年にもglobe・安室奈美恵・華原朋美作品を中心にさらなる躍進を遂げ、
1997年元旦にはTKファミリーのチャリティソング「You Are The One」をリリースし、
さらに同年2/19リリースの安室奈美恵「Can You Celebrate?」は、
約230万枚の売り上げという、小室作品最大の成果を上げている
ここまでの小室哲哉は、
プロデューサーとしてまったく順風満帆の3年間だった
このような中で、小室はさらなる展開として、海外進出を試みる
もともと小室がインターネットに積極的だったのも、
ひとつには海外との連携を視野に入れていたこともあり、
インターネット普及事業への参加自体も海外進出志向とも関わるものだろう
小室はこれ以前、1994~95年にはEUROGROOVEで、
ヨーロッパへの進出を試みていた
これは商業的成果を求めたものというよりは、
自らの音を本場で流したいというミュージシャン的な欲求による部分が大きかったのだろう
だが小室は1996年末から、アジアにも注目を向けるようになる
12月にはアメリカのメディア王Rupert Murdochとともに、
香港に音楽ビジネス会社としてTK Newsを設立し、
ここを拠点にアジア市場進出を目指した
中国・台湾などを潜在的な巨大市場として目をつけたものだろう
この頃から小室はロスアンゼルス郊外のマリブに豪邸を建てて住所を移し、
日本と海外をせわしなく往復する日々を過ごす
後に2007年、この頃の日々を回想した曲が、
TM NETWORK「SPEEDWAY」収録の「Malibu」である
小室のアジアでの活動を具体的に見てみよう
まず5/27・28には台北市立中山足球場で、
「TK Pan-Pacific Tour in Taipei」が開催された
(ツアーといっても一会場二日の単発ライブだが)
これには小室の他、安室・TRF・globeが出演し、
それぞれのヒット曲を披露した
当時台湾ではTK作品が大ヒットしており、
海外進出第一弾としては妥当なところだっただろう
さらに11~12月には、日中国交正常化25年記念イベントとして、
北京・上海・香港で「TK Presents Groove Museum」が開催された
小室はこの頃中国政府より、音楽親善大使に任命されていた
11月には安室、12月には華原が出演し、
小室・Marc Panther・OliviaのユニットTK Museumの出演もあった
なおOliviaはアイドルグループD&Dのボーカルで、日米のハーフである
英語を母語としていたため、小室が海外進出に当たって注目したものだろう
後で述べる小室・Jean Michel Jarre共作の「Together Now」でもボーカルを務めている
小室との関係は「Together Now」以後無いようだが、
Oliviaはこれを契機にソロ活動を始め、D&Dからは事実上脱退した
TK Museumのサポートとしては、DJ DragonとVJの原田大三郎がいた
実現はしなかったものの、TK Museumはこの後、
小室・DJ Dragon・原田に中国歌手を加えて活動する予定だったらしい
小室と原田の共演はこの時が初めてのようだが、
DJ Dragonについては、1995年のクラブイベントt jungle mで知り合っていたという
Dragonは1999年TM NETWORK「10 Years After」のレコーディングにも参加している
小室は2000年頃からDJ Dragonとtatsumakiというユニットで活動を始め、
2001年からはこれに原田を加えてGaballを始める
この”TKブーム以後“の活動の種は、中国ツアーでまかれたことになる
中国ライブの台湾ライブとの違いは、globeのKEIKOやTRFがいないことの他、
中国現地歌手の出演があったことである
現地歌手としてはgrace ip(葉佩雯)・陳引・DAI RAOが参加した
これは当然中国での事業展開を念頭に置いたものだろう
このうち、grace ipは1998年にTKプロデュースで香港デビューしている
さらに1997年には、小室監修の台湾の音楽番組「小室魔力」が始まった
明らかに日本で小室が関わっていた「ASAYAN」の台湾版である
番組内オーディションでグランプリを取った林楡涵はRingとして、
1998/4/23シングル「Process」で日台同時デビューを果たす
これは当時「ASAYAN」オープニングテーマでも使われた
1999/7/22にはRingのアルバム「Teen’s Ring」がリリースされた
このアルバムには自身の3枚のシングルの他、
安室「a walk in the park」や華原「I’m proud」の中国語カバー版が収録されている
ただ少なくとも日本では、
「Process」(14位、7.1万枚)以外ほとんど売れなかった
以上のように、1997~99年の小室はアジア市場に目を付け、
様々な活動を展開しようとした
ところがMurdochは1997年終わりに、
この事業からの撤退を決定した
商業的成果を上げることは困難と判断したためだろう
だが小室は撤退せず独力でこれを発展させ、
1998年1月にRojam Entertainmentを、
同年に上海にRojam Discoを設立する
小室としては1997年の活動は準備期間であって、
本格的な展開は1998年以後と考えていたと思われ、
ここで引くわけには行かなかったのだろう
(Ringやgrace ipのデビューは1998年)
だがアメリカのメディア王が無理と考えたものを、
小室が独力で成し遂げられると判断したのは、
その事業の巨大さを考えれば、極めて危険な試みだった
もちろんこれは後の小室没落を知る者の結果論ではあるが、
小室の無謀な試みや散財がこの頃から目立ち出すのも事実であり、
没落の種はこの頃からまかれていた
なお小室は1998年にはグァム政府の観光局の依頼で、
観光キャンペーンのテーマ曲として、
鈴木あみのデビュー曲「love the island」を作り、
さらに7月にはグアムでglobeのアコースティックライブを開催している
中国・台湾・グァムと、政府関係者筋との縁がうかがわれるが、
この方向性は1999年、自民党との関係にもつながるものだろう
これは小室の目指す海外進出に必要なものだったのかもしれないが、
傍目から見ているとむしろ胡散臭さを感じるところもあった
小室はこの頃、軽く日焼けをして、鼻のホクロを取り、歯並びを直すなど、
全体的に微整形を施す(ついでにロン毛も復活する)
海外との交渉の際に、素の弱々しい雰囲気を隠すためもあるのだろうが、
身の丈以上のところに手を出そうと無理をしている印象で、
個人的には大変違和感を感じた頃である
さて、以上述べてきたところはアジア方面での活動だが、
この頃の小室の活動拠点はアメリカのロスであり、
ここを拠点に欧米向けの音楽活動も活発化させた
まず1997/7/9には、1992年「Pure」以来5年ぶりに、
ソロシングルとして「Speed TK-Remix」がリリースされた
これは1997/6/13公開のハリウッド映画「Speed 2」のテーマ曲である
「Speed 2」はヒット作「Speed」の続編で、
「Speed」テーマ曲のリミックスを小室が手がけたのである
したがって本作の小室の担当は編曲で、作曲ではない
この曲は後に格闘家桜庭和志の入場曲になったこともあり、
小室ソロ曲では1989年の初期作に次いで有名と思われる
また小室哲哉名義での公式アメリカデビュー作ともなった
小室も自身のソロライブや、
2008年のTMツアー「SPEEDWAY and TK Hits!」などで演奏している
また1997/8/1には、
Backstreet Boys「Backstreet’s Back」に「Missing You」を提供している(ただし共作)
外国ミュージシャンとの関与では、
1995年にC&C Music Factoryの「Silent Lover」(C+C+TK名義)のアレンジを担当したが、
同時代的な人気を考えれば、これをはるかに上回る仕事だった
1997年秋にはフランスのJean Michel Jarreと親交を深め、
その成果は1998/4/22リリースの共作「Together Now」として発表された
フランス開催の1998 FIFA World Cup公式テーマソングとして依頼されたもので、
この上なく豪華なタイアップが付いていた
小室の名前はここに全世界に知られることになったのであり、
小室の音楽生活の中で、もっとも誇るべき成果といえる
7/14にはパリのエッフェル塔前のシャン・デ・マルス公園で、
Jeanとともに「Rendez-vous 98 ELECTRONIC NIGHT」を開催している
ワールドカップの日程が6/10~7/12だったので、
その終了に合わせた日程である
この映像の編集版は中国ツアーのTK Museum楽曲を収めたCDとともに、
11/26リリースの「TK 1998」に収録された
もっともこの時に演奏されたのはすべてJeanの曲であり、
(小室関連は「Together Now」のみ)
小室とJeanは決して同格扱いではなかった

エッフェル塔前にて
「ELECTRONIC NIGHT」は、小室の音楽史上で重要な意味を持つ
それまでステージ上の小室はおおむねキーボード奏者だったが、
このライブではミキシングコンソールを用いて音源の調整を行なうリアルタイムミックスが重視された
この点でDJイベントに近いライブだったといえるが、
小室は2001~04年のトランス期、
globe・Gaball・TM NETWORKでもこの手法を積極的に用いている
この時はエッフェル塔の手前で花火を上げまくったが、
その火の粉が群集の中に落ち、ステージのテント生地にも着火するというアクシデントがあった
この火は数分で消火され、中断されていたライブも大歓声の中で再開された
小室がこの時の体験を元に、トラブルによるライブ中断の演出を取り込んだのが、
1999年globe「Tour Relation」であり、
2012年TM NETWORK「incubation Period」だった
さて「ELECTRONIC NIGHT」では、
旧dosのダンサーasamiも前座として歌っている(曲目は不明)
おそらくこの頃には、小室の新ユニット構想が立ち上がっていた
ニューヨークに設立したインディーズレーベルTRUE KiSS DiSCの第一弾アーティストとしてデビューするTrue Kiss Destinationで、
小室とasamiの二人のユニットだった
1998年秋頃にはTrue Kiss Destinationのレコーディングも始まる
翌年1/19にはデビューシングル「Precious Moments」をリリースし、
翌月には1stアルバム「True Kiss Destination」が発表された
本作ではニューヨークのミュージシャンも多く参加している
1998年はMISIAのブレイクに見るように、
日本ではR&Bが盛り上がりつつあった
そこで小室はR&Bユニットdosの旧メンバーとともに、
自らR&Bを試みたのである
結果としてTrue Kiss Destinationは成功しなかったが、
1999年の宇多田ヒカルの大ヒットを見ても、
R&Bに注目した小室の見立て自体は正しかった
これ以前、dosの活動はほぼ1996年に限られる
1997年元旦リリースの「You Are The One」に参加したのが、
おそらく活動の最後である
ただ1997年には4/16にボーカルtaecoが「deep Grind」でソロデビューし、
9/10にはTK Product featuring asami名義で「10 TO 10」がリリースされている
そしてtaeco・asamiの中で小室のおめがねに叶ったのがasamiだった
asamiが個人的にも小室と付き合い、後に結婚・出産に至るのは周知のことである
交際開始時期はよく分からないが、
True Kiss Destination結成はその関係を前提としたものと思われる
なおasamiは後に小室について語ったインタビューで、
1999年1月頃から付き合い始めたと言っている
だが同月に華原・小室の破局報道がされたことを考えると、
これは自らの交際が略奪であるという指摘を避けるべく設定したものだろう
同インタビューでは、その後KEIKOによって小室を略奪されたことを暴露し、
その非道徳性を言外に非難しているが、
仮に自分が1998年から小室と交際していたことにしてしまうと、
その非難は自らに跳ね返ってくることになる
さて、TRUE KiSS DiSCは設立後まもなくSONYグループ傘下に入った
True Kiss Destinationはその後1999年4~11月に5枚のシングルをリリースし、
11/17には2ndアルバム「Gravity」をリリースした
(この間、ユニット名をKiss Destinationに改称)
小室はこの頃TM NETWORKも復活させたから、
TM、globe、Kiss Destinationの3ユニットに属していたことになる
その中で1999年、もっとも力を注いでいたのがKiss Destinationだった
他にも1999年の小室は、
ハワイのオアフ島に豪華なレコーディングスタジオを作り、
アメリカのR&B女性グループBlaque Ivoryに楽曲提供し、
シカゴのHip HopユニットInfamous Syndigateと関わるなど、
(鈴木あみやKiss Destinationの作品に関与)
アメリカ臭が極めて目立つ
マリブの豪邸や高級なヨット・車の購入など、
派手な生活がアピールされるのもこの頃である
国内での存在感の低下を補うため、
にこうした点を意識的にアピールしたところもあるのだろう
(こうした虚勢は逮捕まで続く)
当時の小室には高価な買い物を勧めてくる連中が群がっており、
小室はそれを言われるがままに購入していたという
Rojam破綻以前から、小室周辺にはすでに不穏な空気が流れ始めていた
TKブームが終わりを告げようとしていたこの頃、
取り巻きたちは小室の仕事から収益を得るのではなく、
小室の財産を吸い取る方針にシフトしたのかもしれない
ついでに触れておくと(他に触れる機会もなさそうなので)、
1999~2000年の日本テレビ系列で、
深夜に放送された宣伝番組として、
「哲にいさん」「コムロ式」があった
1997~98年にはフジテレビ系列で、
「komu@com」「TK SPARK COM」が放送されていたが、
局を変えて番組の雰囲気も一新された
「哲にいさん」では小室の妹という設定の3人のトークを挟み、
小室関係の情報を流すのだが、
この脚本が大変寒々しいものだった
(妹役の一人は後に歌手デビューする島谷ひとみ)
そこで紹介する小室情報も、
外国での生活やら散財ぶりやら忙しい日々やらで、
「小室はこんなことしてるぞ、すごいだろう?」
とひたすらアピールするのだが、
それが音楽的には驚くほど空虚な内容である
脚本のひどさのため、
ハイテンションなナレーションも白々しく感じられて仕方なく、
私などはこれを非常に冷めた目で見ていた
そのさなかのTM復活もやはり素直には歓迎できず、
あまり興味も湧かなかったというのが正直なところである
たとえばTM NETWORKの紹介に際しては「唯一の野外ライブ」として、
1988年の「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」の映像(明らかに屋内)を何度も流していた
「唯一の野外ライブ」は1986年読売ランドの「Fanks "Fantasy" Dyna-Mix」だが、
「Dyna-Mix」の一致から同じものと判断したのだろう
小室の音楽歴を悉知するスタッフが関与していないことは明らかである
ずいぶんと話が先まで行ってしまったが、
要点をまとめれば、小室は1997年以後、
積極的に海外進出を図った
ところが、すでにここまででもたびたび触れていたが、
その間に日本ではTKブームが収束に向かっていた
そのことを端的に示したのはTrue Kiss Destinationで、
小室が満を持してリリースした「Gravity」は、
7位、6万枚の成績に終わった
シングルでの最大の成果は、
1999/5/12リリースの「Girls,be ambitious!」で、
9位、22.6万枚を記録し、
TOTOのカバー「AFRiCA」も16位、6.2万枚の成果を出したが、
他はシングル・アルバムともに3万枚に満たない成績だった
「Gravity」は楽曲自体はよくできており、
その点では末期TKプロデュース作品でも随一だが、
それでも失敗したのはボーカリストasamiの魅力の問題もあろう
MISIAや宇多田と張り合うには、
asamiではカリスマも歌唱力も足りなすぎた
だが失敗の原因はそれだけなく、
「TK」イメージの陳腐化もあったに違いない
小室のネームバリューは、
1998年からプロデュースを始めた鈴木あみの成功によって、
同年中にはまだ一定度は保たれていた
しかし1999年には、小室が全力で売り出そうとしたユニットが失敗した
“小室が出せば売れる”というかつての業界の了解事項は、
この時点で過去のものになっただろう
以後も小室は鈴木あみ・安室・globeで一定の数字は出すが、
それらは過去に売り出しに成功したものの遺産である
小室はなおも新しい歌手・ユニットを次々と手がけたが、
成功した例は一つもない
実際に中野さゆり・MIYUKI・小林幸恵・BALANCe・zento・R9・female non fictionなどを挙げられても、
ピンと来る者はほとんどいないだろう
True Kiss Destination失敗の頃には、
すでにTKブームといえる状況は失われていたといえるが、
これはそれ以前から徐々に進行していた事態だった
TKブームにとって、上昇から下降への曲がり角は、
私見では1997年半ばである
実は小室にとって1997年とは、
最大のヒット作「Can You Celebrate?」を発表した年であるとともに、
ミリオンヒットを出した最後の年でもある
小室最後のミリオンシングルとなったのは、
1997/4/23華原の「Hate tell a lie」(105.8万枚)である
小室はそれ以前にも1~2月に、
「You Are The One」「FACE」「Can You Celebrate?」
でミリオンを達成しているが、
4ヶ月4作のミリオン達成に対して、
5月以後にはミリオン作が出なくなる
これ以後の小室作品では、
安室「How to be a girl」(5/21、77.2万)、
華原「Love is All Music」(7/2、65.3万)、
globe「Wanderin’ Destiny」(10/15、87.6万)
などが最大限のところとなり、
これ以外は安室と鈴木あみを除き、
50万を越すこともなくなる
一方アルバムではまだミリオンの壁は守っていたが、
実はより顕著に数字を落としたのはアルバムの方である
比較のために前作と併記しよう
安室「Sweet 19 Blues」(1996/7/22、335.9万枚)
→「Concentration20」(1997/7/24、193万枚)=43%減
華原「Love Brace」(1996/6/3、257.1万枚)
→「storytelling」(1997/12/24、136.6万枚)=47%減
globe「Faces Places」(1997/3/12、323.9万枚)
→「Love again」(1998/3/31、165.8万枚)=49%減
このように見ると、TKファミリーの三大ミュージシャンは、
いずれも1997年前後の1年間でセールスを4~5割減少させており、
ある意味でシングル以上にTK凋落を顕著に示している
なお小室は1994~97年には年間10位内に数作をランクインさせていたが、
1998年には1作も入っていない
小室が海外に目を向けている間、
足元の日本ではそのブームが終わろうとしていた
その背景にあったものは何か
小室はこのことを調べるため、1998年にマーケティングを行ない、
旧globeファンがもっとも多く流れたのがL’arc~en~Cielであるという結論を得た
L’arcはすでに1996年末、
アルバム「True」でミリオンを達成するほどの人気を得ており、
翌年メンバーの不祥事で活動を一時休止したが、
活動再開後には大人気を博し、1998~99年頃に全盛期を迎えた
1998年にはシングル「Honey」「花葬」「侵食」の3枚を同時リリースしていずれもミリオン近いセールスを記録し、
翌年にはアルバム「ark」「ray」を同時リリースしてともにダブルミリオンを達成している
他にもこの頃の日本では、
L’arcを含むヴィジュアル系バンドが盛り上がっていた
Luna Seaは早くからX Japanとともにヴィジュアル系バンドの代表的地位にあり、
1994年「True Blue」以後たびたびチャート1位を獲得していた
1997年にはバンドの活動が一時休止したが、
リーダーの河村隆一は4枚のシングルと2枚のアルバムを出し、
特に2ndアルバム「Love」は278.8万枚の大ヒットとなっている
1996年にはGlayが「グロリアス」「Beloved」などで人気を伸ばし、
1997年以後最盛期を迎えた
特に1997年のベスト版「Review」は487.6万枚を売り、
globe「globe」が出した日本記録を打ち破った
1997年度のみで333.4万枚を売って、アルバム年間1位も獲得している
シングルでも1998年に「誘惑」が161.1万枚を売り(最終的に162.6万)、
シングル年間1位を獲得しているし、
1999年も「Winter, again」で163.8万枚を売り(最終的に164.2万枚)、年間2位となっている
1997~99年にはこれらビッグバンドだけでなく、
有象無象のバンドが毎週チャートをにぎわせる状況になっており、
SHAZNAやMalice Mizerなど、
いささか色物系のバンドもヒット曲を出すようになっていた
まさにTKブームに代わる「ブーム」である
その他、ヴィジュアル系には含めがたいが、
黒夢やThe Yellow Monkeyも多くの名作を発表していた
ヴィジュアル系の盛り上がりは、
ライブハウスでの地道な活動によるところも大きい
一方この頃の小室はドームなど巨大規模のライブでしか姿を現さなくなっており、
業界人やら海外やら、一般人には手の届かないところを相手にしていた
その意味でヴィジュアル系バンドは、
当時の小室とは対極的なところから現れたといえる
TKブームの基盤だったタイアップ・メディア露出至上主義は、
もともと80年代バンドブーム終息の後に現れたものだったが、
今度はそれが新たなバンドブームによって取って代わられようとしていた
また1997年頃の小室は、
1994~96年のような分かりやすい曲をあまり作らなくなっていた
小室は、いわゆる「四つ打ち」に飽きていたとも言っているし、
実際にTKサウンドの過剰露出の結果、
そうした音は世間でもすでに飽きられ始めていた
しかもその対応として出された新たな楽曲は、
以前の「四つ打ち」サウンドほどとっつきやすいものでもなかった
熱心なTKファンならともかく、
TKブームに乗って聴いていただけの浮動層には魅力は薄かっただろう
特に安室・華原などは、音楽的魅力というよりは、
若い女性の憧れとしてメディアに取り上げられたところがある
ならばそのブームが陳腐化したり別のブームが来たりすれば、
浮動層が離れていくのは容易だったと思われる
複雑な仕掛けのないヴィジュアル系の音などは、
その点で格好の対象だった
つまりはTKサウンドが飽きられて新しいブームが生まれたということだが、
そうはいってもこれらはいわば浮動層の問題であって、
小室が音楽活動を堅実に続けていれば、
その流れは一定のところで留まっただろう
しかし実際にはTKブームは時を追って退潮していく
その結果が1999年のTrue Kiss Destinationの失敗だった
おそらくTKブームの急激な退潮は、
日本国内での小室のサポート体制の変動も関係していた
しかし本章はすでにかなり長くなっていることもあり、
この点はもう少し後で触れることにする
本章では、1997年にTKブームが見かけの派手さにもかかわらず失速を始め、
1999年には事実上終わりを迎えていたことを確認しておきたい
この時代観は、TM NETWORKの歴史を考える上でかなり重要である
TMNは1997年終わりに再結成を宣言し、1999年に実行したが、
このタイミングはまさにTKブーム退潮の過程での一コマだったのである
つまりTMN再結成の話は1996年当初の目論見とは異なり、
TKブームの恩恵を受ける形ではなく、
その失速を補う形で宣言され実行された
このタイミングが示す意味については、
次章以下でTMNを絡めつつ見ていくことにしたい
この記事へのコメント
記事書いて眠って、起きたらもうコメントがあってびっくりですよ!
この頃からTK話はいろいろと痛い話が増えてきます
たぶん小室さんがどうこうというより、スタッフの質が劣化してきたんでしょうね
ただ本当に痛い話は、数回後に用意しています
【 告 知 】
忘年会の件、前記事で様子を見るに、どうも数人は参加者がいそうな雰囲気なので、話を進めてみようと思います
とはいえ、場所も日付も全然考えていないのですが…
とりあえず年末、大晦日は外すとして、
12/28(土)・29(日)・30(月)でどの日なら参加できるかもとか、どの日ならだめとか、参加を考えている方は書き込んでみてください
(書き込んでも必ず参加しろとは言いませんから、お気軽に)
ゆっくり様子を見ます
【告知ここまで】
FNSがらみの番組にTMで出ないのは何でなんでしょうね?7月のライブの告知プロモーションもほとんどできていなかったような気がするし、もうちょっと盛り上げられないのかなともどかしさを感じます。それほどニーズがないと言われてしまえばそれまでなんですが、過去の露出、プロモーションを覚えている身だとさびしいですね。
また、マードック氏にしてもCD購買層や本当の意味での広告主にはおそらく業界の雰囲気として、小室さんの後ろ盾となっている方々がかなり危険なものを感じたこともあるのではないかなと思います。エイベックスとの決別も1997年でしたね。このときソニーがマネージメントを担うようになったのはその雰囲気から小室さんを救うためでもあるとは思っていました。またロス移住や散財や傲慢さもお金を使わないと税金として殆どが持っていかれるから、と当時小室さんは話されてましたね。それだけ小室さんは多忙でした。ただ、推測になってしまうけれど99年にTMが復活した背景にはそれなりのお金が動いたかもしれません。再結成のために支払うお金を小室さんは必死になって稼ごうとしていたのかもしれず。目に見える善悪で分ければ物事は容易く済むこともあるとは思いますが、小室さんは疑うことなく両方を受け入れてしまう。良いところではあるのですが^^
長く書いてすみません。
忘年会の件ですが、12月の28日から31日は100%休めない仕事が決まっているので、予定している日程だと参加は不可能になってしまいますね…。25~27日だったら可能だったんですが…。また参加見送りかな(T_T)。
鈴木亜美女史はまだ片腕の久保こーじ氏が作っている分だけまだ小室先生の味がしますが上記3人のアルバムの作曲者が小室先生に関わる機会の多いスタジオミュージシャンに投げられているのが納得いかない。遅れてファンになったので全部中古で揃えたのですが、それでも「1から10まで小室先生の音ではないけど仕方がない」とは思えなかったです。むしろ「預かっている」「きちんと育てる」という責任感を放棄しているのではないかという邪推すらしてしまいます。
2000年代にプロデュースしたBALANCeは本当に楽曲・リミックス・音色等練り込んでいてアルバムの予定があっただけにあれもこれもではなくきっちり絞り込んで、楽曲制作に本腰入れて素直に100億円の海外の仕事のオファーを受けていればまた違っていたのに…と残念・無念の気持ちでいっぱいです。
言ってるそばから今またツイッターでオーディション・TM・globe・EDMアルバムと同時進行して大丈夫なのか、どこかで綻びがおきないのかと疑ってしまいます。
どの日も特別な用事は今の所ありませんので場所が近ければ参加してみようかな…と思います。
それでは、長文失礼致しました。
僕も年末はまだ予定がわかりませんが、都合がつけば参加して皆さんにお目にかかりたいと思います。皆さんに比べると知識量もファン年数もひよっこですが。。宜しくお願い致します。
コンビニでCDつきお菓子が売ってたのは知りませんでした。知ってても買わなかっただろうけど(笑)
丁度マリスミゼルのメジャーファーストアルバムをipodに入れたばかりです。
今、音を聞いてもCAROLの方がよくできてるなーとは思いますが、当時ははまってましたね。確かにわかりやすいメロディアスなロックです。
マリスミゼルもTMも、PVよりステージの方が魅せる気がします。
30周年以降の活動は未知数であることは管理人さんと同じ考えです。
小室さんのきまぐれはいつものことですか、個人的に木根さんのソロ活動休止が一番の不安材料です。TM30周年で忙しくなるからって理由は、ようやく30周年の活動を決めている今、単なる口実にしか見えません。
願わくば、来年以降も、純粋に音楽を楽しめるユニットでありますように。
えー そのIgnition~、聞いたこと無いですよ
一度聞いてみたいです
さすがにチョコまではチェックしていませんでしたし
でも当時の着メロだから、ごく短いものかもしれませんね
>Mさん
チャンネルVの話は初耳です
浜田さんの新曲というと、Friendshipのレコーディングの頃でしょうか
どうも他の情報でも、小室さんの海外進出計画自体は1996年から始まっていたようですね
1997年の曲がり角は、ご指摘のavexとの決別に伴う混乱がおそらくもっとも大きい要因と考えています
ここらへんが第六部で一番「痛い話」になるのですが、これについてはまたそのうちまとめます
>GAUZEさん・やまびこさん
忘年会の件、残念です
27までは私がどうしても動けず、この間しか設定できないのです…
またの機会によろしくお願いしますね
>feさん
1998~99年の小室さんは実際に息切れしていたのかもしれません
実際のところ1995~96年頃のペースでそんなに持たさえることは不可能と思いますし、特に1999年頃の小室さんが作りたがっていたのは洋楽直輸入的な楽曲のようなので、過去のTK風楽曲の制作には情熱も向けがたかったのではないでしょうか
>youさん
忘年会の詳細が決まるのは先のことなので、都合が付けばよろしくお願いします
>智紗さん
お怒りのご様子、申し訳ございません(笑
もしかしたら今後年内はずっと痛いかもしれません
マリスミゼルもイロモノ扱いしてしまってすみません
でもヴィジュアル系が一般化する中でもあそこまで薄まらずに突き抜けると面白かったです(やはりイロモノ?)
私も昔au revoirをカラオケで歌ったりしましたし、あとマシェリも良い曲ですよね
最後の一文がTM再結成の時から今まで感じてたモヤモヤが晴れた気がしました(笑)
一年早くリリースしてたらTMもシングルでミリオン行けたのに!て思ったすねー
ミリオン達成するなら1996年くらいに再結成していないと間に合わなかったでしょうが、それだと「終了」は何だったのかって感じです
でもまあ、いろいろと最低のタイミングで復活しちゃったよねっていう残念感はありますよね
携帯の機種変などで暫くよんでいませんでしたがこの時期は女性関係にショックを受けて完全に小室さんをスルーしていたんで興味本意で一番に読みました。
完読まで時間が掛かりそうですが…(笑)
これは小室哲哉波乱万丈記ですね。時代に翻弄され小室さんの人の良さが仇になったんでしょうね。
本当に残念です。
忘年会いいですね。
私は地方なんで始めから諦めモードですが(笑)
来年30THでお会いできたらいいですね。
この頃以後の小室さんはいろいろと非難されますが、おっしゃるように基本的には人の良さ(と見栄っ張り)のせいで人の言うことを何でも聞いてしまい、ズルズルと悪い方向に陥っていったということだと思っています
ITバブルと似ているような。
silent loverについて教えてください
silent loverについて「楽曲提供」と記載されていますが
CCの方側が作曲していたのではなかったかなという記憶です。
もはや現物を持っていないので確認できないのですが
TK側が積極的に海外進出狙い系で組んだのではなく、CC側が日本で売り込むためにTKのネームバリューを利用した、、と。
なのでTKremix版は確かにTK印なのですが、オリジナルミックスのところではTKがどう絡んでいるのが今となっては疑問です。
(オリジナルミックスの時点でTKが編曲者クレジットだったでしょうか)
また、全く関係ないのですが、94年以降のTKプロデュースの楽曲PVを集めて現在DVDを作成しているのですが、silent loverのPVって存在しますかね?
ご指摘ありがとうございます。修正しておきました。
PVはどうなんでしょうねえ。多分ないんじゃないでしょうか。私はTMファンなのでTKの方は詳しくなく…。すみません。
そもそもSilent LoverのTK Remixて日本以外でも売られていたんでしょうかね。
日本向けの作品だったんじゃないかという気もしています(よく知らないですけど)。
90年代のJポップ業界では、「音楽プロデューサー」を名乗る作・編曲家が何人もいましたが、何組もの歌手・グループを同時並行させて、いずれも高い人気を獲得できたのは小室さんくらいです。伊秩弘将さんの場合は、SPEEDは高い人気だったけれども、deeps、The gardensなどは、それほど売れませんでした。浅倉大介さんも、TMレボリューションは人気が高かったが、iceman、pool bit boysなどは低迷していました。
もともと時流で売れていたところも大きかったんだと思います。