7-8 失われた2003年

まず告知です。
8/17(金)の夜に大阪の某所で、「TM NETWORKの重箱のスミ!」のポコ太さんこと、カラフルポップリフレクションのミツカワさんと、宴など催そうと思います。


関心のある方には詳細をお伝えしますので、tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%は@に置換)までメールをください。
ブログへのメッセージかtwitterへのDMでも結構です。
なお参加人数が会場の規模に達した時点で募集を締め切りますので、その点ご了承ください。


近況について。
本日8/2、劇場版「シティハンター」の映像が少し公開されました。
全国ロードショーは来年2/8とのことです。
BGMはオリジナルの「Get Wild」ですが、これは本番もそうなんでしょうか。
なんつうか、もしもTMがあと一度だけ動くなら、色んな意味でこれが最後のチャンスな気がします。


さて、SONYがまた大人商法(悪い意味で)を始めました。
10/3に「Fanks The Live 1 Fanks Cry-Max」の増補版DVDをリリースするとのことです。


本作は1989年リリースのオリジナル版では6曲が完全収録されていましたが(「Electric Prophet」「Dragon The Festival」も一部のみ収録)、これに「Nervous」「Dragon The Festival」の2曲が追加されて8曲になり、値段が2倍の4860円(税込)になります(2004年版DVD=税抜2300円)。
そういや2013年にDVD「Digitalian is eating breakfast」も、7曲を8曲に増やして値段を2倍にしてリリースしていましたね…。


なお「Nervous」は1989年のプレゼントビデオ「Fanks The Live 4」にアウトロ終わりを除き収録されており、「Dragon The Festival」もオリジナル版に一部収録されているので、今回の初公開映像は実際には1曲分もありません。
つうかちょっとしか入っていない「Electric Prophet」も完全収録しろよこのクズ会社。


また1987年の「Fanks Cry-Max」では、インストを含め18曲が演奏されました。
これまではその中で6曲だけがDVD化されていましたが、今回の増補版リリースによって、未収録分が12曲から10曲になりました。
まだ10曲…。 半分以上がSONYの蔵に隠されていることになります。
TMの今後の活動がなくなってしまうという、過去商品を出す絶好のタイミングなのに、SONYはふざけているんでしょうか?


いや、商売的には分かります。
熱心なTMファンは未発表映像1曲だけでも(または全部既発表でも)買うけれど、完全版映像を出しても購入者はそんなには変わらないから、何度も小出しした方が儲かるのでしょう。
それなら何度も増補版を作って1・2曲ずつ増やしていった方が、ファンから金を吸い取り続けることができるということだと思います。
「CAROL Deluxe Edition」「TM NETWORK THE MOVIE」みたいなクズ商品でも、それなりに売れてましたもんね…。


しかしこの売り方は、商売としては正しいとしても、まったく誠意が感じられません。
極めて青臭いことを言わせてもらえば、スタッフはファンに顔向けできる商品を作っていると思っているのでしょうか。
もしも私がSONYスタッフだったとして、テレビで「顧客満足度〇%!、業界ナンバーワン!」とかのCMを見たら、恥ずかしくて外を歩けませんよ!


ただSONYはあるいは今回の商品で、今TMの過去作品がどれくらい売れるのか観察しようとしているのかもしれません。
今回売れれば、「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」「Rhythm Red Tour」なんかでも、同様の手口を図る可能性もあるでしょうし、また次の「Fanks Cry-Max」のアップデートも検討するかもしれません。
そういう可能性を勘案した上でSONYに献金すると割り切って購入するのも、割り切れるならば良いかと思います。
私はまったく割り切れませんが…くそう、くそう、くそう!!


だいたい「Dragon The Festival」なんておいしい曲を入れられたら、こんな鬼畜商品でも買わざるを得ないじゃないか!
ちくしょう…ちくしょう…


正直言って、商品化できそうなライブ映像中では、「Fanks Cry-Max」は私がもっとも見たいものの一つです。
それだけにこうした悪辣な商法は本当に腹が立ちます。
しかし何もできない無力感…。
ちくしょう!


ということで、いらだちがドアを叩きながら、他の近況を手短にまとめましょう。
まず小室さんは、「TETSUYA KOMURO ARCHIVES」のセールスが、T盤が5.0万枚、K盤が4.9万枚に達しました。
ラジオでもまだ特集が組まれているようです。
「SUNNY」公開後にも売れるかもしれませんね。


ウツは7/25に過去のFC会報の電子版「Magnetica archives」の未配信分の内、vol.19(2012~13年分)の配信が始まりました。
この後の分も、今後順次配信の予定です。


木根さんは7/25、日本テレビ「一周回って知らない話」に、親バカ枠で娘のSHAOさんと一緒に出演しました。
ちなみにMarc Pantherさんも一緒に出演していたんですが、木根さん、DJ KOOさんに続いて、Marcさんもバラエティ進出ですか…。
なお木根さんとMarcさんは、当初は7/18出演予定でしたが、7/25に変更されました。


最後に、6/30・7/27にTRFとaccessがそれぞれのデビュー25周年を祝してジョイントライブを開催しました。
最後には出演者全員で「Get Wild」を演奏し、東京では終演後の客出しBGMが「Nights of the Knife」「Seven Days War」だったそうです。


では本題に入ります。

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話は「Castle in the Clouds」のリリース日の2002/10/30に遡る。
この日渋谷TSUTAYAで行なわれたトークイベントで、TM3人は最後にそれぞれ締めの言葉を述べた。
これは後日Barksのウェブサイトで配信されており、公式に準じたものと見て良い。


木根「TMもね、シングルだけじゃなくてね、来年またね、アルバムとかね(木根、小室の顔を覗き込み、小室「そうね」)、アルバムのための楽曲作りを、ぼくも頑張ります」

ウツ「今回また、2年ぶりのシングルなんで、特に昔の80年代のTMのにおいというか、すごいしたいい曲だと思うんで、是非どんどん友達に、いいぞこいつはみたいに、どんどん広めてやって下さい」

小室「今回これで音をね、今の2000年に入ってからも、もちろん音的にはいろんなことやっているんですけれども、僕たちが一番活動していた80年代の音みたいなにおいも出しているんで、こういう音が今どうなのかなっていうテストみたいな意味合いもあるんですね、今回ね。なので、すごく反響とか楽しみなんですよね。聞いてみてそれを反映して、音作りの段階も、これからTMの音とかは作っていきたいなと思っているんで」


一見のんきな雰囲気の3人



以上の中でまず気になるのは木根の発言で、2003年のアルバムリリースを視野に入れたものとなっている。
本来「Castle in the Clouds」は、キャンペーンソングとしての単発の仕事ではなく、その後につなげていく考えがあったことが分かる。


木根の発言は明らかに自らの楽曲制作を念頭に置いており、ここでいうアルバムとはオリジナルアルバムと考えざるを得ない。
これ以前にはリミックスアルバムの計画が存在しており、また翌年2月には過去音源を集めた「キヲクトキロク」がリリースされるが、これらとは別の話だったことになる。


アルバムに関する発言をしていたのは木根だけではない。
ウツは11月初め頃に「Castle in the Clouds」と絡めて、「その延長上にあるのがアルバム作りってことになると思う」と発言しているし、小室も同じ頃、「いずれアルバムとしてまとめられればいいなと思っているところです」と言っている。


これらウツ・小室の発言からも、やはり「Castle in the Clouds」リリースの後には、新曲を収めたオリジナルアルバムが計画されていたと見るべきだろう。
ただトークイベントでの「来年頑張る」「これから作っていきたい」という3人の発言を見る限り、10月中にはまだアルバム作成に向けた具体的な作業には入っていなかったらしい。


さらに上記トークイベントでの小室の発言に注目すると、小室は「Castle in the Clouds」で、あえてテストとして80年代風の音にして反響を試し、その反響をこれからTMの音につなげようと考えていたと述べている。
また小室は同じ頃の別のインタビューで、「Castle in the Clouds」を「ニューアルバムへの布石でもある楽曲」とも言っている。
小室は「Castle in the Clouds」の音作りを、アルバム制作につなげていこうと考えていたようである。
その意味で「Castle in the Clouds」は、次のアルバムのパイロットシングルとして位置付けられていたのだろう。


この頃3人には、TMの活動をしないといけないと言う使命感もあった。
それは2004年にTM20周年のアニバーサリーイヤーが控えていたことがある。
たとえば「Castle in the Clouds」制作に先立つ8/27、Laugh & Peaceキャンペーンソング担当決定を受けたTMの記者会見で、木根は以下のように述べている。

そうこうするうちに、もう20周年くらいになってしまうんです、もうあと何年かすると。そこに向けてなんか少しずつ、またいい形でできたらねってことで、また今回これ、いいきっかけだったので、集まりました。


これを見る限り、2002年の活動再開では、当初からTM20周年につなげることが意識されていた。
1994年のTM10周年企画が「終了」に代わってしまった過去も踏まえ、20周年はちゃんとやりたいという気持ちもあったのだろう。


以前述べた通り、2002年のウツと木根は、本来のソロ10周年記念日周辺に当たる11~12月を含む10月以後のスケジュールを空けていた。
9月の「Castle in the Clouds」レコーディングの後、TMは20周年に向けた活動に入るはずだったと考えられ、オリジナルアルバムの制作もその一貫だったのだろう。


私はこの頃、TMのアルバムレコーディングが計画されていたが、10月末の「Castle in the Clouds」リリースの頃には、その予定がすでに狂い始めていたものと推測する。
magenetica会報などからこの頃のウツのスケジュールを見ても、10月以後年内は数回の「Castle in the Clouds」プロモーション以外活動がない。
これがソロ記念日の前後の本来のスケジュールとは考えがたく、何らかの事情でスケジュールが空いてしまった可能性が高い。


木根は10月に、ミニアルバム「ci è la musica」のレコーディングを始め、おそらく11月中下旬まで行ったた後、12/21にリリースした。
木根はこれ以前、2002年のソロツアーを、ソロ10周年記念日の12/2からあえて半年以上前倒しして行なったが、それによって空いた期間に制作した新作は、記念日に間に合わなかった。
また本作は2部作として制作されたもので(翌年続編の「ci è la musica due」がリリース)、ソロ10周年の締め括りを意識して制作されたものとは考えがたい。
おそらく木根はTMの活動がなくなってしまったため、すでに構想していた次回作の制作開始を、急遽10月に前倒ししたのだろう。


この時期のTMの予定を考えるために、少し後の活動まで視野に入れてみると、「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU&KINE’S Selection From TM Songs-」が注目される。
このツアーは「TM NETWORK」を冠してはいるものの、ウツ・木根とサポートメンバーが行なったもので、要するに小室哲哉抜きで開催されたものである。
2003/5/27から1ヶ月間かけて、全国7会場で9公演開催された(後にZepp Tokyoの2公演が追加で発表され8会場11公演になる)。
以下、少し話題を変えて、このツアーの開催の経緯を確認してみたい。


木根の「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根は2003/1/29にハワイの小室を訪れて、このツアーを開催することの同意を得たとされている。
木根が海外まで行って小室とTMの話をしたことは、同時期に木根がweb上でも触れている。


「tribute LIVE」の開催とそのスケジュールは、2月半ばのウツ・木根のFC会報で発表された。
この時には、チケットのFC優先予約のお知らせも送られている。
会報編集の時間も考えれば、ツアースケジュールは2月初旬には決定していなくてはならない。
木根・小室会談が行なわれた1/29は、ツアー開催の最終的決定を下すリミットというべきタイミングである。


この時間軸を考えれば、木根が小室の承諾を得る以前から、ツアー会場はすでに押えられていたと見ざるを得ない(1/29の後の数日で会場を確保するというスケジュールは無理がある)。
要するに1/29の会談は、小室の最終的な追認を得るための手続きであり、計画はこれ以前から進んでいたのである。


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、「tribute LIVE」の企画の始まりは、TM20周年に向けてアクションを起こすべきというスタッフの意見だった。
2002年年末のことだったという。
magnetica会報からは、木根が12/18にM-tresの事務所で、ウツとTM20周年の打ち合わせを行なったことが知られ、年末のスタッフの意見が出たのはおそらくこの時だろう。


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根はこの件について年内に小室と相談していたが、小室とのスケジュールの調整ができないまま年越しを迎えた。
そこで木根は小室抜きツアーを開催しようと考え、年明け早々M-tresに来て、その意向を伝えたという。
ウツは木根からこの案を聞いた時、かなり抵抗感があったが、木根はウツを説得し、M-tresスタッフとともに構想を練り始めた。


上記の筋書きを信じれば、年末にツアーの計画が出て、年始に木根が小室抜きツアーを決意、スタッフは小室の同意を得ないまま会場を確保し、1月末に木根が小室に会って追認を得た、ということになる。
このスケジュールは不可能ではないとしても、かなり急な印象はぬぐえない。
またリーダーの同意を得る以前からツアー会場確保を始めるというのも、通常のバンドならばありえない事態である。


そもそも木根の言う筋書きは事実と見て良いのだろうか。
木根がTMの動向の中で微妙な出来事について、しばしば歪曲していることは以前触れたところである。
小室抜きツアーの開催という異常事態について、同様の曲筆が施されている可能性は考えるべきだろう。


ここで注目したいのは、ウツがこのツアーの決定について、少々異なるニュアンスで語っていることである。
しかもそれは開催決定告知の直後であり、2004年5月発売の「新・電気じかけの予言者たち」の1年以上前である。

もともとこのあたり(「tribute LIVE」開催時期)にTMのツアーというプランも念頭にあったけど、小室が他の活動スケジュールや状況で、どうしても調整がつかないという結論が出てしまったんだ。そこで、今回リーダーの木根が、小室がいないからやらないということではなく何か方法はないか、という考えが出てきたんだよね。


スケジュールの都合で小室が参加できなかったこと、木根を中心に小室抜きツアーを企画したことは、木根の発言に一致するが、本来「tribute LIVE」と同じ頃(2003年5~6月)にTMのツアーが企画されていたことは、木根が触れていない点である。


さらに遡って2002年10月後半頃、ウツは「Castle in the Clouds」のリリースを踏まえた上で、以下のように述べている。

今回のリリースをきっかけに、TMはまた発信だなと思ってますけど、特に20周年にちなんだコンサートや新しい試みには力を入れていきたいですね。


ここでいう「20周年にちなんだコンサート」とは、後の歴史を知っている者が見ると2004年の20周年ツアーかと思ってしまうが、この時点でこれからの発信の一環として述べていることを考えれば、2003年5~6月頃のTMツアーだった可能性の方がむしろ高いのではないだろうか。
つまり「Castle in the Clouds」制作の時点で、TMはアルバムだけでなく全国ツアーも計画していたことになる。


これら断片的情報からは、ツアーの準備がいつから始まったのかはまったく分からない。
だが2003年に小室抜きツアーの企画を立ち上げ、急遽会場を確保したと考えるよりは、2002年の時点ですでに会場を確保していたと考えた方が、はるかに理解しやすいと思う。
たとえば2000年の「Tour Major Turn-Round」は、開催5ヶ月前にはスケジュールがおおよそ決まっていた。
同様のスケジュールならば5月開始のツアーの会場は、2002年中には確保していなくてはいけない。
2004年5月開始の「Double Decade Tour」も、具体的な会場確保状況は不明だが、開催自体は2003年中に決まっていた。


要するにTMのツアーが2003年5・6月頃開催予定だったのならば、2002年中には会場が確保されていた可能性が高い。
しかしこれが小室の都合で実現困難になってしまったため、小室抜きで開催することを木根が立案し、ウツと小室を説得したという流れが推測できる。


そのように考えれば、アクションを起こすべきとのスタッフの発言があった2002/12/18の会合とは、実際には木根がいうようなポジティブなものではなく、小室が動かない状況下でツアーを中止にすべきかどうかの話し合いだった可能性が高い。
中止にする場合、当然会場に対して一定のキャンセル料支払い義務が発生する。
そこで木根は、小室抜きツアーを開催してこれを回避することを考えたのではないか。
もちろん小室抜きツアーに変更する場合、大規模な会場はキャンセルすることになっただろうし、サポートメンバーの都合で日程の微調整は必要となっただろうが、全会場キャンセルと比べれば、負担ははるかに小さかったと考えられる。


なお12/24NHK FMの特番「TM NETWORKスペシャル」では、小室がパーソナリティの中村貴子から翌年のツアーについて聞かれると、「(話題は)ちらほら出ていますね」と言った上で、「どうなんですかねえ、ツツジ…紅葉?」と言って、曖昧な態度に終始した。
小室の消極的な様子がうかがえる。


「tribute LIVE」について注目すべきは、2003/2/16~23の「Live Epic 25」の会場のチラシで、初めて開催が告知されたことである。
「tribute LIVE」のチケットは3/30以後各会場で一般向けに発売されたが、ウツ・木根のFCではその前から優先予約が始まっていた。
そしてさらにこれとは別枠で、「Live Epic 25」参加者に配布されたチラシで、来場者限定で優先予約の電話番号も告知された。


TM20周年へのウォーミングアップを宣伝するには、たしかにEPIC世代が集まる「Live Epic 25」は格好の場である。
「Live Epic 25」の企画は夏には始まっていたから、メンバーが活動のスケジュールを立てるに当たり、早くから念頭に置いていたとしても不思議ではない。
ウツ・木根FCの会報発行も「Live Epic 25」とほぼ同時だったから、日程発表のタイミングとしてはベストだった。
「Live Epic 25」でのライブ開催告知は、早い段階で想定されていたものだろう。


ここまでで検討したところでは、本来のスケジュールに関して推測されるところは、以下の2点である。

・TMは2002年10・11月頃に、アルバムのレコーディングを始めるはずだった
・TMは2003年2月半ばに全国ツアーの日程を発表し、5~6月頃に実施する予定だった


ここで私は、以上の推測にさらなる推測を重ねたい。
それは上記のアルバム制作と全国ツアーが一連のものだった可能性、すなわち2003年の全国ツアーはアルバムツアーだったという可能性である。


これは必ずしも積極的な根拠があるわけではないが、そもそもこれまでのTMの全国ツアーは、デビュー以来すべてアルバムリリースに連動して行なわれてきた。
この時だけアルバムと無関係のツアーが予定されていたと考える方が、むしろ不自然だろう。
だとすればアルバムは、ツアーが開催される5・6月頃までにはリリースされている予定だったはずである。


また先に見たように、私はこのアルバムの制作は、本来10・11月頃に開始されるはずだったと推測している。
その予定が遅延してからの計画は、当時のウツ・木根の発言からうかがえる。
たとえばウツは10/26「玉川美沙 Bravo!」(TBSラジオ)で、12月にはレコーディングに入らないと4月にTMの新作を出せないと述べ、11/9「雄冶・ナイクのSaturday Nice Try」(TBSラジオ)では、木根が春にアルバムを出したいと述べたという(これらについて詳しくご存知の方、情報いただければ幸いです)。


ウツの言う新作について、12月レコーディング開始で4月リリースという間隔から判断すれば、シングルではなくアルバムと見るべきである。
木根の言う春のアルバムと同じことを言っていると見て良い。
おそらくレコーディング開始が10・11月から12月に変更され、それに伴いリリース予定日も遅く設定し直されたのだろう。
もしも10・11月にレコーディングが始まっていれば、2・3月頃にはアルバムがリリースできていたはずである。


これ以前、2000年のレコーディングを見るに、8~9月に先行シングル「Igintion, Sequence, Start」が制作され、9~11月にその他の曲がレコーディングされた後、12月にアルバム「Major Turn Round」がリリースされた
この例では先行シングル制作開始から4ヶ月、アルバム曲制作開始から3ヶ月後のタイミングでアルバムがリリースされている。
このペースでレコーディングができれば、10・11月制作開始、2・3月リリースは十分可能だし、それならば2月の「Live Epic 25」でもアルバムの宣伝ができただろう。


しかしアルバム制作開始は12月に変更された上、それすら実現しなかった。
こうした中で木根は、せめてシングルだけでもリリースしたいと考えたようで、年始に発表された(おそらく年末の)インタビューで2003年の活動を聞かれた時、以下のように述べている

TM NETWORKとして、03年春ぐらいにシングルを作って、そのあとアルバムがあってライブができたらいいなっていうのは、3人のなかにあります



以上の過程を整理して見れば、2003年のリリース計画は、

・2月頃アルバム(9月以前の計画)
・4月頃アルバム(10~11月の計画)
・できれば春にシングル(年末の計画)
・すべて中止(2003年)


という形で後退し続けたと推測できよう。


以上の経緯を踏まえて考えれば、12/18のウツ・木根の打ち合わせは、アルバムリリースの中止を前提として、確保済みのツアー会場をどうするか相談したものと考えられる。
また逆に、ウツ・木根がしばらくアルバム制作にこだわったのは、ツアー会場をすでに確保していたという事情もあったのかもしれない。


このように考えた場合に改めて注目されるのが、音源集「キヲクトキロク」のリリースである。
本作のリリースは11月初頭に発表され、翌年2/5にリリースされた。
10月下旬にはリリースが決定されていたものだろう。


これまでの考察に従えば、10月の時点でアルバムリリースは4月を目標とするようになっており、2002年度(2002年4月~2003年3月)にはアルバムリリースができなくなっていた。
これを受けて「キヲクトキロク」の年度内リリースが、代替措置として急遽決定されたのではないだろうか。
要するにかつて2000年3月のアルバムリリースが中止された代替として、ベスト盤「Best Tracks」がリリースされたのと同じケースということである。


もっともオリジナルアルバムと比べれば、寄せ集め音源集に過ぎない「キヲクトキロク」の価値の低さは明らかだった。
そのため小室は年度末になって、駆け込みでR&Cから次々と新商品を企画する。


2/26のライブアルバム「TK Presents Synthesized Trance vol.2」リリースは別枠だろうが、年明けにはR&Cからの「Piano Voice」「Piano Wind」(さらにavexから「Piano globe」)リリース(2003/3/19)が告知された。
一部新曲もあるものの、過去曲をピアノで演奏しただけのものや、過去のインスト音源そのままのものも含む、なんとも中途半端な作品である。


さらに同じ頃、3/26の「Tm Network トリビュート アルバム」のリリースも発表された。
この企画は1月中に中止されたが、HMVのサイトには現在も本商品の痕跡が残っている。


同サイトには以下のような商品説明が見える。
おそらく急な企画だったため、参加ミュージシャンが集まらず、企画が中止になったのだろう。

レア音源に続いてTM NETWORKのトリビュート盤が発売します!詳細はまったく未定ながら、若手のアーティストを中心としたトリビュート盤となりそうです。


これらの間に合わせ企画は、「キヲクトキロク」と同様にTMのアルバムが年度内にリリースできなくなったことの埋め合わせだろうが、本当にがっかりする仕事ぶりといわざるを得ない。


以上のように考えた場合、2002~03年のTMのリリース計画は、以下のように推移したことになる。

1. 2002年9月以前:2002年度内にシングル・アルバム発売、2003年度にTMツアー
2. 2002年10・11月:2002年度内にシングルと音源集発売、2003年度にアルバムとTMツアー
3. 2002年12月:アルバム制作の中止決定とTMツアー中止の検討
4. 2003年1月:TMツアーの代替として2003年「tribute LIVE」開催


さらにこの前にはもう一段階あった。
2002年1月時点で予定されていた秋のリミックスアルバムリリースである。
これは5~6月頃まではメンバーが発言しているが、その後言及されなくなる。
おそらく7~8月頃に「Castle in the Clouds」の制作スケジュールが固まる中で、年度末のオリジナルアルバム計画に変更されたのだろう。


以上の推測が正しいものだとすれば、この頃のTMは、リミックスアルバム・シングル・オリジナルアルバム・全国ツアーの内、キャンペーンソングという縛りがあったシングル以外は、まったく遂行できなかったことになる。
「キヲクトキロク」「tribute LIVE」などは、本来の計画の残骸か間に合わせの企画だった。


この間小室はほとんどTMに関わっておらず、「tribute LIVE」は完全に木根主導だった。
この活動計画の後退は、小室の都合によるところが大きかったと見るべきだろう。
その始まりが2002年10~11月頃にあるとすれば、その背景は推測できる。
小室の結婚である。


小室とKEIKOは11/22に挙式することを10/6に発表した。
以前述べた通り、式の日取りは細木数子が語呂合わせによって決めたものだった。
つまりこの日程は、他のスケジュールとの調整を経て決まったものではなく、この日しかないと言う形で決められたものである。
それは当然、以前から決まっていたスケジュールの一部に変更を要求することになっただろう。
これがTMのレコーディング日程変更にもつながったものではないか。


さらに小室は12月に入ると、新婚旅行を兼ねてハワイに旅立ち、以後断続的に日本に帰国しながら、翌年2月にかけてロスアンゼルスおよびハワイで、ピアノアルバムおよびglobeのアルバムの制作に入った。
これらの制作は帰国後も続き、3月初めまでかかった。
この間、TMのレコーディングが行なえるはずはなかった。
木根がハワイまで「tribute LIVE」開催の許可をもらいにいった1/29は、このglobeのレコーディングの最中のことだった。


小室がTMの全国ツアーへの参加を拒否した理由として、木根・小室は、2003/7/9に予定されていたglobe東京ドームライブに専念することを挙げている。
TMツアーは6月終了予定だったから両立は可能なはずだが、あえてTMを詰め込むほどの動機はなかったものか。
要するに2002年10~11月以後TMのために確保されていたはずの日程は、すべてglobeの活動に置き換えられてしまった。
なぜ小室がこのようなことをしたのかはよく分からないが、新妻KEIKOに晴れ舞台を用意するために、globeに全力を捧げようとしたのかもしれない。


ただ音楽的な問題として、そもそも小室がTMでやるべきものを見出せていなかったこともあるのかもしれない。
本記事冒頭のコメントにある通り、小室にとって「Castle in the Clouds」は、反響を得るための「テスト」としての側面があったが、手応えはあまりよくなかったのではないだろうか。


小室は後に「Castle in the Clouds」について、「メンバーには申し訳ないなと思いますけど、TMの立ち位置をどこに寄せるべきか、位置づけをとても悩んでいた時期でした」と述べている。
何をすればよいか分からないTMよりは、トランスという方向性が定まっていたglobeの方が、小室としては手が付けやすかったと見ることもできる。
またライブMC中の発言なので割り引いて聞くべきだろうが、TMでトランスをやることについては、木根が難色を示していたらしい。


キャンペーンソングにおける80年代の再現、言い換えれば懐メロJ-POP路線というオファーは、一つの可能性ではあっただろう。
ただそれは小室の音楽的動機を刺激するものではなかった。
「Castle in the Clouds」の中途半端な仕事ぶりは、その反映なのだろうと思う。


小室が2002年にこのような状態でTMを動かしたのは、一つにはウツ・木根やスタッフ・ファンから、再結成したからには一定の周期で活動しなくてはならないという圧力を受けていたからだろう。
またより大きい要因としては、業績不振だったR&Cから成果が見込まれる作品のリリースが求められていたこともあったと思われる。


言うなれば「Castle in the Clouds」は、ミュージシャンとしての動機とは別のところで、仕事として作った作品という性格が強い。
この延長上でのアルバム制作が実現しなかったのも、さらに全国ツアーに参加する意欲が湧かなかったのも、一言で言えば機が熟していなかったということと思う。


以上、本章はこれまでにないほど推測を交えたものになったが、この推測に従えば、TM20周年への道のりは、極めて不穏な形で始まったことになる。
それはあたかも、「終了」という結末で終わったTM10周年に向けた活動にも似たところがある。


たとえば1年以上TMの活動を休止した後、世間の反応を見るためにパイロットシングルを1枚だけ出すも、これに続くアルバム制作を放棄して別ユニットに専念するという過程は、偶然ながら1993年の動向と驚くほど類似する。
TM20周年に至る動向を10周年の時と比較して、対比的に図式化すれば、以下のようになる。

・1993「一途な恋」不振 →アルバム制作を中止しtrfへ
・2002「Castle in the Clouds」不振 →アルバム制作を中止しglobeへ


さらに言えば、1993年には「一途な恋」の前に、リミックスアルバム「Classix Ⅰ・Ⅱ」がリリースされているが、2002年にも当初は「Castle in the Clouds」の前に、リミックスアルバムがリリースされる予定だった。
影響関係があるわけではないが、不思議な一致である。


もっともTM10周年の時には直前にtrfが成功を収め、TMNが「終了」することになったのに対し、20周年の時にはglobeが失敗したことで、TM20周年は最終的には遂行され、「再終了」も行なわれなかった。
これは一見すると、TMファンにとって幸いなことだったようにも見える。


だが別の見方をすれば、TMN「終了」が小室の成功の結果であるのに対し、TM20周年の実現は小室の失敗の結果だったとも言える。
その意味でTM20周年に向けて展開された活動は、「終了」以上にネガティブな要素にまみれたものだったと言うこともできるだろう。

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この記事へのコメント

M
2018年08月03日 12:57
こんにちは。記事読みました。
一代記を読むような小説を読むようなもの凄いイメージを掻き立てられるような記事でした。閉口といえば失礼ながら読んでいて感心してました。
読みながらもしかしたらと思い読み進めてましたがやはり終了前後と重なりましたね。
参考程度なのですが今となっては小室さんの生き様をおおよそ3年、4年、6年、8年、10年周期で巡って移り変わっていくことを意識して見ていくとそれが一切も狂わずに生きていることに気づきますよね。
一切も狂わずに、と書きましたが小室さんはそれを意識して律しているのか、無意識なのがたまたま重なるだけなのか、そういった巡り合わせがあるのか。分かりませんがそういう周期で過ごしている姿を見るにつけ安心できたりすることもあったのですがね。
責任を持って現実社会を生きていくことは困難が伴うということですかね。
haru
2018年08月03日 20:01
この前「FANKS CRY-MAX」増補版リリースのあとは「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」、さらに「Camp Fanks!! '89」も…?と書いたのは、89年にFANKS the LIVE三部作として出したから、かつて「CAROL the LIVE」「CAROL Deluxe Edition」をリリースしたにもかかわらず流れで出しちゃうんじゃないか、とふと思ったからです。

 より進化して初のBlu-ray化、とか言って…。

 いや、あるいはFANKS the LIVE三部作だったことをソニー側は忘れているかも。増補版のジャケットが明らかになれば三部作か単発か見当が付くかもしれません。

 仮に「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」増補版が出るとしたら、何を追加しますかねぇ。

 ま、ソニーのことだから非売品VHS「Fanks The Live 4」収録の「All-Right All-Night」ともう一曲、てところなんでしょうが。音源のみ世に出ている曲、全くの未発表のものがありますが、果たして…。

 いやいや、私もみなさんも本音は“完全版で出せ”ですよね。
kuri566
2018年08月04日 22:19
ポコ太さんに宜しくお伝えください。参加できる方々がうらやましいですね。関西はやはり遠いです。残念。また関東あたりでお会いできることを楽しみにしています。
 さて、今回の推測は素晴らしいですね。かなりの精度で当たっていると思います。これまでモヤモヤしていた重いがすっきりしました。ありがとうございます。
仕事がら、市立や県立のホールを予約することがありますが、料金をとらない小・中学校や市民サークルの発表会でさえも1年前には予約です。カレンダー的によい日なんかは、競争です。まして、前日に仕込みをしようと思ったら、なおさらです。数ヶ月前で急に押さえられませんよ。まあ、ごくまれに大物アーティストが穴を空けてしまったんで、誰か代わりに安くするから会場使って、と会場のオーナーサイドから依頼がくることもあるようですが、普通はありません。当然、先にTMとして押さえてしまっていたので、苦肉の策のトリビュートライブだったんでしょうね。皮肉にも好評だったのでその後、こりゃいけるってんで、2回目、3回目と続くんでしょうが・・・。
シティーハンターが再起のきっかけになることを祈っています。できれば、ゲワイにかわる新曲で!!
fe
2018年08月08日 15:37
こんにちは。

本来TMでやるべき実験を「REPRESENT 01」「SYNTHESIZED TRANCE」「LEVEL 4」でやりつくしてしまった、世間全般にファミコン・1980年代の歌謡曲等を筆頭にレトロブームの火がつき始めていたため、そこに乗っかろうという魂胆も無きにしもあらずだったが、不発に終わってしまったこともあり「pop/rock」「SPEEDWAY」で「原点回帰」と言う名の「過去の切り売り」を主軸にしてしまうことににつながってしまったのかと思うと何とも切ない。

そう考えると「DRESS2」「QUIT 30」はそれらの失敗を包括した上でのリベンジだったのかも知れません。コンセプトの原初として「LEVEL 4」を挙げていましたし、メインコンセプトの一つである「リミックスアルバム」を初志貫徹しましたし、「プログレを新しい音で」というコンセプトを実現しましたし(流石に再構築ではありませんでしたが(苦笑))、往年の小室ファミリーのメロディの一部を引用し、「この曲は本当はウツに歌わせたかった」という無言のメッセージを受けたように感じました。

それでは、失礼いたしました。
C
2018年08月13日 13:57
色々と腑に落ちる記事でした、ありがとうございます。

私はオリジナルに近い形でライブでの演奏を聴きたい・・・と思う派なので、動画サイトでtributeの事を知った時には、求めるものが実在したのか!!と興奮&感激したものです。入手できてないですが(笑)。
「クリストファー」のステージ映像とかもう幻かと・・・いや、そもそもTM自体生で観た事がない幻なのですが・・・

何回か開催されてる様なので、やっぱり皆望んでいた形(小室さん不在が、ではなくオリジナルに忠実な演奏、とかいう辺りが)だったのかなーと思っていたのですが、必ずしも全力で肯定される企画ではなかったのかもしれないのですね。
kuri566
2018年08月15日 06:06
〉Cさん
「クリストファー」「ユアソング」「トゥインクル・ナイト」「カンバック・トゥ・アジア」「チルドレンオブザニューセンチュリー」とか選曲が、とにかくツボつきまくりなんですよね。後半のたたみかけは、だんだん定番になって「ああ、またか」という感じになっちゃうんですが、私もトリビュートは1回かぎりであとはDVD鑑賞のみなので、もっと参加すればよかったなと後悔しています。
You
2018年08月15日 16:52
いつも幅広い情報と鋭い推理で読み応えと説得力のある記事をありがとうございます。
2003年当時はずいぶん中途半端な活動だと思っていましたが、当時の彼らの中で出来るギリギリだったのかと思うとそれでも活動してくれたことに改めて感謝したいと思います。

FANKS CRY-MAXについては、BD化してくれること自体は嬉しいですが、SONYのやり方には少々憤りも感じています。特に今回のように追加収録の手間をかけられるなら最初から完全版を出してくれと思います。
当時はビデオテープで収録時間が限られていたから切り詰めたとしてもBDならそんな必要はないですし、万が一映像や音声に乱れがあって使えない部分があったとしても今なら「原盤にノイズがありますがそのまま収録しています」という事例はいくつもあるわけで、完全版を出さない理由なんて「採算がとれるかどうか」しかないんですから、これ以上ない全編ノーカットの完全収録なら高くてもみんな納得で買うと思うのですが、なぜSONYはこういうことをするのか残念でなりません。出し惜しみしすぎて機を逸しないことを切に望みます。
ああ!ノーカットのELECTRIC PROPHETを聴きたい!!(´;ω;`)(現時点でのベストはMTR版)
…もしかしてDRAGON~もNERVOUSも1曲丸々収録ではなく、ボーナストラックとして既存の映像のままで入れるつもりだとしたらさすがに呆れ果ててしまいますが、そんなことはないですよね?(にっこり)> SONYさん

>Cさん、kuri566さん
私もトリビュートライブは後から知って中古やオークションで集めたクチですが、収録曲を見たときは本当に目がキラキラしましたよ!
椎名
2018年08月16日 20:20
SONYからの映像作品リリースはもう期待してません。
あれだけ盛り上がった30周年に何の音沙汰も無かったのだから、
もう処分しちゃったんじゃないですかね、過去のVは。

2003年の空白が1993年と重なるのが非常に納得。
TMってコンセプトやストーリー、テーマありきだから、
意味の見出せない活動は出来ないんですよね。
特に哲ちゃんは。

だけど、2012~2015年の一連の活動からわかるように、
本気で動き出せばとてつもないモノが生み出せるのもTM。
劇場版シティーハンターというきっかけがあるのだから、この際前言撤回して復帰しちゃえ。
nob
2018年08月17日 19:06
ご無沙汰しております
今晩ですね
残念ながら大阪まで行けませんでした
みなさん和気藹々楽しんでいることでしょう。

さて、FANKS CRY-MAXは 確か後ろにもスピーカーを置いて4chの音響にしているはずですが
(今風はサラウンドですが、当時は そんな言葉なかった)
そんな再現も 盛り込めないでしょうね
どの曲で音を回したか 当時知っている人がおられましたら情報提供ください。

それでは 次回お会いできることを楽しみにしております。
やまびこ
2018年08月21日 00:55
FANKS CRY-MAXについて、私にはその先が見えるような気がします。要は、KDDも一曲追加で再発、CAMP FANKSは完全版を出しているのでどうするかは不明、、、ある程度まとまったところでBOX。やはり企業は安定的に収益を出すことを目的としていますので、小出しに売り続けるしかないのでしょう。FANKSになってしまった我々は、おとなしく術中にはまるしかなく、不買運動などしようものなら、需要がないものと判断され「その後」がなくなってしまうことは確実です。なので、私は予約しました。まぁ、中学生ではなのですから、みんなで頑張って需要があることをソニーさんに見せてあげましょう。貴方の、清き一枚が、秘蔵映像放出に繋がると信じて、、、
青い惑星の愚か者
2018年08月21日 18:10
>Mさん
周期といえば、だいたい10x+9年の前後はおかしくなっていますよね。
まさか律してそうなっているわけじゃないでしょうけど…
・89年:なぜかソロ
・99年:微妙なTM
・08年:逮捕
・18年:引退


>haruさん
KDD増補版がリリースされたら、プレゼントビデオのオーライと、
一部だけ出しているユーキャンダンスでしょうね。
伝説の木根竹馬の全貌が見られます。
まあ見たいか?という話ですが。

正直KDDは、音源についてはビデオとコロシアムとグルギでほぼ揃うので、
そんなに飢餓感はないです。
まったく出てないのはカモレ・ゲワイ・ドラフェスくらいですよね。


>kuri566さん
北陸だとどうしても不便ですね。
TMファンが集まる何かがあればいいんですけどね。
ライブ会場の確保、単発ライブならLog-onみたいに1ヶ月前という荒業も可能でしょうけど、
全国ツアーだと結構早めに抑えておきますよね。
2000年12月開始のMTRツアーの場合は6月初めに計画始動と見ているので、半年前でしょうか。
しかし2000年春に計画されていたツアーの中止が問題にならなかったのかは心配です。
もしかして良い気になっていた小室さんがかぶったとか…。
青い惑星の愚か者
2018年08月21日 18:10
>feさん
represent_01とかは、小室さんが「本来TMでやるべき実験」とは考えていなかったと思うんですよね。
そこらへんは動かしやすい個人ユニットでやることにして、ではTMで何するの?てなった時、何も出てこなかったんじゃないかなあと感じています。
リミックス+シングル+オリジナルという1999年以来の構想は、たしかに30周年でようやく実演しましたね。


>Cさん
クリストファーとかTwinkle Nightとか、TMではまずやらなそうな曲をやるというのは、たしかに2005年時点では小室抜きツアーの意義づけとしてはアリだったんだろうと思います。
ただ2003年はみんなが聞きたい定番曲のヒットメドレーツアーという感じだったので、レア曲ツアーとはまた違うコンセプトだったと思っています。


>Youさん
エレプロ完全版、ホントに見たいですね。
NETWORK時代の定番曲といいながら、EXPO以前の完全版映像はいまだに商品化されていませんから。

武道館のBD化、本当に意味があるのかは私は疑問です。
元の素材がDVD以上の画質なのかが問題としてあるからです。
もしかしたらBDを再生しても、画質はDVDと変わらないかもしれません。

たとえば1989年ライブ映像を新編集したCAROLデラックスはDVDでリリースされましたが、
これは元素材がBDにしても意味がない水準だったためである可能性もあります。
ならばその2年前に収録された武道館ライブの素材がBD化の意味があるかどうかは、相当疑問ではないかというのが私の考えです。
ならばなぜBDにするのかといえば、値上げの口実以上のものではないのだろうということです。
まあ、実際に画質が上がる可能性も多少はあるのかもしれませんけど。
青い惑星の愚か者
2018年08月21日 18:11
>椎名さん
おおう…もう悟りを開いてしまわれたのですね。
この十数年のSONYの所業を考えれば、そういうファンはかなり多いものと思います。
こうやってSONYは、購買層をどんどん減らしているんですよね…

2003年の小室さんは、せっついても何もできなかったんでしょうね。
CASTLE~以後の小室さんは、なんか無理やりひねり出している感がやはりあります。
インスピレーションがわかないと、平均的に仕事をこなせないという点で、
小室さんはやはり職人ではなくアーティストなんだと思います。


>nobさん
大阪はさすがに厳しいですよね。
私ももとより関西の方々で集まろうと思っていたんですが、
ふたを開けてみると、関東からの参加者が3人もいまして、皆さんの情熱を感じました(驚)。

サラウンドスピーカーの件、私もまったく同じことを以前から思っていました。
完全版DVDを5.1chでリリースしてくれないかなあ…と。
音を回していたのはゲワイとマリアクラブです。
DVDのマリアクラブはウォウウォウォウウォウがグルグル回らないと、本当の意味でのライブ追体験にはならないのです…!!


>やまびこさん
おおう、ここにも別方向に悟りを開かれた方が。
KDDは正直追加されてもあまり嬉しくないんですが、
むしろFanks Fantasy Dyna-Mixの増補版をお願いしたいです。
しかしSONYだと、TM VISIONの映像を追加とかしそうだなあ…
あとありそうなのは、リズレツアーのRhythm Red Beat BlackとKiss Youを完全収録ですかね。

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