7-11 globeの挫折

11/8の夜に、松浦勝人さんのInstagramで、小室さんのピアノ演奏映像が6分ほどライブ配信されました。
何の予告もありませんでしたが、これに気付いた一部のファンは大騒ぎだったようです。


この動画は、翌日松浦さんのInstagramにアップされました。
演奏曲は「Sweet 19 Blues」「Get Wild」「Can You Celebrate?」「Many Classic Moments」「Feel Like Dance」です。
演奏が終わると、小室さんはピアノから立ち上がって、照れ笑いをしながらカメラの前で手を合わせてお辞儀し、歓声の中でピアノの前から立ち去りました。


動いている小室さんの姿が公開されたのは、4月に「Guardian」MVで登場して以来のことです。
正直、先月写真が出ただけでも相当驚いたんですが、まさか動画、しかも生演奏シーンが公開されるとは、まったく予想していませんでした。


小室さん、運指は万全とは言いがたいですが、表情は決してつらそうではありません。
おどおどしながらではありますが、笑いながらカメラに挨拶していました。
音楽に関わるのがつらい、人目から離れたいと言う気持ちだったのが、少し即興演奏するくらいはいいかなと思えるくらいには、気持ちも前向きになってきているのかなと思います。


このライブが始まった流れは、私はよく知らないのですが、松浦さんは先月にもtwitterで小室さんと一緒に撮った写真をアップしていましたし、ライブ2日前にもtwitterでアップしていました。
11/5の写真とのことです。
この頻繁な面会の中で、小室さんにライブ配信に出演することをお願いしていたのかもしれません。


これ以前から関係者が個人的に引退後の小室さんと会っていたことは、様々なところから聞こえてきます。
しかし彼らがその様子を写真などで公開することは、これまでありませんでした。
これに対して松浦さんが先月からたびたび小室さんの写真をアップし、ついに演奏のライブ配信にまで至ったのは、松浦さん側にも公開する動機があったと考えるべきです。
また、事はかなりデリケートな問題ですから、当然小室さんの同意も得ていたと見なければいけません。


あれほどつらそうにしていた小室さんが、人前に姿を出し始めたのはどういうことでしょうか。
これを考える上で注目したいのが、松浦さんのtweetです。
すなわち松浦さんは11/9、twitterにも今回のライブ動画のダイジェストをアップした上で、以下のようにつぶやきました。

‬‪TK petit recital 仲間の前で久々に少し照れながらピアノを弾いてくれた。
‪その姿はどこか物悲しそうだった。‬
‪そして聞いている人は泣いていた。僕は昔、avexの店でピアノを何時間も一心不乱に弾き続ける小室さんをみて大きな決断をしたことを思い出した。‬
‪正直こんな天才はもう出てこないだろう。そう思ったからあの時も決断をした。しかし、またその才能を何かに奪われたような気がして悲しくてならない。どうにかこの才能を応援し、これからも彼に付いていくつもりだ。‬‬


松浦さんは2008年11月の小室さん逮捕の時(ちょうど10年前ですね)に支援したことに触れつつ、これからも小室さんの才能を応援し、小室さんについていくと宣言しています。
つまりここ最近松浦さんが自らのtwitterに小室さんの写真や動画を出しているのは、単にプライベートの一部を見せていると言うのではなく、小室さんの応援の一環ということになります。


小室さんの演奏を公開することが小室さんの応援になるということは、やはり小室さんは音楽活動を再開することを考え始めているのではないかと思います。
もしも小室さんが表舞台に出る気がまったくないならば、松浦さんが小室さんの才能を応援するという表現は不自然です。
いわば今は、小室さんの音楽活動復活の可能性も見据えて、写真や動画を小出しにしながら、ファンや世間の反応を様子見している段階なのだと思います。
その先の構想がどれくらい固まっているのかはまだ分かりません。
もしかしたら11/27の還暦誕生日に復活宣言をするのかもしれませんし、反応がよければこれから考えると言う程度のことなのかもしれません。


しかし1月の引退会見当時と比べれば、事態は改善されているに違いありません。
少なくとも演奏後の表情は、2/6にNHKにPANDORAとして出演して「Be The One」を演奏した時よりは、はるかに柔らかいものでした。


もしも小室さんがつらくて仕方ないのに、周りの圧力によって活動の継続を強いられているならば、本人だけでなくファンにとっても悲しいことです。
そんなことになるくらいならば、小室さんにはずっと引退して余生を送ってほしいと思います。
しかしどうも、演奏後のあのはにかみ笑顔を見ると、やはり人前で演奏するのは嬉しいのかな?と感じました。
ならば仕事への取り組み方は変えるとしても、戻ってきてほしいなとも感じました。
多くの方が思っていることでしょうが、ずっと音楽から離れて穏やかに過ごし続けるなんて、小室さんがそんな生活に堪えられるのかな?とは思うんですよね。


ともかく最悪の始まりだった2018年でしたが、年末に向けて少しだけ明るい話題が見えてきたのかな?とも思いました。
今後も注意していたいと思います。


最後にウツと木根さんですが、今回はあまり話題がありません。
ウツはあと2週間で「Tour Thanatos」のファイナルを迎えます。
また10/26、過去のウツFC会報をまとめた電子書籍「Magnetica archives」の最後のvol.22(2017年まで)が発売されました。


では本題に入ります。
こんな嬉しい話題の時に、本題はとっても暗い話です。

-----------------------------
2003年前後のTM NETWORKの本来の計画は、2004年4月の20周年を視野に入れて、2002年秋から活動を再開するというものだったと考えられる。
しかし2002年秋に予定されていたリミックスアルバムの制作は中止された。
9月にはシングル「Castle in the Clouds」の制作が行なわれたが、その後予定されていたオリジナルアルバム制作は着手されず、11月にはその代替措置として、音源集「キヲクトキロク」のリリース(2003/2/5)が発表された。


この背景には小室のKEIKOとの結婚とglobeへの注力があった。
小室は2003年春に予定されていたTMの全国ツアーにも参加を拒否したため、木根とウツは代替措置として「tribute LIVE」という名目で、5・6月に小室抜きのツアーを決行した。


以上がこれまで推測してきたところの2002年秋から2003年春のTMの動向である。
一言で言えば、小室の参加拒否によってTMの活動は頓挫した。
この動向についてこれまでTM側の視点で見てきたが、ここで一度小室側に視点を移し、この間に何が起こっていたのか改めて整理してみたい。


小室は2001年からglobeでトランスを試みていたが、2002年になってこれを「Lights」「Lights2」という2枚のアルバムでまとめあげ、同年6/6まで断続的に特別ライブや全国ツアーを開催した。
2002年前半の小室はglobeに全力をかけていた。


問題はアルバム2枚とライブを終えた後、何をするかだった。
これまでと同様の活動サイクルならば、この後小室はトランスとは別のものを出してくるところだろう。
ところが小室は、6月頃のインタビューで、ここでやめるのはもったいないので、トランスで海外アーティストとコラボレーションをして、ワンランク上のトラックを作りたいと発言している。


これは具体的には、ベルギーのDJ pushの件が念頭にあったものだろう。
DJ pushは2002/6/6日本武道館のglobeライブ「category trance & all genre」にゲスト出演し、globeとのコラボ楽曲「Tranceformation」「dreams from above」を披露している。
この内「Tranceformation」はglobe「Transcontinental Way」のリミックスだが、「dreams from above」は未発表の新曲だった。


「dreams from above」は2002年バレーボール世界選手権テーマソングのタイアップを得て、7/31にリリースされた。
海外ミュージシャンとの共作でグローバルな活動をアピールする方針は、かつてのJean Michel Jarreの時に通じるものがある。
なおリミックスアルバム「global trance 2」には、DJ pushによる「Sweet Pain」のリミックスが収録されている。


さらに同じ頃には、元X JAPANのyoshikiをglobeに加入させる話も進めていた。
この件は8月中にはすでに報道されていたが、9/1には記者会見および「a-nation」ステージ上で公式発表され、以後globeは小室・KEIKO・Marc Panther・yoshikiの4人編成になるとされた。
8/27にはTM再始動会見も行なっており、この頃から小室は新たな活動に入ることをアピールしていた。


yoshiki加入発表直後の9/26にリリースされた「global trance 2」には、X「Say Anything」を小室がリミックスした「Kanpai Mix 926」が収録された。
さらに小室誕生日の11/27には、4人編成globeの名義の新曲として「seize the light」がリリースされている。
海外ドラマ「ダーク・エンジェル」日本版のテーマソングのタイアップを得ていた。


DJ pushといい、yoshikiといい、小室はglobeでトランスを継続させるに当たり、他のミュージシャンとのコラボ戦略を採用し、その話題性をさらなる起爆剤としようとしたと考えられる。
あるいは「seize the light」リリース直前におけるKEIKOとの結婚式のTV中継も、その一環だったと見る余地もある。


だがその成果は惨憺たるものだった。
「dreams from above」は12位・2.5万枚、「seize the light」は8位・5.5万枚の成績である。
これらを他のトランス期globeのシングル作品と比べてみるに、アルバムと同時発売の「Many Classic Moments」「Over The Rainbow」はともかく(ともに2.7万枚の売上)、2001/11/14「Stop! In The Name of Love」の7位・14.4万枚や、2001/12/5「genesis of next」の8位・9.6万枚の成績と比較すれば、DJ pushやyoshikiとのコラボは起爆剤になったとは言いがたい。
また個人的な感想として、「seize the light」を聞く限り、yoshiki楽曲と小室のトランスアレンジは、あまり相性が良いと感じられない。


「seize the light」リリースと同日の2002/11/27には、globeのベスト盤「8 Years」もリリースされている。
1999年のベスト盤「Cruise Record」から3年で新たなベスト盤をリリースする意義はさっぱり分からないが、あるいは3人体制時代の総括ということだったのかもしれない。
さらに翌月12/26には、結婚記念アルバムとして、「Ballads & Memories」がリリースされた。
既発表作品を集めたバラードコレクションだが、一種のベスト盤とも言える。
ここにglobeは2ヶ月連続でベスト盤をリリースすることになった。


以上で挙げた2002年のglobeのアルバムは、オリジナル・リミックス・ベストを合わせて、なんと5枚に及んでいる。
よほどのファンでなければすべてを追いかける気力は起きないだろう。
この異様なペースでのリリースは、avexから前借りした10億円のプロデュース料返済問題と関わっているのかもしれない。


小室はその後も立ち止まることなく、年末から年始にかけてglobeのアルバム制作に入る。
レコーディングは3月初めまで行なわれ、2003/3/26「LEVEL 4」としてリリースされた。
タイトルは無論4人編成になったことをアピールしたものである。


しかしその中のyoshikiの楽曲は、先行シングル「seize the light」1曲のみだった。
つまりニューアルバムの中で、yoshikiは新曲を作らなかった。
これはyoshikiの楽曲制作ペースとしてはさほど驚くことでもないが、これによってglobeのアルバムは、yoshikiファンにとって購入の動機が乏しいものとなった。


ただし本記事の今更ですがさんのコメントによれば、yoshikiは「seize the light」も含めて3曲を作ったらしい。
だとすればyoshikiの曲はあと2曲あるはずである。
それをどうして当時発表しなかったのか謎が深まる。
その後の度重なる未発表音源発表(BOXの特典などでアピール)でも言及されないことを見るに、レコーディングはされていないのかもしれないが、それではなぜレコーディングに及ばなかったのか。
あるいは後に発表するために温存しておいたのだろうか。


また「LEVEL 4」では、yoshikiがいるにもかかわらず生ドラムが一切使われていない。
何を考えてyoshikiを入れたのだろうか?。
ライナーによればyoshikiは小室とともに、全曲シンセを担当したことになっており、またボーカルディレクションも行なったともされているが、実質的な関与は極めて疑わしい。


本作の成績は17位・5.1万枚だった。
なんと先行シングル「seize the light」(5.5万枚)よりも売れなかった。
この点は、多少ともシングルの売り上げに貢献したであろうyoshikiファンが、アルバムにはほぼ食指を動かさなかったことも示している。


globeのオリジナルアルバムの成績としても、前作「Lights2」の2位・16.4万枚から見て大きく下落している。
2001年「outernet」の9位・14.9万枚を下回る、globe作品最低の記録となった。
しかも活動の空白があったわけではなく、これ以上ないほど過密な活動をしていたにもかかわらず、である。


この頃avex全体の方針として、評判が悪かったコピーコントロールCDが導入されたことも、売上減少に多少の影響はあるのかもしれないが、それでも他のavexミュージシャンが一般にこれほど急激に売り上げを下げているわけではない。
何よりも同じコピーコントロールCDだった「seize the light」よりも売れていないのだから、根本的にはこのアルバムがファンの関心を引かなかった結果であると見なくてはならない。


小室はpushやyoshikiと組んでファン層の新規開拓を試みたが、それはまったく失敗した。
その上既存ファンも、この頃に大幅に脱落したと見られる。
すでにこれ以前、ダブルミリオン級以上の売上を上げていた1996~99年から、十数万枚の水準になった2001年との間で、globeはファンを9割以上失っていたが、その後は十万枚以上の壁を1年間以上保っていた。
しかし「LEVEL 4」の時には、ついにそれまで残っていたファンの7割が一挙に去ったのである。


アルバムの内容についても、「Lights」「Lights2」で示されたほどの可能性は感じられない。
個人的な感想をいえば、私にとっても「LEVEL 4」は、「globeはもう終わった」と感じさせた1枚だった。


おそらく小室は本作で欧米トランスの再現路線から離れ、自己流解釈でのトランスを試みようとしたのだと思う。
だが熱心な小室ファンの中に本作を高く評価する方がいることは承知の上だが、私は本作はやはり失敗作だと思う。
「blow」など個別に好きな曲はあるが)
メロディ・歌声とオケが溶け込まない気持ち悪さを、私は本作以後のglobe作品から強く感じるのである。


私の個人的な感想は措いても、2003年のglobeが商業的に失敗に終わったことはたしかである。
メインワークだったglobeの失敗は、小室のメジャーシーンからの最終的な脱落を意味した。
小室がヒットメーカーとして再浮上する可能性は、この年を以って絶望的になり、以後2008年の逮捕までの活動は、叙述するのもつらい状況が続くことになる。


しかもさらに悪いことに、小室はこの結果が出る前から、globeの飛躍を見据えた計画を立てていた。
一つはアジアへの展開である。
小室はすでに2002年9月のyoshiki加入発表の記者会見で、早ければ年内に韓国などでアジアツアーを開催するとコメントしている。
1998年の台湾・中国イベントや2000年ROJAMによる香港進出の延長上にあるものだろう。
直接には2001年に計画されていたTKファミリーのアジアツアー計画のリベンジなのかもしれない。


しかも2003年に計画されていたのは、globe単独での海外進出だった。
2001年のTKファミリー総動員によっても実現できなかった事業を、globe単独で行なうことができるという見通しの甘さも不可解千万だが、そもそもこの時に小室が手駒にできたのはglobeしかなかったということでもあろう。
アジアツアーの開催は結局最後まで正式には告知されなかったが、一説には後述の東京ドーム公演の後で開催される予定だったともいう。


小室はこの頃、おそらくアジア進出への地ならしのために、韓国への進出を図ったようで、2003年の年始にはNGO東北アジア環境・文化連合の環境保護事業の日本側委員として協力することを発表している(NGOの事務局はソウル)。
この時は同時に、globeが4/16に韓国ミュージシャンとともに、ソウル市庁舎前広場でチャリティライブイベント「SEEDS OF THE FUTURE」を開催することも発表された。
これはNGOの黄砂対策キャンペーン「黄砂Green Project」の一環であり、2002年のFIFAワールドカップ1周年記念でもあるとされていた。


さらに3/12には、7/9のglobe東京ドームライブ開催が発表され、1997年のX JAPAN解散以来となるyoshikiのフルライブ出演がアピールされた。
globeにとっても、1998年以来のドーム公演となる。
小室としては、yoshikiの動員力を利用して、最盛期を取り戻そうとしたものだろう。


冷静に考えれば、「LEVEL 4」の総売り上げは東京ドームの収容人数5万人と同じである。
アルバムを購入したすべてのファンが来場して、初めて会場が埋まるレベルであり、土台無理な話だった。
もっとも東京ドームライブの発表はアルバムリリース前であり、さらにいえばライブの企画はレコーディング中かそれ以前のことと考えられる。
その時点では「LEVEL 4」は、yoshiki効果で「Lights」を越える売上を達成すると予想されていたのだろう。


しかしこのような甘い目論見は外れ、4/2には韓国ライブが、5/1には東京ドームライブが中止とされた。
韓国ライブ中止はイラク戦争(3/20~5/1)に伴うテロの恐れ、東京ドームライブはSARSの流行がその理由とされている。
韓国ライブについては主催者がNGO側なので何とも言えないが、東京ドームのSARSという言い訳については苦笑せざるを得ない。
(同時期の他のミュージシャンは東京ドームで公演を行なっている)
実際にはチケットの売れ行きが採算の取れない水準だったために違いない。
2000年7月のROJAMの香港ライブ中止の過去が思い出される。


東京ドームライブの中止を受けて、小室FCのBBSはファンの苦情書き込みで混乱を来たし、一時期閉鎖された。
小室もかなりこたえていたようで、5/8に予定されていた木根との打ち合わせは、この一件で中止されたという。


さらに音楽活動以外のところにも目を向けると、この頃小室の財政状況はそろそろ危険水域に入りつつあった。
すなわち小室は前妻吉田麻美に対して、慰謝料3億7000万円を3分割で支払うことを約束していた。
しかし2003年3月にはこの支払いが滞ったという。
実にKEIKOと新婚生活を始めてからわずか4ヶ月のことだった。


「滞った」というのが、支払いが遅れたことを言っているのか、支払わなかったことを言っているのかは、よく分からないが、いずれにしろこの頃の小室は、1~2億円レベルの支払いが困難な状態になっていたと見られる。
なお小室は2008年の逮捕直後、麻美に1.5億円の借金を負っていたと報道されている。
養育費は差し押さえられた印税から支払われていたことを考えると、これは2003年3月の慰謝料未払い分だろう。


しかしそれにもかかわらず、この頃小室の浪費はむしろ加速していたらしい。
ただそれは小室個人の浪費と言うよりは、KEIKOに物を買い与えることなどが中心だった。
2004年頃には生活費と借金返済で、月2000万円前後が消費されていたという。
2008年11月の小室哲哉供述調書には、以下のようにある(2009年裁判で検察官が読み上げたもの)。

結婚後1年間くらいは(2003年秋頃まで)、人生で最もぜいたくをしたと思えるほど、湯水のようにお金を使いました。KEIKOにブランドものの服やバッグ、時計を買ったり、総額は数億円にはなっていたと思います。スタッフの中には苦言を呈する者もいましたが、2人で過ごす今が何よりも安らぎを得られ、大切と感じていました。KEIKOと2人で豪奢な暮らしをしていても、少なくとも1曲はヒットして、私の3度目のブレークがあるだろうと考えていました。しかし、私自身、KEIKOとの甘い生活で以前より創作意欲が減っていたのも確かでした。


この供述が当時の小室の状況のすべてを述べているわけではないだろうが、財政の窮迫とglobeの失敗によって半ば自暴自棄になり、新妻との新婚生活に逃げ込んでいったという側面はあったのだろう。
客観的に見ても、小室は2002年までと比べ、2003年以後は楽曲制作数を大幅に減少させるようになる。


メディアで見られる小室の様子も、2003年からは挙動不審なところが多くなり、おそらく精神的にも追いつめられるようになってきていたのだと思う。
この後5年間の小室は、摩耗を重ねながら音楽活動を続けていくことになる。


正確な時期ははっきり分からないのだが、globeのMarc Pantherも2003年にパニック障害を起こして、石垣島に移住した。
あるいはこの頃のglobeの混乱が背景にあるのかもしれない。
KEIKOは7月から大磯ロングビーチのCMに出演したが、CMソングにはKEIKO初のソロ名義曲「海との友情」が起用された。
これはMarcの病気でglobeの活動が困難になったことが前提だろう。
以後globeは2005年まで、リミックスを除き新作リリースを行なわない。


小室はしばらくMarcの病状の経過を見ていただろうが、9月にはKEIKOのソロシングルレコーディングに入る。
KEIKOによるTKカヴァー曲集を作る計画もあったといい、Marcなしで可能な活動が検討されていたのだろう。
2003年はTMもglobeも、3人中の2人だけで活動する変則的な形態が取られたことになる。


KEIKOソロシングルは12/10に、マキシシングル「KCO」としてリリースされた。
なおこの頃小室は、KEIKOの名前をKCOにする旨を述べている。
商品では依然としてKEIKO名義が用いられたが、小室の中では、表記をKCOに改める意向だったのだろう。


本作は「海との友情」を含む4曲入りだった。
メインとなる「Humanrace」はともかくとして、他の3曲についてはトランスの風味は薄い。
その内の2曲はTMの「Dreams of Christmas」と、1989年の小室ソロ曲「Christmas Chorus」のカバーだった。
「Dreams of Christmas」のカバーは、TMの「Fan Event in Naeba」の演奏を見たKEIKOが小室に申し出たのがきっかけだったという。
おそらく「Christmas Chorus」もその延長上に選ばれたのだろう。


なお「Dreams of Christmas」には、m-floのVerbalがラップで参加している。
小室とVerbalのタッグは、2001/12/27「lovin' it」以来2度目となる。
「lovin' it」はチャリティプロジェクトSong+Nationの一曲で、小室が作詞・作曲した曲を、安室奈美恵+Verbal名義でリリースしたものである。
ただ「Dreams of Christmas」を聞いても、Verbalのラップの必然性はさっぱり分からないし、globeファンには「ラップを入れるならなぜMarcではないのか」と感じた者も少なくなかっただろう。


「AAA '03」にてTM+KEIKOの「Dreams of Christmas」


globeが活動を休止した頃、Gaballも久しぶりに新作をリリースした。
2003/8/6リリースのシングル「幸せの表現」である。
本作も「KCO」収録の3曲と同様、トランスの要素は薄い。
小室は「LEVEL 4」の失敗の後、トランス以外の可能性を探り出していたように見える。


9/25にはGaballの2ndアルバムリリースが予定されており、globeが動かせない間にGaballの活動を復活させる考えもあったらしい。
しかしこのアルバムリリースは実現しなかった。
「幸せの表現」の成績は21位・2.3万枚と振るわず、本作を最後にGaball名義での活動は見られなくなる。


「幸せの表現」の作詞・作曲・編曲はすべて小室で、原田大三郎はもちろん、DJ Dragonも楽曲制作に関わっていない。
なぜこれがGaball名義なのかといえば、カップリングでDragonがボーカルを取っているからである。


本作はドラマ「14ヶ月」のエンディングテーマである。
「14ヶ月」は7~9月に放送されたから、曲は6月には出来上がっていたはずである。
ドラマで使われたのは韓国人Joanneがボーカルを取ったテイクである。
Joanneの起用は、小室のアジア進出計画とも関わるものに違いない。
歌詞は恋人の気持ちを男女それぞれの立場から別の詞で歌ったもので、女性版をJoanne、男性版をDragonが歌っている。


私は2003年の小室作品で一番の出来はこれだと思っている。
ドラマタイアップという点も考慮したのだろうが、久しぶりに自然に口ずさめる歌詞とメロディを味わえる作品となっている(ボーカルはどちらも微妙だが)。


以上で見て来たように、2003年の小室はglobeとGaballの活動を相次いで収束させるとともに、2年間執着し続けたトランスから、一定の距離を取るようになった。
そしていささか消極的な事情ではあるが、ここに小室はようやく、ただ一つ残った可能性として、TM NETWORKに目を向けるようになる。


小室のTMへの再合流は、6月にファンに示された。
2003/9/6・7「Fan Event in Naeba」の開催告知である。
TM20周年実現への道は、ここにようやく拓かれるのであるが、その過程については、また別章で触れることにしたい


KCO (CCCD)
エイベックス・トラックス
2003-12-10
KEIKO
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト

この記事へのコメント

あいと
2018年11月10日 09:34
松浦さんの記事、取り上げてくれたのを読んでとても前向きに感じました。ありがとうございます。
globeの件、確かに自分も2003前後は、何か引っ掛かる、小骨が喉に刺さったままの感覚で、今日までいました。
読んでいて、なるほど…と。
NutRocker
2018年11月10日 10:33
更新ありがとうございます!
木根さんの本で読めるような大本営発表以外、この頃のTM(主に小室さん)のことをほとんど何も知らずglobeが挫折していた状況についても知りませんでした。
でもこの頃は、ヒットという結果が出せないとしても音楽的な意欲や新しいものを開拓していく気概はあったのだなと思いました。
ドラマの「14歳」は「14ヶ月」ですかね~

この頃から「貧すれば鈍す」が加速していきますが,
詐欺事件でいったんお金の問題がリセットされたので
逮捕されてかえってよかったと思う部分もあります。

でもその後は、小室さんが「真っ当に生きろ」というまた別の新しい枷をはめられたようにも感じます。
有罪になったのだから反省するしかない訳ですが、
ミュージシャンに清廉潔白を求めるのは…何か違和感があります。
あの不倫騒動も、先の逮捕がなければそんな大ごとにはならず引退するにしてももう少しいい形でできたのに、と思ったり。

松浦さんのインスタの動画見ました。
時々耳のあたりに手をやっているのが耳鳴りのせいなのか、髪の毛が邪魔なだけなのか、ちょっと気になりましたが一時期に比べて元気そうですし、演奏は確かに改善されていますね。
Get wild!と掛け声がかかったときに小室さんの口元がゆるんだのを見逃しませんでしたよ!
小室さんが望むなら、これが何か今後につながるといいなと思いました。

今後TM史上かなりつらい時期に突入しますが、管理人様がどのようにおまとめになるのか、興味深く拝見したいと思います。

散漫な内容で失礼しました!
通りすがりの名無し人
2018年11月10日 10:45
訂正の指摘コメントです。シングル「幸せの表現」は、 よみうりテレビ・日本テレビ系列『14ヶ月~妻が子供に還っていく~』のドラマ主題歌です。失礼しました。
fe
2018年11月10日 11:29
こんにちは。

シンセサイザー奏者・バックトラック制作者としてのYOSHIKIさんは北野井子さんへの「begin」「薔薇と緑」・「I'll Be Your Love」・VIOLET UKで見受けられますが、どう語ればいいのかわからないです。だって、電子音楽作品としてまとまったアルバムがないから。これで「LEVEL 4」でYOSHIKIさんがどの様に表現したのか、どんな役割を担ったのか抽象的な表現でもいいから語ってくれれば、その後のテクノ方面でも頭角を表せただろうに、未だに語られたイメージがないのです。VUKがアンビエントに着手した?発売してから語って下さい!小室先生は数字・状況はともかくミュージシャンとしての分野を「Far Eastern Wind」以来確実に広げていますよ?北野井子さんへの作品が、発言こそないけど展開が小室先生を意識している様に感じます。

ちなみに私は「INSIDE」が好きです。浮動層優先の小室さんが珍しく「まず現場が喜ぶ音色を作る」と断言したことから、松武秀樹さんの「LOGIC SYSTEM」・かつての「t jungle m」「h.a.n.d」「MUSEUM」みたいにマニアックな、ジャンルの根本に忠実であること前提の活動を志していた部分もあったのではないかと思います。

にしても発売から3ヶ月経たないでセール品になっていたglobeのシングルを思い出してしまった…大きい企画も目指していたのに、残念だな…と今更ながら胸が痛いです。これも時間が経った今だから味わえるものなのですが。

失礼致しました。
青い惑星の愚か者
2018年11月10日 13:06
>あいとさん
光が見えてきた感じはありますよね。
小室さんが笑っているところを見られたのが、とてもうれしかったです。
2003年は、小室さんを支えていた体制が最終的に崩壊した時だったんだと思います。
まだ良く分からない裏事情もあるんだと思いますよ。


>NutRockerさん
14ヶ月!そうでした!
修正しておきます。

小室さんに品行方正さを求めることの違和感は、私も感じていました。
まあ小室さんに限らず、世間がそういう圧力を発する社会になってしまったのでしょうけど(なんか重い話)。
耳鳴り問題は私も気になるところですが、どうなんでしょうね。


>通りすがりの名無し人さん
14ヶ月の件、ありがとうございます
survival dAnceのタイアップだったドラマの17才と混ざってしまいました。
修正しておきました。


>feさん
Yoshikiさん、シングルの作曲以外は何もやっていないんじゃないかと思っています。
あとseize the lightのシンセがYoshikiなのかな?
多分アルバムのクレジットにYoshikiの名前を載せること自体が販促活動だったんでしょう。
一応レコーディング当初は小室・Yoshikiの曲が並ぶという構想だったのかもしれませんが、結果として出て来たものにはYoshiki要素が皆無という謎アルバムになってしまいました。
鉄曜日のライオン
2018年11月10日 22:20
更新ありがとうございます。
yoshiki加入後のglobeってあまり印象がないなぁと思ってましたが、こんなことになっていたとは知らなかったです。
当時、アルバムglobal trance2だけは買ったのですが、それはCCCDになってレンタルCDではコピー出来なくなったから仕方なく買った、という理由でした。その前のアルバムLights2までは、通常のCDだったからレンタルで済ませてました。当時の自宅でCDが聴ける環境はパソコンしか無かったので、せっかく買ったglobal trance2は車でしか聴けない残念な存在になりました(収録曲自体は割と好きでした)。それ以来、私もglobeをあまり聴かなくなった気がします。
HOPE
2018年11月11日 00:59
いつも更新ありがとうございます。いつも拝読させていただいてます。HOPEです、よろしくお願いします。
この頃のglobeのアルバムは全部買ってました。珍しいファンだったと思います。out of © contorolは攻めの曲で好きなんですが。KCOも買いました。この頃の小室さんは寡作ですが、好きな曲は多いです。HUMANRACEとか。東京ドーム中止はチケット不振が原因でしたね。当時の記事でYOSHIKIを加えてドームライブをやる、ドラムやシンセを破壊するかもしれないから最前列はヘルメットを用意したほうがいいかもという小室さんの発言がありましたね。
BT
2018年11月11日 01:02
初めまして。いつも興味深く拝見しています。

以前何処かで「ただ彼に東京ドームでプレイさせてあげたかった、globeならそれができると思っていた」的な発言を見た覚えがあります。
個人的にはこれが真実に近いのではないかと思います。
ただ、必然大事になりますし本人も煽りました。
いつもの悪巧みでは済まされない異様な雰囲気が両方のファンから向けられていたと記憶しております。
でも、Yoshikiはどうだったのでしょうか。

LEVEL 4の評価について概ね異論はありません。ただ、当時のCCCDの騒動について記述を避けるのはあえてでしょうか。
急激にCDが売れなくなっていくのは小室作品だけではなかった。業界全体が縮小傾向でした。
何故、小室さんは強気に出たのでしょう。
後々の上の空みたいな作品群を聴くにつれ、もうこの時点で小室さんは先も周りも足元すら見えなくなっていたのかもしれません。

長々と失礼しました。
西海岸在住
2018年11月11日 01:52
初めまして。いつも更新楽しみにしています。

小室さんのロサンゼルスの自宅について。小室さんはロサンゼルスに家を2軒所有していましたが、1軒は1999年11月に735万ドルで売却、もう1軒は2002年8月に530万ドルで売却しています。

1999年に売却した家の方は小室ブームが去ったのも売却の理由の一部かもしれませんが、単純に立地的にロサンゼルス市内のスタジオへ通うのには少し遠かったのかもしれません。2002年8月に売却されたマリブの家は売り出したのが3月と麻美さんと離婚された月と同じなので、売却したお金を一部慰謝料にあてたのかもしれませんね。

ハワイのスタジオは法人名義で購入したのか情報が得られませんでしたが、アメリカで小室さんのマネージャーをしていたと言う方の情報によると2002年には売却していると思われます。(リンクを貼って良いのかわからないので、『1974年渡米のハワイアンレストラン・ボブズ経営者』でご検索ください)

アメリカでは土地の売買情報や一般人、有名人に関わらず個人の居住歴、電話番号、家族構成など全てネットで公開されていますが、不適切な情報でしたらコメントの削除をお願い致します。
kuri566
2018年11月11日 06:42
私も「幸せの表現」は、好きです。この頃、メロディメーカーではなくなってしまった小室センセにしては、久しぶりに「降りてきたな」と思える秀曲でした。・・・が、私もずっとドラマタイトル「14才」と思ってました。ドラマもちらちら(エンディングが流れる時間帯だけですが)見てたんですけどね。この頃は、新メンバー加入とか奥の手で迷走しまくっているglobeがコケて、早くTMに注力してくれないかなあと念じていただけで全く小室センセの動向を追えてなかったので、今回の記事がすごく丁寧に動向をまとめていてくださって、勉強になりました。ありがとうございます。
青い惑星の愚か者
2018年11月13日 00:40
>鉄曜日のライオンさん
yoshiki加入は結局なんだったんだろう…て思いますね。
CCCDは当時本当に評判悪かったですね。
ユーザーには何一つメリットなかったですしね。
TMに導入されなくて良かったです。


>HOPEさん
おお、全部買ってましたか。なかなか熱心なファンだったんですね。
Humanraceは音は良かったですね。
私の感想なので異論は大いにあると思うんですが、この頃からのglobeやKEIKOの曲て、多くはKEIKOのボーカル要らないんじゃないかと思っています。
それはKEIKOのせいだけじゃなく(ボーカルも聞き苦しくなるんですが)、小室さんの曲から歌を入れた時の気持ちよさがなくなると思うんです。
曲だけならかっこいいのに、歌が合わさると相乗効果を生むよりも、むしろ打ち消し合っていると言うか…。少し後だとJudgementとか。
メロディが作れなくなっていたんじゃないかと思っています。
青い惑星の愚か者
2018年11月13日 00:41
>BTさん
小室さんは強気だったというより、尻に火がついて焦っていたのかもしれません。
2000年のNEVER END以来ヒット曲が一つも出ていなかったですし、ROJAMによる資産蒸発と借金・慰謝料の問題もありましたから。

CCCDの件は、この時期の小室さんの凋落の直接の原因ではないと思っています。
CCCDがセールス上で不利だったのは事実ですが(たとえば浜崎あゆみは230万→186万、ELTは85万→53万)、多くは減少幅は数割程度であって、1/3以下というglobeの売上低下は明らかにそれ以上です。
CCCDじゃなければ5万が6~7万くらいになったかもしれませんが、Lights2みたいに15万売れることはなかっただろうというのが、私の見立てです。
それに同じCCCDだったシングルseize the lightよりもアルバムLEVEL4の方が売れなかったのは、セールス減の原因をCCCDという規格に帰することができないことを示すものだと思います。
ただ気にされている方が他にもいますし、CCCDの件は文中でも触れておきます。
青い惑星の愚か者
2018年11月13日 00:42
>西海岸在住さん
大変貴重な情報、まことにありがとうございました。
2003年の報道で、海外資産の売却が取り上げられたので、その時期のことと考えていたのですが、どうもそれ以前のことがこの時期に取り上げられただけのようですね。
教えていただいたブログの情報を見ても、たしかに2002年中にアメリカの資産は手放すことになっていたようです。
離婚の件とともに、2001年に永住権を手放して、恒常的な拠点が必要なくなったことも絡むのでしょうね。
後にアメリカから税金未納で追及されるのも、何か関係するのでしょうか。
ともかく2003年の動向と絡めた叙述は改めておきます。


>kuri566さん
幸せの表現は、この時期の曲として唯一TK ARCHIVESにも入りましたよね。
ちゃんとしたメロディが作れるのが分かったのは嬉しかったです。
まあ全然売れませんでしたが…。
私も早くTMやれよと思っていました。
裏ではtributeやっていましたしね。
西海岸在住
2018年11月13日 12:21
こちらこそ日本を離れている時間も長く知らないことだらけなので、管理人様のブログには大変感謝しております!これからも管理人様のご負担にならない頻度での更新、楽しみにしております!

アメリカの税金未納の件は憶測でしかありませんが、アメリカに在住していた間はさすがにきちんと納税されていたんではないかなと思います。未納分は日本へ帰国してからの分なのかも?2001年に永住権を放棄して日本へ帰国しても、小室さんの場合は2002年(2001年分の納税)、2003年(2002年分の自宅やレコーディングスタジオの固定資産税とそれら売却による利益分の税金)はアメリカに納税義務があったはずです。ただし2002年~2003年の小室さんはKeikoさんとの豪遊が第一優先、かつ既に支払い能力がなく未納だったのかもしれませんね。管理人様の様に優れた考察力を持ちあわせていないので、全く見当違いであればすみません!
ジルラココ
2018年11月15日 21:37
いつも詳細のブログをありがとうございます。
globeのアルバムは、「LEVEL 4」までは、リミックス版を除きだいたい買っていたのですが、ぼくの印象では、「outernet」で大幅に売り上げを落とし、それ以後は「昔売れていたグループ」に成り下がった、というものです。
だから、「LEVEL 4」で売り上げが、というのは当時あまり思っていませんでした。200万枚の頃に比べれば、15万枚か5万枚かというのは、大きなものには思えなかったです。
「Lights」シリーズの落ち着いた、どこかダークなものと違って、「LEVEL 4」はJポップに寄ろうとしたのかな、と思って当時は聞いていました。
「compass」などは、ほぼ昔のJポップに近いのでは?
一方で「out of control」のようなちょっと先を行くような曲もあり、ぼくはそこそこ好きなアルバムでした。
TMの「Easy Listening」の際に、インタビューで小室さんが、「ずっとやってきたトランスをJポップの中に取り込もうとした」というようなことを言っていましたが、そのはしりが「LEVEL 4」なのかな、と。

それにしても、ここしばらくのブログで拝見している小室さんの窮状には、文字通りなんとも言えない気持ちになります。
ぼくは当時そのことに気づけておらず(週刊誌などは読んでいなかった)、のんきに「幸せの表現」もレンタルしていました。
匿名
2018年11月16日 08:41
一応NEVER ENDの後の「a song is born/浜崎あゆみ&KEIKO」(2001年12月12日発売、オリコン:44.1万枚、週間1位、2002年度年間18位)
もヒットしてると言ってもいいのではないでしょうか
何にせよ2003年にはヒットメイカーではなくなっていたのは確かだと思いますが
haru
2018年12月01日 06:57
mu-mo専売、完全受注生産で「TETSUYA KOMURO ARCHIVES PROFESSIONAL PRODUCTS」を来年3月にリリースするみたいですね。

 (私は手を出さないけれど)今年6月にリリースした「TETSUYA KOMURO ARCHIVES」を購入した人はどう思うんだろうか…。
ふかっち
2018年12月01日 11:28
haruさん>
僕はアーカイブが出た時に絶対近い内にこんなの出すだろうなぁと思ってました(笑)
なんせTMで、30th finalのDVDを出した後にそれまでのDVDもプラスしたBOXを出した前科がありますからね~( ̄▽ ̄;)
通りすがり
2018年12月03日 20:02
この時期のTMも地味だったので、後追いの身としては追いかけるのが大変です(汗)

globeも当時のことは2chを漁っただけですが、LEVEL4はLightsで気分を良くしたのか初回で15万枚とか刷ってしまったって書いてあったような。真偽のほどは不明ですが、もし本当ならどう捌いたのか。。。
青い惑星の愚か者
2018年12月06日 04:28
>ジルラココさん
私もglobeはouternetで「人気ミュージシャン」の枠から外れたとは思うんですが、トランス時代の小室さんは90年代とは違う形での再浮上を狙ってはいたと思うんですよ。
そうしたメジャーシーンへの復活の芽も絶たれたのがこの時だったんじゃないかなあ…と。
Level 4はトランス一辺倒ではない何かを目指していたんだとは思いますよ。
しかし目指すもの云々ではなく、作品の質としてダメだったと思っています(ここはTKファンからは反論あるでしょう)。


>匿名さん
a song is bornは、たしかに数字上ではヒットとは言えるかもですね。
でもあれってぶっちゃけ小室さんの曲で売れたんじゃなくて、浜崎さんに売ってもらったんじゃないかなあと思っています。
しかも浜崎シングルとして見れば、前後よりも売れていないわけでして。
限定生産シングルを除くと、
Never Ever76万→Endless sorrow77万→UNITE57万→Dearest75万→a song is born44万→Free&Easy49万(CCCD)→H 101万(CCCD)→Voyage68万…て感じです。


>haruさん、ふかっちさん
Professional Products、正直言ってこれ買う人は、CD聞くことは目的じゃないと思います。
CDはほぼ持っているレベルのファンがコレクションとして買うやつじゃないでしょうか。
多分ここまで来たら、ARCHIVESとのからみとかは問題にならない気がします。
(違う方がいらっしゃったらごめんなさい)
青い惑星の愚か者
2018年12月06日 04:29
>通りすがりさん
えええええ LEVEL 4て15万も刷ったんですか?
多分半分くらいは廃棄処分だと思いますよ。
本なんかだと倉庫代を考えて、売れる見込みがないやつは廃棄するんですよ。
多分CDも同じじゃないかな。本ほど場所は取らないけど。

実はTMでも、ハピロンは先着20万人に特典のポスターが付いたんですが、
これってオリコンで8万枚しか売れていないんですよ
CDを20万枚プレスしたとしたら、半分くらい廃棄しているんじゃないかなあ。
poco
2018年12月09日 19:29
厳しい意見になりますが、level4が15万も売れる代物だと本気で考えていたのなら、小室さんの感覚はよほど世間とずれてしまっていたのだな、と思います。「Happiness~」も20万? 悪い冗談です。むしろ8万も売れたのか、と驚きました。スカスカなアレンジで、デモバージョンを聞かされているような感じでしたから…
「TM終了」前の曲は、裏メロがいくつも絡み合っていたり、一聴しただけでその曲とわかる印象的なリフやシーケンスが入った曲がたくさんあり、それが聴く楽しみを幾通りにも提供してくれていたと思います。「Self Control」「DIVE INTO YOUR BODY」「We love the Earth」などは、私には今聴いても新しい発見がある曲で、いろんな音が鳴っていながら奇跡的なハーモニーを生んでいる、なぜこんな曲を思いつくのか、 と驚きます。作り込み感があったのです。
正直、globeの曲には、初期のころからこの「作り込み感」を感じませんでした。一つひとつの音が融け合う感じがなかったのです。個々の音が屹立しているが、ハーモニーにはなり得ていなかった。
やはり小室さんが忙しくなり過ぎたことが原因だったのでしょうか。一つひとつの曲を練り上げる時間がなかったせいなのか。
青い惑星の愚か者
2018年12月15日 01:36
Lights1・2と同じくらい売れていれば15万行くわけですし、小室さんはYOSHIKI効果で売り上げは増えると思っていたんでしょうから、15万プレスは無茶どころか、控え目な数字と思っていたのかもしれません。
活動を継続させていたのに1年でこんなに売上が落ちるのは、やはり予想外だったのでしょう。
作り込み感は近い意見ですが、多分制作体制の変化もあるんでしょうね。
秘密結社まゆゆ
2021年11月16日 22:46
globeの「seize the light」と近い時期に発表され、YOSHIKIさんが作詞・作曲・編曲を手がけた曲で、2005年愛知万博の公式イメージソング「I'll Be Your Love」(歌:DAHLIA、2003年)
https://www.youtube.com/watch?v=STWZ2g-c4fQ
をご存知でしょうか。同じ人が作曲し、同じく女性ボーカルであることから、曲の印象は、「seize the light」と似ています。「I'll Be Your Love」をテンポ早めにして、トランスアレンジにしたら「seize the light」になるわけです。

ブログの本文でも言及している、X JAPAN の名曲「Say Anything」のglobeトランスバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=7SPB0wFaClk
は、かなり良いですね。個人的な後知恵ですが、globeがX楽曲のカバーアルバムを製作していたら、結構売れていたかもしれないと思います。
青い惑星の愚か者
2021年11月21日 10:42
I'll Be Your Loveは知りませんでした。
seize the lightよりいい曲ですね。
秘密結社まゆゆ
2021年11月24日 22:56
市川哲史:著 「私が『ヴィジュアル系』だった頃。」竹書房、2005年では、YOSHIKIのインタビュー記事が掲載されていました。当時のX JAPANは解散状態でしたが、天皇陛下御即位十年奉祝曲(1999年)、愛知万博の公式ソングなどの仕事が相次いでいたことから、市川氏は「アニバーサリー男」と評していました。

この本の続編「私も『ヴィジュアル系』だった頃。」2006年では、小室さんへのインタビューが掲載され、V2の思い出話などを語っていました。私がV2のことを知ったのは、この本がきっかけでした。
青い惑星の愚か者
2021年12月01日 15:00
私もその本のコピーは持っています。
V2はほとんどインタビューがなかったから、意外と後の時代の本も情報源になりますね。
秘密結社まゆゆ
2021年12月02日 22:31
愛知万博の開幕式では、YOSHIKIが出演し、「I'll be your love」のオーケストラバージョンを指揮しました。
https://www.youtube.com/watch?v=kvfQDsemChM
浜崎あゆみも出演し、小室さんが作曲した「A Song is born」を歌いました。
https://www.youtube.com/watch?v=8Op7Y7LTcBI
小室、YOSHIKIの2人が作った曲が、開幕式で流れたわけです。
今更ですが
2023年01月23日 20:15
今更ですが
2023年01月23日 20:18
YOSHIKI氏は確か3曲書いたと言っていました。
「あれはどうしたんだろう…」と言っていたので
「seize the light」以外の曲は
ギャラも支払われていない可能性があります。
青い惑星の愚か者
2023年02月04日 20:45
そうなんですか? 私、TM以外は片手間で調べているので、その情報は知りませんでした。
本当なら、なんで出さないんでしょうかね。
あるいは東京ドームライブが終わった時点で発表するつもりだったのか。
ちょっと加筆しておきますね。
ありがとうございます。

この記事へのトラックバック