6-10 小室哲哉、avexとの決別
前回告知しましたが、当ブログの12/30池袋忘年会は12/22締切です
申し込み先はtm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に変える)です
参加希望者は1.名前(本名でなくても可)、2.性別、3.携帯アドレスをご連絡下さい
さて、BD/DVD「START investigation」の収録内容と、
BD限定版の付録とmumoの特典が、11/20に発表されました
かなり意外なのですが、
あの「You Can Dance」は一曲になるんでしょうか?
あと「Green Days」の前の寸劇の曲、
「She was not a human」っていうんですね
特典については、渋谷公会堂イベントの映像は、
どの程度収録されているか謎ですが、嬉しい追加ですね
そういや、あの時に流していた「新曲」はどうなったんだ…
そしてmumoの予約特典ですが、これが衝撃でした
具体的には「Get Wild」「I am」のライブ音源入りCDです
これmumoのサイトによれば、「Blu-ray Disc / DVDに収録されている、さいたまスーパーアリーナで披露したライブ音源になります」とのことです
って! なんじゃよ! このゴミクズは!
ええ、私、これを注文してしまいましたよ
mumoで注文するとamazonより3200円高くなるのですが、
その分でBDの音を2曲分抜き出したゴミCDがもらえるのですか…
私、特典の内容がダメならキャンセルしようと思っていたのですが、
特典発表と同時にキャンセルできなくなっていました
明らかに特典が無価値なことを自覚した措置です
mumoには20日までに注文すれば発売日発送と書いてあったのですが、
その日になった途端ゴミクズ発表&キャンセル不可とは、こいつはやられました
まさにavex商法にひっかかったという感覚でいっぱいです
こんなあくどい商売を躊躇なくできるなんて、マジ油断なんねー
今後注文する方、mumoで予約しても良いことはまったくありませんから、
amazonか楽天かHMVあたりでお買い上げ下さい
DVD・BDとも、12/11発売です
そして来年のTM30周年についても、少しずつ動いているようです
小室さんが11/28の00:01(11/27の深夜)に、
「明日はおじさん3人組の、お仕事を引き続き、進めますね。」
とTweetしています
小室さん一人でやっているのか、3人で打ち合わせしているのかは分かりませんが、
少なくとも11/27以前には何かが始まったようです
なお来年のTMの話について、先々週の「Radio Digitalian」で少しコメントがありました
これを見るに、もしも問題がなければ、来年は4月以後に全国ツアーが開催される予定のようです
おお! やっと!
2008年の「SPEEDWAY and TK Hits!」以来6年ぶりの全国ツアーが!
これはできる限り大々的にやってほしいですね!
その他ソロ関連では、小室さんは、
12/4に「FNS歌謡祭」、12/7に「白黒歌合戦」に出演します
また木根さんは「"RESET" Tour」が終わりました
これで残すところは12/23のクリスマスライブのみですね
なお「"RESET" Tour」最終公演は、来年DVDになるそうです
では本題に入ります
宣言しておきますが、今までで一番痛い話です
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1997年後半は、プロデューサー小室の折り返し地点となった
小室がTKブームを作り出したavexと対立してしまったのである
1995年夏まで、trfを中心としていた第1期、
globe・安室・華原を中心にヒット曲を量産した第2期を経て、
これ以後TKブームは末期の第3期となる
第1期TKブームの始まる中で「終了」したTMNは、
ブーム最盛期の第2期に再結成の兆しを見せ、
ブームが終息する第3期になってTM NETWORKとして復活する
avexの松浦勝人によれば、TKブームの時代、
小室は業界の経営陣から有利な条件を出させるため、
複数の関係者を競わせるという方策を取ったらしい
小室の周辺には様々な権利関係が入り乱れていたが、
小室はそれに振り回された側面もあると同時に、
利用しようともしていたわけである
こうしたことが積み重なり、小室と松浦の関係は険悪になったのだろう
小室とavexの関係が特に悪化したのは、
1997/3/1~24「globe@4_domes」の後らしく、
松浦によれば、この頃から小室は人が変わったように傲慢になったという
だが小室との決別を最初に決意したのは松浦ではなく、
松浦の盟友だったホワイトアトラス(avex系の芸能事務所)の千葉龍平だった

「globe@4_domes」でピアノソロ「Time To Count Down」
1997年7月、何があったのか分からないが、
千葉は電話で小室と何らかの話をして大喧嘩になった
その結果千葉は小室の周りから、
ホワイトアトラス関係者をすべて引き上げさせることにした
当時小室のマネージャーだった伊東宏晃は、
ロスアンゼルスで小室の身辺の世話をしていたが、
千葉はこれに対しても帰国を命じ、
小室か自分かどっちを取るか迫ったという
すでに小室への反感を高めていた松浦は、千葉側についた
EPIC/SONYの丸山茂雄は小室とavexの仲介を試みたが、
この時小室は印税額やアーティストの扱いに関して強気な条件を提示した
松浦・千葉はこれをすべて断り、以後小室抜きでやっていくことを決意する
以後a-nationなど仕事で小室と接触することはあっても、
和解は実に小室逮捕後の2009年まで行なわれなかった
当時小室関連楽曲はavexのセールスの半分以上を占めており、
小室との決別の決断は大変なものだったと思われるが、
必ずしもビジネスのみでは動かない松浦・千葉の人間性も感じさせる
なお千葉は事の責任を取ってホワイトアトラス社長を辞任したが、
顧問役として実質的な指導権は維持した(社名はアクシヴに改称)
1996年の小室作品は、レコード会社・レーベルに関わらず、
ほぼすべてavex系のプライムディレクションの管理下でリリースされていた
だがこの体制は小室とavexの決別の結果、事実上崩壊した
小室は古巣のSONYを拠点に体勢の再整備を行なうが、
それまで頼っていたスタッフで別れを告げざるを得なくなった者もいたに違いない
もっともavex系TKファミリーの所属事務所は、
必ずしも一枚岩だったわけではない
そのため以後もavexからはTKファミリーの楽曲がリリースされる
だが千葉が直接関わっていたTRFとhitomiは、
すでに契約済の仕事が終わるとともにTKプロデュースから外された
TRFは1997年には新曲リリースがなかったが、
1998年元旦にベスト版「WORKS」をリリースしてTK時代の総決算をし、
2/18からは4ヶ月連続で3枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした
さらに1999年にかけては5枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしており、
1997年とは打って変わって非常に積極的な活動が見られた
作曲者としてはDJ KOOの他、富樫明生・木村貴志・菊池一仁など、
avex生え抜きのミュージシャンが登用されている
ただしセールスをアルバムで見ると、
「WORKS」100.1万枚、「UNITE」18.3万枚、「LOOP#1999」9万枚と、
またたく間に数字を落とし、
2000年以後は活動が停滞する
一方hitomiは、1997/11/12リリースの「deja-vu」までTKプロデュースが続いた
7月以前にシングル「Busy Now」「problem」の2枚がリリース済で、
アルバム作成までの契約も済んでいたためだろう
翌年4/22にはhitomi自身の作詞・作曲に成る「空」がリリースされる
これは久保こーじプロデュースで、小室の人脈ではあるが、
TKプロデュースの名前は用いられなかった
1999/2/24にベスト版「h」をリリースしてTK時代に決着をつけた後は様々な作曲家を登用するが、
この頃になると「WISH」「there is」「体温」など、
TK時代とは別の魅力ある楽曲が多く発表される
同年のオリジナルアルバム「thermo plastic」を聴く限り、
セールス面はともかく、千葉は小室に“勝った”と感じる
さらに2000~02年にはTK時代に匹敵する売り上げを実現した
小室のイメージが極めて強かったTRFと違い、
それが薄かったhitomiは、脱小室に成功したといえる
以上2組以上に複雑な経緯をたどったと思われるのがglobeである
というのも、globeはKEIKOが千葉のホワイトアトラス所属だが、
Marc Pantherはピムコーポレーション所属で、
千葉の一存ではその去就を決められないからである
その巨大なセールスを考えれば、
活動継続に当たっては様々な綱引きがあったはずである
1997年夏から1998年初めまで、globeの活動は極めて低調だった
それまでのglobeのアルバムのリードシングルを見るに、
1st「globe」は5枚、
2nd「Faces Places」は4枚(他にリカットシングルも1枚)に及び、
このシングル詰め合わせのお得感がglobeの巨大セールスの一因でもあった
ところが3rdアルバム「Love again」のリードシングルは、
1997/10/15リリースの「Wanderin’ Destiny」一曲だけである
この曲はドラマ「青い鳥」(10~12月放映)の主題歌だが、
このタイアップはドラマ制作中の夏には決まっていたはずで、
その突然の中止・差し替えはavexの信用問題からも不可能だったのだろう
だが「Wanderin' Destiny」はPVの作成もなく、
TV出演などのプロモーションもほとんどなかった
その後もglobeは活動らしい活動がない
アルバム「Love again」のリリースは年度内最終日1998/3/31で、
リードシングルとしてリリースされるべきタイトルチューン「Love again」も同日発売された
業界の常識では、有力な新譜はオリコン集計日(月~日曜)を念頭に置いて、
水曜リリース(実質的には発送日である2日前の月曜日から発売)にするものだったが、
「Love again」は火曜日リリースという異例措置だった
このため「Love again」は一週目は日曜日分30.3万枚しか集計されず、
3/25水曜リリースのスピッツ「フェイクファー」31.3万枚に敗れて2位となった
(翌週=発売2日目~8日目は54.2万枚で1位を獲得)
もっとも1stアルバム「globe」も日曜3/31のリリースであり、
発売日のみで「Love again」の異常さを強調するのは不適切かもしれない
だが「globe」の場合は水曜日3/27にリードシングル「FREEDOM」がリリースされており、
年度内リリースと言う縛りの中で計画的に(戦略的に)設定されたものだったように見える
これに対して「Love again」リリース日の遅れには、
globeをめぐる状況の混乱が背景にあったようである
本作のレコーディングはロスの小室と日本のKEIKO・Marcの間で、
わずか10日程度で行なわれた
もちろんオケ作成はそれ以前からロスで行なわれていただろうが、
それでも本格的な制作に入ったのは3月からだったという
アルバムリリースの告知も2月から行なわれたが、
当時のglobeの位置を考えれば、これも直前すぎるといえる
レコーディングの完了は、なんとリリース6日前の3/25(水)だった
リリース1ヵ月前までにはレコーディングを完了するのが通常であるにもかかわらずである
ジャケットなどは先に作ってあったとしても、
CD100万枚のプレス・梱包・配送を4日後の日曜までに済ませたことは驚くべきで、
各所に相当の無理をさせて実現したものと思われる
またその内容も、1st・2ndと比べると満足なものとは言い難く思う
この日程はリリース日以上に異常である
おそらくglobeの3rdアルバムについては、
直前まで権利関係の調整に手間取り、
リリース中止や活動休止も十分にありえる状況だったのだろう
これがTMN復活宣言のその後に混乱をもたらした可能性があることは、
前章で述べた通りである
実際にMarcは「Tour Love again」パンフで「Wanderin' Destiny」について、
「ちょうどglobeが、ばらけてしまっていた時期もあり、運命をさまよっている、そんなことを考えていた」
というコメントを書いているらしい
この「ばらけてしまっていた時期」とは、
「Wanderin' Destiny」制作から「Tour Love again」開始の間、
すなわち1997年秋頃から1998年7月以前のある時期のはずである
おそらく上記の「Love again」リリース前の混乱に対応するものだろう
なお1997年5月の小室の台湾ライブにglobeとして参加したKEIKOが、
11~12月の中国ツアーに参加しなかったのは、
小室と千葉の関係が背景にあった可能性がある
TRFも台湾ライブに参加しながら中国ツアーには参加していないが、
KEIKOとTRFがともに千葉の関係者であることは果たして偶然だろうか
(千葉の影響下にないMarcは参加している)
しかもKEIKOは、当初は参加予定だったにもかかわらず、
体調不良という不自然な名目で出演が中止になっている
またglobeは1996・1998・1999年には「紅白歌合戦」に出演したが、1997年だけ出演していない
これもやはり同様の事情で出演できなかったのかもしれない
これに対して安室奈美恵はライジングプロダクション、
華原朋美はTK State所属で、ホワイトアトラスと関係がなく、
レーベルも安室はavexだが、華原はPioneer系のorumokだった
したがってavexの件はさほど影響しなかったと思われる
なお華原は1998年、orumokからワーナーミュージックに移籍する
これによりorumokには現役所属ミュージシャンがいなくなるが、
会社自体はfactoryorumokに改称して存続させた
この事情はいまだによく分からないが、
華原周辺からデビュー以来の人脈(avex関係者も含め)を排除しようとしたものかもしれない
華原の移籍第一弾シングル「tumblin’ dice」は1998/6/17にリリースされたが、
これは松浦が関わっていたEvery Little Thingの「Forever Yours」リリース日と同日である
これは小室側が仕掛けたもののようで、松浦は小室の仕打ちに怒ったという
ただしこの時はEvery Little Thingが1位を獲得し(華原は2位)、
セールスも初動でそれぞれ20万・11.1万という大差がついた
さらに安室・華原の二人は、まもなく退場を余儀なくされる
まず安室は1997年秋に妊娠が明らかになり、
10/22にTRFのSAMとの結婚と産休が発表された
安室は同年の紅白歌合戦を以って1年間音楽活動を休止する
1998年末からは活動を再開し、一定のセールスを保つものの、
そのファッションカリスマの地位は次第に浜崎あゆみに奪われた
(今では奪い返した感もあるが)
華原は1997/9/18「たのしくたのしくやさしくね」あたりから、
セールスが下降傾向を示す
1998年、ワーナー時代の華原のシングルは20万枚にも届かず、
1998/11/26リリースの3rdアルバム「nine cubes」も、
5位、26.1万枚の成果に留まった
2nd「storytelliing」の136.6万枚と比較すれば、
安室・globeと比べても凋落が著しい
もともと小室の恋人というブランドで売れていたところがあったため、
TKブームの沈静化をもっとも直接に受けてしまったといえるかもしれない
小室が頻繁に海外に行くようになったことも影響しているのだろうが、
1998年には華原と小室の関係がうまくいかなくなり、
華原はテレビでの行動・言動におかしいところが散見するようになる
12月には小室との関係が最終的に破局を迎える
直接の契機は華原の浮気だが、小室とasamiの関係もあるだろう
1999年以後の華原は精神を病んで入院を繰り返し、
以後再起まで長い間悲惨な日々を送ったことは周知の事実である
華原は1999年5月に事務所を移り、
年内は松浦勝人プロデュースで活動を行なった
松浦期最初のシングル「as A person」の曲名は、
明らかに小室へのあてつけだろう
(「A(一人)」が大文字なところも含め)
そのリリースは1999/7/22とされ、
TM NETWORK再始動第一弾シングル「Get Wild Decade Run」にぶつけられた
(その前週には7/14鈴木あみ「Be Together」に浜崎あゆみ「Boys & Girls」がぶつけられている)
明らかにTM再始動に対するネガティブキャンペーンである
これは当時精神的に弱っていた華原の悪意と見るべきではなく、
小室を敵視する松浦の作戦だろう
ちなみに「as A person」は28.7万枚を売り、
1998年TKプロデュース末期の華原や、
再始動期TM NETWORKを越える成績を上げている
ただしその後はセールスが急落する
11/25リリースのアルバム「One Fine Day」は7位、5.7万枚で、
結果として松浦期の華原の成績はTK期を大きく下回った
このように小室は1997年半ば以後、avexと決別しただけでなく、
期せずして次々と有力なTKファミリーを失った
人気低落とavexとの決別の因果関係はなんとも言えないが、
建て直しに当たりavexの助力を得ることができなくなったことは、
少なからぬ意味を持っただろう
その上avexは、独力で“小室越え”を目指し尽力していた
中でも特に期待されたのが、
1997年にブレイクを果たしていた松浦プロデュースのEvery Little Thingである
彼らの楽曲は明らかにTKサウンドを意識しており、
(特にデビュー曲「Feel My Heart」は著しい)
作曲者を含む女性ボーカル+男性2人という当初の編成もglobeがモデルだろう
松浦自身、プロデュース方法は小室から学んだと言っている
Every Little Thingの最盛期は1998年に来た
1998/2/11シングル「Time goes by」でミリオン(115万枚)を達成し、
さらにアルバム「Time to Destination」は352万枚を売って、
年間3位を獲得したのである
(1・2位は合計1000万枚を売ったB’zのベスト版)
一方同年のTKプロデュース作品の最高記録は、
安室ベスト版「181920」の年間11位、167.7万枚だが、
新作ではglobe「Love again」(年間12位、165.8万枚)となり、
両作を足しても売り上げは「Time to Destination」に満たない
ここにavexは小室との決別後、早くも“小室越え”を実現した
さらに1998/4/8には、浜崎あゆみが松浦プロデュースでデビューする
現在まで長くavexを支えている存在である
浜崎は12月まで9ヶ月で5枚のシングルを立て続けにリリースし、
1999年元旦の1stアルバム「A Song for ××」は、
早くも1位を獲得して145万枚を売った
作曲は星野靖彦・木村貴志・菊池一仁・長尾大などavex作家陣が担当したが、
作詞は浜崎自身が担当した
「女性の気持ちを代弁する女性のカリスマ」という位置は、
加藤ミリヤや西野カナなど現在まで健在だが、
そのモデルはここから発しているといえる
浜崎は以後も高セールスを出し続け、2000年代前半までが絶頂期だった
特に2001年のベスト版「A Best」は429.5万枚を売り、年間2位である
(1位は宇多田ヒカル「Distance」447.2万枚で、発売日も同じ)
小室の最高記録であるglobe「globe」の413.6万枚をも超える数字だった
結局小室とavexのタッグが崩壊した後、
継続的な成果を出したのは小室ではなくavexの方だったのである
1997年の時点でavexがここまでの成果を出すことは分からなかったし、
TKファミリーが急速に失速することも分からなかった
だがavexとの決別の意味の大きさは、小室も分かっていただろう
あるいはだからこそ小室は、
海外進出を推進せざるをえなかったのかもしれない
(客観的に見れば、サポート体制が動揺した時に行なうことではないのだが)
そして日本国内においては、
減り行くTKファミリーを補充するために、
新たなミュージシャンを手がける必要がある
ただしその際には、avexの影響力のないレーベル・事務所に頼る必要があった
小室が期待した新人は3人おり、いずれも若い女性歌手だった
一人はtohko、一人は未来玲可、一人は鈴木あみである
tohko・未来はポニーキャニオンからデビューし、
鈴木あみは当初SONY系列のSMEJからデビューした後、
同じSONY系列のTRUE KiSS DiSCに移籍した
このうちで未来は調べが付かないが、
tohko・あみのマネージメント契約は、
ともにエージーコミュニケーションと交わされた
同社社長の山田衛志はMarc Pantherが属するピムコーポレーションの社長でもあり、
avexの影響が及ばないところだったようである
tohkoは1998/1/14「Bad Luck on Love」でデビューした
ランクは14位だが、ロングセールスとなり、32.8万枚を売っている
もっとも本作は日向大介との共同プロデュースで、作曲・編曲も日向だった
2ndシングル「LOOPな気持ち」も日向作曲・編曲だが、作詞は小室である
3rdシングル「ふわふわふるる」では小室が作詞・作曲・編曲をすべて担当した
(作詞はMarc Pantherとの共作)
tohkoはどのような経緯でデビューしたのかよく知らないが、
一説に1996年冬頃に小室が見出し、1年のボイストレーニングを行なったらしい
(本記事Mさんコメント)
従来のTKファミリーと異なるのは、
外見重視ではない点と歌唱力の高さである
特にその歌唱力については、大いに期待できるところだったし、
提供された曲も良曲が多い
「Bad Luck on Love」も佳曲だが、
小室作曲の「ふわふわふるる」もなかなかである
ただシングルは「Bad Luck on Love」以外はあまり売れなかった
1stアルバム「籘子」は3位、29.6万枚を売っており、
新人としては十分な成績だが、大ヒットといえるほどの数字ではない
tohkoは翌年までTKプロデュースが続くが、
初期作品を超える成果は出せなかった
2人目は未来玲可(みくれいか)で、
こちらは久保こーじとの共同プロデュースだった
デビューシングル「海とあなたの物語」は7位、31.3万枚のセールスを記録した
未来は3人中知名度が一番低いが、
実はデビュー曲の売り上げはtohko・あみと同レベルである
だが2ndシングルはリリースが中止され、
1999/3/17リリースのアルバム「海とあなたの物語たち」は、
小室作曲が2曲のみという内容となった(1曲は「海とあなたの物語」)
成績は26位、2.2万枚に終わり、その後未来は引退した
実際に歌唱力・容姿ともに微妙なところもあった
結果として成功を収めた唯一の例は鈴木あみである
1998年2月、「ASAYAN」のオーディションでグランプリを取り、
1998/7/1に「love the island」でデビューした
グアム大夏祭’98キャンペーンのタイアップがあり、
そのためにグアム島をイメージしてこのタイトルになったのだろう
なお、あみの事務所社長の山田衛志は「ASAYAN」のプロデューサーでもある
「love the island」は5位、28.8万枚の成果を上げた
デビュー曲の売り上げではtohko・未来を下回ったものの、
小室は以後1~2ヶ月に1枚のハイペースであみのシングルを出し、
1999年までは平均40~50万枚の安定したセールスを出している
1999/3/25には6枚ものシングル曲を収めた1stアルバム「SA」がリリースされ、
1位、187.9万枚の成績を収めた
年間チャートでも9位である
女性のファッションカリスマ的存在だった安室や、
小室の彼女として売り出された華原と異なり、
あみは純粋に典型的なアイドルとして売り出された
実際に“きれいさ”ではなく“かわいさ”で言えば、
TKファミリー中でも随一だろう
そのためあみはTKファミリーでは珍しく、
男性ファンが主な支持層となった
それは当時のavexが取り込んでいない層でもある
メディアでは浜崎あゆみと並ぶ人気女性歌手として扱われた
鈴木あみは歌唱力はあるわけではないが、
声は明るくキュートで、好感が持てる
小室に近いTKファミリーは、KEIKOや華原など、
次第に歌に妙な癖がついてしまうケースが多いが、
あみはその点も免れた
1999~2000年の小室哲哉は、
実質的に安室奈美恵と鈴木あみでそのステータスを保っていた
この他、ほとんど売れなかったが、
意外なところで甲斐よしひろがある
甲斐は1998年にポニーキャニオンからSMEJに移籍し、
1998/9/9リリースの「Tonight I Need Your Kiss」以後、
年内に矢継ぎ早に3枚のシングルをリリースしている
(4枚目も用意されていたが未発表)
さらに以前触れたところだが、
True Kiss Destinationも少し遅れて活動の準備を始め、
1999年初めにデビューする(夏にKiss Destinationと改称)
R&Bブームを意識したもので、セールスは振るわなかったが、
年内いっぱいは小室がもっとも力を入れたユニットだった
True Kiss Destinationのレーベルは、
小室がニューヨークに設立したTRUE KiSS DiSCで、
当初はインディーズだったが、まもなくSONYグループに入った
またasamiはtohko・鈴木あみと同じく、
エージーコミュニケーションに所属している
True Kiss Destinationもやはりavexの影響下にないところからデビューしたことになる
以上、TKブームの収束とそれに対する小室の対応について長々と述べてきたが、
まとめていえば、1997年後半、小室はavexと決別し、
手元に残ったTKファミリーも次々と人気低落、あるいは活動休止となった
そのため音楽活動を継続するために、
avexの影響下にない事務所・レーベルに頼る必要が出てきた
その結果が1998~99年の鈴木あみやTrue Kiss Destinationのデビューだった
avex設立以前から活動していたベテラン甲斐よしひろも、当然avexの影響はない
以上のように考えると、思い当たる節があるだろう
1997年夏頃、ウツ・木根が小室のプロデュースから離れたソロ活動を再開した一方、
直後の9月になって今度はTMNの再結成に向けて動き出したことである
この方針の混乱は、おそらく小室とavexの決別が影響しているのではないか
おそらく夏になって小室の予定が突如白紙状態になったことで、
ウツ・木根のプロデュースとその先のTMN再結成も、
先行き不透明になってしまったものと思われる
そして木根の発言を信じれば、
独自の活動を再開し始めたウツ・木根に対して、
小室は9月にTMN再結成を持ちかけた
TMNもそのメンバーもEPIC/SONY所属であり、
ネームバリューを考えてもその再結成は、
avexとの対抗上有効な手段と考えられただろう
小室もそこに目をつけたのではないだろうか
かくして1997年12月、TMN再結成が宣言された
しかしこれはもはや音楽活動自体が目的というよりは、
業界内の勢力争いの手段にTMNの名前が持ち出されたという方が正しい
もちろん小室は再結成するからには、
しかるべき形で活動するつもりだっただろう
だが小室とavexの決別直後、情勢は極めて流動的だった
avexと袂を分かった小室との関係を強めようと、
様々な輩が近寄ってきたことも想像に難くない
この頃から目立つようになる山田衛志などは、その筆頭と思われる
なにしろ、tohko、鈴木あみ、globe、True Kiss Destinationなど、
1998年の小室が活動の核としたものは、ほぼ山田絡みである
その中で山田と関わらないTMNの再結成が、
1998年に後回しにされてしまったのは、
小室側の情勢として仕方ないところがあったのだろう
ファンとしては、そんな業界側の事情は知ったことではないが、
そもそもTMN再結成宣言自体が業界側の事情によるものだったのならば、
それが業界側の事情(力関係)で覆るのも、また仕方のないことだろう
「小室利権」の膨張によって、
事態はTMN「終了」に至る1992~94年よりも複雑になっていたのかもしれない
次回からは、いよいよ再結成期TM NETWORKの話に入る
この時期はウツも木根もファンも、そして小室も、
数年間、あるいは10年近く、業界の論理に振り回され続けた
そのような中でTM NETWORKの活動は、
到底満足とはいえない形で行なわれることになる
申し込み先はtm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に変える)です
参加希望者は1.名前(本名でなくても可)、2.性別、3.携帯アドレスをご連絡下さい
さて、BD/DVD「START investigation」の収録内容と、
BD限定版の付録とmumoの特典が、11/20に発表されました
01.Opening
02.Children of the New Century
03.MISSION PART1
04.IGNITION, SEQUENCE, START
05.BEYOND THE TIME
06.Human System
07.Here, There & Everywhere
08.She was not a human
09.Green days 2013
10.A Day In The Girl's Life <CAROL組曲>
11.Carol (Carol's Theme Ⅰ) <CAROL組曲>
12.In The Forest <CAROL組曲>
13.Carol (Carol's Theme Ⅱ) <CAROL組曲>
14.The Other Side Of The Future <CAROL組曲>
15.Just One Victory
16.Diner Opening "You can Dance"
17.Jam Session
18.一途な恋
19.DIVE INTO YOUR BODY
20.COME ON EVERYBODY+Come on Let's Dance
21.Be Together
22.Get Wild
23.Dawn Valley
24.RESISTANCE
25.Love Train
26.Ending "Fool On The Planet"
<Special>
・I am
・Tetsuya Komuro Movie Commentary(初回生産限定盤Blu-ray Discのみ収録)
・「TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-」発売記念スペシャルイベント@渋谷公会堂(初回生産限定盤Blu-ray Discのみ収録)
かなり意外なのですが、
あの「You Can Dance」は一曲になるんでしょうか?
あと「Green Days」の前の寸劇の曲、
「She was not a human」っていうんですね
特典については、渋谷公会堂イベントの映像は、
どの程度収録されているか謎ですが、嬉しい追加ですね
そういや、あの時に流していた「新曲」はどうなったんだ…
そしてmumoの予約特典ですが、これが衝撃でした
具体的には「Get Wild」「I am」のライブ音源入りCDです
これmumoのサイトによれば、「Blu-ray Disc / DVDに収録されている、さいたまスーパーアリーナで披露したライブ音源になります」とのことです
って! なんじゃよ! このゴミクズは!
ええ、私、これを注文してしまいましたよ
mumoで注文するとamazonより3200円高くなるのですが、
その分でBDの音を2曲分抜き出したゴミCDがもらえるのですか…
私、特典の内容がダメならキャンセルしようと思っていたのですが、
特典発表と同時にキャンセルできなくなっていました
明らかに特典が無価値なことを自覚した措置です
mumoには20日までに注文すれば発売日発送と書いてあったのですが、
その日になった途端ゴミクズ発表&キャンセル不可とは、こいつはやられました
まさにavex商法にひっかかったという感覚でいっぱいです
こんなあくどい商売を躊躇なくできるなんて、マジ油断なんねー
今後注文する方、mumoで予約しても良いことはまったくありませんから、
amazonか楽天かHMVあたりでお買い上げ下さい
DVD・BDとも、12/11発売です
そして来年のTM30周年についても、少しずつ動いているようです
小室さんが11/28の00:01(11/27の深夜)に、
「明日はおじさん3人組の、お仕事を引き続き、進めますね。」
とTweetしています
小室さん一人でやっているのか、3人で打ち合わせしているのかは分かりませんが、
少なくとも11/27以前には何かが始まったようです
なお来年のTMの話について、先々週の「Radio Digitalian」で少しコメントがありました
いよいよ来年は30年ということで、おかげさまで宇都宮君も僕も木根さんも、みんな健康状態が良くなってきて、来年に備えて準備を整えていますので、はっきりはいえませんが、いよいよ来年は、来年の4月21日からは30周年なので、それ以降ですかね、以降から1年間、いろいろなところに、いよいよ動くんじゃないかと言う気がします
これを見るに、もしも問題がなければ、来年は4月以後に全国ツアーが開催される予定のようです
おお! やっと!
2008年の「SPEEDWAY and TK Hits!」以来6年ぶりの全国ツアーが!
これはできる限り大々的にやってほしいですね!
その他ソロ関連では、小室さんは、
12/4に「FNS歌謡祭」、12/7に「白黒歌合戦」に出演します
また木根さんは「"RESET" Tour」が終わりました
これで残すところは12/23のクリスマスライブのみですね
なお「"RESET" Tour」最終公演は、来年DVDになるそうです
では本題に入ります
宣言しておきますが、今までで一番痛い話です
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1997年後半は、プロデューサー小室の折り返し地点となった
小室がTKブームを作り出したavexと対立してしまったのである
1995年夏まで、trfを中心としていた第1期、
globe・安室・華原を中心にヒット曲を量産した第2期を経て、
これ以後TKブームは末期の第3期となる
第1期TKブームの始まる中で「終了」したTMNは、
ブーム最盛期の第2期に再結成の兆しを見せ、
ブームが終息する第3期になってTM NETWORKとして復活する
avexの松浦勝人によれば、TKブームの時代、
小室は業界の経営陣から有利な条件を出させるため、
複数の関係者を競わせるという方策を取ったらしい
小室の周辺には様々な権利関係が入り乱れていたが、
小室はそれに振り回された側面もあると同時に、
利用しようともしていたわけである
こうしたことが積み重なり、小室と松浦の関係は険悪になったのだろう
小室とavexの関係が特に悪化したのは、
1997/3/1~24「globe@4_domes」の後らしく、
松浦によれば、この頃から小室は人が変わったように傲慢になったという
だが小室との決別を最初に決意したのは松浦ではなく、
松浦の盟友だったホワイトアトラス(avex系の芸能事務所)の千葉龍平だった

「globe@4_domes」でピアノソロ「Time To Count Down」
1997年7月、何があったのか分からないが、
千葉は電話で小室と何らかの話をして大喧嘩になった
その結果千葉は小室の周りから、
ホワイトアトラス関係者をすべて引き上げさせることにした
当時小室のマネージャーだった伊東宏晃は、
ロスアンゼルスで小室の身辺の世話をしていたが、
千葉はこれに対しても帰国を命じ、
小室か自分かどっちを取るか迫ったという
すでに小室への反感を高めていた松浦は、千葉側についた
EPIC/SONYの丸山茂雄は小室とavexの仲介を試みたが、
この時小室は印税額やアーティストの扱いに関して強気な条件を提示した
松浦・千葉はこれをすべて断り、以後小室抜きでやっていくことを決意する
以後a-nationなど仕事で小室と接触することはあっても、
和解は実に小室逮捕後の2009年まで行なわれなかった
当時小室関連楽曲はavexのセールスの半分以上を占めており、
小室との決別の決断は大変なものだったと思われるが、
必ずしもビジネスのみでは動かない松浦・千葉の人間性も感じさせる
なお千葉は事の責任を取ってホワイトアトラス社長を辞任したが、
顧問役として実質的な指導権は維持した(社名はアクシヴに改称)
1996年の小室作品は、レコード会社・レーベルに関わらず、
ほぼすべてavex系のプライムディレクションの管理下でリリースされていた
だがこの体制は小室とavexの決別の結果、事実上崩壊した
小室は古巣のSONYを拠点に体勢の再整備を行なうが、
それまで頼っていたスタッフで別れを告げざるを得なくなった者もいたに違いない
もっともavex系TKファミリーの所属事務所は、
必ずしも一枚岩だったわけではない
そのため以後もavexからはTKファミリーの楽曲がリリースされる
だが千葉が直接関わっていたTRFとhitomiは、
すでに契約済の仕事が終わるとともにTKプロデュースから外された
TRFは1997年には新曲リリースがなかったが、
1998年元旦にベスト版「WORKS」をリリースしてTK時代の総決算をし、
2/18からは4ヶ月連続で3枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした
さらに1999年にかけては5枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしており、
1997年とは打って変わって非常に積極的な活動が見られた
作曲者としてはDJ KOOの他、富樫明生・木村貴志・菊池一仁など、
avex生え抜きのミュージシャンが登用されている
ただしセールスをアルバムで見ると、
「WORKS」100.1万枚、「UNITE」18.3万枚、「LOOP#1999」9万枚と、
またたく間に数字を落とし、
2000年以後は活動が停滞する
一方hitomiは、1997/11/12リリースの「deja-vu」までTKプロデュースが続いた
7月以前にシングル「Busy Now」「problem」の2枚がリリース済で、
アルバム作成までの契約も済んでいたためだろう
翌年4/22にはhitomi自身の作詞・作曲に成る「空」がリリースされる
これは久保こーじプロデュースで、小室の人脈ではあるが、
TKプロデュースの名前は用いられなかった
1999/2/24にベスト版「h」をリリースしてTK時代に決着をつけた後は様々な作曲家を登用するが、
この頃になると「WISH」「there is」「体温」など、
TK時代とは別の魅力ある楽曲が多く発表される
同年のオリジナルアルバム「thermo plastic」を聴く限り、
セールス面はともかく、千葉は小室に“勝った”と感じる
さらに2000~02年にはTK時代に匹敵する売り上げを実現した
小室のイメージが極めて強かったTRFと違い、
それが薄かったhitomiは、脱小室に成功したといえる
以上2組以上に複雑な経緯をたどったと思われるのがglobeである
というのも、globeはKEIKOが千葉のホワイトアトラス所属だが、
Marc Pantherはピムコーポレーション所属で、
千葉の一存ではその去就を決められないからである
その巨大なセールスを考えれば、
活動継続に当たっては様々な綱引きがあったはずである
1997年夏から1998年初めまで、globeの活動は極めて低調だった
それまでのglobeのアルバムのリードシングルを見るに、
1st「globe」は5枚、
2nd「Faces Places」は4枚(他にリカットシングルも1枚)に及び、
このシングル詰め合わせのお得感がglobeの巨大セールスの一因でもあった
ところが3rdアルバム「Love again」のリードシングルは、
1997/10/15リリースの「Wanderin’ Destiny」一曲だけである
この曲はドラマ「青い鳥」(10~12月放映)の主題歌だが、
このタイアップはドラマ制作中の夏には決まっていたはずで、
その突然の中止・差し替えはavexの信用問題からも不可能だったのだろう
だが「Wanderin' Destiny」はPVの作成もなく、
TV出演などのプロモーションもほとんどなかった
その後もglobeは活動らしい活動がない
アルバム「Love again」のリリースは年度内最終日1998/3/31で、
リードシングルとしてリリースされるべきタイトルチューン「Love again」も同日発売された
業界の常識では、有力な新譜はオリコン集計日(月~日曜)を念頭に置いて、
水曜リリース(実質的には発送日である2日前の月曜日から発売)にするものだったが、
「Love again」は火曜日リリースという異例措置だった
このため「Love again」は一週目は日曜日分30.3万枚しか集計されず、
3/25水曜リリースのスピッツ「フェイクファー」31.3万枚に敗れて2位となった
(翌週=発売2日目~8日目は54.2万枚で1位を獲得)
もっとも1stアルバム「globe」も日曜3/31のリリースであり、
発売日のみで「Love again」の異常さを強調するのは不適切かもしれない
だが「globe」の場合は水曜日3/27にリードシングル「FREEDOM」がリリースされており、
年度内リリースと言う縛りの中で計画的に(戦略的に)設定されたものだったように見える
これに対して「Love again」リリース日の遅れには、
globeをめぐる状況の混乱が背景にあったようである
本作のレコーディングはロスの小室と日本のKEIKO・Marcの間で、
わずか10日程度で行なわれた
もちろんオケ作成はそれ以前からロスで行なわれていただろうが、
それでも本格的な制作に入ったのは3月からだったという
アルバムリリースの告知も2月から行なわれたが、
当時のglobeの位置を考えれば、これも直前すぎるといえる
レコーディングの完了は、なんとリリース6日前の3/25(水)だった
リリース1ヵ月前までにはレコーディングを完了するのが通常であるにもかかわらずである
ジャケットなどは先に作ってあったとしても、
CD100万枚のプレス・梱包・配送を4日後の日曜までに済ませたことは驚くべきで、
各所に相当の無理をさせて実現したものと思われる
またその内容も、1st・2ndと比べると満足なものとは言い難く思う
この日程はリリース日以上に異常である
おそらくglobeの3rdアルバムについては、
直前まで権利関係の調整に手間取り、
リリース中止や活動休止も十分にありえる状況だったのだろう
これがTMN復活宣言のその後に混乱をもたらした可能性があることは、
前章で述べた通りである
実際にMarcは「Tour Love again」パンフで「Wanderin' Destiny」について、
「ちょうどglobeが、ばらけてしまっていた時期もあり、運命をさまよっている、そんなことを考えていた」
というコメントを書いているらしい
この「ばらけてしまっていた時期」とは、
「Wanderin' Destiny」制作から「Tour Love again」開始の間、
すなわち1997年秋頃から1998年7月以前のある時期のはずである
おそらく上記の「Love again」リリース前の混乱に対応するものだろう
なお1997年5月の小室の台湾ライブにglobeとして参加したKEIKOが、
11~12月の中国ツアーに参加しなかったのは、
小室と千葉の関係が背景にあった可能性がある
TRFも台湾ライブに参加しながら中国ツアーには参加していないが、
KEIKOとTRFがともに千葉の関係者であることは果たして偶然だろうか
(千葉の影響下にないMarcは参加している)
しかもKEIKOは、当初は参加予定だったにもかかわらず、
体調不良という不自然な名目で出演が中止になっている
またglobeは1996・1998・1999年には「紅白歌合戦」に出演したが、1997年だけ出演していない
これもやはり同様の事情で出演できなかったのかもしれない
これに対して安室奈美恵はライジングプロダクション、
華原朋美はTK State所属で、ホワイトアトラスと関係がなく、
レーベルも安室はavexだが、華原はPioneer系のorumokだった
したがってavexの件はさほど影響しなかったと思われる
なお華原は1998年、orumokからワーナーミュージックに移籍する
これによりorumokには現役所属ミュージシャンがいなくなるが、
会社自体はfactoryorumokに改称して存続させた
この事情はいまだによく分からないが、
華原周辺からデビュー以来の人脈(avex関係者も含め)を排除しようとしたものかもしれない
華原の移籍第一弾シングル「tumblin’ dice」は1998/6/17にリリースされたが、
これは松浦が関わっていたEvery Little Thingの「Forever Yours」リリース日と同日である
これは小室側が仕掛けたもののようで、松浦は小室の仕打ちに怒ったという
ただしこの時はEvery Little Thingが1位を獲得し(華原は2位)、
セールスも初動でそれぞれ20万・11.1万という大差がついた
さらに安室・華原の二人は、まもなく退場を余儀なくされる
まず安室は1997年秋に妊娠が明らかになり、
10/22にTRFのSAMとの結婚と産休が発表された
安室は同年の紅白歌合戦を以って1年間音楽活動を休止する
1998年末からは活動を再開し、一定のセールスを保つものの、
そのファッションカリスマの地位は次第に浜崎あゆみに奪われた
(今では奪い返した感もあるが)
華原は1997/9/18「たのしくたのしくやさしくね」あたりから、
セールスが下降傾向を示す
1998年、ワーナー時代の華原のシングルは20万枚にも届かず、
1998/11/26リリースの3rdアルバム「nine cubes」も、
5位、26.1万枚の成果に留まった
2nd「storytelliing」の136.6万枚と比較すれば、
安室・globeと比べても凋落が著しい
もともと小室の恋人というブランドで売れていたところがあったため、
TKブームの沈静化をもっとも直接に受けてしまったといえるかもしれない
小室が頻繁に海外に行くようになったことも影響しているのだろうが、
1998年には華原と小室の関係がうまくいかなくなり、
華原はテレビでの行動・言動におかしいところが散見するようになる
12月には小室との関係が最終的に破局を迎える
直接の契機は華原の浮気だが、小室とasamiの関係もあるだろう
1999年以後の華原は精神を病んで入院を繰り返し、
以後再起まで長い間悲惨な日々を送ったことは周知の事実である
華原は1999年5月に事務所を移り、
年内は松浦勝人プロデュースで活動を行なった
松浦期最初のシングル「as A person」の曲名は、
明らかに小室へのあてつけだろう
(「A(一人)」が大文字なところも含め)
そのリリースは1999/7/22とされ、
TM NETWORK再始動第一弾シングル「Get Wild Decade Run」にぶつけられた
(その前週には7/14鈴木あみ「Be Together」に浜崎あゆみ「Boys & Girls」がぶつけられている)
明らかにTM再始動に対するネガティブキャンペーンである
これは当時精神的に弱っていた華原の悪意と見るべきではなく、
小室を敵視する松浦の作戦だろう
ちなみに「as A person」は28.7万枚を売り、
1998年TKプロデュース末期の華原や、
再始動期TM NETWORKを越える成績を上げている
ただしその後はセールスが急落する
11/25リリースのアルバム「One Fine Day」は7位、5.7万枚で、
結果として松浦期の華原の成績はTK期を大きく下回った
このように小室は1997年半ば以後、avexと決別しただけでなく、
期せずして次々と有力なTKファミリーを失った
人気低落とavexとの決別の因果関係はなんとも言えないが、
建て直しに当たりavexの助力を得ることができなくなったことは、
少なからぬ意味を持っただろう
その上avexは、独力で“小室越え”を目指し尽力していた
中でも特に期待されたのが、
1997年にブレイクを果たしていた松浦プロデュースのEvery Little Thingである
彼らの楽曲は明らかにTKサウンドを意識しており、
(特にデビュー曲「Feel My Heart」は著しい)
作曲者を含む女性ボーカル+男性2人という当初の編成もglobeがモデルだろう
松浦自身、プロデュース方法は小室から学んだと言っている
Every Little Thingの最盛期は1998年に来た
1998/2/11シングル「Time goes by」でミリオン(115万枚)を達成し、
さらにアルバム「Time to Destination」は352万枚を売って、
年間3位を獲得したのである
(1・2位は合計1000万枚を売ったB’zのベスト版)
一方同年のTKプロデュース作品の最高記録は、
安室ベスト版「181920」の年間11位、167.7万枚だが、
新作ではglobe「Love again」(年間12位、165.8万枚)となり、
両作を足しても売り上げは「Time to Destination」に満たない
ここにavexは小室との決別後、早くも“小室越え”を実現した
さらに1998/4/8には、浜崎あゆみが松浦プロデュースでデビューする
現在まで長くavexを支えている存在である
浜崎は12月まで9ヶ月で5枚のシングルを立て続けにリリースし、
1999年元旦の1stアルバム「A Song for ××」は、
早くも1位を獲得して145万枚を売った
作曲は星野靖彦・木村貴志・菊池一仁・長尾大などavex作家陣が担当したが、
作詞は浜崎自身が担当した
「女性の気持ちを代弁する女性のカリスマ」という位置は、
加藤ミリヤや西野カナなど現在まで健在だが、
そのモデルはここから発しているといえる
浜崎は以後も高セールスを出し続け、2000年代前半までが絶頂期だった
特に2001年のベスト版「A Best」は429.5万枚を売り、年間2位である
(1位は宇多田ヒカル「Distance」447.2万枚で、発売日も同じ)
小室の最高記録であるglobe「globe」の413.6万枚をも超える数字だった
結局小室とavexのタッグが崩壊した後、
継続的な成果を出したのは小室ではなくavexの方だったのである
1997年の時点でavexがここまでの成果を出すことは分からなかったし、
TKファミリーが急速に失速することも分からなかった
だがavexとの決別の意味の大きさは、小室も分かっていただろう
あるいはだからこそ小室は、
海外進出を推進せざるをえなかったのかもしれない
(客観的に見れば、サポート体制が動揺した時に行なうことではないのだが)
そして日本国内においては、
減り行くTKファミリーを補充するために、
新たなミュージシャンを手がける必要がある
ただしその際には、avexの影響力のないレーベル・事務所に頼る必要があった
小室が期待した新人は3人おり、いずれも若い女性歌手だった
一人はtohko、一人は未来玲可、一人は鈴木あみである
tohko・未来はポニーキャニオンからデビューし、
鈴木あみは当初SONY系列のSMEJからデビューした後、
同じSONY系列のTRUE KiSS DiSCに移籍した
このうちで未来は調べが付かないが、
tohko・あみのマネージメント契約は、
ともにエージーコミュニケーションと交わされた
同社社長の山田衛志はMarc Pantherが属するピムコーポレーションの社長でもあり、
avexの影響が及ばないところだったようである
tohkoは1998/1/14「Bad Luck on Love」でデビューした
ランクは14位だが、ロングセールスとなり、32.8万枚を売っている
もっとも本作は日向大介との共同プロデュースで、作曲・編曲も日向だった
2ndシングル「LOOPな気持ち」も日向作曲・編曲だが、作詞は小室である
3rdシングル「ふわふわふるる」では小室が作詞・作曲・編曲をすべて担当した
(作詞はMarc Pantherとの共作)
tohkoはどのような経緯でデビューしたのかよく知らないが、
一説に1996年冬頃に小室が見出し、1年のボイストレーニングを行なったらしい
(本記事Mさんコメント)
従来のTKファミリーと異なるのは、
外見重視ではない点と歌唱力の高さである
特にその歌唱力については、大いに期待できるところだったし、
提供された曲も良曲が多い
「Bad Luck on Love」も佳曲だが、
小室作曲の「ふわふわふるる」もなかなかである
ただシングルは「Bad Luck on Love」以外はあまり売れなかった
1stアルバム「籘子」は3位、29.6万枚を売っており、
新人としては十分な成績だが、大ヒットといえるほどの数字ではない
tohkoは翌年までTKプロデュースが続くが、
初期作品を超える成果は出せなかった
2人目は未来玲可(みくれいか)で、
こちらは久保こーじとの共同プロデュースだった
デビューシングル「海とあなたの物語」は7位、31.3万枚のセールスを記録した
未来は3人中知名度が一番低いが、
実はデビュー曲の売り上げはtohko・あみと同レベルである
だが2ndシングルはリリースが中止され、
1999/3/17リリースのアルバム「海とあなたの物語たち」は、
小室作曲が2曲のみという内容となった(1曲は「海とあなたの物語」)
成績は26位、2.2万枚に終わり、その後未来は引退した
実際に歌唱力・容姿ともに微妙なところもあった
結果として成功を収めた唯一の例は鈴木あみである
1998年2月、「ASAYAN」のオーディションでグランプリを取り、
1998/7/1に「love the island」でデビューした
グアム大夏祭’98キャンペーンのタイアップがあり、
そのためにグアム島をイメージしてこのタイトルになったのだろう
なお、あみの事務所社長の山田衛志は「ASAYAN」のプロデューサーでもある
「love the island」は5位、28.8万枚の成果を上げた
デビュー曲の売り上げではtohko・未来を下回ったものの、
小室は以後1~2ヶ月に1枚のハイペースであみのシングルを出し、
1999年までは平均40~50万枚の安定したセールスを出している
1999/3/25には6枚ものシングル曲を収めた1stアルバム「SA」がリリースされ、
1位、187.9万枚の成績を収めた
年間チャートでも9位である
女性のファッションカリスマ的存在だった安室や、
小室の彼女として売り出された華原と異なり、
あみは純粋に典型的なアイドルとして売り出された
実際に“きれいさ”ではなく“かわいさ”で言えば、
TKファミリー中でも随一だろう
そのためあみはTKファミリーでは珍しく、
男性ファンが主な支持層となった
それは当時のavexが取り込んでいない層でもある
メディアでは浜崎あゆみと並ぶ人気女性歌手として扱われた
鈴木あみは歌唱力はあるわけではないが、
声は明るくキュートで、好感が持てる
小室に近いTKファミリーは、KEIKOや華原など、
次第に歌に妙な癖がついてしまうケースが多いが、
あみはその点も免れた
1999~2000年の小室哲哉は、
実質的に安室奈美恵と鈴木あみでそのステータスを保っていた
この他、ほとんど売れなかったが、
意外なところで甲斐よしひろがある
甲斐は1998年にポニーキャニオンからSMEJに移籍し、
1998/9/9リリースの「Tonight I Need Your Kiss」以後、
年内に矢継ぎ早に3枚のシングルをリリースしている
(4枚目も用意されていたが未発表)
さらに以前触れたところだが、
True Kiss Destinationも少し遅れて活動の準備を始め、
1999年初めにデビューする(夏にKiss Destinationと改称)
R&Bブームを意識したもので、セールスは振るわなかったが、
年内いっぱいは小室がもっとも力を入れたユニットだった
True Kiss Destinationのレーベルは、
小室がニューヨークに設立したTRUE KiSS DiSCで、
当初はインディーズだったが、まもなくSONYグループに入った
またasamiはtohko・鈴木あみと同じく、
エージーコミュニケーションに所属している
True Kiss Destinationもやはりavexの影響下にないところからデビューしたことになる
以上、TKブームの収束とそれに対する小室の対応について長々と述べてきたが、
まとめていえば、1997年後半、小室はavexと決別し、
手元に残ったTKファミリーも次々と人気低落、あるいは活動休止となった
そのため音楽活動を継続するために、
avexの影響下にない事務所・レーベルに頼る必要が出てきた
その結果が1998~99年の鈴木あみやTrue Kiss Destinationのデビューだった
avex設立以前から活動していたベテラン甲斐よしひろも、当然avexの影響はない
以上のように考えると、思い当たる節があるだろう
1997年夏頃、ウツ・木根が小室のプロデュースから離れたソロ活動を再開した一方、
直後の9月になって今度はTMNの再結成に向けて動き出したことである
この方針の混乱は、おそらく小室とavexの決別が影響しているのではないか
おそらく夏になって小室の予定が突如白紙状態になったことで、
ウツ・木根のプロデュースとその先のTMN再結成も、
先行き不透明になってしまったものと思われる
そして木根の発言を信じれば、
独自の活動を再開し始めたウツ・木根に対して、
小室は9月にTMN再結成を持ちかけた
TMNもそのメンバーもEPIC/SONY所属であり、
ネームバリューを考えてもその再結成は、
avexとの対抗上有効な手段と考えられただろう
小室もそこに目をつけたのではないだろうか
かくして1997年12月、TMN再結成が宣言された
しかしこれはもはや音楽活動自体が目的というよりは、
業界内の勢力争いの手段にTMNの名前が持ち出されたという方が正しい
もちろん小室は再結成するからには、
しかるべき形で活動するつもりだっただろう
だが小室とavexの決別直後、情勢は極めて流動的だった
avexと袂を分かった小室との関係を強めようと、
様々な輩が近寄ってきたことも想像に難くない
この頃から目立つようになる山田衛志などは、その筆頭と思われる
なにしろ、tohko、鈴木あみ、globe、True Kiss Destinationなど、
1998年の小室が活動の核としたものは、ほぼ山田絡みである
その中で山田と関わらないTMNの再結成が、
1998年に後回しにされてしまったのは、
小室側の情勢として仕方ないところがあったのだろう
ファンとしては、そんな業界側の事情は知ったことではないが、
そもそもTMN再結成宣言自体が業界側の事情によるものだったのならば、
それが業界側の事情(力関係)で覆るのも、また仕方のないことだろう
「小室利権」の膨張によって、
事態はTMN「終了」に至る1992~94年よりも複雑になっていたのかもしれない
次回からは、いよいよ再結成期TM NETWORKの話に入る
この時期はウツも木根もファンも、そして小室も、
数年間、あるいは10年近く、業界の論理に振り回され続けた
そのような中でTM NETWORKの活動は、
到底満足とはいえない形で行なわれることになる
この記事へのコメント
そして“ゴミクズ”に笑ってしまいましたw
おじさん3人組、「幻の新曲」「TMEDM」について動いてるのかと思うとワクワクしますね♪
avexでなくなっていたり
TKプロデュースで無くなっていることを見ながら
漠然と「小室ついに捨てられたか!」
なんて冗談半分で思っていましたが
実際もそれに近いような状態だったのですね。
記事を拝読しつつ「あの曲なんだっけ?」と思った時に
YOUTUBEなどで観て当時を思い出しています。
avex公式のPVが手軽に観られるようになったことは
90年台では考えられないことで
良い時代になったなと感じますね。
ある意味でTMが示唆した未来に生きていると思うと
ちょっとワクワクしたりします。
余談ですが、当時ELTの「Feel My Heart」が
1996年7月5日に発売された
林原めぐみの「Just be conscious」
というアニソンに似ていると
友人と話題になったりしました。
TKの曲調がそれだけ幅広い裾野に広がっていたんですね。
mu-moの件は、毎回のことですが、少しでも多くの利益がavex/TMサイドに入り活動が長くできるよう、もはや寄付のつもりで買っております笑
ぼくも、mu-moで予約したのにLIVEのCD音源か~
GetWildは、2日目の音源だったらそれだけでもいいけど
そしたら、納得するんだけどね。
おわり
お値段とライブシネマで満足したんで買っても恐らく視ないだろうと思いポチはしませんでした。
管理者様が特典へのお怒りごもっともです。
もう少し気の利いた特典だったら良かったのに手を抜きすぎなのは明らかですね。
avexのプロモーションやクリーンじゃないイメージも引っ掛かってすっかり購買意欲ダウンです。
自分が過ごしてきた FANKS空白時代が管理人様の通史読む度に まるでパズルのようににどんどん埋まってきてます(笑)
過去のこととはいえ 何ともせつない時期だったのですね…
改めて夏のたまアリで三方観れたことに感謝です。
が、 …ワタクシも見事にエイベ商法にハマりました(笑)
他の方のコメント同様 せめて収録日が違う選曲してほしかったですね。WOWOW放送確認するかぎり どうも1日目ばかりな気がするのですが、盛り上がった2日目は収録しないんですかね??
あれだけてっちゃんと敵対していたのにもかかわらずてっちゃんの逮捕以降、急接近し保釈後の住まいを提供しただけでなく、松浦社長がてっちゃんの弁済金を全額(しかも利子つきで)用立てるなど、明らかに態度が一変したなって思います。逆に急接近するきっかけは何か知りたいですね。
色々な思いが渦巻く胸中でのわかりやすいまとめをありがとうございます。私より長年のファンだからこそ見える酸いも甘いもある文章が胸を打ちました(ROJAM期ではその思いが更に強まると思います)。
もうこれからは「LATEST WORKS」「Call Me Anytime」「MTR」を素直な気持ちで聞くことができないかもしれません。本気で生音と機械音のバランス取りつつ、ジャンルに向かって突っ走っているだけに色々「勿体ない」と思ってしまいます。
…Blu-rayをAmazonで買いました。工夫が無さすぎる以前に特典という餌を出せばいいと思っている魂胆が素人でも見えました。消しゴムをなめるな、と強く思いました。
失礼致しました。
管理人さん、レスする形で書いただけなのですが気分を憤慨させてしまっていたらもうしわけないです。トーコさんのアルバムクレジットの中に日向さんのスタッフとして須田章子氏の名前があったことも覚えています。
彼女は日向さんのスタッフとして納まったのでしょうかね?長く書いてすみません。
ひょっとして、証拠は無いですが、この木村総一郎がトライキックバックの木村隆(てっちゃんの事件の共犯者であり事件の被害者のS氏とは知り合い)にてっちゃんを紹介したのかなと思いました。
ただ、木村総一郎がどういった経緯でエイベックスを離れて、更にてっちゃんとはどのように接していたのかがわからないからなんとも言えないですが・・・。
ひょっとしててっちゃんとエイベックスとの決裂の立役者は木村総一郎って思いました。
一方で昔からてっちゃんとは付き合いのある音楽仲間はてっちゃんがおかれていた状況をどのような形で把握していたのかなって思いました。というのも逮捕直後からウツや木根ちゃんが「これから先も3人揃ってのTMは歴史は続いていきます。」とコメントしたのをはじめ、他の音楽仲間も相次いで公的な場でてっちゃんを応援支持することを表明しましたからね。
本当にてっちゃんの事件は色々と考えることがあります。
いやー特典受け取りましたけど、本当にゴミクズでしたよ
新曲は出るといいですねぇ…
もうそろそろちゃんと出してほしいです
>Mさん
tohkoの情報、ありがとうございます
小室さんにとっては満を持してのデビューというところだったんでしょうか
それと、こんなところで須田女史の名前が出るとは(笑
SONYグループ内に1プロデューサー・1レーベルみたいな仕組みを作る構想は丸山さんが持っていて、TRUE KISS DiSCもおっしゃる通りその一つとしてSONYグループに入りました
TKD設立当初からそのような形で収める目算だったのかは、(そもそもインディーズの時代が短いので)よく把握していません
ただ小室さんを救うために小林武史さんや織田哲郎さんなども動かしたというのは、ちょっと無理な想定な印象です(すでに小室人気は下がり調子でしたし)
またこのシステムは結果的にプロデューサーには大変な負担で、軒並み失敗したようです
>kuri566さん
あーあ…私と同じ過ちを…
今回のはひどいですよね
あるいは渋谷イベント映像をmumo特典にするか限定版特典にするか考えていたのかもしれませんが、それにしても特典しょぼいですねえ
ライブ用トラックのインストとか入れてくれればよかったんだけどなあ…
>きつねさん
アニソンへの小室さんの影響はよく言われますよね
しかし小室さんがアニメに楽曲提供しても大して成功しないのも、また皮肉です(TM時代は除いて)
すばらしい奉公ぶりですね!
思えば今までTMにいくら払っていて、そのうちどれくらいがメンバーに行っているんだろう…
しかし今回の限定版定価1万円て、ライブ2本のDVDが入ったDOUBLE DECADEと同じ値段なんですよね
あれを考えたら、BDとDVDの違いはあるとして、やはりぼったくりな気がします
良いものだったら金は出す気はあるんですけど、金を集めるためにだまされている感じがするのが腹立たしくて…
>まかろんさん
そうですねえ
2日目の音源を数曲入れたCDを入れてくれれば、確かに熱心なファンにはレアアイテムになりましたよね
なんでそういう配慮ができないのか…avex
>ワイン好きさん
私の書き方も悪かったのでしょうが、なんか購買意欲をそそらせない売り方ではありましたよね
ただ今回のBDはライブ会場にいるよりもストーリーがよく分かるようになっているので、内容自体は悪くないですから、amazonで割引やっている間に購入しても良いかなとは思います
日本クラウンとの関係についてはこれまで気にしていませんでしたが、たぶんavexの翌年の株式上場に向けての体制作りですよね(1998年に株式を公開しています)
ただこの点に注目するとしても、avexが商品の流通担当を自社のグループ会社に変更する以前にglobeのアルバムをリリースしなければいけないことの説明にはならないと思います(私には因果関係が分かりません)
またこれが関係していたとしても、レコーディングを始めてから半月でリリースするというスケジュールの異常さは説明できません
3月中にリリースする必要があったなら、アルバムは2月中には完成させておくのが普通であり、レコーディングの開始が遅すぎます(というか、普通なら中止するレベル)
やはりglobeが2月までレコーディングができない状態だったことは否定できないのではないでしょうか
>mizukiさん
お久しぶりです
あまり愉快な話ではありませんでしたが、これはこれでTMの歴史の一部ではあるんだと思います
2日目の映像、収録はしていたんだから、I am以外にももうちょっと出してほしいですよね
私はむしろ21日の方が調子よかったように見えたんですが…
松浦さん、小室さんが逮捕される前から窮状を知っていて(ついでにヤバイやつが関わっているのを知っていて)、援助しようとしたけど小室さんが待ち合わせの日をすっぽかしたということがあったそうです
当時小室さんをマネージしていたのが、元avexの木村総一郎だったこともあり、松浦さんもまったく無関心というわけにはいかなかったのかもしれません
あと松浦・千葉さんと小室さんの関係は、勝負がはっきりと付いた21世紀になるといくらか和らいだように思います(小室さんがライバル視するほどの存在でもなくなった?)
松浦さんと小室さんの共同企画song+nationや、単発ではありますが小室さんによるTRFの再プロデュースもありましたしね
>feさん
「酸いも甘いも」といいますが、「甘い」はほとんどなかったですよねー(苦笑
でもこの時期、True Kiss Destinationも再結成TM NETWORKも、曲は結構良いものもあるんですよね
問題はavexから離れた後の小室さんをサポートした新スタッフ陣の無能さ(たぶんもともと音楽に興味がない連中)にこそあったのではないかとも思います
小室さんの資産を吸い取った連中も、この頃のスタッフの可能性が高いと思うんですが…
フジテレビ月9ドラマ『じんべえ』主題歌「海とあなたの物語」ですが、当初は主役も演じた松たか子さんが歌う予定だったそうです。
http://tower.jp/article/feature/2011/05/04/77468/77498
デビュー当時は小室と永山耕三が1年間暖めていた「最初は注目されなくてもドラマとの相乗効果をだす」コンセプトと未来の通っていた学校の方針から、メディア出演やキャンペーンを一切行わず、同ドラマで松たか子の役名が「美久」(みく)であることや、声質が似ていることから、未来玲可とは松の変名ではないかとの噂があった。(Wikipediaより抜粋)
当時のzakzak芸能情報によると。
未来は、これまで小室が育てた安室奈美恵や華原朋美とは全然別のタイプを小室独自の人脈からピックアップ。「決して今風ではないが、育ちのよさが感じられ、声質と存在感、キャラクターに強くひかれたようだ」といい、芸名も小室自ら命名したという力の入れよう。(zakzakアーカイブより抜粋)
https://web.archive.org/web/19990912235425/http://www.zakzak.co.jp/geino/n_November98/nws2982.html
1999年1月にも引き続き小室プロデュースによる2ndシングルがリリース予定であったが発売中止になった。予定されていた楽曲はアルバム『海とあなたの物語たち』に収録される。(Wikipediaより抜粋)
未来玲可さんのデビューには、小室さんのテレビドラマ業界人脈が関わってる模様です。あしからず。
ブログ内で言及されてる話。
globeの3人が一枚岩で無かった状況。
1998年12月のレコード大賞受賞時のテロップでも拝見出来ました。
プロダクション
TK STATE AMERICA MUSEUM INC
株式会社 ピム・コーポレーション
株式会社 アクシヴ
と、明記されてます。
ちなみにピム・コーポレーションは
トーコさん、amagata(天方直美)さん、dos、taecoさん、asamiさんが所属してたとの情報ありました。
マークはH jungleにもいたから、globe結成よりも早く事務所に入ったんでしょう。
よく知りませんけど、山田氏と千葉氏の綱引きみたいなのがあったんじゃないでしょうかね。