7-9 TM NETWORK tribute LIVE①
amazonで「Fanks Cry-Max」増補版blu-rayの予約が始まりました。
こちらだと3756円で、定価の4860円よりも1000円ちょっとお得になります。
他のショップでも予約受付中ですが、現状ではDMM(3596円)が一番安い感じでしょうか。
購入をお考えの方はご参考までに。
小室さんが音楽を担当した「SUNNY 強い気持ち・強い愛」のサウンドトラックが、8/29にリリースされました。
これが小室さん最後の新作となるのでしょうか。
全25曲を収録しています。
出色の出来とは思いませんが、まだやっていける水準なのになあ…と感じました。
映画は8/31に公開されます。
8/26には、PANDORA「Be The One」を主題歌とする「仮面ライダービルド」が、1年の放送を終えました。
いろんなものが決着を迎えている感じですね。
なお「Tetsuya Komuro Archives」はまだランキングに入っており、合計10万枚を越えました。
前回書き忘れていたんですが、ウツのソロツアーのタイトルが「Thanatos -25th Anniversary Final-」に決まりました。
タナトス… ギリシア語で「死」てのは、何か含意があるんでしょうか(まあ何もないんだろうとは思っていますが)。
「ξ」とか「Idios」とか、ここ数年ギリシア語にこっているのは、ウツかスタッフの嗜好なんでしょうか。
なおウツは8/25、NACK5の「浅倉大介 Neo Age Circuit」に出演しました。
私は聞いていませんが、多分ツアーの宣伝でしょう。
一部公演は、すでに一般発売が始まっています。
木根さんは6月から地道に全国ツアーを回っていますが、残るは関東の公演だけとなり、ファイナルの9/16が見えてきました。
8/11にはラジオ高崎の「Air Place Saturday」に出演し、高崎公演の宣伝をしたようです。
9/12にはラドンナ原宿で、「あべ静江&太田美知彦 ~西日本を中心とした豪雨災害支援チャリティーライブ~ Vol.2」にゲスト出演します。
8/24には渡辺美里さんの「M・Evolution Tour」かつしかシンフォニーヒルズ公演にゲスト出演し、「さくらの花の咲くころに」「点と線」「eyes」を演奏しました。
MCもかなり長かったようです。
「GREEN DAYS ~緑の日々~」のレポートによれば、木根さんは数年後にでもTMの「引退試合」をやりたいと言ったそうです。
あくまでも木根さんの願望ですが、実現してほしいですね。
また美里さんによれば、小室さんの引退会見の後、木根さんが「今はそっとしておいてあげて」と言っていたそうです。
では本題に入ります。
なおしばらく多忙につき、次回の更新は遅れるかもしれません。
あしからず。
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2003/2/16「Live Epic 25」が開催された大阪城ホールで、来場者に対して参加ミュージシャンに関するチラシが配布された。
TM NETWORKのチラシは、表に「キヲクトキロク」および3人のソロ新作の広告、裏に3人のFCの宣伝が載せられていたが、裏にはさらに半面を使って、「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU & KINE’S SELECTION FROM TM SONGS-」の告知と、木根尚登名義の趣旨文が印刷されていた。
趣旨文は長文に渡るが、第7部におけるTMの混迷ぶりを示すものとして重要なので、以下に全文を掲げておきたい。

言い訳がましく空虚な装飾の目立つ文体はいかにも藤井徹貫の作文だが、ここではその詮索は措いて、「tribute LIVE」について述べられている公式見解を整理して、「tribute LIVE」開催の背景について考えてみよう。
1)3)はツアー開催の理由として挙げられているものだが、一言で言って建前に過ぎず、真実味は皆無である。
2)6)はツアーのコンセプトを語ったものだが、2004年に向けた発言である7)とともに、ツアー開催の理由とは直接関係しない。
結局問題になるのは、4)5)の部分である。
これによれば、ツアー企画の中心は木根であり、その参加メンバーは小室の意向で決められたという。
この点をもっとも詳しく書いているのは、木根の「新・電気じかけの予言者たち」である。
その流れは前章で、他の情報も参照しつつ触れたが、ここで改めて整理しよう。
まず2002/12/18木根・ウツのミーティングがあり、20周年に向けた活動を行なう方針が立てられたが、小室のスケジュールの調整が付かなかった。
しかし木根は年始に、小室抜きのツアー開催を考え、1/29に渡米して小室と会い、その開催承認を得た。
これを受けて2月初めにはスケジュールが決定し、上記の通り2/16に発表された。
上記の筋書きを見る限り「tribute LIVE」は、たしかに趣旨文4)にあるように、木根が中心の企画だった。
ウツもこの件を木根から聞かされて驚いたことを述べている。
なおウツは最終的には木根に説得されたものの、当初はこの企画に否定的だった。
TMは3人でやらないといけないというこだわりを強く持っていたようである。
また趣旨文5)では、小室が浅倉を代役として挙げ、さらに葛城・阿部の参加を提案したことになっている。
この3人は、TMN時代のサポート陣である。
これも1/29の木根・小室会見の時のこととして、「新・電気じかけの予言者たち」に記されている。
だが4)については、実際には小室が後からglobeの活動を入れたことで、もともと計画されていたTMのツアーが実現困難になり、その代わりに「tribute LIVE」の開催が決まったと見られることは、前章で推測したところである。
「tribute LIVE」開催の事情について、木根はつじつま合わせを行なっている疑いが強い。
それならば、5)で1/29に小室が浅倉を指名したと言うのも、鵜呑みにするのは危険だろう。
小室が同意したことはたしかだろうが、実質的に提案したのは木根ではなかったか。
そもそもTMの曲を演奏する上で、シンセ担当を誰にするかは、真っ先に考えなければいけない問題である。
木根がアメリカまで行って小室に会いに行く際に、小室の代役について具体的な案を用意していかないことなど、およそあり得ないことだろう。
そしてその場合、浅倉をはじめとする3人には、事前に内諾を取っていたと考えるのが自然である。
「新・電気じかけの予言者たち」では、会談後にサポート候補者3人に連絡したところ、3人ともすぐに参加を承諾したとされ、特に浅倉は木根が帰国したその日に承諾したというが、実際には木根が渡米以前に3人に内諾を取っていたのだと思う。
ただ「新・電気じかけの予言者たち」が、浅倉の件のみ具体的に書いていることを考えると、この時に交渉があったのは浅倉だけで、葛城・阿部についてはすでに話がついていたのかもしれない。
葛城・阿部については、当初のTM3人のツアー計画の段階でサポートを依頼していた可能性がある。
なお浅倉は2002年に7年ぶりにaccessの活動を再開させたばかりで、2003/4/4からは全国ツアー「Livin' GHOST」を開催する予定だった。
このツアーは5/18まで開催された後、6/1にファイナルの仙台サンプラザ公演を行なうことになっていた
一方「tribute LIVE」は5/27・28・30から始まることになっており、それ以前の5/16からリハーサルが行なわれた。
つまりaccessのツアーと重なる日程である。
この日程で浅倉に出演以来をするのは、普通では考えられない。
木根やスタッフが浅倉に頼み込んだものに違いないが、浅倉としてもこれを受諾する前に関係各処との調整は必須だったはずである。
浅倉が出演を即答したとされていること自体、木根の話の創作性を裏付ける。
他に木根・小室会談で決まったものとされるものに、「tribute LIVE」というツアータイトルがある。
「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根は小室に対して、スタッフたちと考えたツアータイトル案をいくつか出した。
その中には「TN NETWORK CONCERT」や、「UK NETWORK CONCERT」があった。
隆・尚登の頭文字でTN、あるいは宇都宮と木根の頭文字でUKという発想である。
またはTMNから哲哉(T)を除き、「MN NETWORK CONCERT」という案もあったというが、正直、どれもこれもセンスがなさすぎる。
いや、センス以前に、飲み屋で中年オヤジの雑談で交わされる冗談以上のものではない。
これらは「tribute LIVE」のタイトルを引き立たせるための創作かとも疑われる。
「新・電気じかけの予言者たち」によれば、小室は「TM NETWORK」という言葉は入れるべきと主張した。
しかしあくまでもTMのツアーではないということで、小室が提案したのは、tributeという言葉を入れることだった。
要するに、「tribute LIVE」というタイトルは小室が考えたものだと言う。
当時日本では洋楽・邦楽とも、トリビュートアルバムやトリビュートライブが盛んに行なわれていた。
1990年代には死没していたミュージシャンや解散していたバンド、あるいはかなり老齢のミュージシャンの作品を扱ったものが多かったが、2002年には「The Blue Hearts 2002 Tribute」「一期一会 Sweets for my SPITZ」など、TMと同世代か、より若い世代のトリビュート盤もリリースされ、しかもかなりの商業的成果を上げていた。
したがってTMのトリビュート企画もあり得るものではあった。
実際に2003年1月の時点では、TMのトリビュートアルバムのリリース計画が確認できる(前章を参照)。
結局この企画はなくなったのだが、この時ツアータイトルとして「tribute」の言葉が出たのは、この流産したアルバムを意識したものだったのかもしれない。
トリビュートライブについても、日本でのトリビュート盤流行以前から欧米で広く見られた。
2002年にもロンドンで、豪華メンバーによるGeorge Harrisonの追悼ライブ「Concert for George」が開催され、話題になった。
日本でもこの頃には矢沢栄吉・はっぴえんどのトリビュートライブが開催されている。
「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルの前提には、このような先例が存在したのだろう。
結局この小室の案が採用されて、本ライブは「TM NETWORK tribute LIVE」と名付けられることになったという。
ただ「tribute LIVE」に関する小室のエピソードに疑わしいものが多いにはこれまで見た通りであり、私はライブタイトルが本当に小室の案だったのかも疑うべきと思う。
たとえば「TN NETWORK CONCERT」などと同様に、木根側が提案したタイトルの一つに過ぎなかった可能性もあるだろう。
ただサポートメンバーの指名と違い、絶対にありえないと断言するだけの矛盾があるわけでもないので、ここでは判断を保留しておきたい。
tributeとは、あるミュージシャンに敬意・賞賛の意を捧げることであり、つまりこのツアーは、TM NETWORKを称賛するライブだという位置づけになる。
ステージ上ではTMの曲が演奏されるが、それはその場にいないTM NETWORKに捧げるものであり、演者はTMではないということになる。
それは、このツアーがTMのツアーではないという説明にも通じる。
木根側の案とされる「TN NETWORK CONCERT」なども、TM NETWORKのツアーではないという点で方針は一致していた。
木根の趣旨文でも自分を含む演者をTM TRIBUTE BANDと位置付けているし、ウツもTMのツアーではないことを何度も強調している。
TMメンバーがTM曲を演奏するが、TMのツアーではない。
こうした矛盾に満ちた立場を、彼らは堅持した。
しかし一方で、TM20周年の前夜祭として開催するツアーである以上、TMをまったく匂わせないタイトルもまた不可である。
その結果として採用された「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルは、なんとも苦肉の案であると思う。
あらゆる人が思うことだろうが、木根・ウツが自らTMにトリビュートするというのは、意味が分からないだけでなく、失笑せざるをえないネーミングである。
「トリビュート」を文字通りに取った場合、ステージに上がるのが木根・ウツとかつてのサポート3人であるというのは、TM関係者以外にTMを敬愛する者が誰もいないということにもなろう。
もちろんトリビュートの名称は後付けであって、現実は小室が参加しないままでTMツアーを行なうことの正当化に過ぎないのだが、要するにこれほど無理な理由づけをしなければ説明できないほど、不自然なツアーだったということである。
ただ救いだったのは、この頃の小室はTMでやるべきものが見出せず、可能性を見出していたglobeに注力しようとしていたものの、まだTMをやめるつもりはなかったことである。
木根のMC中の発言なので割り引いて考える必要があるが、この頃木根が小室に対して、これで最後でいいから20周年はちゃんとやろうと言ったところ、小室は「30周年もやろうよ」と答えたという。
小室の中でTMは、いつ動かすかはともかくとして、残すことは自明の前提だったのだろう。
だが小室を外して全国ツアーを開催するという先例を作ってしまったことの意味は大きい。
こうした先例が一度出来上がってしまえば、メンバーもスタッフもなし崩し的に、同様の企画を繰り返し立ち上げることになるだろう。
事実、2004年のTM20周年の活動の後には、「tribute LIVE」の第2弾・第3弾として、2005年に「Spin Off from TM」、2007年に「Spin Off from TM 2007」が開催される。
それぞれ「tribute LIVE 2005」「tribute LIVE Ⅲ」とも題されていた。
つまり2002年以後に開催されたTM関係のツアー4本の内、20周年記念ツアー「Double-Decade Tour」以外の3本には、小室が参加していなかったのだ。
この時点ではもはや「tribute LIVE」は特別企画などではなく、むしろ小室のいるTM NETWORKこそが、特別企画的存在に成り下がっていた。
2005年以後の小室はウツ・木根とまったく別に活動をしていたが、自身の都合から、2007年にTMの再開を提案する。
ここに「tribute LIVE」中心の活動形態はようやく終わりを告げるが、こうした偶然がなかったならば、「tribute LIVE」が開催され続ける一方で、TMが事実上消滅していたという事態は、十分に考えられたと思う。
余談だが、私は2005年以後のTMを見て、その歴史は事実上終わったと本心から思った。
そこで今後語るべき音楽活動が新たに呈示されることはないと思った私が、歴史的生命を終えたTMの活動の軌跡をまとめようと思って始めたのが本ブログである。
ただ2003年に限って言えば、「tribute LIVE」はTMの活動を求めるファンの要望に応えるとともに、2001年以来の活動空白期間に進行していたファン離れを、ある程度食い止める役割を果たしたと考えられる。
それはTM20周年の遂行に当たって、たしかに一定の役割を果たしたのだろう。
以上がこのツアーのコンセプトだが、肝心の音については、趣旨文2)にあるように、過去の曲をオリジナルで演奏すると言う点が強調された。
なおこの場合の過去の曲とは、「終了」以前を指す。
この時に演奏された最新の曲は1991年の「Wild Heaven」で、1999年の再始動以後の曲は演奏されていない。
要するに選曲の面でも編曲の面でも、新しい要素を一切排除したライブだった。
TMのライブでは大幅なアレンジが加えられることが多く、それが一つの醍醐味でもあったが、それは小室の手によるものだった。
だがこの時は小室がいなかったため、その点での遊びができなかった。
そのためオリジナル演奏という原則を立て、そこにポジティブな理由づけをしたのだろう。
もちろん浅倉大介が参加していたのならば、面白いアレンジもできただろうが、accessのツアー中の浅倉の負担を増やすことも難しかっただろう。
また小室がいないことに対するファンの違和感にも配慮して、浅倉のアレンジはあえて加えなかったのかもしれない。
浅倉もオケに音を加えたり削ったりする時は、必ず木根やウツに確認を取っていたと言う。
とはいえライブということもあり、もちろんサポート3人の個性的な音は随所に加わっている。
またインストコーナーの「組曲Vampire Hunter “D”」などは、曲の改編が行なわれているわけではないが、音色などに浅倉のこだわりが感じられるところではある。
小室はライブ音源の作成のために、自らが持っているシーケンスデータを提供した。
この点はやはり「tribute LIVE」が小室の承認下で行なわれたことを示している。
演奏曲のほとんどは1999年の再始動後初めて演奏されたものなので(例外は「Beyond The Time」「Kiss You」「Self Control」「Seven Days War」「Dive Into Your Body」)、提供されたものの多くは1994年以前のデータということになる。
ウツも20年近く前のデータや80年代のコーラスを使ったと言っている。
ただ実際には、浅倉やスタッフが新たに作ったものも少なからず含まれていただろう。
このようにして「tribute LIVE」は開催された。
かなり変則的なライブだったこともあり、客の入りには不安もあっただろうが、実際にはおおむね会場も埋まり、木根の感想では、ファンの反応もよかったとのことである。
これは再始動後のTMが、まともなライブ活動をほとんど行なっていなかったこともあろう。
これ以前の唯一の全国ツアーは、2000~01年の「Tour Major Turn-Round」だが、これはかなり人を選ぶ選曲・演出のライブだった。
首都圏では2000年の単発ライブ「Log-on to 21st Century」があったが、地方のファンにとっては、再始動後過去の曲に初めて触れることができたのが、この「tribute LIVE」だった。
小室がいないといっても、素直に喜ぶファンが多かったことは想像できる。
本ツアーについては、2005年のtribute LIVE「Spin Off from TM」開催に合わせて、FCおよび新星堂でライブDVD「tribute LIVE 2003」が限定販売された(「2003」が付いたのは、2005年に後継企画が開催されたため)。
本DVDには2003/6/27 Zepp Tokyoのファイナル公演の様子が収録されており、MCおよび日替わり曲以外の様子を知ることができる。
また2007年のtribute LIVE「Spin Off from TM 2007」開催時には、「tribute LIVE」「Spin Off from TM」のライブ音源が、「TM NETWORK tribute LIVE EP」の「Edition #1~3」として、iTunesやmoraなどで配信された。
「tribute LIVE」配信曲は、「Wild Heaven」「Beyond The Time」「Fool on the Planet」「Come on Let's Dance」「Love Train」「Seven Days War」となっている。
ただmoraは配信曲の組み合わせが異なり、「Come on Let's Dance」「Fool on the Planet」の代わりに「1/2の助走」「組曲Vampire Hunter "D"」が配信された。
他にも別テイクを配信したサイトがあったかもしれない。
さらに2010年には3度のtribute LIVEから、音源4曲+映像1曲を収めたEPが各2点、計6点iTunesで配信された。
「tribute LIVE」からは「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Lead」「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Second」がリリースされ、前者は「Don't Let Me Cry」「The Point of Lovers' Night」「永遠のパスポート」「1/2の助走」の音源と「Beyond The Time」の映像、後者は「Girl」「Spanish Blue」「Kiss You」「All-Right All-Night」の音源と「Get Wild '89」の映像を収めている。
これらを集めれば、配信だけで「You Can Dance」「Self Control」「Dive Into Your Body」とSEの「Give You A Beat」を除く楽曲が手に入ることになる。
ただそもそもこんな回りくどいことをしなくても、DVD1枚を買えば済む話である。
以上、「tribute LIVE」開催に至る流れと、その意義について述べてきた。
ライブの具体的な内容については、次章で触れることにしたい。
こちらだと3756円で、定価の4860円よりも1000円ちょっとお得になります。
他のショップでも予約受付中ですが、現状ではDMM(3596円)が一番安い感じでしょうか。
購入をお考えの方はご参考までに。
小室さんが音楽を担当した「SUNNY 強い気持ち・強い愛」のサウンドトラックが、8/29にリリースされました。
これが小室さん最後の新作となるのでしょうか。
全25曲を収録しています。
出色の出来とは思いませんが、まだやっていける水準なのになあ…と感じました。
映画は8/31に公開されます。
8/26には、PANDORA「Be The One」を主題歌とする「仮面ライダービルド」が、1年の放送を終えました。
いろんなものが決着を迎えている感じですね。
なお「Tetsuya Komuro Archives」はまだランキングに入っており、合計10万枚を越えました。
前回書き忘れていたんですが、ウツのソロツアーのタイトルが「Thanatos -25th Anniversary Final-」に決まりました。
タナトス… ギリシア語で「死」てのは、何か含意があるんでしょうか(まあ何もないんだろうとは思っていますが)。
「ξ」とか「Idios」とか、ここ数年ギリシア語にこっているのは、ウツかスタッフの嗜好なんでしょうか。
なおウツは8/25、NACK5の「浅倉大介 Neo Age Circuit」に出演しました。
私は聞いていませんが、多分ツアーの宣伝でしょう。
一部公演は、すでに一般発売が始まっています。
木根さんは6月から地道に全国ツアーを回っていますが、残るは関東の公演だけとなり、ファイナルの9/16が見えてきました。
8/11にはラジオ高崎の「Air Place Saturday」に出演し、高崎公演の宣伝をしたようです。
9/12にはラドンナ原宿で、「あべ静江&太田美知彦 ~西日本を中心とした豪雨災害支援チャリティーライブ~ Vol.2」にゲスト出演します。
8/24には渡辺美里さんの「M・Evolution Tour」かつしかシンフォニーヒルズ公演にゲスト出演し、「さくらの花の咲くころに」「点と線」「eyes」を演奏しました。
MCもかなり長かったようです。
「GREEN DAYS ~緑の日々~」のレポートによれば、木根さんは数年後にでもTMの「引退試合」をやりたいと言ったそうです。
あくまでも木根さんの願望ですが、実現してほしいですね。
また美里さんによれば、小室さんの引退会見の後、木根さんが「今はそっとしておいてあげて」と言っていたそうです。
では本題に入ります。
なおしばらく多忙につき、次回の更新は遅れるかもしれません。
あしからず。
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2003/2/16「Live Epic 25」が開催された大阪城ホールで、来場者に対して参加ミュージシャンに関するチラシが配布された。
TM NETWORKのチラシは、表に「キヲクトキロク」および3人のソロ新作の広告、裏に3人のFCの宣伝が載せられていたが、裏にはさらに半面を使って、「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU & KINE’S SELECTION FROM TM SONGS-」の告知と、木根尚登名義の趣旨文が印刷されていた。
趣旨文は長文に渡るが、第7部におけるTMの混迷ぶりを示すものとして重要なので、以下に全文を掲げておきたい。

TMを愛するみなさんへ
昨年10月、2年ぶりのシングル「CASTLE IN THE CLOUDS」をリリースしました。それは80年代のTM NETWORKを意識した楽曲でした。だから、取材等で小室もREWINDという言葉を使っていたのでしょう。僕も「CASTLE IN THE CLOUDS」をきっかけにかつてのTM楽曲(小室メロディ)を聴き直し、その素晴らしさを痛感しました。
J-POP全体に目を向ければカヴァー・ブームです。当然、アレンジを一新したセルフ・カヴァーも頻発しています。しかし、オリジナルの存在感の大きさは歴然とした事実です。これは僕に限らず、誰もが感じている現実でしょう。だとしたら、アンチ・カヴァーという試みがあってもいいのではないでしょうか。オリジナル直視主義と言ってもいいですが。つまり、TM楽曲をできる限りオリジナルに忠実なアレンジで再生してみたいという思いが芽生えました。
また、2004年4月にデビュー20周年を迎える僕らTM NETWORKは、今一度、原点を確認するのも意味があると考えました。いわば20周年に向けての前夜祭でしょうか。
その気持ちを素直に小室とウツに提案しました。でも、なにぶん突然の提案です。小室の03年のスケジュールは、当然ですが、すでに決定済み、僕とウツのスケジュールが合わせられるのも6月だけという情況。でも、今回の主旨は、TM NETWORKの楽曲をオリジナル再生することだから。 小室に無理を言いました。TM NETWORKのコンサートにはならないけれど、僕とウツだけでTM NETWORKの楽曲をやらせてくれないかと。
小室もスケジュールの調整を試みてくれましたが、結果的に6月を空ける事は不可能でした。しかし、「僕が出演せず、ライヴでTMの楽曲をやるのであれば、大介の出演が絶対的に必要だね。もしも大介がOKだったら、ギターは葛Gドラムはベーアンしかないでしょ」と、ひとつの提案を投げ返してくれたのです。
奇跡的にとでも言うのでしょうか、大ちゃんのスケジュールも6月ならどうにかなるという事でした。葛Gやベーアンも時間をやりくりしてくれました。各スタッフも奔走してくれました。提案者として、ここまでの一連の動きを見ていたら、みんなTMが好きなんだ、みんなTMを愛してくれているんだと胸にしみてきました。だから、メンバーである僕とウツがいるけれど、これはTM TRIBUTE BANDだと思うようになったのです。昨年、ソロ活動10周年を迎えた僕のなかにも、もちろんウツのなかにも、誰よりも強いTMへの感謝や賞賛(TRIBUTE)があるわけだから、これはTM TRIBUTE BANDだと。
04年のTM20周年を前に、TM好きが大集合という事です。となると、僕はプロジェクトリーダーというよりも幹事長なのかもしれませんが。とにかく、せっかくTMをTRIBUTEするのなら、TMを心から愛してくれているみなさんと一緒に楽しみたいと思います。ステージと客席が一緒となり、ライブ会場全体で、TMの楽曲を楽しみませんか。
そうそう、今回のライブと新譜制作は、まったく別のプロジェクトだけど、新しい音のほうも、20周年に向け、徐々に制作を始めています。そちらもお楽しみに。木根尚登
言い訳がましく空虚な装飾の目立つ文体はいかにも藤井徹貫の作文だが、ここではその詮索は措いて、「tribute LIVE」について述べられている公式見解を整理して、「tribute LIVE」開催の背景について考えてみよう。
1)「Castle in the Clouds」では80年代TMを意識、かつての楽曲の素晴らしさを再認識
2)ツアーでは過去のTM楽曲をオリジナルに忠実に演奏したい
3)TM20周年を前に原点確認することにも意味がある
4)木根は小室とウツに相談したが、スケジュールの都合で、6月に小室抜きで開催せざるをえない
5)小室が自らの代役として浅倉大介を指名、葛城哲哉・阿部薫も参加
6)今回はTMを愛している人々によるTM TRIBUTE BANDによるツアー
7)20周年に向けた楽曲制作も進行中
1)3)はツアー開催の理由として挙げられているものだが、一言で言って建前に過ぎず、真実味は皆無である。
2)6)はツアーのコンセプトを語ったものだが、2004年に向けた発言である7)とともに、ツアー開催の理由とは直接関係しない。
結局問題になるのは、4)5)の部分である。
これによれば、ツアー企画の中心は木根であり、その参加メンバーは小室の意向で決められたという。
この点をもっとも詳しく書いているのは、木根の「新・電気じかけの予言者たち」である。
その流れは前章で、他の情報も参照しつつ触れたが、ここで改めて整理しよう。
まず2002/12/18木根・ウツのミーティングがあり、20周年に向けた活動を行なう方針が立てられたが、小室のスケジュールの調整が付かなかった。
しかし木根は年始に、小室抜きのツアー開催を考え、1/29に渡米して小室と会い、その開催承認を得た。
これを受けて2月初めにはスケジュールが決定し、上記の通り2/16に発表された。
上記の筋書きを見る限り「tribute LIVE」は、たしかに趣旨文4)にあるように、木根が中心の企画だった。
ウツもこの件を木根から聞かされて驚いたことを述べている。
なおウツは最終的には木根に説得されたものの、当初はこの企画に否定的だった。
TMは3人でやらないといけないというこだわりを強く持っていたようである。
また趣旨文5)では、小室が浅倉を代役として挙げ、さらに葛城・阿部の参加を提案したことになっている。
この3人は、TMN時代のサポート陣である。
これも1/29の木根・小室会見の時のこととして、「新・電気じかけの予言者たち」に記されている。
だが4)については、実際には小室が後からglobeの活動を入れたことで、もともと計画されていたTMのツアーが実現困難になり、その代わりに「tribute LIVE」の開催が決まったと見られることは、前章で推測したところである。
「tribute LIVE」開催の事情について、木根はつじつま合わせを行なっている疑いが強い。
それならば、5)で1/29に小室が浅倉を指名したと言うのも、鵜呑みにするのは危険だろう。
小室が同意したことはたしかだろうが、実質的に提案したのは木根ではなかったか。
そもそもTMの曲を演奏する上で、シンセ担当を誰にするかは、真っ先に考えなければいけない問題である。
木根がアメリカまで行って小室に会いに行く際に、小室の代役について具体的な案を用意していかないことなど、およそあり得ないことだろう。
そしてその場合、浅倉をはじめとする3人には、事前に内諾を取っていたと考えるのが自然である。
「新・電気じかけの予言者たち」では、会談後にサポート候補者3人に連絡したところ、3人ともすぐに参加を承諾したとされ、特に浅倉は木根が帰国したその日に承諾したというが、実際には木根が渡米以前に3人に内諾を取っていたのだと思う。
ただ「新・電気じかけの予言者たち」が、浅倉の件のみ具体的に書いていることを考えると、この時に交渉があったのは浅倉だけで、葛城・阿部についてはすでに話がついていたのかもしれない。
葛城・阿部については、当初のTM3人のツアー計画の段階でサポートを依頼していた可能性がある。
なお浅倉は2002年に7年ぶりにaccessの活動を再開させたばかりで、2003/4/4からは全国ツアー「Livin' GHOST」を開催する予定だった。
このツアーは5/18まで開催された後、6/1にファイナルの仙台サンプラザ公演を行なうことになっていた
一方「tribute LIVE」は5/27・28・30から始まることになっており、それ以前の5/16からリハーサルが行なわれた。
つまりaccessのツアーと重なる日程である。
この日程で浅倉に出演以来をするのは、普通では考えられない。
木根やスタッフが浅倉に頼み込んだものに違いないが、浅倉としてもこれを受諾する前に関係各処との調整は必須だったはずである。
浅倉が出演を即答したとされていること自体、木根の話の創作性を裏付ける。
他に木根・小室会談で決まったものとされるものに、「tribute LIVE」というツアータイトルがある。
「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根は小室に対して、スタッフたちと考えたツアータイトル案をいくつか出した。
その中には「TN NETWORK CONCERT」や、「UK NETWORK CONCERT」があった。
隆・尚登の頭文字でTN、あるいは宇都宮と木根の頭文字でUKという発想である。
またはTMNから哲哉(T)を除き、「MN NETWORK CONCERT」という案もあったというが、正直、どれもこれもセンスがなさすぎる。
いや、センス以前に、飲み屋で中年オヤジの雑談で交わされる冗談以上のものではない。
これらは「tribute LIVE」のタイトルを引き立たせるための創作かとも疑われる。
「新・電気じかけの予言者たち」によれば、小室は「TM NETWORK」という言葉は入れるべきと主張した。
しかしあくまでもTMのツアーではないということで、小室が提案したのは、tributeという言葉を入れることだった。
要するに、「tribute LIVE」というタイトルは小室が考えたものだと言う。
当時日本では洋楽・邦楽とも、トリビュートアルバムやトリビュートライブが盛んに行なわれていた。
1990年代には死没していたミュージシャンや解散していたバンド、あるいはかなり老齢のミュージシャンの作品を扱ったものが多かったが、2002年には「The Blue Hearts 2002 Tribute」「一期一会 Sweets for my SPITZ」など、TMと同世代か、より若い世代のトリビュート盤もリリースされ、しかもかなりの商業的成果を上げていた。
したがってTMのトリビュート企画もあり得るものではあった。
実際に2003年1月の時点では、TMのトリビュートアルバムのリリース計画が確認できる(前章を参照)。
結局この企画はなくなったのだが、この時ツアータイトルとして「tribute」の言葉が出たのは、この流産したアルバムを意識したものだったのかもしれない。
トリビュートライブについても、日本でのトリビュート盤流行以前から欧米で広く見られた。
2002年にもロンドンで、豪華メンバーによるGeorge Harrisonの追悼ライブ「Concert for George」が開催され、話題になった。
日本でもこの頃には矢沢栄吉・はっぴえんどのトリビュートライブが開催されている。
「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルの前提には、このような先例が存在したのだろう。
結局この小室の案が採用されて、本ライブは「TM NETWORK tribute LIVE」と名付けられることになったという。
ただ「tribute LIVE」に関する小室のエピソードに疑わしいものが多いにはこれまで見た通りであり、私はライブタイトルが本当に小室の案だったのかも疑うべきと思う。
たとえば「TN NETWORK CONCERT」などと同様に、木根側が提案したタイトルの一つに過ぎなかった可能性もあるだろう。
ただサポートメンバーの指名と違い、絶対にありえないと断言するだけの矛盾があるわけでもないので、ここでは判断を保留しておきたい。
tributeとは、あるミュージシャンに敬意・賞賛の意を捧げることであり、つまりこのツアーは、TM NETWORKを称賛するライブだという位置づけになる。
ステージ上ではTMの曲が演奏されるが、それはその場にいないTM NETWORKに捧げるものであり、演者はTMではないということになる。
それは、このツアーがTMのツアーではないという説明にも通じる。
木根側の案とされる「TN NETWORK CONCERT」なども、TM NETWORKのツアーではないという点で方針は一致していた。
木根の趣旨文でも自分を含む演者をTM TRIBUTE BANDと位置付けているし、ウツもTMのツアーではないことを何度も強調している。
TMメンバーがTM曲を演奏するが、TMのツアーではない。
こうした矛盾に満ちた立場を、彼らは堅持した。
しかし一方で、TM20周年の前夜祭として開催するツアーである以上、TMをまったく匂わせないタイトルもまた不可である。
その結果として採用された「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルは、なんとも苦肉の案であると思う。
あらゆる人が思うことだろうが、木根・ウツが自らTMにトリビュートするというのは、意味が分からないだけでなく、失笑せざるをえないネーミングである。
「トリビュート」を文字通りに取った場合、ステージに上がるのが木根・ウツとかつてのサポート3人であるというのは、TM関係者以外にTMを敬愛する者が誰もいないということにもなろう。
もちろんトリビュートの名称は後付けであって、現実は小室が参加しないままでTMツアーを行なうことの正当化に過ぎないのだが、要するにこれほど無理な理由づけをしなければ説明できないほど、不自然なツアーだったということである。
ただ救いだったのは、この頃の小室はTMでやるべきものが見出せず、可能性を見出していたglobeに注力しようとしていたものの、まだTMをやめるつもりはなかったことである。
木根のMC中の発言なので割り引いて考える必要があるが、この頃木根が小室に対して、これで最後でいいから20周年はちゃんとやろうと言ったところ、小室は「30周年もやろうよ」と答えたという。
小室の中でTMは、いつ動かすかはともかくとして、残すことは自明の前提だったのだろう。
だが小室を外して全国ツアーを開催するという先例を作ってしまったことの意味は大きい。
こうした先例が一度出来上がってしまえば、メンバーもスタッフもなし崩し的に、同様の企画を繰り返し立ち上げることになるだろう。
事実、2004年のTM20周年の活動の後には、「tribute LIVE」の第2弾・第3弾として、2005年に「Spin Off from TM」、2007年に「Spin Off from TM 2007」が開催される。
それぞれ「tribute LIVE 2005」「tribute LIVE Ⅲ」とも題されていた。
つまり2002年以後に開催されたTM関係のツアー4本の内、20周年記念ツアー「Double-Decade Tour」以外の3本には、小室が参加していなかったのだ。
この時点ではもはや「tribute LIVE」は特別企画などではなく、むしろ小室のいるTM NETWORKこそが、特別企画的存在に成り下がっていた。
2005年以後の小室はウツ・木根とまったく別に活動をしていたが、自身の都合から、2007年にTMの再開を提案する。
ここに「tribute LIVE」中心の活動形態はようやく終わりを告げるが、こうした偶然がなかったならば、「tribute LIVE」が開催され続ける一方で、TMが事実上消滅していたという事態は、十分に考えられたと思う。
余談だが、私は2005年以後のTMを見て、その歴史は事実上終わったと本心から思った。
そこで今後語るべき音楽活動が新たに呈示されることはないと思った私が、歴史的生命を終えたTMの活動の軌跡をまとめようと思って始めたのが本ブログである。
ただ2003年に限って言えば、「tribute LIVE」はTMの活動を求めるファンの要望に応えるとともに、2001年以来の活動空白期間に進行していたファン離れを、ある程度食い止める役割を果たしたと考えられる。
それはTM20周年の遂行に当たって、たしかに一定の役割を果たしたのだろう。
以上がこのツアーのコンセプトだが、肝心の音については、趣旨文2)にあるように、過去の曲をオリジナルで演奏すると言う点が強調された。
なおこの場合の過去の曲とは、「終了」以前を指す。
この時に演奏された最新の曲は1991年の「Wild Heaven」で、1999年の再始動以後の曲は演奏されていない。
要するに選曲の面でも編曲の面でも、新しい要素を一切排除したライブだった。
TMのライブでは大幅なアレンジが加えられることが多く、それが一つの醍醐味でもあったが、それは小室の手によるものだった。
だがこの時は小室がいなかったため、その点での遊びができなかった。
そのためオリジナル演奏という原則を立て、そこにポジティブな理由づけをしたのだろう。
もちろん浅倉大介が参加していたのならば、面白いアレンジもできただろうが、accessのツアー中の浅倉の負担を増やすことも難しかっただろう。
また小室がいないことに対するファンの違和感にも配慮して、浅倉のアレンジはあえて加えなかったのかもしれない。
浅倉もオケに音を加えたり削ったりする時は、必ず木根やウツに確認を取っていたと言う。
とはいえライブということもあり、もちろんサポート3人の個性的な音は随所に加わっている。
またインストコーナーの「組曲Vampire Hunter “D”」などは、曲の改編が行なわれているわけではないが、音色などに浅倉のこだわりが感じられるところではある。
小室はライブ音源の作成のために、自らが持っているシーケンスデータを提供した。
この点はやはり「tribute LIVE」が小室の承認下で行なわれたことを示している。
演奏曲のほとんどは1999年の再始動後初めて演奏されたものなので(例外は「Beyond The Time」「Kiss You」「Self Control」「Seven Days War」「Dive Into Your Body」)、提供されたものの多くは1994年以前のデータということになる。
ウツも20年近く前のデータや80年代のコーラスを使ったと言っている。
ただ実際には、浅倉やスタッフが新たに作ったものも少なからず含まれていただろう。
このようにして「tribute LIVE」は開催された。
かなり変則的なライブだったこともあり、客の入りには不安もあっただろうが、実際にはおおむね会場も埋まり、木根の感想では、ファンの反応もよかったとのことである。
これは再始動後のTMが、まともなライブ活動をほとんど行なっていなかったこともあろう。
これ以前の唯一の全国ツアーは、2000~01年の「Tour Major Turn-Round」だが、これはかなり人を選ぶ選曲・演出のライブだった。
首都圏では2000年の単発ライブ「Log-on to 21st Century」があったが、地方のファンにとっては、再始動後過去の曲に初めて触れることができたのが、この「tribute LIVE」だった。
小室がいないといっても、素直に喜ぶファンが多かったことは想像できる。
本ツアーについては、2005年のtribute LIVE「Spin Off from TM」開催に合わせて、FCおよび新星堂でライブDVD「tribute LIVE 2003」が限定販売された(「2003」が付いたのは、2005年に後継企画が開催されたため)。
本DVDには2003/6/27 Zepp Tokyoのファイナル公演の様子が収録されており、MCおよび日替わり曲以外の様子を知ることができる。
また2007年のtribute LIVE「Spin Off from TM 2007」開催時には、「tribute LIVE」「Spin Off from TM」のライブ音源が、「TM NETWORK tribute LIVE EP」の「Edition #1~3」として、iTunesやmoraなどで配信された。
「tribute LIVE」配信曲は、「Wild Heaven」「Beyond The Time」「Fool on the Planet」「Come on Let's Dance」「Love Train」「Seven Days War」となっている。
ただmoraは配信曲の組み合わせが異なり、「Come on Let's Dance」「Fool on the Planet」の代わりに「1/2の助走」「組曲Vampire Hunter "D"」が配信された。
他にも別テイクを配信したサイトがあったかもしれない。
さらに2010年には3度のtribute LIVEから、音源4曲+映像1曲を収めたEPが各2点、計6点iTunesで配信された。
「tribute LIVE」からは「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Lead」「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Second」がリリースされ、前者は「Don't Let Me Cry」「The Point of Lovers' Night」「永遠のパスポート」「1/2の助走」の音源と「Beyond The Time」の映像、後者は「Girl」「Spanish Blue」「Kiss You」「All-Right All-Night」の音源と「Get Wild '89」の映像を収めている。
これらを集めれば、配信だけで「You Can Dance」「Self Control」「Dive Into Your Body」とSEの「Give You A Beat」を除く楽曲が手に入ることになる。
ただそもそもこんな回りくどいことをしなくても、DVD1枚を買えば済む話である。
以上、「tribute LIVE」開催に至る流れと、その意義について述べてきた。
ライブの具体的な内容については、次章で触れることにしたい。
この記事へのコメント
そこでもこのtribute関連は賛否があったと記憶しています。
ぼく自身は「否」の方でした。(「原曲通り」や「80年代に戻る」コンセプトの曲が好きではなかったから)
そのため、ライブには行かずじまいでした。
いまだに、この時の映像や楽曲を購入していません。
なんだかTMが、母が好きだった舟木一夫や野口五郎になってしまったような感じだったというか……
「CLASSIX」の徹貫ライナーノーツにあった、「楽曲を古いものにしたくなかった」「動脈硬化」(でしたっけ?)云々を信じ、常に新しさを求めるのがTMの存在価値だと思っていたぼくには、tribute活動は、懐メロ歌手の歌舞伎座公演同然なのでした。
しかし小室さんが活動できない今となっては、木根さんのいう「TMのラスト」は、tributeのようなものになってしまうのでしょうか……
tributeが開催されていた頃、惑星様にお会いした際、過去のライブバージョンの再現をテーマにした tribute が行われれば、と話されていたのを懐かしく思い出しています。今回の記事を読んで、久しぶりに2003年のDVDを見たくなったのですが、行方不明になっていました、、、orz
(個人的にはTMは全て後追いなので、何かが残っているというだけでも有難いというか、良かったなーと思えてしまうお手軽ファンです。)
やまびこさんのコメントにあった、「TM NETWORK の 3分の1 /3分の2」「遠慮なくTMの曲を楽しめる場」という言葉に大変共感を得たと言いますか・・・そもそも自分は3分の1ずつ(主に木根さん)から入ったので、3人集まる事はもちろん、それぞれの口から「TM」という言葉が出るだけでも嬉しく感じています(今でも)。
tributeはきっと好きだけど映像作品など全く入手出来ておらず、内容や他の方からの感想、これの存在意義などとても興味があるので、次章心待ちにしております。
TMが昔のファンだけを対象にすることを前提としていることを隠さなくなった(現役ミュージシャンとして活動する可能性を実質的に諦めた)という点で、私も2003年のtributeはTM史上の画期だと思っています。要するに懐メロ歌手として、先細りする固定ファンから一人当たりどれくらい多くのお金を集めるかという方向にシフトするんですよね。ROJAM時代も事実上はそうなっていたんですが、理念的には固定ファンではないところに届く音楽を目指していたんだと思います。まあソロ活動初期からそういう点で現実的だった木根さんの判断らしいといえばそうなんですけどね。
そういうことで、私もがっかりしたクチです。
>kuri566さん
2003年のtributeて、むしろ「みんなが聞きたい定番曲」ていうコンセプトだったと思います(でも過去の定番曲だったYou Can DanceやDon't Let Me Cryなんかは、本体ではこれ以後もやっていませんね)。2003年でもところどころにレア曲も入っていますが、レア曲演奏自体をアピールポイントにするようになるのは2005年ですよね。
MCがTMに導入されたのは、私も間違いなくtributeの影響だと思っています。具体的には翌年のDouble Decade Tourでした。うやむやな内に普通のバンドになっていったし、普通のバンドでよかったら、正直言ってTMよりも良質なパフォーマンスを見せてくれるバンドなんていくらでもあるんだし、なんだか私の中でもTMの特別感が失われていった頃でした。
TMの代用品として行くならば、たしかにソロよりはtributeでしょうね。
またTMができないから何もやらないか、やれるメンバーだけでやるのかは、どっちが望ましいのかは難しい問題です。
もっとも本来はTMツアーだったという私の推測が当たっていれば、そこはがっかりするところだとは思うんですが、そこらへんは当時はポジティブを装っていましたね。
過去のライブバージョン再現ライブは、今でも見たいです。
パルコの1974とかFANKS時代のドラフェスとか。
今後ウツと木根さんでTM曲を演奏することになれば、それは本来の意味でのtributeになりそうですね。
TM tributeというよりは、小室さんに捧げるtributeですが…。
正直ウツの歌手としての生命もそんなに長くはないと思うので、もしやるなら早くしないとダメかも。
>Cさん
当時としては、地方の人でも久しぶりにヒット曲が聞けると言うことで、喜ぶファンは多かったと思いますよ。
ただ当時掲げられたコンセプトを見ても、これはTMのライブというよりは、TMの曲を聞くライブだったんだと思います。
知っている曲を生で聞いてみたいという人にとっては、何がどう来るか分からないTMのライブよりも、安心して聞けるという意味ではtributeの方が良いのでしょう。
私はあの緊張感が好きなので、予定調和的なステージはあまり望まないのですよね。
ここらへんは、何のためにライブに行くのかという目的にも関わってくるんだと思います。
2018 Editionを見て改めてノーカットを、と感じましたが、otonanoの特設サイト(というほどのものでも無いと思うが)に記されている「フィルム撮影のため演奏曲の一部しか撮られなかった」を読んでしまうと、完全版は無理っぽいですね…。
当時ライブをまるごと撮影するための予算が無かったのかもしれませんが、本番までにあらかじめ撮影する楽曲を決めていた、というのは本当に残念です。TMは常にコンセプトをはっきりさせて、前後のつながりも大事にしながらオリジナルアルバムを作成していたから、その世界観を体現したライブを半分も見ることが出来ない、というのはねぇ…。
まぁ、こんな嘆きをボヤくとメンバーの関係者から「ライブの全容は会場に足を運んだ人の心の中だけに」とか言われそうですが。
実際にはコメントしてからも2週間以上放置してしまいました(汗)
今度のウツソロ、久しぶりに行ってまいります
小室さんの曲をやっているという情報とともに、私もソロすら見られなくなるのも遠くないのではないかという気がしてきたもので
>haruさん
FANKS CRY-MAXの映像については、さっき更新した新記事に詳しく書いておきました
フィルム撮影云々は残念ですね
少なくともすべては撮影していないんでしょうね
エレプロの中途半端な収録もそういうことなのかも
撮影量の全体がどれくらいなのかも知りたいところです