6-9 TMN再結成宣言とその後
11/10を以ってU_WAVEの「Tour フォースアタック」が終了しました
ウツ、お疲れ様でした
ツアー特設サイトは11/30を以って閉鎖するとのことですので、
動画など保存しておきたい方は早めにどうぞ
たぶん来年のTMライブの頃に合わせてBDがリリースされるでしょう
最終日には小室さんも観客席にいたらしいです
ウツのツアーは終わり、次は11/23から、
木根さんの「"RESET" Tour」となります
小室さんは12/29、幕張メッセで「COUNTDOWN JAPAN 13/14」出演が決まりました
夏の「SUMMERSONIC」といい、
今年の小室さん、長く出たかった舞台への出演が次々と実現した感じですね
以前言っていた「DEBF EDM Winter」、本当に作るのかは分かりませんが、
あるいはこのライブ用の音源を元にするつもりかもしれません
あと、たぶんまた後ろでTRFの伴奏とかするだけでしょうけど、
小室さんが12/4の「FNS歌謡祭」に出演します
ええ、もうTMとかは期待しませんよ…
BDリリースの一週間前ですけど、宣伝もないでしょうね
さて、以前からぼそぼそとコメント欄に書いていた東京忘年会featuringポコ太さんの件について
もともと可能な日程が12/28~30しかなかったのですが、
12/28にウツディナーショー、12/29に「COUNTDOWN JAPAN」が入りました
あえてこれとぶつけるのもいかがなものかという気もしますので、
これを避けると、一意的に12/30(月)になります
店は未定ですが、時間はとりあえず18:00池袋駅集合ということに致します
なかなか集まりずらい日程ではありますが、
それでも大丈夫と言う方、以下に参加の旨をお伝え下さい
締切は12/22(日)一杯とします
tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に変える)
連絡必須事項は以下の3点です
・お名前(本名でなくても結構です)
・性別(当日の識別のために大事ということが前回分かりました)
・携帯アドレス(当日緊急連絡用にお願いします)
参加するかどうかお悩みの方は、
とりあえず打診メールをいただければ、いろいろとお答えします
なお今回は(も)これと言った凝った企画はまったく考えておりません
ただファン同士でTMの思い出などを語らうだけの地味な集いです
派手なオフ会的なものをお考えの方は期待外れになると思いますので、
その点はご了承下さい
では本題に入ります
今回はタイトルからしていよいよ!という感じもしますが、
前回にもましてもやもやする内容となっています
-------------------------------------------
小室哲哉は1997/12/25ラジオ特番「TK Radio Musuem」で、
1998年にTMNを再結成しニューアルバムも出すことを宣言した
さらに1998/1/17、小室の深夜レギュラー「komu@com」の冒頭でも、
小室は同様の発言をしている

今年TMN復活という、すばらしいニュースでした。
1996年に一年間かけて盛り上げていたTMN復活への動きが、
1997年には「エルマーの冒険」を除き、まったく動きが止まってしまった
ファンの間でもTMN復活への期待はすでに薄まっていたと思われる
そんな中で、小室は突然TMN復活宣言を行なった
TMN復活は、当時新聞各紙でもインタビューの形で掲載された
木根によれば、TMN復活は1997/9/21、
ロスアンゼルスで、小室から木根に提案されたのだという
小室が木根の「友よ、風に抱かれて」のテープを聴いて気に入り、
(11/1リリース「誰かが君を愛してる」のカップリング)
楽曲を1曲一緒にロスでレコーディングしようということを木根に提案し、
木根はこれを受けて小室のいるロスに渡ったのだが、その時の出来事だった
もっともレコーディングは一つの名目に過ぎず、
実際は小室が相談するために木根をロスに呼んだということだろう
「誰かが君を愛してる」は、2年ぶりに小室が関わらない形でのソロ作品として制作されたものである
ウツも少し遅れて10月頃から継続的なソロアルバムのレコーディングに入ったようだが、
これもあえて小室が関わらない作品として制作されたもので、
それが当初の計画を覆したものであったことは前章で触れた
レコーディング開始のタイミングは木根よりも少し遅いが、
ウツと木根が小室から離れた活動を再開することを決定したのはだいたい同じ頃で、夏には遡るだろう
開始時期のずれは、木根が基本的に自分で楽曲制作を行なったのに対し、
ウツはまず楽曲の提供を受けてからレコーディングしないといけなかったからである
つまり木根とウツは、9月には小室から離れた活動に移ろうとしていたのだが、
その矢先に小室がTM復活を提案したのである
その理由は次章で推測するが、
ここでは一旦木根とウツが小室から離れた活動を再開しようとしたことと、
それが形になる前に小室から2人に対して、
TMN復活の提案が行なわれたことを確認しておきたい
木根は帰国後、ウツにこの話を伝え、
さらに「終了」前のTMNプロデューサー小坂洋二にも伝えた
事の重大さから考えて、9月終わりには一通り済んでいただろう
木根によれば、その後12/23に3人で会って40分程度の会合を持ち、
TM再結成について意志の確認を行なったという
ただここらへんの話は、文字通りに受け取って良いか疑問で、
少なくとも12/23に3人で決めたというのは、一種の儀式に過ぎないだろう
実際には11月には3人はTMN再結成を前提として動いていたと見られる
たとえば小室はTK Gatewayのサイトで、
11/21に「TMNは再結成しないのですか」との質問に対し、
「解散していない」「来年動く」と答えている
これはかなりのフライング発言だが、
この時点でTMN再結成は既定路線だったのだろう
現在も確認できるのは、1997/12/5木根尚登「talk & live vol.3」ファイナル渋谷公会堂公演のMCである
この様子はDVD「木根尚登 Talk & Live in 渋谷公会堂」で見ることができるが、
この時にウツがゲストで出演し、「Still Love Her」を演奏したが、
この時のトークは以下のようなものだった
相変わらず適当に期待させて盛り上げるだけで、
結論を出さずに話題は断ち切られたが、
ファンにTMN復活を意識させることが目的だったことは明らかだろう
しかもこのライブにはカメラが入っており、
上述の「komu@com」で1998/1/17・24に放映された
上記トーク(の途中まで)の放映は1/24である
1/17が小室のTMN復活宣言の回でもあることを考えれば、
この放送スケジュールは意図的なものに違いない
12月初頭の木根ライブにウツが出演するのは、
11月中には決定していたはずである
その前提にはTMN復活計画があったに違いない
こうして1997年12月と翌年1月にはTMN再結成が宣言され、
しかも小室哲哉によって夏頃のアルバム制作も明言された
1998年5月のウツのインタビューによれば、7月の予定だったらしい
しかし周知の通り、これは実現しなかった
(ウツも「出るかもしれない」とぼやかしている)
つまり1月から夏の間に、なんらかの事情でこの計画は延期されたのである
この再結成宣言の前後、
ウツは10月頃にソロのレコーディングを本格化させ、1998年初めまで続いた
その成果としてリリースされたのが、
1998/2/21シングル「見えない灼熱」、4/1「Howling」、4/29アルバム「fragile」である
リリース間隔から見ても分かる通り、
これらは一連のレコーディングの中で作られたものである
なお「fragile」は楽曲の過半をNOBODYが担当し、
「Butterfly」以来のロックテイストの強いアルバムとなっている
「fragile」で楽曲の募集をした際は、なかなか気に入る曲が来ず、
NOBODYに依頼したところ、いきなり9曲送られてきて、しかもどれも良かったという
NOBODYはかつて矢沢栄吉のレコーディングやライブに関わったロックバンドで、
80年代には多くの楽曲を提供してヒットを世に出していた
(1984年アン・ルイス「六本木心中」、吉川晃司「モニカ」、1988年荻野目洋子「ストレンジャーtonight」、浅香唯「C-Girl」など)
そしてアルバムリリース翌日の4/30から6/7にかけて、
ソロツアー「Tour fragile」が開催された
アルバムと同様のロック仕様のツアーだった
同ツアーではTMNの「69/99」や、
1996/3/25リリース大谷健吾「baby, do not cry」収録のBOYO-BOZO作曲「君のせいじゃない、僕のせいじゃない」も演奏された
前年の「E.A.Grandstand」でTM楽曲が演奏されなかったことを考えると、
特に前者はTMN再結成宣言を期待するファンのことも考え、
TMN楽曲をセットリストに入れたものだろう
ウツによれば、世紀末が近いということでこの曲を選んだと言う
特に特徴的だったのはサポートメンバーで、
ギター(2人)・ベース・ドラムはThe Mustarde Seedsというロスのバンドである
かなりの意気込みを持って臨んだツアーだったといえるだろう
なお唯一の日本人サポートだったキーボードの吉村龍太は、
1996年以来TUBEや吉川晃司のサポートを勤めてきたが、
この時初めてウツのツアーに参加した
2000年にはTM NETWORK復活ライブ「Log-on to 21st Century」で、
サポートを務めている
このようなサポートの構成だったため、
ウツは3月に一度ツアー打ち合わせのため渡米し、
さらに4/15にも渡米してツアーのリハーサルを行なった
また3月末から4月にはアルバムやツアーのプロモーションのためにメディアにも出演している
このように見ると、ウツはツアー準備中の4月やツアー本番の5月には、
ソロ活動以外にまとまった時間を取ることは困難だったはずである
ならばTMNのアルバムレコーディングが可能なのは、
3月以前か6月以後しかない
アルバムを7月頃に出す予定だったとすれば、
ウツのソロツアーが終了した6月に歌入れが行なわれる予定だったのだろう
小室と木根はそれに先んじて、
4~5月頃から曲作りを始める予定だったと考えられる
また1月の木根は、早ければ春、5月以後にシングルを出したいと言っている
4月末には「fragile」のリリースがあったから、
TMN新作のリリースはこれとかぶらないように5月以後にする必要があったはずで、
そのことも考慮に入れた計画だったのだろう
時間が合えばウツのソロツアー開始前の4月頃に、
ツアーリハーサルの合間を使ってレコーディングする計画があったものか
ところがTMN再結成宣言の後、
4月の時点では話がほとんど進んでいなかったようである
ウツは4/6放送の「真夜中の王国」のインタビューで以下のように述べる
「僕もその(TMNの)ために開けるのが大変なので、前後のスケジュールが入ってきちゃっているので、どうなるかわからないですね」
「待っていると大変なことになっちゃうので。よくあることで」
「一応やるとは言っています。電話で、進めているという会話だけはちょっとしました」
メディアでは情報を小出しにしつつ、
裏でこっそり話を進めるというやり方はよくあるだろう
だが上記のウツの発言を見るに、
本来の予定の通りに事が進んでおらず、
ウツ自身も事態がどうなっているのか分かっていないように見える
5/12にはウツが後述の「RENT」記者会見に出席したが、
そこでも来年になるかもしれないという発言したようである
さらに6/7のウツインタビューも見てみよう
(7/10放送「TK Spark Com」)
これを見るに、事態はむしろますます混迷しているように見える
小室はこの頃、7/12~8/3にglobeの「Tour Love again」を控えており、
6/7の段階でTMNがまったく動いていなかったのならば、
夏のTMNのアルバムリリースは絶望的といえるだろう
実際に以後もTMN再結成の動きはしばらく起こらなかった
9/15「新橋ミュージックホール」に出演した時も、
TMN再結成の話について聞かれた時は以下のように答えており、
再結成の計画は立ち消えになっていたようである
ウツに関してはもう一つ気になることがある
1998年2月下旬、ミュージカル「RENT」日本版の出演依頼を受け、
悩んだ末に3/10渡米して翌日アメリカ版を観劇し、
3/12日本に電話して、引き受けることを関係者に伝えたのである
「RENT」初演の公演期間は9/24~12/20であり、
リハーサルは8月から予定されていた
これでは7月にアルバムが出ても、
TMNとしての本格的な活動は翌年まで不可能である
おそらく3月にウツがこの話を引き受けた時点で、
年内のTMN再始動の見込みが薄まっていたか、
少なくとも大々的な活動の可能性はなくなっていたのだろう
つまり1/17から3/10の2ヶ月足らずの間に、
TMN再始動の予定を妨げる何かがあったと考えられる
その直接の原因は、7~8月の「Tour Love again」の決定かもしれない
しかも7/1~5の小室は中国・グアムの記念式典に出席してライブも行ない
7/6~11にはツアーのリハを行なった
7/14にはパリで「Rendezvous 98 Electronic Night」も行なわれた
7月の小室はTMNどころではなかった
これに加えて6/30以前にもツアーの準備が行なわれていた
ウツのレコーディング参加が6/7のNHKホール公演が終わった後に予定されていたとすると、
その期間は3週間もなかったことになる
この状態でのレコーディングとその後の活動の現実味はあまり感じられない
しかもこの頃の小室は下火になっていたTKブームの火を絶やさぬ様、
ヴィジュアル系ブームに対抗してglobeをもり立てようとしていた
小室は「Tour Love again」前後、
「wanna Be A Dreammaker」以下のglobeのシングル4枚を立て続けにレコーディングした
そのリリースは9月初めから10月初めに及び、
8~9月の小室はこのレコーディングにかなりの時間を割いたと思われる
その後はこれらシングルを収めたアルバム「Relation」の制作に入り、
これは12/9にリリースされた
これではTMNが復活したところで、まともな活動ができるはずがない
以上見たように、夏前後の小室の仕事は、
グアムやパリのライブなど単発のものを別にすれば、
globe関係のものが中心となっている
ここで少し遡ってみると、
1998/3/31リリースのglobeのアルバム「Love again」は次章で触れるように、
かなり急なスケジュールでレコーディングされており、
リリースもかなり直前に決まった(リリース発表は2月頃)
「Tour Love again」も、同じ頃に決定したものだろう
ツアーがアルバムリリースから3ヶ月半も日を空けて始まったのも、
急遽日程が組まれたためと思われる
おそらく12~1月の時点ではglobeツアーの計画はなく、
小室はウツのソロツアー終了前後にTMNのレコーディングを開始する予定だった
ところが2月頃になって7~8月のglobeのツアーが決定したため、
TMNの予定は縮小され、実現したとしても本格的な活動はおぼつかない状態になってしまったのではないか
いずれにしろ3月頃には、
年内のTMNの再始動は白紙にはならないまでも、本格的な活動は危くなっていたと考えられる
活動に空白ができることを覚悟して待つか、
TMNは諦めて予定を入れるか、ウツは判断に苦しんだだろう
ウツが「RENT」出演に応じるかどうか悩んだというのは、
おそらくこれとも関わることであり、
その結果として後者を選ぶことにしたのだろう
なお木根も5/30に9thシングル「Unknown Town」をリリースした
これは7/25公開の映画「キリコの風景」の主題歌だが、
木根はその映画音楽も担当し、自ら出演もしている
これらはTMN再始動以前に発表されるものとして作成されたのだろうが、
その後ニューアルバム「The Beginning Place」のレコーディングに入ったのは、
TMN再結成がうやむやになってしまったことを前提にしたものである
この間の小室は、日本ではglobeを中心に活動しており、
さらにロスアンゼルスを拠点に、海外進出を積極的に行なっていた
1999年のウツのインタビューによると、
ウツは1998年に3人で集まったことがなく、
1999年初め、小室が日本に帰った時にやっと3人で会合を持ったという
1998年の小室と木根・ウツの接点は、
従来よりも薄くなってしまったものと思われる
個別の事情は他にいくらでも挙げられようが、
根本的な問題は、小室がTMNを復活させたくても、
他に手がけるべきプロジェクトが大量にあり、
小室自身もTMNのみに関心を向けていたわけではないという点にあると思われる
したがってTMN以上の可能性があれば、
TMNは先延ばしにされてしまうことになった
この間、木根・ウツのソロ活動の成果は、
必ずしも芳しいものではなかった
木根は10/21、10thシングル「永遠のスピード」をリリースした
1997年9月小室とともにロスでレコーディングした曲を商品化したもので、
TKプロデュースの名義だった
さらに10/31には「誰かが君を愛してる」「Unknown Town」を含む3rdフルアルバム「The Beginning Place」をリリースする
「誰かが君を愛してる」の成績が85位で終わったことは以前述べたが、
「Unknown Town」は映画主題歌というタイアップがありながら、
100位圏外の成績に終わった
TKプロデュース名義の「永遠のスピード」も77位に留まった
さらに「The Beginning Place」は85位、4千枚の成績で、
4.9万枚を売った前作「Remember Me?」と比べれば、
一気に売り上げが1/10以下に落ち込んだ
木根作品の100位圏内ランクインは、
シングル・アルバム合わせて「The Beginning Place」が最後となる
以後1999~2000年には新譜をリリースせず、
2001年以後はしばらくミニアルバムのリリースを続けて、
シングル・フルアルバムは2005年まで作成されない
一方ウツの「見えない灼熱」「Howling」はともに1万枚台であり、
失敗に終わったTKプロデュース「if you wish...」の4.2万枚と比べても遠く及ばない
アルバム「fragilie」もロックを目指した意欲作ではあったが、
セールスは前作「easy attraction」の4位14万枚から17位2.7万枚へ急落している
なお1998/12/12リリースのベスト版「The Best “Files”」は1万枚である
ともかくTMN再結成記念の年となるはずだった1998年は、
実際には1996~97年と1999年の狭間となるTM暗黒の一年となってしまった
その背景には、おそらく中心となるべき小室哲哉の立場の変化がある
次章ではこの点について、少し時間をさかのぼって見てみようと思う
ウツ、お疲れ様でした
ツアー特設サイトは11/30を以って閉鎖するとのことですので、
動画など保存しておきたい方は早めにどうぞ
たぶん来年のTMライブの頃に合わせてBDがリリースされるでしょう
最終日には小室さんも観客席にいたらしいです
ウツのツアーは終わり、次は11/23から、
木根さんの「"RESET" Tour」となります
小室さんは12/29、幕張メッセで「COUNTDOWN JAPAN 13/14」出演が決まりました
夏の「SUMMERSONIC」といい、
今年の小室さん、長く出たかった舞台への出演が次々と実現した感じですね
以前言っていた「DEBF EDM Winter」、本当に作るのかは分かりませんが、
あるいはこのライブ用の音源を元にするつもりかもしれません
あと、たぶんまた後ろでTRFの伴奏とかするだけでしょうけど、
小室さんが12/4の「FNS歌謡祭」に出演します
ええ、もうTMとかは期待しませんよ…
BDリリースの一週間前ですけど、宣伝もないでしょうね
さて、以前からぼそぼそとコメント欄に書いていた東京忘年会featuringポコ太さんの件について
もともと可能な日程が12/28~30しかなかったのですが、
12/28にウツディナーショー、12/29に「COUNTDOWN JAPAN」が入りました
あえてこれとぶつけるのもいかがなものかという気もしますので、
これを避けると、一意的に12/30(月)になります
店は未定ですが、時間はとりあえず18:00池袋駅集合ということに致します
なかなか集まりずらい日程ではありますが、
それでも大丈夫と言う方、以下に参加の旨をお伝え下さい
締切は12/22(日)一杯とします
tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に変える)
連絡必須事項は以下の3点です
・お名前(本名でなくても結構です)
・性別(当日の識別のために大事ということが前回分かりました)
・携帯アドレス(当日緊急連絡用にお願いします)
参加するかどうかお悩みの方は、
とりあえず打診メールをいただければ、いろいろとお答えします
なお今回は(も)これと言った凝った企画はまったく考えておりません
ただファン同士でTMの思い出などを語らうだけの地味な集いです
派手なオフ会的なものをお考えの方は期待外れになると思いますので、
その点はご了承下さい
では本題に入ります
今回はタイトルからしていよいよ!という感じもしますが、
前回にもましてもやもやする内容となっています
-------------------------------------------
小室哲哉は1997/12/25ラジオ特番「TK Radio Musuem」で、
1998年にTMNを再結成しニューアルバムも出すことを宣言した
さらに1998/1/17、小室の深夜レギュラー「komu@com」の冒頭でも、
小室は同様の発言をしている
一応第一期プロジェクト終了というので、94年に一回ちょっとお休みをしてるTMN、これこそが、メンバーというか、3人のうちの1人のメンバーで、一応まだ在籍しているわけですね、僕も。で、だから、一応僕が今まで入っているバンドというか、ユニットというのがこの3つ(注:globe、H jungle with t、TMN)なんです。で、3つ目のTMNですね、98年、ちょっとやってみようか、またちょっとねって感じで、3人で話をしまして、今年きっとですね、ニューアルバムを作らなければ、という予定になっています。3人ともそんなに、こう大げさには考えないで、軽い気持ちで、リラックスして、たまたまアルバムが出るのが6年ぶりだったと、そんな感じで作るのが理想の感じだと思んですが、今色々とにかくアイデア練ってますね。そうですね、夏頃には、たぶん夏くらいですね、アルバムができるんじゃないかと思います。というわけで、今年TMN復活という、すばらしいニュースでした。

今年TMN復活という、すばらしいニュースでした。
1996年に一年間かけて盛り上げていたTMN復活への動きが、
1997年には「エルマーの冒険」を除き、まったく動きが止まってしまった
ファンの間でもTMN復活への期待はすでに薄まっていたと思われる
そんな中で、小室は突然TMN復活宣言を行なった
TMN復活は、当時新聞各紙でもインタビューの形で掲載された
木根によれば、TMN復活は1997/9/21、
ロスアンゼルスで、小室から木根に提案されたのだという
小室が木根の「友よ、風に抱かれて」のテープを聴いて気に入り、
(11/1リリース「誰かが君を愛してる」のカップリング)
楽曲を1曲一緒にロスでレコーディングしようということを木根に提案し、
木根はこれを受けて小室のいるロスに渡ったのだが、その時の出来事だった
もっともレコーディングは一つの名目に過ぎず、
実際は小室が相談するために木根をロスに呼んだということだろう
「誰かが君を愛してる」は、2年ぶりに小室が関わらない形でのソロ作品として制作されたものである
ウツも少し遅れて10月頃から継続的なソロアルバムのレコーディングに入ったようだが、
これもあえて小室が関わらない作品として制作されたもので、
それが当初の計画を覆したものであったことは前章で触れた
レコーディング開始のタイミングは木根よりも少し遅いが、
ウツと木根が小室から離れた活動を再開することを決定したのはだいたい同じ頃で、夏には遡るだろう
開始時期のずれは、木根が基本的に自分で楽曲制作を行なったのに対し、
ウツはまず楽曲の提供を受けてからレコーディングしないといけなかったからである
つまり木根とウツは、9月には小室から離れた活動に移ろうとしていたのだが、
その矢先に小室がTM復活を提案したのである
その理由は次章で推測するが、
ここでは一旦木根とウツが小室から離れた活動を再開しようとしたことと、
それが形になる前に小室から2人に対して、
TMN復活の提案が行なわれたことを確認しておきたい
木根は帰国後、ウツにこの話を伝え、
さらに「終了」前のTMNプロデューサー小坂洋二にも伝えた
事の重大さから考えて、9月終わりには一通り済んでいただろう
木根によれば、その後12/23に3人で会って40分程度の会合を持ち、
TM再結成について意志の確認を行なったという
ただここらへんの話は、文字通りに受け取って良いか疑問で、
少なくとも12/23に3人で決めたというのは、一種の儀式に過ぎないだろう
実際には11月には3人はTMN再結成を前提として動いていたと見られる
たとえば小室はTK Gatewayのサイトで、
11/21に「TMNは再結成しないのですか」との質問に対し、
「解散していない」「来年動く」と答えている
これはかなりのフライング発言だが、
この時点でTMN再結成は既定路線だったのだろう
現在も確認できるのは、1997/12/5木根尚登「talk & live vol.3」ファイナル渋谷公会堂公演のMCである
この様子はDVD「木根尚登 Talk & Live in 渋谷公会堂」で見ることができるが、
この時にウツがゲストで出演し、「Still Love Her」を演奏したが、
この時のトークは以下のようなものだった
木根「でまあ、TMはどうなるの?」
ウツ「はい?」
木根「いや、なんかメールでね、やるやらないなんていうのを噂で聞いたんだけど」
観客エー!
木根「でも、僕とウツははっきり聞いてないよ」
ウツ「え?」
木根「聞いてない。特にウツなんて、何も聞いてないね」
ウツ「僕は何も知らない」
木根「ウツはまあ、レコーディング中で…」
ウツ「君がそういうこと流しているんじゃない? 話によると。スポニチとか日刊に、いつも」
木根「教えてやろうか? 立岡(M-tres代表)。立岡ってやつなんだよ」
ウツ「ハハ」
相変わらず適当に期待させて盛り上げるだけで、
結論を出さずに話題は断ち切られたが、
ファンにTMN復活を意識させることが目的だったことは明らかだろう
しかもこのライブにはカメラが入っており、
上述の「komu@com」で1998/1/17・24に放映された
上記トーク(の途中まで)の放映は1/24である
1/17が小室のTMN復活宣言の回でもあることを考えれば、
この放送スケジュールは意図的なものに違いない
12月初頭の木根ライブにウツが出演するのは、
11月中には決定していたはずである
その前提にはTMN復活計画があったに違いない
こうして1997年12月と翌年1月にはTMN再結成が宣言され、
しかも小室哲哉によって夏頃のアルバム制作も明言された
1998年5月のウツのインタビューによれば、7月の予定だったらしい
しかし周知の通り、これは実現しなかった
(ウツも「出るかもしれない」とぼやかしている)
つまり1月から夏の間に、なんらかの事情でこの計画は延期されたのである
この再結成宣言の前後、
ウツは10月頃にソロのレコーディングを本格化させ、1998年初めまで続いた
その成果としてリリースされたのが、
1998/2/21シングル「見えない灼熱」、4/1「Howling」、4/29アルバム「fragile」である
リリース間隔から見ても分かる通り、
これらは一連のレコーディングの中で作られたものである
なお「fragile」は楽曲の過半をNOBODYが担当し、
「Butterfly」以来のロックテイストの強いアルバムとなっている
「fragile」で楽曲の募集をした際は、なかなか気に入る曲が来ず、
NOBODYに依頼したところ、いきなり9曲送られてきて、しかもどれも良かったという
NOBODYはかつて矢沢栄吉のレコーディングやライブに関わったロックバンドで、
80年代には多くの楽曲を提供してヒットを世に出していた
(1984年アン・ルイス「六本木心中」、吉川晃司「モニカ」、1988年荻野目洋子「ストレンジャーtonight」、浅香唯「C-Girl」など)
そしてアルバムリリース翌日の4/30から6/7にかけて、
ソロツアー「Tour fragile」が開催された
アルバムと同様のロック仕様のツアーだった
同ツアーではTMNの「69/99」や、
1996/3/25リリース大谷健吾「baby, do not cry」収録のBOYO-BOZO作曲「君のせいじゃない、僕のせいじゃない」も演奏された
前年の「E.A.Grandstand」でTM楽曲が演奏されなかったことを考えると、
特に前者はTMN再結成宣言を期待するファンのことも考え、
TMN楽曲をセットリストに入れたものだろう
ウツによれば、世紀末が近いということでこの曲を選んだと言う
特に特徴的だったのはサポートメンバーで、
ギター(2人)・ベース・ドラムはThe Mustarde Seedsというロスのバンドである
かなりの意気込みを持って臨んだツアーだったといえるだろう
なお唯一の日本人サポートだったキーボードの吉村龍太は、
1996年以来TUBEや吉川晃司のサポートを勤めてきたが、
この時初めてウツのツアーに参加した
2000年にはTM NETWORK復活ライブ「Log-on to 21st Century」で、
サポートを務めている
このようなサポートの構成だったため、
ウツは3月に一度ツアー打ち合わせのため渡米し、
さらに4/15にも渡米してツアーのリハーサルを行なった
また3月末から4月にはアルバムやツアーのプロモーションのためにメディアにも出演している
このように見ると、ウツはツアー準備中の4月やツアー本番の5月には、
ソロ活動以外にまとまった時間を取ることは困難だったはずである
ならばTMNのアルバムレコーディングが可能なのは、
3月以前か6月以後しかない
アルバムを7月頃に出す予定だったとすれば、
ウツのソロツアーが終了した6月に歌入れが行なわれる予定だったのだろう
小室と木根はそれに先んじて、
4~5月頃から曲作りを始める予定だったと考えられる
また1月の木根は、早ければ春、5月以後にシングルを出したいと言っている
4月末には「fragile」のリリースがあったから、
TMN新作のリリースはこれとかぶらないように5月以後にする必要があったはずで、
そのことも考慮に入れた計画だったのだろう
時間が合えばウツのソロツアー開始前の4月頃に、
ツアーリハーサルの合間を使ってレコーディングする計画があったものか
ところがTMN再結成宣言の後、
4月の時点では話がほとんど進んでいなかったようである
ウツは4/6放送の「真夜中の王国」のインタビューで以下のように述べる
「僕もその(TMNの)ために開けるのが大変なので、前後のスケジュールが入ってきちゃっているので、どうなるかわからないですね」
「待っていると大変なことになっちゃうので。よくあることで」
「一応やるとは言っています。電話で、進めているという会話だけはちょっとしました」
メディアでは情報を小出しにしつつ、
裏でこっそり話を進めるというやり方はよくあるだろう
だが上記のウツの発言を見るに、
本来の予定の通りに事が進んでおらず、
ウツ自身も事態がどうなっているのか分かっていないように見える
5/12にはウツが後述の「RENT」記者会見に出席したが、
そこでも来年になるかもしれないという発言したようである
さらに6/7のウツインタビューも見てみよう
(7/10放送「TK Spark Com」)
えっとTMのことはですね、もう僕よりも皆さんの方がご存知だと思うんですが、まああの、メンバー的には、木根もよく分からないと言っているし、小室もうーんとうなっている状態で(苦笑)、僕のところに来ている情報は、とりあえず、一応スケジュール待ちということで、まあ、やるかやらないかは、ちょっとまだこの場ではいえないんですが、一応僕の気持ち的にはやる方向ではいるんですが、ただ僕の方もちょっと忙しいんで、どうなるか分かりません。でも待っててみてもいいんじゃないですかね。
これを見るに、事態はむしろますます混迷しているように見える
小室はこの頃、7/12~8/3にglobeの「Tour Love again」を控えており、
6/7の段階でTMNがまったく動いていなかったのならば、
夏のTMNのアルバムリリースは絶望的といえるだろう
実際に以後もTMN再結成の動きはしばらく起こらなかった
9/15「新橋ミュージックホール」に出演した時も、
TMN再結成の話について聞かれた時は以下のように答えており、
再結成の計画は立ち消えになっていたようである
「どうなんですか正直な話。(再結成の)話が出てないわけじゃないんでしょ?」
「去年、3人集まったんですよ、2時間くらい。そこでは出ましたよそういう話」
「ちょっとやってみよっか? やるのも面白いよねって」
「来年、まあ今年?」
「今年?」
「かな?と思ったんだけど、みんな忙しくなっちゃって」
「でもその、まだ今年と言えばその、あとね数ヶ月。年末くらいに出す?」
「いや、ないんじゃないかな」
ウツに関してはもう一つ気になることがある
1998年2月下旬、ミュージカル「RENT」日本版の出演依頼を受け、
悩んだ末に3/10渡米して翌日アメリカ版を観劇し、
3/12日本に電話して、引き受けることを関係者に伝えたのである
「RENT」初演の公演期間は9/24~12/20であり、
リハーサルは8月から予定されていた
これでは7月にアルバムが出ても、
TMNとしての本格的な活動は翌年まで不可能である
おそらく3月にウツがこの話を引き受けた時点で、
年内のTMN再始動の見込みが薄まっていたか、
少なくとも大々的な活動の可能性はなくなっていたのだろう
つまり1/17から3/10の2ヶ月足らずの間に、
TMN再始動の予定を妨げる何かがあったと考えられる
その直接の原因は、7~8月の「Tour Love again」の決定かもしれない
しかも7/1~5の小室は中国・グアムの記念式典に出席してライブも行ない
7/6~11にはツアーのリハを行なった
7/14にはパリで「Rendezvous 98 Electronic Night」も行なわれた
7月の小室はTMNどころではなかった
これに加えて6/30以前にもツアーの準備が行なわれていた
ウツのレコーディング参加が6/7のNHKホール公演が終わった後に予定されていたとすると、
その期間は3週間もなかったことになる
この状態でのレコーディングとその後の活動の現実味はあまり感じられない
しかもこの頃の小室は下火になっていたTKブームの火を絶やさぬ様、
ヴィジュアル系ブームに対抗してglobeをもり立てようとしていた
小室は「Tour Love again」前後、
「wanna Be A Dreammaker」以下のglobeのシングル4枚を立て続けにレコーディングした
そのリリースは9月初めから10月初めに及び、
8~9月の小室はこのレコーディングにかなりの時間を割いたと思われる
その後はこれらシングルを収めたアルバム「Relation」の制作に入り、
これは12/9にリリースされた
これではTMNが復活したところで、まともな活動ができるはずがない
以上見たように、夏前後の小室の仕事は、
グアムやパリのライブなど単発のものを別にすれば、
globe関係のものが中心となっている
ここで少し遡ってみると、
1998/3/31リリースのglobeのアルバム「Love again」は次章で触れるように、
かなり急なスケジュールでレコーディングされており、
リリースもかなり直前に決まった(リリース発表は2月頃)
「Tour Love again」も、同じ頃に決定したものだろう
ツアーがアルバムリリースから3ヶ月半も日を空けて始まったのも、
急遽日程が組まれたためと思われる
おそらく12~1月の時点ではglobeツアーの計画はなく、
小室はウツのソロツアー終了前後にTMNのレコーディングを開始する予定だった
ところが2月頃になって7~8月のglobeのツアーが決定したため、
TMNの予定は縮小され、実現したとしても本格的な活動はおぼつかない状態になってしまったのではないか
いずれにしろ3月頃には、
年内のTMNの再始動は白紙にはならないまでも、本格的な活動は危くなっていたと考えられる
活動に空白ができることを覚悟して待つか、
TMNは諦めて予定を入れるか、ウツは判断に苦しんだだろう
ウツが「RENT」出演に応じるかどうか悩んだというのは、
おそらくこれとも関わることであり、
その結果として後者を選ぶことにしたのだろう
なお木根も5/30に9thシングル「Unknown Town」をリリースした
これは7/25公開の映画「キリコの風景」の主題歌だが、
木根はその映画音楽も担当し、自ら出演もしている
これらはTMN再始動以前に発表されるものとして作成されたのだろうが、
その後ニューアルバム「The Beginning Place」のレコーディングに入ったのは、
TMN再結成がうやむやになってしまったことを前提にしたものである
この間の小室は、日本ではglobeを中心に活動しており、
さらにロスアンゼルスを拠点に、海外進出を積極的に行なっていた
1999年のウツのインタビューによると、
ウツは1998年に3人で集まったことがなく、
1999年初め、小室が日本に帰った時にやっと3人で会合を持ったという
1998年の小室と木根・ウツの接点は、
従来よりも薄くなってしまったものと思われる
個別の事情は他にいくらでも挙げられようが、
根本的な問題は、小室がTMNを復活させたくても、
他に手がけるべきプロジェクトが大量にあり、
小室自身もTMNのみに関心を向けていたわけではないという点にあると思われる
したがってTMN以上の可能性があれば、
TMNは先延ばしにされてしまうことになった
この間、木根・ウツのソロ活動の成果は、
必ずしも芳しいものではなかった
木根は10/21、10thシングル「永遠のスピード」をリリースした
1997年9月小室とともにロスでレコーディングした曲を商品化したもので、
TKプロデュースの名義だった
さらに10/31には「誰かが君を愛してる」「Unknown Town」を含む3rdフルアルバム「The Beginning Place」をリリースする
「誰かが君を愛してる」の成績が85位で終わったことは以前述べたが、
「Unknown Town」は映画主題歌というタイアップがありながら、
100位圏外の成績に終わった
TKプロデュース名義の「永遠のスピード」も77位に留まった
さらに「The Beginning Place」は85位、4千枚の成績で、
4.9万枚を売った前作「Remember Me?」と比べれば、
一気に売り上げが1/10以下に落ち込んだ
木根作品の100位圏内ランクインは、
シングル・アルバム合わせて「The Beginning Place」が最後となる
以後1999~2000年には新譜をリリースせず、
2001年以後はしばらくミニアルバムのリリースを続けて、
シングル・フルアルバムは2005年まで作成されない
一方ウツの「見えない灼熱」「Howling」はともに1万枚台であり、
失敗に終わったTKプロデュース「if you wish...」の4.2万枚と比べても遠く及ばない
アルバム「fragilie」もロックを目指した意欲作ではあったが、
セールスは前作「easy attraction」の4位14万枚から17位2.7万枚へ急落している
なお1998/12/12リリースのベスト版「The Best “Files”」は1万枚である
ともかくTMN再結成記念の年となるはずだった1998年は、
実際には1996~97年と1999年の狭間となるTM暗黒の一年となってしまった
その背景には、おそらく中心となるべき小室哲哉の立場の変化がある
次章ではこの点について、少し時間をさかのぼって見てみようと思う
この記事へのコメント
TMの活動は小室さんがキーパーソンで一頃の多忙さからすると再始動が実現するのは難しかったんですね。
小室さんがウツにソロ作品をプロデュースしているからウツも小室ファミリー扱いになるんでしょうかね?
個人的には小室さんがウツにプロデュースした曲はちょっと苦手です。この頃からウツのビジュアルも変わっていったのも売上に影響があったかもしれないですね。
小室さんも色々あってTMの存在意義を再認識できたんじゃないでしょうか。
ウツDSは今回は歌なしでFCからはイベントとしてプリントが会報に同封されていました。お値段は33000円食事付き握手会有り。他の詳細は全く書かれていませんでした。
時期が時期なのと遠征組には費用の面で不利なんで参加しませんが握手会のいきさつもちょっとしたトラブルがきっかけでその次のDSから握手代?を上乗せした参加費になったそうです。
そういう話を聞くと握手の価値が分かっていない!と言われそうですが所詮ビジネスなんだなあ~と現実を見た気がします。
昨年あたりに検索でふらっと立ち寄ってから記事を読ませて頂いております。
TKプロデュース全盛~20世紀末の頃、自分は中高生で
「小室哲哉はTMNを捨ててダメな曲を量産するようになってしまった!」と思い
「Decade Run」は買ったものの、それ以外の曲や活動は意図的に避けていました。
十余年経った今だからこそ逆に強く興味を持ち
当時の彼らを取り巻く環境を色々と掘り下げている貴ブログを楽しく拝見しております。
今後も更新を楽しみにしております。
随分寒くなりました。お体に気をつけてお過ごしください。
1994年までは公開情報からの意志決定の類推がかなり可能なのに、1996年以降は同様の方法でも、霧の向こうというか、見えない部分が多いなぁと思いました。
たまアリの動画見ましたが、カメラの切り替えが…好みではないです。
切り替えるなら曲にそってやってほしい。ウツが映ってる時間が少ないのは病み上がりだからでしょうか?
ラスグルの映像が好きな自分としては、誰か伊作さんをあちらから呼び戻してほしいです。。。
GET WILDは新たなライブバージョンって感じでかっこいいですね!
渋公の動画は映画館公開以上の長さだったらいいな。
>kuri566さん
一つ前の記事でコメントないから、何かあったのかと思ってました。お元気そうで何よりです。
>智紗さん
お気にかけていただけてめっちゃうれしいです。もちろん元気です。このサイト、毎日チェックしてますから、もちろんエルマーの件読んでました。実のところ仕事が忙しかったというのもありますが、「まったくコメントできましぇ~ん」が、本音でした。手も足も出ず、です。この頃のお三方の活動、まったく把握できてなかったもんで。ホント、TM的にも自分的にもまったく真っ白な1年だったことだけは記憶しているぐらいです。記事にあるソロの曲、おそらくどれもまともに聴いてないと思います。
今年のディナーショー、歌無しなんですか? しかも値上げして
ツアーで歌えたんだから体力的な問題ではないと思いますが、なんか損した気分ですね
人集まるのかな?
>きつねさん
初めまして!
TMファンの中では新しい世代ですね
今ブログで扱っている当たりの時代は、一般に批判が多いところですね
私もなかなか書きづらくて悪戦苦闘しています
TK関係の情報はあまり持っていないので、何かご存知の情報などあれば、随時ご教示いただければと思います
>Mさん
TMが復活すると不都合ということではないのでしょうが、80年代ほど状況が単純ではなくなっていたということに尽きると思います
やはり80年代を知っていると、TM再結成の頃は、globeとかキスディスとかはいいからTMだけに専念してくれ!と思ってしまいますよね
2012年からは小室さんはそれが可能な体制になった気がしますが、今度はウツ木根側の事情でそうはならず…
何かと難しいものです
来年は1年TMに専念とか…あるといいですね
>kuri566さん
You Can Danceは、私もどうかと思います(笑
渋谷イベントは嬉しいんですが、本来なら商品化されずに終わったであろう映像ですし、他に特典にできるものが何もないってことなんでしょうね
あのデモ曲は入るのかな?
個人的には、セットリスト案をもう一度確認したいです!
>智紗さん
プロデュース期のことがよく分からないのは、1994年頃問題になったタイムマシンがすでに存在しないのと違って、当事者のavexがいまだ健在で、その意味で「現代史」だからだろうと思います
まあそれでも、おおまかな状況は説明できるのではないかと思っていますが、モヤモヤさせてすみません
次回はここ数回の内容の”種明かし”的な内容になると思います
やっとここまで、読めました。
ウツのフラジャイル、結構好きなんですけどね…
そんなに、売れてなかったなんて、知りませんでした。
なんか、ショックやなぁ…
では、この先をまた、読ませてもらいます。
fragileの場合、直接にはeasy attractionの後で微妙な空白期間が2年空いてしまったのが大きいんじゃないかと思っています
まあ、今のTMについてきている方々ならば、売上などは気にせず音を楽しめるんじゃないでしょうか
私もここで作品の売上に言及しているのは、当時の音楽活動に影響を与える客観的要素として挙げているにすぎませんので