7-3 ウツ・木根の吉本移籍
「Rainbow Rainbow」「Childhood's End」で「カリビアーナ・ハイ」「クリストファー」「パノラマジック」「永遠のパスポート」の作詞を手掛けた麻生香太郎さんが、3月6日にがんで亡くなっていたそうです。
TM関係者が次々と亡くなったり引退したりしますね。
もう、そういう年なんですね。
ウツは、「「それゆけ歌酔曲!!」ξIdiosξ」が4/5に始まりました。
また4/18には「T.UTU Phoenix Tour 2017」のBlu-rayが一般発売されました。
ライブ会場で購入すると、特典としてダウンロードカードがもらえます。
ただダウンロードできるのは、「T.UTU with The BAND」「それゆけ歌酔曲!!」のロゴ5種とのこと。
うっわ、しょっぼ!
既成の業務用画像ファイルにアクセスできるだけ!?
木根さんは2017/12/2のソロ25周年記念ライブ「キネバラ」のライブDVD・Blu-rayの発売が決まりました。
すでにFC予約は受付を締め切りました。
5月上旬発送の予定とのことです。
21曲110分とのことなので、MCはほとんど入っていないでしょう。
こちら商品化することは去年から宣言されていましたが、3月末にようやく告知されました。
このライブ、小室さんがゲスト出演して、2曲の演奏とトークで1時間近くを費やしたこともあり、私も少し気にしていました。
実に小室さん引退宣言の1ヶ月半前の貴重な映像となります。
ただ曲は収録されますが、トークは入らないようです。
一般向けの商品はwardrecords.comの特設サイトで販売します。
5/30発売で、通常版は7500円、限定盤は9000円です。
限定盤は木根さんのサインとシリアルナンバーが入ったフォトカードと、テイクアウトライブカードがついているとのことです。
テイクアウトライブカードを使うと、専用アプリで特典用に撮影された「木根テレ!」が見られるそうです。
限定盤は200セットが用意されていましたが、好評なのか100セット追加されました。
TMメンバーといる最後の小室映像になる可能性から、普段木根ソロは買わないTMファンも予約しているのかもしれません。
そういやあ、今思い出しましたが、去年「Get Wild Song Mafia」が出た頃に配信された木根さん・浅倉さんの特番ネットラジオ「ゲワイハンター」、続編もやると言ってそのまま放置されていますが、これってどうなるんでしょうか。
2019年春には「City Hunter」劇場版が公開されるそうで、おそらくこれと合わせてTMも何かやるつもりだったんじゃないかと思います。
2019年春って、TM35周年ですし。
まあ今では関係ない話になってしまいましたが、もしかしたら「Get Wild Song Mafia」のリリースはそこまで見据えていたのかもしれません。
小室さんについては、twitter閉鎖に続いて、インスタグラムのアカウントも4/10頃に非公開になりました。
どんどんフェイドアウトモードになっている印象です。
これで残っているのは、5年間更新されていないGoogle+を除けば、755とFacebookだけになりました。
4/2代々木アニメーション学園の入学式では、去年プロデューサーに就任した小室さんもメッセージを寄せたようですが、ビデオが流れたわけではなく、メッセージが読み上げられただけのようです。
プロデューサーの立場は名目的には継続しているようですが、秋元さん、指原さん、つんく♂さんなど他のプロデューサーが出席したのを見れば、欠席した小室さんはやはり実質的には引退状態ということでしょう。
ただ別の見方をすれば、秋元さんが小室さんを名目的にせよ表舞台につなぎとめているともいえます。
それは「ラストアイドル2ndシーズン」についてもいえるかもしれません。
ただ本番組で小室さんがラストアイドルに提供した「風よ吹け!」は、結局2ndシングルの表題曲にはなりませんでした。
本番組では5組総当たり戦の上で、上位3組で最終決戦をして1位を決めるという、プロ野球で言えばクライマックスシリーズ方式が採用されました。
前回触れた通り、総当たり戦の結果、3勝のつんく♂さんと織田哲郎さんの最終戦進出と、全敗の指原莉乃さんの敗退は決定していましたが、小室さんと秋元康さんはともに2勝2敗で、同じ勝率になりました。
そこで視聴者投票の結果が参照されることになりましたが、結果は1位指原、2位秋元、3位織田、4位つんく、5位小室でした。
全敗だった指原さんが投票では1位、一方勝率3位の小室さんは投票では最下位です。
秋元さんと小室さんの中では、投票数が上だった秋元さんが最終戦に進出し、最終的に優勝しました。
審査員ではなく視聴者の評価が最低だったという結果は、小室さん的にはきついものがあります。
視聴者の多くはAKBグループのファンなのですから、もともと秋元さんと指原さんが有利な条件ではあったのでしょうが、つんく・織田・小室3人の中でも最下位でした。
「風よ吹け!」は曲名からして、なんとか良い流れが起こって欲しいという小室さん最後の願いを掛けた曲だったようにも思いますが、この結果には本人もまた落ち込んだかもしれません。
まあ正直に言って、私でも最下位に投票する出来でしたが…
この結果を踏まえて4/18には、秋元さんプロデュースのシュークリームロケッツ「君のAchoo!」を表題曲としたラストアイドル2ndシングルがリリースされました。
CDは6パターンリリースされ(すごいですね)、TypeA~Dにはシュークリームロケッツ以外の4ユニットのどれかが入っています。
「風よ吹け!」はTypeB収録です。
小室さんがプロデュースしたラストアイドルは、企画名としてのラストアイドルと区別するためか、LaLuceと改名しました。
小室さん、前回の優勝ユニットであるラストアイドルをあてがわれていた時点で、かなりの優遇だったと思うんですが、結果的には全然特別感がなくなってしまいました。
メンバーも2人脱退するそうです。
ということで私も、興味がないアイドル番組の録画を見る仕事から開放されました(ホントつらかったです)。
これで小室さんの仕事は終わりなのかなあ…とも思いましたが、入れ替わりで新情報が入ってきました。
今年公開予定のLINEゲーム「Guardians」のゲーム音楽監督の仕事です。
4/13公式サイトの文章より引用します。
小室さん、去年の春からこの仕事やっていたようです。
曲も一部公開されていますが、悪くないと思います。
近いうちに公開されるという主題歌のMV、気になりますね。
音楽監督というので、29曲全部を小室さんが作ったのかどうかは分かりませんが、主題歌は多分小室さんなんでしょう。
情報源はあやふやですが、「女性自身」によれば、小室さんは今後avexの社員として編曲などの仕事をするそうです。
avexとしては、実質的な立場はともかくとして籍は自社に置かせながら、小室さんの状態が回復するのを見守るということかもしれません。
avexはこの機会に小室さんの仕事風景を公開しています。
それでは本題に入ります。
今回はウツ木根話です。
全然TMの話にならなくてすみませんが、一応前回までよりはTM要素が入っています。
次回からはTMのお話になりますので、それまでしばしお待ちください。
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TM NETWORKは2000年後半、ようやく待望の本格的活動に突入した。
しかし翌年1月の「Tour Major Turn-Round」が終わると、TMはまた沈黙してしまう。
以後小室哲哉はglobeとGaballを核に活動し、ウツ・木根はROJAMに移籍してソロ活動を進めることとなった。
2001年のTM NETWORKは、「Major Turn-Round」関連の書籍や映像作品の発売が見られたのみで、新たな活動は何もなかった。
だが2001/12/5のVHS/DVD「Live Tour Major Turn-Round 02」リリースにより、TM関係のコンテンツがすべて消化された。
さすがにこの段階では、次の活動が問題になっただろう。
2002/1/19ウツ出演の「RENT Gala Concert」赤坂ACTシアター公演の後、3人は久々の話し合いを持った。
この時は小室から、2002年秋頃にリミックスアルバムを出したいとの発言があったらしい。
木根はこれを受け、4~5月の「talk & live 番外編 2002」のライブMCで、秋にTMのリミックスアルバムを予定していると語り、ファンの期待を煽った。
この時の大まかな合意では、「FIFA World Cup」(5/31~6/30)が終わった後、夏にレコーディングを行ない秋にリリースするという見通しだった。
この頃の小室のスケジュールを見ると、3月まではglobeやsong+nationのレコーディングを行なっていたと見られ、さらに3/30から6/6まではglobeのツアーで全国を回ったが、その後はまとまった仕事はなかった。
それは7月からTMの活動に入ることが予定されていたからだろう。
小室は2001年初めから折に触れて、「Major Turn-Round」のリミックスアルバムの構想を表明しており、確認できる限りでは2001年10~11月頃にも発言している。
しかし2002年の会合で話に出たリミックスアルバムは、「Major Turn-Round」楽曲にこだわるものではなく、「終了」前の楽曲を今のTMでやるという側面が強調された。
小室は2002年5・6月頃にもTMの活動について、「以前の曲で、仕上がりに納得のいっていないものをリプロダクトしたい」と語っている。
あるいは小室は、globeのリミックスアルバム「global trance」のようなものを意識していたのかもしれない。
本作は2001/9/12にリリースされており、全曲トランスアレンジが施されている。
9曲中1曲は新曲、2曲は小室+DJ Dragonのtatsumaki名義だが、6曲は他のアレンジャーの手によるものである。
自分は少し前まで、TMのリミックス盤とは、かつての「CLASSIX」のように小室自身が手掛けるものと思い込んでいたが、冷静に考えれば外注の可能性も想定すべきだろう。
この後TMの「Castle in the Clouds」「Easy Listening」でも編曲が外注されたのを考えればなおさらである。
この計画は結局実現しなかったから、実際の構想は不明だが、あまりうれしくない作品になっていた可能性が高い。
ともかく1月の会合では、3人の間でTMの活動再開に合意ができたらしい。
2002年2月のmagnetica会報には、「2002 TM NETWORK takes off soon. “Please fasten your seatbelt!” arranged by TK Airline」という広告が出ている。
同じ頃に木根の会報でも、TMは継続性のある活動を行なうことが語られている。
ただし具体的にはどうなるか分からないとも話している。
TMはなおしばらく実際の活動を行なわなかった。
実は1月の会合でのメイントピックはTMの話ではなく、ウツ・木根の移籍の件だった。
小室はすでに2001年5月に吉本と専属契約を結んでいたが、この時ウツ・木根もよしもとR&Cに移るという話になったのである。
2人は会合半月後の2002/2/1にR&Cに移籍した。
このタイミングを見るに、移籍の話は会合で初めて出たものではなく、これ以前から進んでいた話の最終的な確認と見るべきだろう。
2人のROJAM移籍は2001年4月だったから、結局ROJAM在籍は1年に満たないものとなった。
2001年にROJAMで活動していたのはウツと木根だけだった。
いずれTMが活動を再開させる時に、作品を引き続きROJAMからリリースすることを考えて、2人をROJAMに所属させたのだろう。
だがその2人がR&Cに再移籍した。
この後のTM作品はR&Cからリリースされるが、それは2人の移籍の時点で想定されたものだったと考えられる。
つまりTMの拠点を吉本に移すことを前提として、2002年のウツ・木根移籍は行なわれた。
だからこそ1月の会合では、TMの話とウツ・木根の移籍の話が関連して進められたのである。
もっともウツ・木根は吉本と専属契約を結んだわけではないという情報もある(作品リリースごとに単発契約)。
ただ厳密な契約関係はともかくとして、2人とも当時吉本からの新作発表に当たり「移籍」と言っているので、R&CでCD等のリリースを継続的に行なうことを前提として活動を行なうようになったことは確かだろう。
2人の移籍に伴い、ROJAMの新作リリースはなくなった。
小室はこの時点で、ROJAMを自らの音楽事業の拠点とする2000年当時の構想を事実上放棄するか、少なくとも大幅に後退させることになった。
結局ROJAMが小室にもたらしたものは、「Major Turn-Round」のリリースだけとなった。
この頃株式上場の失敗で苦境に陥っていたROJAMは、吉本と関係を緊密化させる。
2002年9月に約10億円でR&Cの株式80%を取得して子会社化するとともに、その代価として株式4.5億株を発行してR&Cに支払った。
要はROJAMとR&Cが株式の交換を行なったわけだが、これが何を意味しているのか、正直自分にはよく分からない。
ただ小室と吉本の提携関係が、ROJAMを介して経営面で強化されたことは間違いない。
しかしROJAMは当時の記者会見で、R&Cとの提携により吉本の番組でのアーティスト紹介が期待できるとしているが、ROJAMにミュージシャンが一人も残っていなかったことを考えれば、失笑せざるを得ない説明である。
そもそもR&Cは小室の吉本移籍に伴って設立されたレコード会社で、吉本はここを拠点に音楽事業への積極的進出をもくろんだ。
吉本はそれほど小室との関係に期待していた。
ところが吉本は、R&C立ち上げの1年半後の2002年11月に、早くも原点であるお笑い部門の強化方針を表明している。
これは直接には、10月公開の吉本映画「明日があるさTHE MOVIE」の興行成績が伸び悩んだことを受けたものと見られる。
この頃吉本では音楽部門への進出も含め、多角経営戦略の見直しが迫られたのだろう。
もちろん一本の映画の失敗のみで企業の大方針の転換が行なわれるはずはない。
吉本の多角経営方針について、これ以前から反対する意見はあったのだろう。
吉元の音楽事業も、到底うまくいっていたようには見えない。
当時のR&Cには目玉となるコンテンツがなかったし、小室も2001~02年にはavex所属のglobeに全力を注いでいた。
小室はR&CでもGaball・ULTRAS・R9・Female non Fictionの作品をリリースしたが、どれも商業的成果は皆無に近い。
2001年には芸能界を去っていた鈴木あみと吉本が交渉を行なっていたが、これも結局うまくいかず、2002年に話は流れた。
小室関係以外のものを見ても、R&Cには売れる作品がなかった。
R&C立ち上げ直前に吉本芸人がRe:Japan名義でavexからリリースした「明日があるさ」のようなヒット作が出るのが期待されていたのだろうが、当初R&Cからは10位内にランクインする作品が一つも出なかった。
そのような中でようやく一定の売り上げを出したのが、吉本芸人の宮迫博之・山口智充によるゆずのパロディユニットのくずで、2002/10/30に2ndシングル「生きてることってすばらしい」をリリースし、チャート7位を獲得している。
(なお2004年の3rdシングル「全てが僕の力になる!」は1位)
くずはこれ以前、2001/11/7にポニーキャニオンより、「ムーンライト」でデビューし、5位を獲得していた。
そのくずが2作目でR&Cに移ったのは、おそらくR&Cの不振を補うための措置だろう。
吉本芸人関係の企画ということで、話を付けやすかったものと思われる。
このような状況の下、小室もR&Cへの貢献を求められたはずである。
たとえば2002/7/3には、吉本新喜劇で歌われていた「ECSTACY」のリミックスシングルを出しているが、こうした失笑物のネタ作品を作ったのは、吉本への貢献をアピールしようとしたものとも考えられる。
先に述べたROJAMとR&Cの提携も、吉本への貢献の一つという側面もあるのかもしれない。
そしてウツ・木根の移籍およびTM作品のリリースも、やはり低迷するR&Cで成果を出す必要に迫られてのものだろう。
こうして実現したウツ・木根の移籍だったが、そのことは2人のソロ作品の内容にも多少の変化をもたらした。
まずウツ作品におけるProduceウツ、Co-Produce木根、Exictive Produce小室という体制は、ROJAMから離れたことにより名目的にも消滅する。
以後ウツ作品に小室・木根の楽曲が継続的に入ることはなくなった。
木根作品についても、小室関係者の前田たかひろなど、他人の作詞がなくなる。
これ以後の木根は、原則として全曲作詞作曲を自分が担当するという、徹底した自作方針を取るようになる。
(インタールードの作曲や田中花乃の作詞などで例外はある)
ウツと木根は移籍後、ソロアルバムの制作を行なった。
2002年は2人のソロ活動10周年に当たる大事な年でもあった。
木根は5/29にミニアルバム「Running On」、ウツは7/31にフルアルバム「Ten To Ten」をリリースしている。
木根の「Running On」は、アコースティックギターを中心に制作した作品である。
弾き語り形式で開催されてきた「talk & live 番外編」」で演奏することを念頭に置いて制作したと言う。
実際に本作リリースに先駆けて4/4~5/28に開催された「talk & live 番外編 2002」では、本作収録の「消えていく街」「Running On」を先行披露している。
なおアルバム表題曲「Running On」は、「2002 Fifa World Cup Korea/Japan」の個人的な応援歌として作った曲だと言う。
この年のワールドカップは、3人とも楽しみにしていたようだ。
また本作にはTMN「月の河」のカバーが入っている。
これはTMN「EXPO」では「I Hate Folk」と混ざって一曲とされている
これに対してソロバージョンは、待望の(?)完全版である。
ウツの「Ten to Ten」は、10周年を意識したタイトルとなっている。
(「点と点」という日本語も掛けていた)
それまでの作品と異なり、全曲がミディアムとバラードの構成となっており、ウツは「癒し」がテーマだと言っている。
「Ten to Ten」の先行シングルとなった「blue reincarnation」「Remedy」は、吉本のバックアップを得て、テレビ番組のタイアップが付いた。
ただ売上不明のROJAM期を挟んで、SONY時代の作品とこれらシングルの売り上げを比較すると、2000年のシングル「Flush」が1.5万枚を売ったのに対し、R&C期のシングルは0.3万枚程度の売上となっている。
アルバムについては、2000年「White Room」は33位・1.5万枚を売ったが、「Ten to Ten」は47位・0.6万枚である。
シングル・アルバムとも、ウツのセールスが2年で半分以下に落ち込んだことが分かる。
以後ウツのソロ作品の売上が1万枚を超えることはない。
この頃にはウツの楽曲のセールスは、一般の耳に触れることはない水準になっていた。
一方木根作品はすでにチャート100位以内に入っておらず、R&C期になっても数字は不明である。
ただ1998年「The Beginning Place」が4000枚、2005年「Life」が2000枚だから、その間にリリースされた「Running On」の売上は2000~4000枚程度だろう。
8/24〜9/23に開催されたウツのソロ10周年ツアー「Tour Ten to Ten」は、記念的なライブということで、「Ten to Ten」からは数曲しか演奏せず、過去の作品から万遍なく演奏する方針を取った。
実際、バラード中心の「Ten to Ten」を中心にした場合、ライブの盛り上がりも微妙だろう。
この時に演奏されたのは、ウツソロのみではなく、「RENT」の「Your Eyes」の他、TMの楽曲も含まれていた。
なんと「Innocent Boy」「Resistance」のジャズバージョンである。
特に「Innocent Boy」は、TMのライブで演奏されたことがないレア曲である。
(ただ作曲者木根のソロでは演奏されたことがあるかもしれない)

「Innocent Boy」演奏中の図
前年の「Tour LOVE-iCE」では「Open Your Heart」のロックバージョンを披露するなど、ウツはファンも驚く選曲をやってくる。
ウツはこの件について、ライブDVDで以下のように語っている。
なお「Tour Ten to Ten」について地味に重要なのが、ライブDVDのリリースである。
実は1998年「Tour fragile」を最後に、ウツのライブDVDは長く商品化されていなかった。
すでにDVDの採算が採れるかどうか、微妙なラインに突入していたのだろう。
たとえば2000年「Tour White Room」の映像は、2007年に「15th Anniversary Memorial DVD-BOX」に収録されたが、それはスタッフ用の固定映像だった。
そもそも商品化を前提としたライブ映像の収録を行なっていなかったと見られる。
だが2001年の「Tour LOVE-iCE」は、「Tour Ten to Ten」と同時にDVD化され、FCで2枚組として先行販売された上、2003/4/23には一般販売もされた。
実に5年ぶりのDVDリリースだった。
これ以後ウツの全国ツアーは、アコースティックライブを除いてほぼすべてDVD化されている。
今のファンは当然視しているが、木根のライブがほとんど商品化されていない状況を見れば、ウツの今世紀のライブも商品化されない可能性はあったはずで、ウツの現状はファンにとってかなり幸運なことである。
ただし2003年「Tour wantok」のDVD(2004年リリース)以後は、R&Cからではなくウツの事務所M-tresの名義でリリースされるようになる。
FC先行販売(実質的な売上はこれが大部分か)以外は、Magneticaのwebshopか新星堂のみの限定販売となり、皮肉にもROJAMのネット販売構想が遅れて採用された形になった。
やはり「Tour LOVE-iCE」「Tour Ten to Ten」は、一般の流通に乗せて採算が採れる水準の売上はなかったのだろう。
現在は通販が中心となっているため全国流通網に乗せる必要がなく、ウツのライブDVDは新星堂以外のサイトでも通販できるようになっているが、実はamazonでも昔は、流通に乗っていないこの時期のDVDは購入できなかった
この時期のウツについて少し脱線しておくと、ウツの担当になったR&Cのディレクターは、斉藤光浩という人物だが、これはかなり驚きの出会いだった。
というのも、斉藤はBOW WOWの元メンバーで、1970年代には小室が斉藤と一緒に活動していたからである。
小室は1977年にギズモというバンドでBOW WOWのバックバンドを務めており、1978年には斉藤がギズモと一緒にステージに立ったこともある。
1979年には斉藤を含むBOW WOWメンバーの別名義バンド銀星団に、小室も参加して活動していた。
この関係は、小室が1980年にSPEEDWAYに加入するまで続いたとみられる。
なお斉藤は1983年にBOW WOWを脱退したが、1998年にBOW WOWが再結成されるとこれに参加しており、この時点でもミュージシャンとしての活動を継続していた。
小室とBOW WOWの関係については、以前「0-3 小室哲哉と音楽の出会い」で触れたところである。
実際にはウツよりも小室の方が斉藤との再会に驚いたはずだが、これに関する小室の発言は見たことがない。
斉藤はR&Cのディレクターとしては、くずの作品も担当した。
R&Cでも売れそうな見込みのある作品を担当していたのだろう。
ただ2003年以後、ウツと絡んだ形跡は見えず、長期的な関係にはならなかったようだ。
ここで、この頃のウツと木根の活動を改めて整理すると、以下のようなものだった。
先に述べたように、2002年はウツ・木根のソロ10周年の年だったが、その記念日はそれぞれ2002/11/21と2002/12/2である。
だがなぜか2人のスケジュールでは、記念日の前後が空いていた。
木根のツアーは本来秋に予定されていたのを春に変更したといい、秋は意識的に開けておいたらしい。
そのため木根のツアーは、ニューアルバム「Running On」リリース日の5/29に先駆けて開催されるという不自然なスケジュールとなった。
次章で触れるように、R&C期TMの活動は、2002年10月前後の吉本興業90周年企画に付随した新曲発表によって始まった。
実は木根はすでに2月に、秋にTMの新曲を出すかもしれないと述べている。
2月の吉本移籍の時点で、TMが10月の吉本企画に関与することはほぼ内定していたに違いない。
そのため2002年のウツ・木根のソロ活動のスケジュールは、10月以後に及ばないように調整されたと考えられよう。
ウツのソロツアー「Tour Ten to Ten」が終わる9/23以後、3人はTMの活動に移行する計画だったことになる。
さらに本章冒頭で述べたように、小室は夏にリミックスアルバムの制作に入り、秋にリリースする予定だった。
おそらくTMの本格始動に先駆けて、9~10月頃にリリースされる予定だったと考えられる。
リミックスアルバムならばウツと木根の参加はなくても小室のみで制作可能である(先に想定したように、他のアレンジャーも参加する予定だったとすればなおさら)。
小室は2人が合流する前に、TMを盛り上げる準備作業として、リミックスアルバムの制作を想定していたのだろう。
だが実際には、2002年にはTMのまともな活動は行なわれなかった。
その事情は別章で触れるが、いずれにしろウツと木根は、秋のスケジュールが空いてしまった。
おそらく木根はこれを受けて10月にレコーディングを開始し、年末の12/21にはミニアルバム「ciè la musica~約束された物語」をリリースし、12/22・23原宿クエストホールで10周年記念ライブ「talk & live special」を開催した。
このように3人の吉本移籍はその当初から不安な始まりとなったが、そのような中で、TMファンにとって多少とも興味深いイベントがある。
2002/4/27~29合歓の郷で開催された「UTSU・KINE Solo 10th Anniversary Event」である。
ウツと木根のソロFC結成10周年を記念したファンイベントで、1泊2日・2組の日程で開催された(4/27~28と4/28~29)。
トーク、ゲーム大会、コンサートなどが行なわれ、演奏の場面では山本英美もサポートについた。
この時は懐メロ、ウツ・木根ソロ、TM曲(「Here, There & Everywhere」)も演奏されたが、メインになったのは1970年代のおん・ざ・ろっくとフリースペースの楽曲で、それぞれの曲にまつわるエピソードとともにアマチュア時代の楽曲が演奏された。
木根の家の屋根裏で見つかったカセットテープを参考資料に、2人で演奏曲を決めたという。
デビュー前の2人がどのような曲を演奏していたのか判明する、極めて貴重な機会だった。
演奏曲は具体的には、「ライブツアー」「キューティーレディ」「ムーンライト・シンデレラ」「愛ちゃんの星」「サヨナラ5月」「花火の夜」「トマトジュース」「Please Say You Love Me」の8曲だった。
これらの曲名の情報は、本ブログの「0 前史」でも活用しているが、私自身はこのイベントには参加していないので、どのような曲だったのか一度聞いてみたいものである。
(2018/4/19執筆、2021/11/24加筆)
TM関係者が次々と亡くなったり引退したりしますね。
もう、そういう年なんですね。
ウツは、「「それゆけ歌酔曲!!」ξIdiosξ」が4/5に始まりました。
また4/18には「T.UTU Phoenix Tour 2017」のBlu-rayが一般発売されました。
ライブ会場で購入すると、特典としてダウンロードカードがもらえます。
ただダウンロードできるのは、「T.UTU with The BAND」「それゆけ歌酔曲!!」のロゴ5種とのこと。
うっわ、しょっぼ!
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木根さんは2017/12/2のソロ25周年記念ライブ「キネバラ」のライブDVD・Blu-rayの発売が決まりました。
すでにFC予約は受付を締め切りました。
5月上旬発送の予定とのことです。
21曲110分とのことなので、MCはほとんど入っていないでしょう。
こちら商品化することは去年から宣言されていましたが、3月末にようやく告知されました。
このライブ、小室さんがゲスト出演して、2曲の演奏とトークで1時間近くを費やしたこともあり、私も少し気にしていました。
実に小室さん引退宣言の1ヶ月半前の貴重な映像となります。
ただ曲は収録されますが、トークは入らないようです。
一般向けの商品はwardrecords.comの特設サイトで販売します。
5/30発売で、通常版は7500円、限定盤は9000円です。
限定盤は木根さんのサインとシリアルナンバーが入ったフォトカードと、テイクアウトライブカードがついているとのことです。
テイクアウトライブカードを使うと、専用アプリで特典用に撮影された「木根テレ!」が見られるそうです。
限定盤は200セットが用意されていましたが、好評なのか100セット追加されました。
TMメンバーといる最後の小室映像になる可能性から、普段木根ソロは買わないTMファンも予約しているのかもしれません。
そういやあ、今思い出しましたが、去年「Get Wild Song Mafia」が出た頃に配信された木根さん・浅倉さんの特番ネットラジオ「ゲワイハンター」、続編もやると言ってそのまま放置されていますが、これってどうなるんでしょうか。
2019年春には「City Hunter」劇場版が公開されるそうで、おそらくこれと合わせてTMも何かやるつもりだったんじゃないかと思います。
2019年春って、TM35周年ですし。
まあ今では関係ない話になってしまいましたが、もしかしたら「Get Wild Song Mafia」のリリースはそこまで見据えていたのかもしれません。
小室さんについては、twitter閉鎖に続いて、インスタグラムのアカウントも4/10頃に非公開になりました。
どんどんフェイドアウトモードになっている印象です。
これで残っているのは、5年間更新されていないGoogle+を除けば、755とFacebookだけになりました。
4/2代々木アニメーション学園の入学式では、去年プロデューサーに就任した小室さんもメッセージを寄せたようですが、ビデオが流れたわけではなく、メッセージが読み上げられただけのようです。
プロデューサーの立場は名目的には継続しているようですが、秋元さん、指原さん、つんく♂さんなど他のプロデューサーが出席したのを見れば、欠席した小室さんはやはり実質的には引退状態ということでしょう。
ただ別の見方をすれば、秋元さんが小室さんを名目的にせよ表舞台につなぎとめているともいえます。
それは「ラストアイドル2ndシーズン」についてもいえるかもしれません。
ただ本番組で小室さんがラストアイドルに提供した「風よ吹け!」は、結局2ndシングルの表題曲にはなりませんでした。
本番組では5組総当たり戦の上で、上位3組で最終決戦をして1位を決めるという、プロ野球で言えばクライマックスシリーズ方式が採用されました。
前回触れた通り、総当たり戦の結果、3勝のつんく♂さんと織田哲郎さんの最終戦進出と、全敗の指原莉乃さんの敗退は決定していましたが、小室さんと秋元康さんはともに2勝2敗で、同じ勝率になりました。
そこで視聴者投票の結果が参照されることになりましたが、結果は1位指原、2位秋元、3位織田、4位つんく、5位小室でした。
全敗だった指原さんが投票では1位、一方勝率3位の小室さんは投票では最下位です。
秋元さんと小室さんの中では、投票数が上だった秋元さんが最終戦に進出し、最終的に優勝しました。
審査員ではなく視聴者の評価が最低だったという結果は、小室さん的にはきついものがあります。
視聴者の多くはAKBグループのファンなのですから、もともと秋元さんと指原さんが有利な条件ではあったのでしょうが、つんく・織田・小室3人の中でも最下位でした。
「風よ吹け!」は曲名からして、なんとか良い流れが起こって欲しいという小室さん最後の願いを掛けた曲だったようにも思いますが、この結果には本人もまた落ち込んだかもしれません。
まあ正直に言って、私でも最下位に投票する出来でしたが…
この結果を踏まえて4/18には、秋元さんプロデュースのシュークリームロケッツ「君のAchoo!」を表題曲としたラストアイドル2ndシングルがリリースされました。
CDは6パターンリリースされ(すごいですね)、TypeA~Dにはシュークリームロケッツ以外の4ユニットのどれかが入っています。
「風よ吹け!」はTypeB収録です。
小室さんがプロデュースしたラストアイドルは、企画名としてのラストアイドルと区別するためか、LaLuceと改名しました。
小室さん、前回の優勝ユニットであるラストアイドルをあてがわれていた時点で、かなりの優遇だったと思うんですが、結果的には全然特別感がなくなってしまいました。
メンバーも2人脱退するそうです。
ということで私も、興味がないアイドル番組の録画を見る仕事から開放されました(ホントつらかったです)。
これで小室さんの仕事は終わりなのかなあ…とも思いましたが、入れ替わりで新情報が入ってきました。
今年公開予定のLINEゲーム「Guardians」のゲーム音楽監督の仕事です。
4/13公式サイトの文章より引用します。
「ガーディアンズ」は音楽監督として音楽プロデューサー小室哲哉氏を迎え、昨年の春から約1年をかけ、ゲームの世界を彩る音楽全29曲(主題歌+BGM28曲)を制作。主題歌「Guardian」は、小室哲哉本人が登場するMVと共に「ガーディアンズ」公式YouTubeチャンネルにて、近日公開いたしますので、ご期待ください!
小室さん、去年の春からこの仕事やっていたようです。
曲も一部公開されていますが、悪くないと思います。
近いうちに公開されるという主題歌のMV、気になりますね。
音楽監督というので、29曲全部を小室さんが作ったのかどうかは分かりませんが、主題歌は多分小室さんなんでしょう。
情報源はあやふやですが、「女性自身」によれば、小室さんは今後avexの社員として編曲などの仕事をするそうです。
avexとしては、実質的な立場はともかくとして籍は自社に置かせながら、小室さんの状態が回復するのを見守るということかもしれません。
avexはこの機会に小室さんの仕事風景を公開しています。
それでは本題に入ります。
今回はウツ木根話です。
全然TMの話にならなくてすみませんが、一応前回までよりはTM要素が入っています。
次回からはTMのお話になりますので、それまでしばしお待ちください。
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TM NETWORKは2000年後半、ようやく待望の本格的活動に突入した。
しかし翌年1月の「Tour Major Turn-Round」が終わると、TMはまた沈黙してしまう。
以後小室哲哉はglobeとGaballを核に活動し、ウツ・木根はROJAMに移籍してソロ活動を進めることとなった。
2001年のTM NETWORKは、「Major Turn-Round」関連の書籍や映像作品の発売が見られたのみで、新たな活動は何もなかった。
だが2001/12/5のVHS/DVD「Live Tour Major Turn-Round 02」リリースにより、TM関係のコンテンツがすべて消化された。
さすがにこの段階では、次の活動が問題になっただろう。
2002/1/19ウツ出演の「RENT Gala Concert」赤坂ACTシアター公演の後、3人は久々の話し合いを持った。
この時は小室から、2002年秋頃にリミックスアルバムを出したいとの発言があったらしい。
木根はこれを受け、4~5月の「talk & live 番外編 2002」のライブMCで、秋にTMのリミックスアルバムを予定していると語り、ファンの期待を煽った。
この時の大まかな合意では、「FIFA World Cup」(5/31~6/30)が終わった後、夏にレコーディングを行ない秋にリリースするという見通しだった。
この頃の小室のスケジュールを見ると、3月まではglobeやsong+nationのレコーディングを行なっていたと見られ、さらに3/30から6/6まではglobeのツアーで全国を回ったが、その後はまとまった仕事はなかった。
それは7月からTMの活動に入ることが予定されていたからだろう。
小室は2001年初めから折に触れて、「Major Turn-Round」のリミックスアルバムの構想を表明しており、確認できる限りでは2001年10~11月頃にも発言している。
しかし2002年の会合で話に出たリミックスアルバムは、「Major Turn-Round」楽曲にこだわるものではなく、「終了」前の楽曲を今のTMでやるという側面が強調された。
小室は2002年5・6月頃にもTMの活動について、「以前の曲で、仕上がりに納得のいっていないものをリプロダクトしたい」と語っている。
あるいは小室は、globeのリミックスアルバム「global trance」のようなものを意識していたのかもしれない。
本作は2001/9/12にリリースされており、全曲トランスアレンジが施されている。
9曲中1曲は新曲、2曲は小室+DJ Dragonのtatsumaki名義だが、6曲は他のアレンジャーの手によるものである。
自分は少し前まで、TMのリミックス盤とは、かつての「CLASSIX」のように小室自身が手掛けるものと思い込んでいたが、冷静に考えれば外注の可能性も想定すべきだろう。
この後TMの「Castle in the Clouds」「Easy Listening」でも編曲が外注されたのを考えればなおさらである。
この計画は結局実現しなかったから、実際の構想は不明だが、あまりうれしくない作品になっていた可能性が高い。
ともかく1月の会合では、3人の間でTMの活動再開に合意ができたらしい。
2002年2月のmagnetica会報には、「2002 TM NETWORK takes off soon. “Please fasten your seatbelt!” arranged by TK Airline」という広告が出ている。
同じ頃に木根の会報でも、TMは継続性のある活動を行なうことが語られている。
ただし具体的にはどうなるか分からないとも話している。
TMはなおしばらく実際の活動を行なわなかった。
実は1月の会合でのメイントピックはTMの話ではなく、ウツ・木根の移籍の件だった。
小室はすでに2001年5月に吉本と専属契約を結んでいたが、この時ウツ・木根もよしもとR&Cに移るという話になったのである。
2人は会合半月後の2002/2/1にR&Cに移籍した。
このタイミングを見るに、移籍の話は会合で初めて出たものではなく、これ以前から進んでいた話の最終的な確認と見るべきだろう。
2人のROJAM移籍は2001年4月だったから、結局ROJAM在籍は1年に満たないものとなった。
2001年にROJAMで活動していたのはウツと木根だけだった。
いずれTMが活動を再開させる時に、作品を引き続きROJAMからリリースすることを考えて、2人をROJAMに所属させたのだろう。
だがその2人がR&Cに再移籍した。
この後のTM作品はR&Cからリリースされるが、それは2人の移籍の時点で想定されたものだったと考えられる。
つまりTMの拠点を吉本に移すことを前提として、2002年のウツ・木根移籍は行なわれた。
だからこそ1月の会合では、TMの話とウツ・木根の移籍の話が関連して進められたのである。
もっともウツ・木根は吉本と専属契約を結んだわけではないという情報もある(作品リリースごとに単発契約)。
ただ厳密な契約関係はともかくとして、2人とも当時吉本からの新作発表に当たり「移籍」と言っているので、R&CでCD等のリリースを継続的に行なうことを前提として活動を行なうようになったことは確かだろう。
2人の移籍に伴い、ROJAMの新作リリースはなくなった。
小室はこの時点で、ROJAMを自らの音楽事業の拠点とする2000年当時の構想を事実上放棄するか、少なくとも大幅に後退させることになった。
結局ROJAMが小室にもたらしたものは、「Major Turn-Round」のリリースだけとなった。
この頃株式上場の失敗で苦境に陥っていたROJAMは、吉本と関係を緊密化させる。
2002年9月に約10億円でR&Cの株式80%を取得して子会社化するとともに、その代価として株式4.5億株を発行してR&Cに支払った。
要はROJAMとR&Cが株式の交換を行なったわけだが、これが何を意味しているのか、正直自分にはよく分からない。
ただ小室と吉本の提携関係が、ROJAMを介して経営面で強化されたことは間違いない。
しかしROJAMは当時の記者会見で、R&Cとの提携により吉本の番組でのアーティスト紹介が期待できるとしているが、ROJAMにミュージシャンが一人も残っていなかったことを考えれば、失笑せざるを得ない説明である。
そもそもR&Cは小室の吉本移籍に伴って設立されたレコード会社で、吉本はここを拠点に音楽事業への積極的進出をもくろんだ。
吉本はそれほど小室との関係に期待していた。
ところが吉本は、R&C立ち上げの1年半後の2002年11月に、早くも原点であるお笑い部門の強化方針を表明している。
これは直接には、10月公開の吉本映画「明日があるさTHE MOVIE」の興行成績が伸び悩んだことを受けたものと見られる。
この頃吉本では音楽部門への進出も含め、多角経営戦略の見直しが迫られたのだろう。
もちろん一本の映画の失敗のみで企業の大方針の転換が行なわれるはずはない。
吉本の多角経営方針について、これ以前から反対する意見はあったのだろう。
吉元の音楽事業も、到底うまくいっていたようには見えない。
当時のR&Cには目玉となるコンテンツがなかったし、小室も2001~02年にはavex所属のglobeに全力を注いでいた。
小室はR&CでもGaball・ULTRAS・R9・Female non Fictionの作品をリリースしたが、どれも商業的成果は皆無に近い。
2001年には芸能界を去っていた鈴木あみと吉本が交渉を行なっていたが、これも結局うまくいかず、2002年に話は流れた。
小室関係以外のものを見ても、R&Cには売れる作品がなかった。
R&C立ち上げ直前に吉本芸人がRe:Japan名義でavexからリリースした「明日があるさ」のようなヒット作が出るのが期待されていたのだろうが、当初R&Cからは10位内にランクインする作品が一つも出なかった。
そのような中でようやく一定の売り上げを出したのが、吉本芸人の宮迫博之・山口智充によるゆずのパロディユニットのくずで、2002/10/30に2ndシングル「生きてることってすばらしい」をリリースし、チャート7位を獲得している。
(なお2004年の3rdシングル「全てが僕の力になる!」は1位)
くずはこれ以前、2001/11/7にポニーキャニオンより、「ムーンライト」でデビューし、5位を獲得していた。
そのくずが2作目でR&Cに移ったのは、おそらくR&Cの不振を補うための措置だろう。
吉本芸人関係の企画ということで、話を付けやすかったものと思われる。
このような状況の下、小室もR&Cへの貢献を求められたはずである。
たとえば2002/7/3には、吉本新喜劇で歌われていた「ECSTACY」のリミックスシングルを出しているが、こうした失笑物のネタ作品を作ったのは、吉本への貢献をアピールしようとしたものとも考えられる。
先に述べたROJAMとR&Cの提携も、吉本への貢献の一つという側面もあるのかもしれない。
そしてウツ・木根の移籍およびTM作品のリリースも、やはり低迷するR&Cで成果を出す必要に迫られてのものだろう。
こうして実現したウツ・木根の移籍だったが、そのことは2人のソロ作品の内容にも多少の変化をもたらした。
まずウツ作品におけるProduceウツ、Co-Produce木根、Exictive Produce小室という体制は、ROJAMから離れたことにより名目的にも消滅する。
以後ウツ作品に小室・木根の楽曲が継続的に入ることはなくなった。
木根作品についても、小室関係者の前田たかひろなど、他人の作詞がなくなる。
これ以後の木根は、原則として全曲作詞作曲を自分が担当するという、徹底した自作方針を取るようになる。
(インタールードの作曲や田中花乃の作詞などで例外はある)
ウツと木根は移籍後、ソロアルバムの制作を行なった。
2002年は2人のソロ活動10周年に当たる大事な年でもあった。
木根は5/29にミニアルバム「Running On」、ウツは7/31にフルアルバム「Ten To Ten」をリリースしている。
木根の「Running On」は、アコースティックギターを中心に制作した作品である。
弾き語り形式で開催されてきた「talk & live 番外編」」で演奏することを念頭に置いて制作したと言う。
実際に本作リリースに先駆けて4/4~5/28に開催された「talk & live 番外編 2002」では、本作収録の「消えていく街」「Running On」を先行披露している。
なおアルバム表題曲「Running On」は、「2002 Fifa World Cup Korea/Japan」の個人的な応援歌として作った曲だと言う。
この年のワールドカップは、3人とも楽しみにしていたようだ。
また本作にはTMN「月の河」のカバーが入っている。
これはTMN「EXPO」では「I Hate Folk」と混ざって一曲とされている
これに対してソロバージョンは、待望の(?)完全版である。
ウツの「Ten to Ten」は、10周年を意識したタイトルとなっている。
(「点と点」という日本語も掛けていた)
それまでの作品と異なり、全曲がミディアムとバラードの構成となっており、ウツは「癒し」がテーマだと言っている。
「Ten to Ten」の先行シングルとなった「blue reincarnation」「Remedy」は、吉本のバックアップを得て、テレビ番組のタイアップが付いた。
ただ売上不明のROJAM期を挟んで、SONY時代の作品とこれらシングルの売り上げを比較すると、2000年のシングル「Flush」が1.5万枚を売ったのに対し、R&C期のシングルは0.3万枚程度の売上となっている。
アルバムについては、2000年「White Room」は33位・1.5万枚を売ったが、「Ten to Ten」は47位・0.6万枚である。
シングル・アルバムとも、ウツのセールスが2年で半分以下に落ち込んだことが分かる。
以後ウツのソロ作品の売上が1万枚を超えることはない。
この頃にはウツの楽曲のセールスは、一般の耳に触れることはない水準になっていた。
一方木根作品はすでにチャート100位以内に入っておらず、R&C期になっても数字は不明である。
ただ1998年「The Beginning Place」が4000枚、2005年「Life」が2000枚だから、その間にリリースされた「Running On」の売上は2000~4000枚程度だろう。
8/24〜9/23に開催されたウツのソロ10周年ツアー「Tour Ten to Ten」は、記念的なライブということで、「Ten to Ten」からは数曲しか演奏せず、過去の作品から万遍なく演奏する方針を取った。
実際、バラード中心の「Ten to Ten」を中心にした場合、ライブの盛り上がりも微妙だろう。
この時に演奏されたのは、ウツソロのみではなく、「RENT」の「Your Eyes」の他、TMの楽曲も含まれていた。
なんと「Innocent Boy」「Resistance」のジャズバージョンである。
特に「Innocent Boy」は、TMのライブで演奏されたことがないレア曲である。
(ただ作曲者木根のソロでは演奏されたことがあるかもしれない)

「Innocent Boy」演奏中の図
前年の「Tour LOVE-iCE」では「Open Your Heart」のロックバージョンを披露するなど、ウツはファンも驚く選曲をやってくる。
ウツはこの件について、ライブDVDで以下のように語っている。
今回のソロ活動の10年間をおさらいするようなコンサートなんだけど、ソロとTMていうのは表裏一体なんで、特にこの10年間でもTMていうものは現に動いていたし、なんでTMの曲を今回選ばないというのも、なんか不自然な気がしてですね、ある意味、今回のコンサートにちょっとだけ花を添えてくれるような感覚で選びました。
で、この曲(「Innocent Boy」)を選んだ理由ていうのは、今までこの曲ができてから、実はTMのコンサートで一回も歌われていない曲なんですね。なんでせめて僕が選べば、特にソロで選べばそれは可能なんで、今回この「Innocent Boy」を選んでみました。
なお「Tour Ten to Ten」について地味に重要なのが、ライブDVDのリリースである。
実は1998年「Tour fragile」を最後に、ウツのライブDVDは長く商品化されていなかった。
すでにDVDの採算が採れるかどうか、微妙なラインに突入していたのだろう。
たとえば2000年「Tour White Room」の映像は、2007年に「15th Anniversary Memorial DVD-BOX」に収録されたが、それはスタッフ用の固定映像だった。
そもそも商品化を前提としたライブ映像の収録を行なっていなかったと見られる。
だが2001年の「Tour LOVE-iCE」は、「Tour Ten to Ten」と同時にDVD化され、FCで2枚組として先行販売された上、2003/4/23には一般販売もされた。
実に5年ぶりのDVDリリースだった。
これ以後ウツの全国ツアーは、アコースティックライブを除いてほぼすべてDVD化されている。
今のファンは当然視しているが、木根のライブがほとんど商品化されていない状況を見れば、ウツの今世紀のライブも商品化されない可能性はあったはずで、ウツの現状はファンにとってかなり幸運なことである。
ただし2003年「Tour wantok」のDVD(2004年リリース)以後は、R&Cからではなくウツの事務所M-tresの名義でリリースされるようになる。
FC先行販売(実質的な売上はこれが大部分か)以外は、Magneticaのwebshopか新星堂のみの限定販売となり、皮肉にもROJAMのネット販売構想が遅れて採用された形になった。
やはり「Tour LOVE-iCE」「Tour Ten to Ten」は、一般の流通に乗せて採算が採れる水準の売上はなかったのだろう。
現在は通販が中心となっているため全国流通網に乗せる必要がなく、ウツのライブDVDは新星堂以外のサイトでも通販できるようになっているが、実はamazonでも昔は、流通に乗っていないこの時期のDVDは購入できなかった
この時期のウツについて少し脱線しておくと、ウツの担当になったR&Cのディレクターは、斉藤光浩という人物だが、これはかなり驚きの出会いだった。
というのも、斉藤はBOW WOWの元メンバーで、1970年代には小室が斉藤と一緒に活動していたからである。
小室は1977年にギズモというバンドでBOW WOWのバックバンドを務めており、1978年には斉藤がギズモと一緒にステージに立ったこともある。
1979年には斉藤を含むBOW WOWメンバーの別名義バンド銀星団に、小室も参加して活動していた。
この関係は、小室が1980年にSPEEDWAYに加入するまで続いたとみられる。
なお斉藤は1983年にBOW WOWを脱退したが、1998年にBOW WOWが再結成されるとこれに参加しており、この時点でもミュージシャンとしての活動を継続していた。
小室とBOW WOWの関係については、以前「0-3 小室哲哉と音楽の出会い」で触れたところである。
実際にはウツよりも小室の方が斉藤との再会に驚いたはずだが、これに関する小室の発言は見たことがない。
斉藤はR&Cのディレクターとしては、くずの作品も担当した。
R&Cでも売れそうな見込みのある作品を担当していたのだろう。
ただ2003年以後、ウツと絡んだ形跡は見えず、長期的な関係にはならなかったようだ。
ここで、この頃のウツと木根の活動を改めて整理すると、以下のようなものだった。
2~3月:木根のアルバムレコーディング
4~5月:木根のツアー「talk & live 番外編 2002」
5~6月:ウツのアルバムレコーディング
8~9月:ウツのツアー「Tour Ten to Ten」
先に述べたように、2002年はウツ・木根のソロ10周年の年だったが、その記念日はそれぞれ2002/11/21と2002/12/2である。
だがなぜか2人のスケジュールでは、記念日の前後が空いていた。
木根のツアーは本来秋に予定されていたのを春に変更したといい、秋は意識的に開けておいたらしい。
そのため木根のツアーは、ニューアルバム「Running On」リリース日の5/29に先駆けて開催されるという不自然なスケジュールとなった。
次章で触れるように、R&C期TMの活動は、2002年10月前後の吉本興業90周年企画に付随した新曲発表によって始まった。
実は木根はすでに2月に、秋にTMの新曲を出すかもしれないと述べている。
2月の吉本移籍の時点で、TMが10月の吉本企画に関与することはほぼ内定していたに違いない。
そのため2002年のウツ・木根のソロ活動のスケジュールは、10月以後に及ばないように調整されたと考えられよう。
ウツのソロツアー「Tour Ten to Ten」が終わる9/23以後、3人はTMの活動に移行する計画だったことになる。
さらに本章冒頭で述べたように、小室は夏にリミックスアルバムの制作に入り、秋にリリースする予定だった。
おそらくTMの本格始動に先駆けて、9~10月頃にリリースされる予定だったと考えられる。
リミックスアルバムならばウツと木根の参加はなくても小室のみで制作可能である(先に想定したように、他のアレンジャーも参加する予定だったとすればなおさら)。
小室は2人が合流する前に、TMを盛り上げる準備作業として、リミックスアルバムの制作を想定していたのだろう。
だが実際には、2002年にはTMのまともな活動は行なわれなかった。
その事情は別章で触れるが、いずれにしろウツと木根は、秋のスケジュールが空いてしまった。
おそらく木根はこれを受けて10月にレコーディングを開始し、年末の12/21にはミニアルバム「ciè la musica~約束された物語」をリリースし、12/22・23原宿クエストホールで10周年記念ライブ「talk & live special」を開催した。
このように3人の吉本移籍はその当初から不安な始まりとなったが、そのような中で、TMファンにとって多少とも興味深いイベントがある。
2002/4/27~29合歓の郷で開催された「UTSU・KINE Solo 10th Anniversary Event」である。
ウツと木根のソロFC結成10周年を記念したファンイベントで、1泊2日・2組の日程で開催された(4/27~28と4/28~29)。
トーク、ゲーム大会、コンサートなどが行なわれ、演奏の場面では山本英美もサポートについた。
この時は懐メロ、ウツ・木根ソロ、TM曲(「Here, There & Everywhere」)も演奏されたが、メインになったのは1970年代のおん・ざ・ろっくとフリースペースの楽曲で、それぞれの曲にまつわるエピソードとともにアマチュア時代の楽曲が演奏された。
木根の家の屋根裏で見つかったカセットテープを参考資料に、2人で演奏曲を決めたという。
デビュー前の2人がどのような曲を演奏していたのか判明する、極めて貴重な機会だった。
演奏曲は具体的には、「ライブツアー」「キューティーレディ」「ムーンライト・シンデレラ」「愛ちゃんの星」「サヨナラ5月」「花火の夜」「トマトジュース」「Please Say You Love Me」の8曲だった。
これらの曲名の情報は、本ブログの「0 前史」でも活用しているが、私自身はこのイベントには参加していないので、どのような曲だったのか一度聞いてみたいものである。
(2018/4/19執筆、2021/11/24加筆)
この記事へのコメント
この時期は、本当に待てど暮らせどTM3人の話題が音楽雑誌からも記載が削られ、飢餓感を覚えました。知らないところで実は動いてくれていると思っていましたが、本当に何の動きもなかったんですね。
リミックスは全く期待していませんでした。というよりやってほしくないなあと。ウツソロのアルバムにオマケで収録された1曲を聴いても、MTRはリミックスしてもしょうがないだろうと。頓挫してよかったです。
今は、来年公開のシティハンター映画と併せて、何かやってくれないかと諦めずにしぶとく期待しています。「なかったことに」は小室センセの必殺技ですからね。
そうだ、そういえば「outernet」「songnation」の発表以降から、1990年代の「色とりどり」な感じが消えていました。そういえば久保こーじさんがいない。Randy Waldmanがいない。EDDIE DELENAがいない。tk sequenceの松本さん・村上さんがいない。GARY WRIGHTがいない。浅倉さんはトリビュートとは聞こえは良いが当時の再現で直接手を加えたわけじゃない…。DJ DRAGONとも玉置成実さんとの仕事を最後に音沙汰無しになるんだ…。YOSHIKIさん?あれはゲストでしょう…。
吉本時代で思い出せる小室さんの馴染みはDAVE FORDさんだけです…。そういえばスタジオは自宅+ROJAMが基本で他の海外のスタジオに進んで赴くことが減ってる(水面下ではやっていたけどTKCOMが…(涙))…悪い意味でTMの「EXPO」以上に内輪の関係のみでの仕事が増えてしまっていたんだ…と色々勝手に思い出してしまいました。
それだけにDEBF2での様々なスタッフインタビューが今ではまぶしく見えます。
失礼いたしました。
私は当時電話回線でのインターネットだったので、イライラしながら夜明けまでダウンロードしたものでした。
それが、結局CDはただの通販になり、送料も含めると事実上の値上がりになり、一般の目には触れなくなり……と、TMが後退している事実に、当時はとても悲しかったです。
しかし、TMの活動がストップして「ああまたか」と思っていたところに、ウツ木根ソロがメジャーレコード会社から出たときは、次のTMにつながるんだろうな、と予測できて、とても喜んだ記憶があります。
ただし、それらソロのCDを、ぼくは買うことはありませんでしたが……
自分は熱狂的なTMファンだと自認していますが、そんなぼくでさえ、途切れ途切れだったり迷走したりソロ中心だったりするTMの活動から、興味が薄れていっていた、そんな時期でした。
TM好きからの派生で、TKプロデュースも、95年くらいからよく聞いていましたが、2001年以後くらいから、globeやgaballにも興味が持てなくなっていました。
今回も、詳しい情報をありがとうございました。
お久しぶりです。
この頃はTM復活てなんだったんだろうと思いましたよね。
まあ、小室さんも、アジアツアー計画がつぶれて、活動が白紙になったTMをどう展開すれば良いか成案がなかったんだと思います。
シティハンターは、本来はTM案件だったのではないかと思っています。
でも仮にTMが復活できても、今からシティハンターに絡むのは難しいかなあと思っています。
>feさん
小室スタッフとか仕事のパートナーとの関係が薄くなるのは、2003年くらいからなのかなと思っています。
まだ2002年の時点ではギリギリ続いていたんじゃないでしょうか。まあポロポロと抜けていってはいたんでしょうが。
村上さんとかとの関係はいつまで続いていたんでしょうね。
あとDaveとかEddieとかは、発注先に過ぎないと思っています。まあ受注してくれるという意味では関係はあったんでしょうけど。
>ジラルココさん
ROJAMの試みは、一ミュージシャンがやるようなものじゃなかったと思うんですよね。
そこらへんの謎の全能感、というか焦り?が破滅を導いたんだろうなと思います。
私もこの時代はホントつらかったですね。