7-32 越えてしまった一線
ウツと木根さんによる「Spin Off T-Mue-needs」が7公演を終え、前半戦を終えました。
私も10/18の福岡公演に参加してきました。
これまでで一番良い席だったので、感激しました。
正直、配信で見ても微妙な気分だったんですが、現場で見ると何か盛り上がるものはありました。
セットリストは10/3のZepp DiverCity Tokyo公演で日替わりメニューが登場し、福岡公演はその変形メニューとなりました、
ネタバレ防止のためにコメント欄に書いておきますが、個人的には日替わり曲(4曲目)がとてもうれしかったです(しかも意外なアレンジで)。
しかし4曲目のもう1個の日替わり曲も聞きたかったので、そこらへんは残念でした。
セットリストは、今後もう少し微調整が入るかもしれません。
特に11/15の仙台公演では、浅倉さんの代わりに都啓一さんがキーボードのサポートに入るので、キーボードソロの曲は変わるかもしれません。
12/1・2の追加公演も決まりました。
会場は「Dragon The Carnival」追加公演と同じく、中野サンプラザです。
キーボードは浅倉さんと都さんの2人とも出演します。
今公演数を増やせたということは、経営者側の収支も悪くないのでしょう。
なお11月からは会場でのグッズ販売が3点セットのみではなく、全種類行なわれるようになるそうです。
一方で毎年開催していたウツの年末ディナーショーは、今年はコロナウィルスの感染拡大を勘案して開催しないそうです。
まあそりゃあそうでしょうね。
木根さんは、10/12に神谷えりさんとのコラボライブ「eri kamiya meets naoto kine special live」を開催しました。
こちらは3000円で有料配信もありました。
また10/9・16には、WEBラジオ「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」に出演しました。
こちらはしばらくアーカイブとして公開されるようなので、まだお聞きになっていない方はどうぞアクセスしてみてください。
木根さんは自分のソロCDの他は、TMの「Decade」「All the Clips」の宣伝をしていましたが、今宣伝するのそれなんだ!?
「Get Wild」退勤の話題も出ましたが、木根さんは知らなかったフリをしていました。
またTMの再開の可能性について触れられた時、あまり積極的な発言はしませんでしたが、来年はオリンピックがあるからその後でということを言っていました。
まだTM再開の話は固まっていないけれど、考えてはいるというところでしょうか。
10/12には、小室さんの配信イベント第2弾「Ground TK_002」の開催が発表されました。
10/24(土)の19:00~20:00で、10/27までアーカイブされるようです。
視聴は税込み3850円です。
内容は、小室さんの講義(前回と同様に撮影済のトーク動画を流すのでしょう)と対談・ミニライブとなっています。
前回と同じ時間配分ならば、ミニライブは十数分でしょうか。
「Ground TK」シリーズは毎回対談を入れるようですが、今回はロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが対談相手です。
またすでに告知されていた香川県三豊市父母ヶ浜で開催される「父母ヶ浜芸術祭Vol.0」中のイベント「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」も、税込み5500円で有料配信されるそうです。
10/31(土)の16:00開始で、11/8まで配信されます。
instagramに以下のような説明が出ており、単独ライブイベントのようです。
十数分のライブに4000円払うよりは、こっちの方が意味あるかなあ…と現時点では思っています。
ライブ開催後もしばらくは見られるようなので、課金するかどうか悩んでいる方はネット上の評判など見てから考えても良いかもしれません。
最後におまけ情報を。
「Get Wild退勤」のtweetでバズったshotacさんが、小室さんから直接お礼の動画を送られたそうで、その動画がご本人のtwitterにアップされています。
この件はネットニュースにも取り上げられています。
小室さん、ネットからのヒットを目指したいと以前言っていましたが、それが実現したことで嬉しかったのかもしれません。
では本題に入ります。
現実がよくなってきたところなのにとっても嫌な話になりますので、見たくない方はここらへんで引き返してください。
あの「事件」の話です。
こんな話を今頃蒸し返すなというご意見もあるでしょうが、私はこの事件に触れないと2007年のTM再開には言及できないと考えており、熱心なファンの方から反感を買うことは承知の上で書きました。
以前から述べているように、本ブログはTMの歴史を振り返ることを主旨としております。
もちろんTMや小室さんにはうまくいってほしいと思っていますが、私としては彼らを応援するファンサイトを作っているつもりも、ファンの交流サイトを運営しているつもりもありません。
色々と思うところがある方はいらっしゃると思いますが、この方針については逮捕と裁判の記事まで継続するつもりですので、ご了承下さい。
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これまで数回にわたり、2005~07年におけるウツ・木根の動向を見てきた。
そこに小室が絡む場面はほとんど見られず、TMの活動は完全に止まっていた。
ところがそうした中で、2007/6/7「Spin Off from TM 2007」のステージ上で、11月のTM NETWORKライブの開催が宣言された。
突如の告知だったが、その背後には何があったのか。
それまで「Spin Off from TM」に参加してこなかった小室の動向がこれに関わっていることは、容易に想像できよう。
要するに2007年6月以前に、小室にTM再開を促す何かがあったのだ。
そこで本章では、これまでの小室哲哉の動向を見ていくことにしたい。
なおこの動向の最終的な結末となったのが、2008/11/4の小室逮捕である。
これについては2009年の裁判記録があり、そこで事件に至る経緯が詳細に判明する。
もちろんそこで述べられたことがすべてではありえず、事件に関わることが裁判で必要な範囲で語られたに過ぎないという点は留意すべきであろう。
またこの事件の捜査を主任検事として担当した前田恒彦は、2010年9月に文書偽造をめぐるフロッピーディスクのデータ改竄事件で逮捕され有罪判決を受けたという、いわくつきの人物である。
この事件は、検察の想定する事件の構図に合わせるために、証拠となるデータの内容を書き換えたというものである。
前田は検察の読み通りの自供を容疑者から引き出すことで知られていたが、これ以前から疑惑の捜査がしばしば見られたという。
この疑惑の捜査の一つが、まさに小室事件だった。
2010/10/18のTBSの報道によれば、前田が小室詐欺容疑の立証上で邪魔なメールを削除するように、部下に指示したと証言した検事がいた。
ただしその部下は実際にはメールを消さずに、前田に消したと報告し、そのことは結果として捜査に影響しなかったという。
また検察庁によれば、前田も部下もこの件について否認しているとのことである。
この件には不鮮明なところも多く気になるところだが、供述調書をはじめとする事件の関係書類が、検察によって分かりやすく整理されている可能性は考えるべきだろう。
ただ細かいところは疑う余地があるとしても、そこで語られている事実関係については、矛盾が見出されない限り基本的に準拠して良いと考える。
この事件は経過についても不審な点があり、報道の当初も様々な推測が行なわれた。
この点は以前本ブログでも取り上げたことがあるが、「諸事情」で削除した経緯がある。
ただ本章の趣旨はそこにはないので、今回この点はあまり深く掘り下げず、事実関係の推移のみ整理することを心掛けることにしたい。
以下、具体的な叙述に入ろう。
小室は2003年には引きこもり状態となっていたが、TM NETWORKの楽曲制作に入った同年末から音楽活動への意欲を高め、2004年4月から始まったTM20周年記念ライブも、無事遂行することができた。
TM20周年企画が6/25に終わると、小室は妻KCO(KEIKO)の実家山田家がある大分に拠点を移し、globe10周年ライブとサッカー事業を中心とした活動を行なった。
以上はこれまで見てきたことの確認である。
2003年とは打って変わって、2004年には積極的な活動に出た小室だったが、収支状況は危険な状態だった。
当時経理を担当していたスタッフは、以前から小室に対して浪費を抑えて出費を半分にしてほしいと伝え、SONYのスタッフからも忠告してもらっていたが、聞いてもらえなかったという。
浪費の多くは山田家に関わるものだったが、小室はこれに口出しをすることはなかった。
結局この経理スタッフは、7月に退社した。
このスタッフはそれまで9年間小室の下で働いてきたというから、TKブーム絶頂期の1995年以来小室の傍にいたことになる。
この頃小室を見限って去っていくスタッフは、おそらく他にもいただろう。
これ以前、小室は2000年12月にはavexからプロデュース料として10億円を前払いされ、2001年9月には富士銀行(2002年からみずほコーポレート銀行)から10億円を借り入れていた。
みずほコーポレート銀行への借金は2005年までに7億円程度が返済され、avex前払い分も3億円近くは償還していたから、両者に対する負債20億円は10億円程度に半減していたはずだが、小室は2004年の時点で総額20億円程度の借金があったという。
avex・銀行以外のところに対して10億円程度の負債が発生していたらしい。
結局2001年の負債総額は、2004年になっても減っていなかったことになる。
さらに小室は2004年5月には大分のサッカーチームトリニータのスーパーバイザーに就任した。
メインスポンサーの話も進められたが、そのスポンサー契約料は月1200万円だった。
契約期間は8⽉から1年半であり、この時点で⼩室は1200万円×18ヶ⽉=2.16億円の⽀払い義務を負うことになる。
20億円の借金返済の目途が立たない中でこれを進めるのは、いかにも危険な判断である。
後述の平根昭彦は、小室がこの話を進めたのは山田家に対する見栄のためだったと述べている。
また別の情報によれば、KCOの父の山田晋太郎がトリニータと関係を持っており、小室がそこからトリニータの窮状を聞いたことが本件の背景にあったという。
⼭⽥家に関わる出費はこれに限らず⼤規模に⾏なわれたようで、⼩室の借⾦がなかなか減らない⼀因だったようだ。
小室はこの前後に、新たなスタッフを雇い入れる。
裁判記録によれば5⽉頃、友人を介して平根昭彦・木村隆に会い、協力を求めたという(ただし一説には8月頃ともいう)。
かつては具体的な財政状況を把握していなかった小室も、この時には20億の借金があることを理解していたらしい。
小室はこの頃から、実質的に新体制を取るようになったと⾒られる。
5⽉ならば、TM NETWORK20周年ライブの真っただ中のこととなる。
⼩室が再起の意志を宣⾔する「Green Days」を作ったのもこの頃だった。
小室は平根を社長、木村を監査役として、イベント会社Tribal Kicksを設立し、8月から待望の大分トリニータのメインスポンサーの地位を得た。
なおこのTribal Kicksとまぎらわしいものに、Tribal Kickがある。
Tribal KickはかつてLittle Birdと言っていた小室の芸能事務所を2003年夏頃に改称したものである。
2003年10月~2004年10月の木根のFC会報には、会報の監修として明確に「Tribal Kick」と記されており、2004年設立のTribal Kicksとは別法人と思われる(木根は2004年までLittle Birdから引き続きTribal Kickに所属していた)。
平根・木村は小室のマネージメントも担当していたというので、おそらく2004年以後はTribal Kickにも関わっただろう。
小室の財政管理もイベント会社Tribal Kicksの業務ではなく、事務所Tribal Kickの業務と見られる。
(逮捕当時の報道は両者を混同してともに「トライバルキックス」として扱っている可能性がある)
2004/5/20には、小室とKEIKOがROJAMの株を全額売却した。
借金返済の方策であるとともに、新体制に移るに当たっての決意表明でもあったのだろう。
小室はこれによってROJAM会長を辞任したと報道されている。
2003年下半期の小室・KEIKOの持ち株は4.2億株なので、これが全部この時に売却されたとすると(当時の株価は1株0.09香港ドル=約1.3円)、計算上では5.5億円程度の現金を得たことになる。
当時の小室にとってはありがたい資金だったに違いない。
だがこの臨時収入も、一時しのぎにしかならなかっただろう。
平根・木村体制下の小室は、借金返済と生活費で月1700~2300万円が必要だったというから、これだけで年間2.4億円の出費だった。
これが事務所運営費(人件費)やトリニータのスポンサー料を含まないものだとすれば、支出はそれ以上だったことになる。
吉田麻美による慰謝料・養育費の差し押さえが始まった2005年には、1億円差し押さえられれば年収8000万円になる見込みだったという証言があるので、それ以前の小室は2億円足らずの年収があったと見られる。
だとすれば出費をもっとも少なく見積もっても、小室は赤字経営に陥っていたはずである。
実際に小室はROJAMの株式を売却してから3ヶ月後、早くも金欠に陥っていた。
2004/9/1、小室はみずほコーポレート銀行への返済のための現金を用意することができず、木村隆から9900万円を振り込んでもらって窮地をしのいでいる。
時に小室が大分トリニータのスポンサーになってから1ヶ月も経っていない頃であり、スポンサー就任がいかに無謀な判断だったか分かる。
この頃、⼩室の著作権(この場合は著作権使⽤料取得権)はTribal Kicksと、⼩室の友⼈喜多村豊(豊可)が代表を務めるTK Tracksに、そ
れぞれ3曲・290曲分移転された。
裁判供述調書によれば、Tribal Kicksへの移転は、企業価値を⾼く⾒せ出資者を募るために⾏なったものだった(ただし結局融資は集まらなかった)。
またTK Tracksへの移転は、喜多村への未払金2億円分の代物弁済のためで、これによって⼩室の年収は8000万円から5000万円に減ったとされている(なお当時の⼩室が権利を持っていたのは全部で806曲)。
ただしこれは債権者による個⼈⼝座差し押さえを回避するという⽬的もあったようで、当時を知る某関係者によると、実際にはTK Tracksへの収⼊は⼩室の資⾦繰りに回されていたともいう。
2005年に入り、すでに窮乏に陥っていた⼩室をさらに追い詰める出来事が起こった。
小室は2004年8月以後、前妻吉田麻美への養育費及び家賃(月390万円)の支払いを止めてしまったが(9月には小室が財政難に陥っていたことは先述)、麻美はこれを受けて小室を東京地裁に訴えたのである。
離婚時に交わされた公正証書に、養育費の支払いが3ヶ月延滞した場合は期限の利益を喪失するという条件があったため、麻美は11月末日の不払いを確認した上で、12月に行動を起こしたのだろう。
この結果2005年1月、麻美は小室の著作権使用料(印税)を差し押さえる権利を認められた。
その金額は、総額で7億8000万円だった。
ただし当時小室の得ていた印税は、JASRAC経由で支払われるものと、音楽出版社経由で支払われるものがあり、麻美の差し押さえが認められたのは前者であった。
本ブログではかつて、差し押さえの対象がすべての印税と考えていたが、それは誤りであった。
また当時の供述調書で、「年間約1億円あった被告人の著作権使用料分配金請求債権」が差し押さえられたとの証言があったことから、本ブログでは差し押さえ額が1年1億円と考えていたが、これも間違いだった(1億円は差し押さえ上限額ではなく、実際に差し押さえられた額)。
要するに小室は、7億8000万円を支払い終わるまで、JASRACから印税を受け取ることができなくなったのである。
なお2005年にJASRACから麻美に支払われたのは、8800万円だった。
当時の見込みではJASRAC配当分を除く収入が8000万円だったとされているので、だいたい年収の半分を差し押さえられたことになる。
ここに小室の印税収入は半減することになった。
avexは2005年に入って債権の回収に乗り出した。
金策に追われた小室のプロデュース契約履行の見込みがさらに薄くなったと判断したものだろう。
小室はこれに対して返済の約束をして先延ばしをするとともに、2006年までavexの仕事を最優先させるようになる。
その成果が8月リリースの「globe2 pop/rock」であり、その後もglobeを続けるという宣言だった。
一方の大口債権者としてみずほコーポレート銀行があったが、こちらはavex以上に厄介だった。
小室は融資を受けた時に自らの著作権を担保にしていたから、返済不能と判断された時点で印税収入をすべて取り上げられてしまうことになるからである。
さすがに小室はこの返済は優先させていたものの、2005年6月には延滞が続くようになっていた。
2005年の時点で未返済分は3億円余りだったという。
銀行は2005年7月、小室に対して担保として著作権の再度差し入れを要求したが、小室は優先的に返済することを約束して待ってもらった。
(小室は2001年に10億円の融資を受けた際に著作権を担保に設定したが、その後解除していた)
だが年が明けて2006年になった頃から、小室の返済はまた滞った。
このような中で、大分トリニータへのスポンサー料は2005年2月から支払われなくなる。
2004年8月から1年半の支払いの約束は、わずか半年で終わってしまった。
この延滞のタイミングは、1月の麻美の差し押さえ開始が契機になっていると見て良い。
このためTribal Kicksは、3月からトリニータのメインスポンサーから外されて一般スポンサーになり、Tribal Kicksのロゴは試合用ユニフォームから消されて、トレーニングウェアのみに用いられるようになった。
トリニータはメインスポンサーを失ったことで、収支を悪化させた。
トリニータはすでに億レベルの債務超過に陥っていたが、小室のスポンサー料未払いが加わったことで存亡の危機に立たされた。
そのため2005年9月には、Tribal Kicksの問題を公表する(なおどうやってしのいだかは不明だが、2020年現在でもトリニータは存続している)。
トリニータによれば、スポンサー料は8月までで7000万円が滞納されていた(Tribal Kicksの主張では5200万円)。
こうして小室が妻の実家を喜ばせようとして始めたサッカー事業は、むしろ大恥をさらす形で終わった。
思い描いていた再起プランが破綻した小室は、以後延々と金策を行ないながら、前払い金返済の要求を免れるためにavexの楽曲制作を続けるという、地獄のような日々を送ることになる。
ここまでの小室の動向を整理すれば、以下のようになろう。
・2004年8月から大分トリニータへのスポンサー料支払い開始
→8月から麻美への慰謝料・養育費支払いを停止
・2005年1月から麻美による印税差し押さえ
→2月にトリニータへのスポンサー料支払い停止
ここまで来れば小室はもはや破産するしかないように思われるが、小室はKEIKOやその実家に窮乏の様子を見せたくなかったというから、その選択肢にはなかなか踏み切れなかったのだろう。
小室に金を貸していた木村も、破産を思いとどまらせることはあっても勧めることはなかったはずである(破産されたら自分の損になる)。
平根も小室の連帯保証人になっていたため、自らの破滅を回避するためにも、小室を止めるわけにはいかなかった。
小室は自らが作りだした人間関係に縛られて、自転車操業の継続を強いられてしまったと言えるし、それを振り払う決断もできなかった。
そもそも麻美に支払っていた慰謝料・養育費は非免責債権の一つで、破産によっても免除されない。
また破産手続きを行なえば、著作権使用料受領権は破産管財人によって債務者に引き渡される見込みが高く、そうなれば小室は印税収入無しで7億8000万円を完済を義務付けられることになる。
つまり小室をもっとも追い詰めていた慰謝料・養育費は、法的措置を取られた時点で何としても払い続けるしかなかったのである。
こうなれば小室は、麻美の差し押さえが完了するまで8~10年程度金策を続け、走り続けるしかない。
なんという絶望的な状況だろうか。
このような状態の小室に、麻美はさらに追い打ちをかける。
すなわち2005年9月、小室の不倫とKEIKOの略奪婚、そして慰謝料・養育費未払いの件を、週刊誌およびテレビで暴露したのである。
この時点で麻美はすでに印税の差し押さえを認められて実行していたのだが、その件については一切触れることなく、小室の家賃支払い停止によってマンションを追い出された悲劇のシングルマザーとして自己演出した。

麻美は2005年に音楽活動を再開し、4/6には「Strong Woman」、11/16には「If you feel me?」をリリースしたが、ほとんど売れなかった。
おそらくこの暴露運動は小室への復讐とともに、不振だった音楽活動の宣伝も目的としたものであり、実際にテレビに出演した時にもちゃんと宣伝を行なっている。
ただこの宣伝はほとんど効果がなかった。
翌年リリースのアルバム「BADONKADONK」は248位・653枚という散々な成績に終わり、以後新譜のリリースは行なわれなかった。
麻美の意図はともかくとして、この件は小室に意外なダメージとなった。
麻美の暴露話(およびおそらく同時期のトリニータの件も)によって、小室の財政状況が金融業界に知れ渡り、借金に応じてくれるところがなくなったのである。
小室は2005年年末には平根から、「もうまともな会社からは借りられない」と言われていたという。
小室は危険を覚悟の上で、2005年12月にワシントン・グループの河野博晶という人物から1億7000万円を借りた。
河野が主要株主を務めるA・Cホールディングズ(旧南野建設)は、これ以前に株価操縦事件など、きな臭い事件を起こしていたところである。
平根によれば、山口組系暴力団と深い関係が噂されているところだった。
小室はこの1億7000万円を各所の借金返済に充てたが、返済期限の2006年2月までに河野に返済できなかった。
そこで小室は平根を通じて3億円の追加融資を依頼して、そこから1億7000万円を返済した(返済期限が伸びる代わりに利子が増えた)。
3億円の返済期限は5月だったが、印税が差し押さえられている中で返済などできるはずがない。
その返済は後述の通り、8月まで延滞することになる。
この借金の金利は、なんと月利5%だった。
仮に5月にまったく返済していなかったとすると、1.7億円を3ヶ月、3億円を6ヶ月借りたということは、利子は1億1550万円(1.7億×0.05×3+3億×0.05×6)に達したはずである。
実際には5月に返済した部分もあったかもしれないから正確なところは分からないが、おそらく河野への借金により、小室は負債を1億円前後膨らませた。
目先の問題を先送りするために長期的に債務を増やす選択を採ることは、これ以外にも多々行なわれてきたに違いない。
小室は河野への借金の返済の目途が立たない中で、各方面への支払いを滞らせた。
港区への地方税もこの頃には滞納するようになり、その結果2008年には、港区役所から印税の差し押さえを受けた。
みずほコーポレート銀行への返済も延滞したため、銀行はついに債権の回収は困難との判断を下し、2006年7月にはTribal Kicksにその旨を連絡した。
小室は8/1に銀行員と面会し、延滞分を8/3・11・31日に支払うことを約束して納得してもらったが、この約束が果たされない場合は法的措置を取ると告げられた。
いわば銀行からの最後通告であった。
小室はいよいよ追い詰められた。
8月の銀行への返済額は総額4000万円だったが、当時の印税収入は年間1億円程度(多くて月1000万円程度)の見込みであり、全額を支払うにはとても足りなかった。
このようにX-DAYを目前に控えた2006年7月、平根と木村は小室に、以前出資をお願いしたSという人物について伝えた。
2人はこれまでも何度かSと接触し、小室の持つ楽曲の著作権を担保として5億円の融資を依頼していた。
小室が著作権を担保として銀行から借金したことで追い詰められていたにもかかわらず、彼らはまた同じことをしようとしたわけである。
小室は改めてSに融資を求める。
Sはこれを断ったが、著作権自体には関心を持ち、著作権の購入ならば考えるという姿勢を示した。
これは印税受取の権利ではなく(Tribal KicksやTK Tracksへの著作権譲渡はこちら)、著作権自体の取得を意味するものだった。
そこで平根・木村は小室も連れて、7/30に東京の芝公園のホテルでSと面会し、10億円での著作権売却の約束を取り付けた。
後日、木村はSに電話して、まず1億5000万円を振り込んで欲しいと伝えた。
その期日は8/3だったが、これは銀行への最初の返済日を念頭に置いたものであろう。
だがSは、頭金を支払う前に合意書も交わすことを主張する。
そのため8/3の銀行への返済は、木村が立て替えた。
小室らは8/7にまたSと面会して話し合いを行ない、書類の件も含めてSと合意を得た。
なおこの時小室は、ピアノで作った「dependent」という曲のCDをSに渡した。
どういう曲かは不明だが、「Wow War Tonight」のサビの部分が入っていたという。
Sはこれを受けて、8/9に1億5000万円を、8/29に3億5000万円を振り込んだ。
それぞれ8/11・31の銀行への返済を意識したものだろう。
小室らはSに対して、10億円の内でまず5億円を振り込むように依頼していたが、2度の送金はこれに応じたものだった。
小室の印税は麻美によって差し押さえられているため、慰謝料・養育費の残額を一括で支払ってこれを解除し、Sに著作権を売却するという理屈だった。
5億円を一括払いすれば差し押さえを解除することが、麻美との間で合意できていると、小室は説明したという。
だがこれまで見てきたように、小室がSを頼ったのは、銀行や河野への借金返済のためだった。
実際にこの5億円は、銀行・河野や木村の立て替え分(1億5000万円)の返済に充てられて、たちまちなくなった。
当然麻美の差し押さえも解除されず、Sへの著作権移転も行なわれなかった。
そもそも806曲中の3曲の著作権使用料受領権はTribal Kicks、290曲はTK Tracksにすでに譲渡しているのであり、これらも再移転しない限り、Sは806曲分全部の印税を得ることはできない。
また印税の取得権だけならばともかく、小室の著作権自体はSONYやavex・R&Cなど音楽出版社に譲渡されており、小室がこれを売却することもできない。
この中で著作権が自分の手元にないことについて、小室は認識していなかったという。
一方で著作権使用料受領権の二重譲渡の問題については、すでに平根が問題を指摘していた。
だが木村は、Sに真実を知られた時には小室のビジネススキームを提示して納得させるか、または別の人から借金をして返済すればよいと主張した。
小室もこれに同意したが、完全にその場しのぎの詐欺行為である。
小室・木村はこのことによって後に詐欺罪容疑で刑事告訴されたが(犯行を主導したのは木村とされた)、これに反対した平根は不起訴となった。
もちろんSは著作権移転が実行されないことに気が付いた時点で、苦情を言ってくる。
木村は売却額の総額を10億円から7億円に減額することで一回Sを納得させたが、これも所詮は時間稼ぎに過ぎず、結局最後まで著作権は移転されなかった。
これが小室の逮捕へとつながっていくわけだが、その結末については後に回すことにして、次章ではこの前後の時期の小室の音楽活動について見ていきたい。
(2020/10/20執筆、2020/11/19・2021/4/14・12/10加筆)
私も10/18の福岡公演に参加してきました。
これまでで一番良い席だったので、感激しました。
正直、配信で見ても微妙な気分だったんですが、現場で見ると何か盛り上がるものはありました。
セットリストは10/3のZepp DiverCity Tokyo公演で日替わりメニューが登場し、福岡公演はその変形メニューとなりました、
ネタバレ防止のためにコメント欄に書いておきますが、個人的には日替わり曲(4曲目)がとてもうれしかったです(しかも意外なアレンジで)。
しかし4曲目のもう1個の日替わり曲も聞きたかったので、そこらへんは残念でした。
セットリストは、今後もう少し微調整が入るかもしれません。
特に11/15の仙台公演では、浅倉さんの代わりに都啓一さんがキーボードのサポートに入るので、キーボードソロの曲は変わるかもしれません。
12/1・2の追加公演も決まりました。
会場は「Dragon The Carnival」追加公演と同じく、中野サンプラザです。
キーボードは浅倉さんと都さんの2人とも出演します。
今公演数を増やせたということは、経営者側の収支も悪くないのでしょう。
なお11月からは会場でのグッズ販売が3点セットのみではなく、全種類行なわれるようになるそうです。
一方で毎年開催していたウツの年末ディナーショーは、今年はコロナウィルスの感染拡大を勘案して開催しないそうです。
まあそりゃあそうでしょうね。
木根さんは、10/12に神谷えりさんとのコラボライブ「eri kamiya meets naoto kine special live」を開催しました。
こちらは3000円で有料配信もありました。
また10/9・16には、WEBラジオ「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」に出演しました。
こちらはしばらくアーカイブとして公開されるようなので、まだお聞きになっていない方はどうぞアクセスしてみてください。
木根さんは自分のソロCDの他は、TMの「Decade」「All the Clips」の宣伝をしていましたが、今宣伝するのそれなんだ!?
「Get Wild」退勤の話題も出ましたが、木根さんは知らなかったフリをしていました。
またTMの再開の可能性について触れられた時、あまり積極的な発言はしませんでしたが、来年はオリンピックがあるからその後でということを言っていました。
まだTM再開の話は固まっていないけれど、考えてはいるというところでしょうか。
10/12には、小室さんの配信イベント第2弾「Ground TK_002」の開催が発表されました。
10/24(土)の19:00~20:00で、10/27までアーカイブされるようです。
視聴は税込み3850円です。
内容は、小室さんの講義(前回と同様に撮影済のトーク動画を流すのでしょう)と対談・ミニライブとなっています。
前回と同じ時間配分ならば、ミニライブは十数分でしょうか。
「Ground TK」シリーズは毎回対談を入れるようですが、今回はロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが対談相手です。
またすでに告知されていた香川県三豊市父母ヶ浜で開催される「父母ヶ浜芸術祭Vol.0」中のイベント「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」も、税込み5500円で有料配信されるそうです。
10/31(土)の16:00開始で、11/8まで配信されます。
instagramに以下のような説明が出ており、単独ライブイベントのようです。
日本のウユニ塩湖と言われる、香川県三豊市父母ヶ浜を舞台にした小室哲哉単独ライブ
「TK/MusicDesign」は、MusicDesignerである小室哲哉が、様々なロケーションで、環境や空間と融合した”音”をみなさまにお届けする配信ライブです。
小室哲哉が奏でる”音”をぜひ体感ください。
十数分のライブに4000円払うよりは、こっちの方が意味あるかなあ…と現時点では思っています。
ライブ開催後もしばらくは見られるようなので、課金するかどうか悩んでいる方はネット上の評判など見てから考えても良いかもしれません。
最後におまけ情報を。
「Get Wild退勤」のtweetでバズったshotacさんが、小室さんから直接お礼の動画を送られたそうで、その動画がご本人のtwitterにアップされています。
この件はネットニュースにも取り上げられています。
小室さん、ネットからのヒットを目指したいと以前言っていましたが、それが実現したことで嬉しかったのかもしれません。
では本題に入ります。
現実がよくなってきたところなのにとっても嫌な話になりますので、見たくない方はここらへんで引き返してください。
あの「事件」の話です。
こんな話を今頃蒸し返すなというご意見もあるでしょうが、私はこの事件に触れないと2007年のTM再開には言及できないと考えており、熱心なファンの方から反感を買うことは承知の上で書きました。
以前から述べているように、本ブログはTMの歴史を振り返ることを主旨としております。
もちろんTMや小室さんにはうまくいってほしいと思っていますが、私としては彼らを応援するファンサイトを作っているつもりも、ファンの交流サイトを運営しているつもりもありません。
色々と思うところがある方はいらっしゃると思いますが、この方針については逮捕と裁判の記事まで継続するつもりですので、ご了承下さい。
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これまで数回にわたり、2005~07年におけるウツ・木根の動向を見てきた。
そこに小室が絡む場面はほとんど見られず、TMの活動は完全に止まっていた。
ところがそうした中で、2007/6/7「Spin Off from TM 2007」のステージ上で、11月のTM NETWORKライブの開催が宣言された。
突如の告知だったが、その背後には何があったのか。
それまで「Spin Off from TM」に参加してこなかった小室の動向がこれに関わっていることは、容易に想像できよう。
要するに2007年6月以前に、小室にTM再開を促す何かがあったのだ。
そこで本章では、これまでの小室哲哉の動向を見ていくことにしたい。
なおこの動向の最終的な結末となったのが、2008/11/4の小室逮捕である。
これについては2009年の裁判記録があり、そこで事件に至る経緯が詳細に判明する。
もちろんそこで述べられたことがすべてではありえず、事件に関わることが裁判で必要な範囲で語られたに過ぎないという点は留意すべきであろう。
またこの事件の捜査を主任検事として担当した前田恒彦は、2010年9月に文書偽造をめぐるフロッピーディスクのデータ改竄事件で逮捕され有罪判決を受けたという、いわくつきの人物である。
この事件は、検察の想定する事件の構図に合わせるために、証拠となるデータの内容を書き換えたというものである。
前田は検察の読み通りの自供を容疑者から引き出すことで知られていたが、これ以前から疑惑の捜査がしばしば見られたという。
この疑惑の捜査の一つが、まさに小室事件だった。
2010/10/18のTBSの報道によれば、前田が小室詐欺容疑の立証上で邪魔なメールを削除するように、部下に指示したと証言した検事がいた。
ただしその部下は実際にはメールを消さずに、前田に消したと報告し、そのことは結果として捜査に影響しなかったという。
また検察庁によれば、前田も部下もこの件について否認しているとのことである。
この件には不鮮明なところも多く気になるところだが、供述調書をはじめとする事件の関係書類が、検察によって分かりやすく整理されている可能性は考えるべきだろう。
ただ細かいところは疑う余地があるとしても、そこで語られている事実関係については、矛盾が見出されない限り基本的に準拠して良いと考える。
この事件は経過についても不審な点があり、報道の当初も様々な推測が行なわれた。
この点は以前本ブログでも取り上げたことがあるが、「諸事情」で削除した経緯がある。
ただ本章の趣旨はそこにはないので、今回この点はあまり深く掘り下げず、事実関係の推移のみ整理することを心掛けることにしたい。
以下、具体的な叙述に入ろう。
小室は2003年には引きこもり状態となっていたが、TM NETWORKの楽曲制作に入った同年末から音楽活動への意欲を高め、2004年4月から始まったTM20周年記念ライブも、無事遂行することができた。
TM20周年企画が6/25に終わると、小室は妻KCO(KEIKO)の実家山田家がある大分に拠点を移し、globe10周年ライブとサッカー事業を中心とした活動を行なった。
以上はこれまで見てきたことの確認である。
2003年とは打って変わって、2004年には積極的な活動に出た小室だったが、収支状況は危険な状態だった。
当時経理を担当していたスタッフは、以前から小室に対して浪費を抑えて出費を半分にしてほしいと伝え、SONYのスタッフからも忠告してもらっていたが、聞いてもらえなかったという。
浪費の多くは山田家に関わるものだったが、小室はこれに口出しをすることはなかった。
結局この経理スタッフは、7月に退社した。
このスタッフはそれまで9年間小室の下で働いてきたというから、TKブーム絶頂期の1995年以来小室の傍にいたことになる。
この頃小室を見限って去っていくスタッフは、おそらく他にもいただろう。
これ以前、小室は2000年12月にはavexからプロデュース料として10億円を前払いされ、2001年9月には富士銀行(2002年からみずほコーポレート銀行)から10億円を借り入れていた。
みずほコーポレート銀行への借金は2005年までに7億円程度が返済され、avex前払い分も3億円近くは償還していたから、両者に対する負債20億円は10億円程度に半減していたはずだが、小室は2004年の時点で総額20億円程度の借金があったという。
avex・銀行以外のところに対して10億円程度の負債が発生していたらしい。
結局2001年の負債総額は、2004年になっても減っていなかったことになる。
さらに小室は2004年5月には大分のサッカーチームトリニータのスーパーバイザーに就任した。
メインスポンサーの話も進められたが、そのスポンサー契約料は月1200万円だった。
契約期間は8⽉から1年半であり、この時点で⼩室は1200万円×18ヶ⽉=2.16億円の⽀払い義務を負うことになる。
20億円の借金返済の目途が立たない中でこれを進めるのは、いかにも危険な判断である。
後述の平根昭彦は、小室がこの話を進めたのは山田家に対する見栄のためだったと述べている。
また別の情報によれば、KCOの父の山田晋太郎がトリニータと関係を持っており、小室がそこからトリニータの窮状を聞いたことが本件の背景にあったという。
⼭⽥家に関わる出費はこれに限らず⼤規模に⾏なわれたようで、⼩室の借⾦がなかなか減らない⼀因だったようだ。
小室はこの前後に、新たなスタッフを雇い入れる。
裁判記録によれば5⽉頃、友人を介して平根昭彦・木村隆に会い、協力を求めたという(ただし一説には8月頃ともいう)。
かつては具体的な財政状況を把握していなかった小室も、この時には20億の借金があることを理解していたらしい。
小室はこの頃から、実質的に新体制を取るようになったと⾒られる。
5⽉ならば、TM NETWORK20周年ライブの真っただ中のこととなる。
⼩室が再起の意志を宣⾔する「Green Days」を作ったのもこの頃だった。
小室は平根を社長、木村を監査役として、イベント会社Tribal Kicksを設立し、8月から待望の大分トリニータのメインスポンサーの地位を得た。
なおこのTribal Kicksとまぎらわしいものに、Tribal Kickがある。
Tribal KickはかつてLittle Birdと言っていた小室の芸能事務所を2003年夏頃に改称したものである。
2003年10月~2004年10月の木根のFC会報には、会報の監修として明確に「Tribal Kick」と記されており、2004年設立のTribal Kicksとは別法人と思われる(木根は2004年までLittle Birdから引き続きTribal Kickに所属していた)。
平根・木村は小室のマネージメントも担当していたというので、おそらく2004年以後はTribal Kickにも関わっただろう。
小室の財政管理もイベント会社Tribal Kicksの業務ではなく、事務所Tribal Kickの業務と見られる。
(逮捕当時の報道は両者を混同してともに「トライバルキックス」として扱っている可能性がある)
2004/5/20には、小室とKEIKOがROJAMの株を全額売却した。
借金返済の方策であるとともに、新体制に移るに当たっての決意表明でもあったのだろう。
小室はこれによってROJAM会長を辞任したと報道されている。
2003年下半期の小室・KEIKOの持ち株は4.2億株なので、これが全部この時に売却されたとすると(当時の株価は1株0.09香港ドル=約1.3円)、計算上では5.5億円程度の現金を得たことになる。
当時の小室にとってはありがたい資金だったに違いない。
だがこの臨時収入も、一時しのぎにしかならなかっただろう。
平根・木村体制下の小室は、借金返済と生活費で月1700~2300万円が必要だったというから、これだけで年間2.4億円の出費だった。
これが事務所運営費(人件費)やトリニータのスポンサー料を含まないものだとすれば、支出はそれ以上だったことになる。
吉田麻美による慰謝料・養育費の差し押さえが始まった2005年には、1億円差し押さえられれば年収8000万円になる見込みだったという証言があるので、それ以前の小室は2億円足らずの年収があったと見られる。
だとすれば出費をもっとも少なく見積もっても、小室は赤字経営に陥っていたはずである。
実際に小室はROJAMの株式を売却してから3ヶ月後、早くも金欠に陥っていた。
2004/9/1、小室はみずほコーポレート銀行への返済のための現金を用意することができず、木村隆から9900万円を振り込んでもらって窮地をしのいでいる。
時に小室が大分トリニータのスポンサーになってから1ヶ月も経っていない頃であり、スポンサー就任がいかに無謀な判断だったか分かる。
この頃、⼩室の著作権(この場合は著作権使⽤料取得権)はTribal Kicksと、⼩室の友⼈喜多村豊(豊可)が代表を務めるTK Tracksに、そ
れぞれ3曲・290曲分移転された。
裁判供述調書によれば、Tribal Kicksへの移転は、企業価値を⾼く⾒せ出資者を募るために⾏なったものだった(ただし結局融資は集まらなかった)。
またTK Tracksへの移転は、喜多村への未払金2億円分の代物弁済のためで、これによって⼩室の年収は8000万円から5000万円に減ったとされている(なお当時の⼩室が権利を持っていたのは全部で806曲)。
ただしこれは債権者による個⼈⼝座差し押さえを回避するという⽬的もあったようで、当時を知る某関係者によると、実際にはTK Tracksへの収⼊は⼩室の資⾦繰りに回されていたともいう。
2005年に入り、すでに窮乏に陥っていた⼩室をさらに追い詰める出来事が起こった。
小室は2004年8月以後、前妻吉田麻美への養育費及び家賃(月390万円)の支払いを止めてしまったが(9月には小室が財政難に陥っていたことは先述)、麻美はこれを受けて小室を東京地裁に訴えたのである。
離婚時に交わされた公正証書に、養育費の支払いが3ヶ月延滞した場合は期限の利益を喪失するという条件があったため、麻美は11月末日の不払いを確認した上で、12月に行動を起こしたのだろう。
この結果2005年1月、麻美は小室の著作権使用料(印税)を差し押さえる権利を認められた。
その金額は、総額で7億8000万円だった。
ただし当時小室の得ていた印税は、JASRAC経由で支払われるものと、音楽出版社経由で支払われるものがあり、麻美の差し押さえが認められたのは前者であった。
本ブログではかつて、差し押さえの対象がすべての印税と考えていたが、それは誤りであった。
また当時の供述調書で、「年間約1億円あった被告人の著作権使用料分配金請求債権」が差し押さえられたとの証言があったことから、本ブログでは差し押さえ額が1年1億円と考えていたが、これも間違いだった(1億円は差し押さえ上限額ではなく、実際に差し押さえられた額)。
要するに小室は、7億8000万円を支払い終わるまで、JASRACから印税を受け取ることができなくなったのである。
なお2005年にJASRACから麻美に支払われたのは、8800万円だった。
当時の見込みではJASRAC配当分を除く収入が8000万円だったとされているので、だいたい年収の半分を差し押さえられたことになる。
ここに小室の印税収入は半減することになった。
avexは2005年に入って債権の回収に乗り出した。
金策に追われた小室のプロデュース契約履行の見込みがさらに薄くなったと判断したものだろう。
小室はこれに対して返済の約束をして先延ばしをするとともに、2006年までavexの仕事を最優先させるようになる。
その成果が8月リリースの「globe2 pop/rock」であり、その後もglobeを続けるという宣言だった。
一方の大口債権者としてみずほコーポレート銀行があったが、こちらはavex以上に厄介だった。
小室は融資を受けた時に自らの著作権を担保にしていたから、返済不能と判断された時点で印税収入をすべて取り上げられてしまうことになるからである。
さすがに小室はこの返済は優先させていたものの、2005年6月には延滞が続くようになっていた。
2005年の時点で未返済分は3億円余りだったという。
銀行は2005年7月、小室に対して担保として著作権の再度差し入れを要求したが、小室は優先的に返済することを約束して待ってもらった。
(小室は2001年に10億円の融資を受けた際に著作権を担保に設定したが、その後解除していた)
だが年が明けて2006年になった頃から、小室の返済はまた滞った。
このような中で、大分トリニータへのスポンサー料は2005年2月から支払われなくなる。
2004年8月から1年半の支払いの約束は、わずか半年で終わってしまった。
この延滞のタイミングは、1月の麻美の差し押さえ開始が契機になっていると見て良い。
このためTribal Kicksは、3月からトリニータのメインスポンサーから外されて一般スポンサーになり、Tribal Kicksのロゴは試合用ユニフォームから消されて、トレーニングウェアのみに用いられるようになった。
トリニータはメインスポンサーを失ったことで、収支を悪化させた。
トリニータはすでに億レベルの債務超過に陥っていたが、小室のスポンサー料未払いが加わったことで存亡の危機に立たされた。
そのため2005年9月には、Tribal Kicksの問題を公表する(なおどうやってしのいだかは不明だが、2020年現在でもトリニータは存続している)。
トリニータによれば、スポンサー料は8月までで7000万円が滞納されていた(Tribal Kicksの主張では5200万円)。
こうして小室が妻の実家を喜ばせようとして始めたサッカー事業は、むしろ大恥をさらす形で終わった。
思い描いていた再起プランが破綻した小室は、以後延々と金策を行ないながら、前払い金返済の要求を免れるためにavexの楽曲制作を続けるという、地獄のような日々を送ることになる。
ここまでの小室の動向を整理すれば、以下のようになろう。
・2004年8月から大分トリニータへのスポンサー料支払い開始
→8月から麻美への慰謝料・養育費支払いを停止
・2005年1月から麻美による印税差し押さえ
→2月にトリニータへのスポンサー料支払い停止
ここまで来れば小室はもはや破産するしかないように思われるが、小室はKEIKOやその実家に窮乏の様子を見せたくなかったというから、その選択肢にはなかなか踏み切れなかったのだろう。
小室に金を貸していた木村も、破産を思いとどまらせることはあっても勧めることはなかったはずである(破産されたら自分の損になる)。
平根も小室の連帯保証人になっていたため、自らの破滅を回避するためにも、小室を止めるわけにはいかなかった。
小室は自らが作りだした人間関係に縛られて、自転車操業の継続を強いられてしまったと言えるし、それを振り払う決断もできなかった。
そもそも麻美に支払っていた慰謝料・養育費は非免責債権の一つで、破産によっても免除されない。
また破産手続きを行なえば、著作権使用料受領権は破産管財人によって債務者に引き渡される見込みが高く、そうなれば小室は印税収入無しで7億8000万円を完済を義務付けられることになる。
つまり小室をもっとも追い詰めていた慰謝料・養育費は、法的措置を取られた時点で何としても払い続けるしかなかったのである。
こうなれば小室は、麻美の差し押さえが完了するまで8~10年程度金策を続け、走り続けるしかない。
なんという絶望的な状況だろうか。
このような状態の小室に、麻美はさらに追い打ちをかける。
すなわち2005年9月、小室の不倫とKEIKOの略奪婚、そして慰謝料・養育費未払いの件を、週刊誌およびテレビで暴露したのである。
この時点で麻美はすでに印税の差し押さえを認められて実行していたのだが、その件については一切触れることなく、小室の家賃支払い停止によってマンションを追い出された悲劇のシングルマザーとして自己演出した。

麻美は2005年に音楽活動を再開し、4/6には「Strong Woman」、11/16には「If you feel me?」をリリースしたが、ほとんど売れなかった。
おそらくこの暴露運動は小室への復讐とともに、不振だった音楽活動の宣伝も目的としたものであり、実際にテレビに出演した時にもちゃんと宣伝を行なっている。
ただこの宣伝はほとんど効果がなかった。
翌年リリースのアルバム「BADONKADONK」は248位・653枚という散々な成績に終わり、以後新譜のリリースは行なわれなかった。
麻美の意図はともかくとして、この件は小室に意外なダメージとなった。
麻美の暴露話(およびおそらく同時期のトリニータの件も)によって、小室の財政状況が金融業界に知れ渡り、借金に応じてくれるところがなくなったのである。
小室は2005年年末には平根から、「もうまともな会社からは借りられない」と言われていたという。
小室は危険を覚悟の上で、2005年12月にワシントン・グループの河野博晶という人物から1億7000万円を借りた。
河野が主要株主を務めるA・Cホールディングズ(旧南野建設)は、これ以前に株価操縦事件など、きな臭い事件を起こしていたところである。
平根によれば、山口組系暴力団と深い関係が噂されているところだった。
小室はこの1億7000万円を各所の借金返済に充てたが、返済期限の2006年2月までに河野に返済できなかった。
そこで小室は平根を通じて3億円の追加融資を依頼して、そこから1億7000万円を返済した(返済期限が伸びる代わりに利子が増えた)。
3億円の返済期限は5月だったが、印税が差し押さえられている中で返済などできるはずがない。
その返済は後述の通り、8月まで延滞することになる。
この借金の金利は、なんと月利5%だった。
仮に5月にまったく返済していなかったとすると、1.7億円を3ヶ月、3億円を6ヶ月借りたということは、利子は1億1550万円(1.7億×0.05×3+3億×0.05×6)に達したはずである。
実際には5月に返済した部分もあったかもしれないから正確なところは分からないが、おそらく河野への借金により、小室は負債を1億円前後膨らませた。
目先の問題を先送りするために長期的に債務を増やす選択を採ることは、これ以外にも多々行なわれてきたに違いない。
小室は河野への借金の返済の目途が立たない中で、各方面への支払いを滞らせた。
港区への地方税もこの頃には滞納するようになり、その結果2008年には、港区役所から印税の差し押さえを受けた。
みずほコーポレート銀行への返済も延滞したため、銀行はついに債権の回収は困難との判断を下し、2006年7月にはTribal Kicksにその旨を連絡した。
小室は8/1に銀行員と面会し、延滞分を8/3・11・31日に支払うことを約束して納得してもらったが、この約束が果たされない場合は法的措置を取ると告げられた。
いわば銀行からの最後通告であった。
小室はいよいよ追い詰められた。
8月の銀行への返済額は総額4000万円だったが、当時の印税収入は年間1億円程度(多くて月1000万円程度)の見込みであり、全額を支払うにはとても足りなかった。
このようにX-DAYを目前に控えた2006年7月、平根と木村は小室に、以前出資をお願いしたSという人物について伝えた。
2人はこれまでも何度かSと接触し、小室の持つ楽曲の著作権を担保として5億円の融資を依頼していた。
小室が著作権を担保として銀行から借金したことで追い詰められていたにもかかわらず、彼らはまた同じことをしようとしたわけである。
小室は改めてSに融資を求める。
Sはこれを断ったが、著作権自体には関心を持ち、著作権の購入ならば考えるという姿勢を示した。
これは印税受取の権利ではなく(Tribal KicksやTK Tracksへの著作権譲渡はこちら)、著作権自体の取得を意味するものだった。
そこで平根・木村は小室も連れて、7/30に東京の芝公園のホテルでSと面会し、10億円での著作権売却の約束を取り付けた。
後日、木村はSに電話して、まず1億5000万円を振り込んで欲しいと伝えた。
その期日は8/3だったが、これは銀行への最初の返済日を念頭に置いたものであろう。
だがSは、頭金を支払う前に合意書も交わすことを主張する。
そのため8/3の銀行への返済は、木村が立て替えた。
小室らは8/7にまたSと面会して話し合いを行ない、書類の件も含めてSと合意を得た。
なおこの時小室は、ピアノで作った「dependent」という曲のCDをSに渡した。
どういう曲かは不明だが、「Wow War Tonight」のサビの部分が入っていたという。
Sはこれを受けて、8/9に1億5000万円を、8/29に3億5000万円を振り込んだ。
それぞれ8/11・31の銀行への返済を意識したものだろう。
小室らはSに対して、10億円の内でまず5億円を振り込むように依頼していたが、2度の送金はこれに応じたものだった。
小室の印税は麻美によって差し押さえられているため、慰謝料・養育費の残額を一括で支払ってこれを解除し、Sに著作権を売却するという理屈だった。
5億円を一括払いすれば差し押さえを解除することが、麻美との間で合意できていると、小室は説明したという。
だがこれまで見てきたように、小室がSを頼ったのは、銀行や河野への借金返済のためだった。
実際にこの5億円は、銀行・河野や木村の立て替え分(1億5000万円)の返済に充てられて、たちまちなくなった。
当然麻美の差し押さえも解除されず、Sへの著作権移転も行なわれなかった。
そもそも806曲中の3曲の著作権使用料受領権はTribal Kicks、290曲はTK Tracksにすでに譲渡しているのであり、これらも再移転しない限り、Sは806曲分全部の印税を得ることはできない。
また印税の取得権だけならばともかく、小室の著作権自体はSONYやavex・R&Cなど音楽出版社に譲渡されており、小室がこれを売却することもできない。
この中で著作権が自分の手元にないことについて、小室は認識していなかったという。
一方で著作権使用料受領権の二重譲渡の問題については、すでに平根が問題を指摘していた。
だが木村は、Sに真実を知られた時には小室のビジネススキームを提示して納得させるか、または別の人から借金をして返済すればよいと主張した。
小室もこれに同意したが、完全にその場しのぎの詐欺行為である。
小室・木村はこのことによって後に詐欺罪容疑で刑事告訴されたが(犯行を主導したのは木村とされた)、これに反対した平根は不起訴となった。
もちろんSは著作権移転が実行されないことに気が付いた時点で、苦情を言ってくる。
木村は売却額の総額を10億円から7億円に減額することで一回Sを納得させたが、これも所詮は時間稼ぎに過ぎず、結局最後まで著作権は移転されなかった。
これが小室の逮捕へとつながっていくわけだが、その結末については後に回すことにして、次章ではこの前後の時期の小室の音楽活動について見ていきたい。
(2020/10/20執筆、2020/11/19・2021/4/14・12/10加筆)
この記事へのコメント
Opening: EXPO
01. 69/99
02. Screen of Life
MC
03. Still Love Her
04. Rainbow Rainbow (Dress Ver.)
05. Pale Shelter
06. 月はピアノに誘われて
―インターバル(Interval [CLASSIX1])―
07. フォークパビリオン
(馬~いつのまにか少女は~月の河)
08. メタルパビリオン
(Kickstart My Heart)
09. 浅倉大介ソロ (come closer)
―インターバル (nuworld)―
10. Children of the New Century
11. あの夏を忘れない
12. Gia Corm Fillippo Dia (inst.)
13. Castle in the Clouds
14. Alive
15. The Point of Lovers' Night
Enc. You Can Dance
Ending: Interval [CLASSIX2]
Get Wild退場
私も広島と福岡に行っていました。
広島はこじんまりとした感じでしたが、福岡はステージが高く、それだけで気分が盛り上がりました。
さて、誠に勝手ながら、今回の記事では、割とお役に立てたのではないかと思いましたwww
この時期の小室さんの動きは、とても暗いですね。FANKSとしても、最も辛い時期だったような気がします。現在の私は、当時の小室さんの年齢に近いのですが、私の方がお金持ちだと思いますwww
尚、芝の某ホテルについて、その頃私の知人が勤めており、小室さんが時々来ると話していました、、、
いずれにしても、何故こんなに借金を重ねなければならなくなったのかと思います。あとは、借金に追い回されても、ウツキネに借金を頼まなかったのは、友情なのか、見栄なのか、、、、
それにしても、見栄って怖いですね。以前コメント欄に書かせて頂きましたが、大分トリニータのスポンサーになる会見を行ったのは2004年6月9日でした。あの日、私は広島駅でTMが来るのを待ち続けていました。やっと現れたのはウツキネの二人だけで、何故小室さんがいないのだろうかと思いましたが、、、、
ということで、悪いニュースへの耐性のある私は、今後も楽しみにしています!!
寒くなってきましたのでお気を付けて!!
細かい話ですみません。
今回の記事を読んでふと思ったことをひとつだけ。
投資家Sの著作権の取得というのはそれまでに生活苦のために売り払いを
繰り返してきた著作権を返却の動きなのではと思いました。
それをSの手元に渡した時点でまた戻るべきところに戻ったかもしれません。
もっとも記事中にもありますが著作権使用権と著作権の権利の違いが
管理人さんが分かりやすくするどく書いていただいてますので
僕のいうことは憶測にすぎませんが・・・。
すみません。
ここのところ少し風邪と体力低下で塞ぎこむ日々です。
惑星さんやポコ太さん皆さんを嫌な気持ちにさせようとかそんな気持ちはないです。
黙っておけと思われるでしょうが少しでも気持ちを前に向けようと
ここのブログを楽しみにしてますし的外れですけどコメントもしています。
すみません。
皆さんも風邪等気を付けてくださいね。
また次の記事がとても楽しみです。
本当に読んでいて苦しくなってしまいました。
冒頭でご忠告頂いてるのに…
でも大好きだった人達だから知りたい。
この先は少しでも幸せだといいな。
この後、細木数子やらゴッドプロデューサーやら、更に胡散臭いのが絡んでくると思うと頭が痛くなりますね。
どうりでアルバムのSPEEDWAYでは懐古的で悲痛な歌詞ばかりしか書けなかったわけです。
このたびはご提供いただいた資料を参照させてもらいました。
一見どうでもいいような情報でも、何に使えるか分からないものです。
当時の小室さんよりも自分の方がお金持ち、たしかにそうです!
私も当時の小室さんより金持ちですよ。そういう発想はしていませんでしたが。
20億以上の負債を個人で抱えている人てそうはいないですよね。
あと芝のホテル情報、気になります。引き出し多いですね。
もちろん来ていたていうだけの話で、何をしていたのかまではその方も知らないのでしょうけど。
この頃の小室さん、何をやっても成果が出ないで負債が増え続けるだけという印象です。
これなら何もしないでコンビニでバイトでもしてた方がマシなんじゃないかという…。
本文には書いていないんですけど、個人的には2004年5月のROJAM株売却による収入がたちまち消えたのは何なんだろうと思います。
多分2002年以後では最大の現金収入だったと思うんですが(Sから受け取った額より多い)。
表に現れていない大口の借金返済でもあったんでしょうかね。
なんかここらへんで中抜きされているような気も…。
>?さん
avexが強硬措置を取らなかったのは、小室さんにとっては運が良かったと思いますよ。
2004年9月には松浦さんがクーデタでavexのトップに立ちますから、松浦さんの意向で多少温情が加えられていたのかもしれません。
>アイアムさん
ここでの「TM再開」は、記事冒頭にある通りTM NETWORK -REMASTER-の開催発表以後を指しています。
これはTMにとって、2004年6月以来3年ぶりの活動再開でした。
この時期の活動は詐欺事件との関連が語られることがないですが、私は関連を考えています。
これについて詳しくは次回か次々回で。
>Mさん
小室さんの著作権はTribal Kicks分もTK Tracks分も2008年の逮捕の時点で戻っていませんので、これらがSとのやりとり前後に戻されていたことは考えられません。
またTK Tracksは著作権を借金の代物として受け取っており、これを返却する動機はありませんので、小室さんが何を考えていたとしても、現実性はない話と考えます。
正直に言ってMさんのおっしゃるところが理解しきれていないのですが、以上で回答になっているでしょうか?
なおSが要求した著作権の内容については、小室さんの「罪と音楽」に拠っています。
体調がよろしくないとのこと、寒くなってきたこともありますし、どうぞお大事に。
>ミライさん
書いている方も、無心にならないとやっていられませんでした。
過去はともかく、これからは良い未来があるといいなというのは同感です。
未来は大丈夫なんでしょうかね。
>ケイティさん
この画像、むかつきますよね!
この部分については本当はもっといろいろ書きたいんですけど、誹謗中傷になっちゃいそうだし、結構自制しました(笑)
>秀さん
TM20周年の終わりは、たぶん2003年の年末には決まっていたんでしょうし、その後のglobe decadeも確定していたと思います。
どうせTMは一時お休みになっていたんでしょう。
一発逆転を目指してサッカー事業を考えて闇社会の住人を呼び込んじゃったのが没落の始まりだったのかな。
仮に借金がなくても、サッカー事業で成果が出そうな気は全然しませんでしたし。
いらん事せんと普通に貯金してたら・・・。
良い事ばっか言って持ち上げてくる人は疑わないと・・・。
もうやけっぱちになってた感じではある。
Get退勤の話題は明るい話題だけど、本人的にやる気プラス思考に最近なってきたのだったら良い事なんだけど、作曲家ランキングもあり筒美氏お亡くなりで触れない訳にいられなかったのかもだけど、触れない方が・・・。
感情的には分かるけど・・・。
其れがなくてもyahooにあがれば色々言われるのに・・・・。
言われる事ばかり気にしててもしょうがないのだけれど、小室氏の場合マイナス関連が多いから、、、
曲でも売れれば少しはマイナスな感じ静かになるのか?
やっぱりあの事件で書作権を売る、曲を売るというイメージが悪いんだろうな世間的には、版権を自分で持ってる人もいるけど、アレってレコード会社が管理かジャスラックだったか・・・。
小室氏も色々言いたいことはあるみたいだけど、秋元氏は色々知ってるみたいな事言ってたフォローという感じで、でも言えないみたいで・・・。何んでこんな事になってるのか知らなかったみたいな騙されたと思っている事もあるみたいだったから・・・。
ケイコの病名は言わない方が良かったんだろな、(結局其処の批判が多い批判してる人は)あの時点離婚する気は無かったからある意味これ以上追及しないでという文春に対してのメッセージがったのかも知れないけど、自分のこと含めこれだけの事言うからという・・・。
でも、ケイコサイドからやっぱ物言いが付き、じゃあもう離婚してという感じになったのかもね小室氏心情的には、ごちゃごちゃ修羅場とか嫌なんだろうし相手の意見より自分はこうしたいので不満があるならハイもういいです離れます的な、
女性に対して執着心なさそう、ある日突然違うなという感じで冷める。
だから結婚生活は向かない人だと思うなのにそういう形とるからこうなる様な、ある意味、内田裕也樹木希林夫妻じゃないけど、樹木希林みたいな人じゃないと駄目な様な、でもやっぱり色んな意味で自由じゃないと駄目な人なんだと思う。
そういう人に普通の人が思う幸せとはという感覚を常識を求めても駄目なんですよ。そいう事表に知られてる元彼女・妻は分からなかったのかな?
ケイコの事もまぁ復帰するからには何らか動くのではないかとおもっていたので
フォローも含め解決に向かってるみたいなんで良かったんじゃないかと、離婚という事になってもガチャガチャいらん事が出ない様解決して欲しいです。
結局、自分が変わらないと周り変えても状況変わらない事もある。
麻美さん色々あったにせよ、7カ月の結婚生活でその金額は強欲では・・・。
金額的に全然余裕あるのにテレビにまで出なくてもな・・・・。
当時確か養育費下げて欲しいという訴え出したのに相手の弁護士が強気だったのか
応じなくて揉めた印象・・・。
何であんな極端なことになったの?
だってあの結婚の時ぐらいにはCD売れなくなってたし、印税でって感じだったのに
そこ止められたらな・・・。
当時、井上公造が離婚が出た時揉めてた頃小室氏が麻美に対して結局お金なのかと
不信感というか頭にきてたみたいな事言ってな!
だから、もうゴチャゴチャ揉めたくない必要以上に金額でサッと別れたかったのかもな
子供にも会わない、ある意味の麻美に対しては当初から怒ってる様な感じがするんだよね。
トリニータが当時危機的状況を乗り切れたのは大分県スポーツ文化振興財団の融資に加えてマルハンがスポンサーになった事が大きかったように思われます。
身を粉にして、命を削ってまで働いて、全部人に持って行かれてますよ。
小室さんのおかげでどれだけの人が大金持ちになったことやら。
当時私は海外に住んでいたので報道など見ていないのですが、
日本では大騒ぎだったのでしょうね。
当時はこんなことになっているとは想像だにしませんでしたが、改めて振り返るとこの頃の小室さんは本当に地獄のような日々ですね。。
おまけに当時出演していたテレビ番組では、液晶テレビを沢山買っているとか、お金持ってるアピールをなおも継続していたと記憶しています。ホントどういう気持ちで小室さんは出ていたのか。本人の当時の気持ちを思うのと悲しくなります。小室さんも5~6年前までは芸能界一のお金持ちだったわけで、小室さん自身も短期間でこんなことになり、現状を受け入れられなかったのかもと思います。
今回の記事を拝見し、思ったのが現在の小室さんに入る印税ってどうなってるんでしょうかね。麻美への慰謝料と養育費は、おそらくもう返し終わっていると思うんですが、TK TracksとTribalKicksに譲渡した著作権使用料取得権は今現在も小室さんの元にはないのかな?と思いました。今現在の収入が今後の活動にも影響してくるかとは思うので。
芸術家の悪い面が出てしまったなぁという印象ですね。
音楽以外のことは何もわかってない、
言葉は悪いですが、音楽バカでしかなかったというか。
事件からの復帰以降もTKブーム再びという動きをしていましたが、
結局、大きなヒットはありませんでしたよね。
時代を読む、風を感じる能力は残っていなかったのか。
それは現在も同様で、
不倫騒動からの復帰以降も、
どうも世間とズレている考えのような気がしてなりません。
現在の音楽業界がおかれている状況を考えると、
もう小室哲哉を望んでいるのは
TMファンしかいない気がするのですがね。
30周年の時のムーブメントを思い出して欲しいです。
最もニーズのある、というか、このニーズしかないであろうTMに
残り少ない音楽人生を費やしてもいいんじゃないかなと思います。
30周年のときは飲み会に参加させて頂いたり、こちらのブログからたくさんの情報を教えて頂きました。
あれから5年。
いろいろな出来事がありましたね。
今回初めてSpin Offの東京公演に参加してみます。小室さんの取り巻きは、、、ですが、TMは葛G、べーあん、大ちゃんと音楽仲間に恵まれていますよね。
COVID-19の影響で、一人静かに参加して、一人静かに帰ります。。
また交流会や飲み会に参加してお話できる日が来るといいなと思います。
トリニータは県の財団の融資が得られていたんですね。
まあ県としても放置するわけにはいかなかったんでしょうね。
>サキコさん
必死に働いて得たお金が、なんだか分からないうちに全部なくなっちゃった感じですよね。
ミュージシャンの枠から出ようとする意欲が、よくない方に結実してしまったんですかね。
>ごんべさん
過去の失敗はどうしようもないので、今は小室さん自身がこの頃の失敗の経験を生かせてくれていればいいなと思います。
>NAOさん
早くから怪しい報道などはありましたけど、具体的な話が明らかになったのは逮捕後からでしたからね。テレビ出演の件も別章で触れますけど、あれも一つには「まだまだ大丈夫だ」ということをアピールする必要が融資獲得のためにも必要だったのかもしれません。
なお著作権の譲渡分は、もう小室さんに戻っているはずです。
>椎名さん
音楽バカでしかなかったというのは、たいていの人が感じていることでしょうね。
今も堅実に考えればTMをするのが一番成果が出るんだと思いますが、本人の望むところがそこではないならばどうしようもないですし、その内機が熟さないかなあと思いながら観察しています。
>しましまさん
どうもお久しぶりです。
30周年も、その5年前の状況から考えると夢のような日々でしたが、それから5年後にこんなことになっているとは想像していませんでしたね。
またTMのイベントなどで集まれると良いですね!
>avexは2005年に入って、おそらく小室が返済不能になることを見越して債券の回収に乗り出した。
この「債券」の部分は、「債権」のほうが正しいのでは?
おっしゃる通りです!
修正いたしました。どうもありがとうございます。
質問があります。
小室さんの逮捕に比べたら、些細なことなんですけど、
芸能事務所である「Tribal Kick」は木根さんが2004年まで所属していたとありますが、それ以降木根さんはどこに移ったのでしょう。
というか「IROAS」はマネージメントや芸能事務所的存在かと思っていましたが、違うのでしょうか。
あと、この時所属先を移られたのは、木村さんたちの出現と関係あるのでしょうかねー。
もし他のところで記述されいたら、申し訳ないのですが、ふと疑問に思いまして。
芸能関係に疎くて理解が悪くてすみません。
事務所はその後Little Bird、Tribal Kickと改称したようですが、木根さんは2005年頃にIROASに戻ります。
ただここらへんの所属関係の正確なところは、私もよく分からないです。
もしかしたら所属事務所は一貫してIROASだったけど、TK RISE及びその後継事務所がマネージメントを行なっていて、そのマネージメント契約が解除されたからIROASが前面に出てくるようになったのかもしれません。
どうなっているんでしょうね。
木根さんがこのタイミングでTribal Kickから離れた事情は私も知りたいところです。
ただ木村とかが現れるのと同時に離れるわけではなく、数カ月のタイムラグはあるので、そこらへんをどう考えるかですね。
ただこのことについては、木根さんも墓場まで持って行くと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=vvuGXmrJXkE
ちょうど、資金繰りに困っていた時ですね。
EXPOピアノなのにTM曲弾いてくれないなあと思って見ていました。