7-35 Welcome Back 2

2/6にニコ生で、特番「Tetsuya Komuro Music Festival」が生配信されます。
2/24リリース予定の「Digitalian is eating breakfast Special Edition」「tk-trap RE:2021」の販促企画です。
随分と中途半端な時期に特番をやるんですね。


放送は18:00~22:00の4時間に及び、番組内では「TK SONG 40 ランキング発表」が行なわれます。
otonanoのサイトでは、2/3まで好きな曲の投票を受け付けており(1人3票)、この集計結果を発表するというものです。
MCはクラムボンのミトさんとふくりゅうさんが務め、木根さん・DJ KOOさん・住吉美紀さんがゲストとして出演します。


1/23にはこの番組のプレ特番として、「Tetsuya Komuro Music Festival「TK SONG ランキング中間発表」」が放送されました。
2時間の予定でしたが、MCのミトさんが盛り上がり過ぎて、3時間半に及ぶ放送となりました。
小室さんも途中で電話出演し、2/6には出演する旨を約束してくれました。


ランキング中間発表では、上位30曲が発表されました。
現時点で残っているファンの数も反映しているのでしょうが、TMがやたらと多く、全体の1/3を占めていました。
上位10曲中の半分はTM曲で、1位は「Get Wild」です。


ランクインした曲は、「Get Wild」「Human System」「I am」「Self Control」「Beyond The Time」「Nights of the Knife」「Electric Prophet」「Be Together」「Alive」「We love the EARTH」の10曲となります。
これに小室さんソロ曲の「Running To Horizon」「Gravity of Love」「永遠と名づけてデイドリーム」「I Want You Back」と、渡辺美里さんに提供した「My Revolution」「悲しいね」を加えると、TMN「終了」以前の楽曲および30周年のTM楽曲で半分以上を占めることになります。


逆に一般に認知度が高い90年代プロデューサー期の楽曲は、あまり上位に食い込みませんでした。
上位10曲に入ったのは、7位の「Departures」と9位の「Faces Places」だけです。
globeはこの2曲の他に「Feel Like Dance」「Freedom」もランクインしましたが、trf・安室奈美恵・H jungle with t・華原朋美・篠原涼子は、それぞれ1曲だけでした。


その他の曲としては、乃木坂46「Route246」、Pandora「Be The One」、AAA「ダイジナコト」が入りました。
個人的にAAAは少々意外でした。


それにしてもTM曲の順位が、去年の「Gift from FANKS」の人気投票と結構違うのは興味深いです。
去年の投票の上位10曲は、「Still Love Her」「Self Control」「Get Wild」「Beyond The Time」「Human System」「I am」「Electric Prophet」「Resistance」「Nights of the Knife」「Fool On The Planet」だったのですが、この時に1位だった「Still Love Her」が今回はTM曲の10位以内にも入らなかったことになります。


前回はTMだけで1人10票だったのが、今回は小室楽曲全体で3票という投票数の違いが影響したのかもしれません。
たとえば「Get Wild」「Human System」は必ず最初かその次くらいに選ぶ曲だけど、「Still Love Her」は上位3曲に入るほどではないけど10曲選べるなら入れる、という感じの人が多かったとか。
ゲーム理論的に分析しても面白いかもしれません。


なお本件とは関わりませんが、木根さんは2/9日本テレビ「FUN!FUN!FANTASTICS」に出演します。
80~90年代のライブパフォーマンスについて語るようです。


では本題に入ります。

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木根によれば、2007年のTM最初の打ち合わせは、GWに行なわれた。
ウツ・木根は「Spin Off from TM 2007」の本公演を終え、追加公演4本を残すのみになっていた頃であり、小室はDJ TKのレコーディングの終了目前の頃だった。


「楽器フェア」の話は当初M-tresに来たものだったが、その後の新譜制作やライブの企画は、すべて小室が考えたものだった。
GW以前に決定していたことは、11月の「楽器フェア2007」出演だけだったと思われるが、小室は打ち合わせでアルバムの制作方針にまで話を進めた。
アルバムの話が出た以上、当然その前提になるシングルの話も出ただろう。


そしてそれらを「楽器フェア」に合わせて11月前後にリリースすることも決まったと思われる。
「楽器フェア」の後の11月末から12月にかけてはライブがさらに3本開催されたが、その計画および会場の仮押さえも行なわれたかもしれない。
タイミングとしてはすでに動くべき時期である。


TMの活動に関する具体的なプランは、6月から考えることになった。
おそらく6/8の「Spin Off from TM 2007」終演を待ってからということだろう。
木根は6/10に「talk & live 番外編 vol.7」の仙台公演が控えていたから、6/11以降に次のミーティングが行なわれたものと考えられる。


6月の打ち合わせの内容はよく分からない。
3人そろってのレコーディングはその後もしばらくはなかったようで、少なくとも記録の上で楽曲制作の情報が現れるようになるのは、3ヶ月後の9月からである。
木根はソロツアー「talk & live 番外編 vol.7」で、8/27までかなりの過密スケジュールで全国を回っていたから、TMの本格始動はその後からということだったのだろう(その後は9/8・28の東京公演のみ)。


木根は8月末に、近日中TMのレコーディングをすると発言している。
小室はその時点ですでにTM新曲のサビを作っていたというので、8月中に小室が曲を作り、月末に木根が動けるようになってから3人で楽曲制作に入るという手順だったのだろう。


それまでの小室は、翌年リリース予定のKCOのソロ曲を作っていたという。
ウツについてはよく分からないが、10/18発売のX-BOX 360のゲームソフト「ビューティフル塊魂」のオープニングテーマ「Katamari Dancing」は、この頃にレコーディングしたものかもしれない。


9月前半にはTMがレコーディングに入っていたことが確認できる。
ただ木根によれば、当初はなかなか作曲が進まなかったらしい。
9月後半にはシングル制作も大詰めに入ったようで、ドキュメンタリ映像「Kick Into Action」には、9/16のシングル曲のミーティングと9/24のレコーディングおよびトラックダウンの風景が収録されている。


その後はアルバム「SPEEDWAY」の完成に向けてレコーディングを続けたが、その最中の10/3には、TM NETWORK名義のMySpaceが開設された。
すでに小室は個人名義でMySpaceを活用していたが、TMの広報も年明けまではここを中心に行なうようになる(数ヶ月に過ぎなかったが)。
シングル曲「Welcome Back 2」「N43」の試聴音源も、リリース前にここで公開された。


この時のレコーディングには、特異な点があった。
大半の作業が小室自宅のTKCOM Studioで行なわれ、スタッフもほとんど入らなかったのである。
もちろんスタッフがまったく関与しなかったわけではないが、少なくとも楽器演奏や作詞・作曲・編曲は、ほとんど3人だけで行なった(例外はシングル曲「Welcome Back 2」のドラムのそうる透)。
作詞も小室みつ子には依頼せず、木根が担当した「N43」を除く全曲の作詞は小室哲哉が行なった。
2002~04年のように編曲の外注も行なわれなかった。


ウツは「なんか原点に戻った気がするんだ。3人で揃ってスタジオで何かをやるというようなことなんて長い間なかったから」と発言しており、小室も今までで一番楽しいレコーディングだったと言っている。
小室はレコーディングの時以外にも、ウツや木根に連日電話をかけて長電話していたといい、ウツは、こんなことはほとんど初めてだと言っている。
何年もの間殺伐とした世界に身を置き続けてきた小室としては、地獄のような現実から離れて友人と一緒に過ごせる時間は嬉しかったのかもしれない。


2004年の「Easy Listening」の時には、レコーディングで3人が集まることはなく、小室とウツ・木根は別のスタジオで作業を行なった。
2000年の「Major Turn-Round」の時も、小室は海外、ウツ・木根は日本にいて、別々に作業を行なっている(例外は、木根がアメリカのスタジオまで小室に会いにいった数日間くらい)。
これに対して2007年の楽曲は、3人が一緒になって作ったものだった。
3人の距離はそれまでと比べて、ぐっと近づいた印象を受ける。


以上のように、この時のレコーディングについては肯定的な側面から語られてきた。
木根は「震・電気じかけの預言者たち」に、この時の制作方針の3本柱として、SPEEDWAYの3rdアルバム・小室自宅でのレコーディング・3人での制作を挙げている。


だが実際には、レコーディングには問題もあったらしい。
ウツは2020/3/25のウェブラジオ特番「Gift from Fanks」で、「裏事情は大変だったから。レコーディングする場所がなくて、どうする?て感じだった」と発言している。
この発言を見る限り、3人での制作についてはともかく、小室自宅でのレコーディングには積極的な意味があったわけではなく、何らかの事情で外のスタジオが使えなくなったことにより、やむを得ず採った選択肢だったらしい。
木根も、本来レコーディングではウツが歌いやすい環境を整えるべきだが、ウツは小室自宅スタジオでの歌入れにも同意してくれた(つまりベストの環境ではなかった)ことを述べている。
これは美談で済ませるべき話ではなく、ウツが万全ではない環境を受け入れざるを得ない事情があったと考えるべきである。


TMはなぜ然るべきスタジオを使えなかったのだろうか。
仮に吉本やavexとの関係が悪くなってスタジオに出入り禁止になる事態があったとしても、すべてのスタジオが使えなくなるわけはない。
実際にアルバムの仕上げの段階では、ON AIR麻布スタジオと渋谷エピキュラスが用いられており、スタジオ側がTMを締めだしたとは考えがたい。
ならばTM側の事情で、あえて小室自宅のスタジオを使用したことになる。


制作上最適ではない選択肢を彼らが選んだとなれば、考えられる理由は予算の問題くらいである。
ただしウツも木根もソロやU_WAVEでは普通のスタジオでレコーディングを行なっており、それよりも売り上げが見込めるTMのレコーディングで制作費が出なかったのは、ますます不可解である。


あるいは小室の財政問題が制作費に関わっているのかもしれない(たとえば小室自宅スタジオを管理するTKCOMの問題など)。
スタジオにスタッフを極力入れず、スタジオミュージシャンをほとんど呼ばず、作詞・編曲の外注を行なわなかったのも、制作費削減が目的だったと考えれば単純に理解できる。
この点は詳しい事情が分からないのでこれ以上掘り下げないが、この時期のTM作品が万全の態勢下で制作されたわけではなかったことは確かと思う。


この時は最初に、リードシングルの楽曲がレコーディングされた。
以下、シングルの内容について見てみよう。
シングルのリリースは10/31で、「楽器フェア」開催直前の水曜日である。
オリコンのチャート集計日を勘案して、水曜日にリリースすることは規定路線だったのだろう。
シングルのリリースの告知は9月半ばで、11~12月の渋谷CCレモンホールおよび武道館のライブ開催の告知とセットで行なわれた。


シングルは5曲入りで、小室作詞・作曲の「Welcome Back 2」と木根作詞・作曲の「N43」および両曲の「TV Mix」、小室のインスト曲「Memories」が収録された。


CDリリース以前の10/4、TM NETWORKのMySpaceおよび吉本のサイトで「Welcome Back 2」「N43」の試聴音源が公開された。
また10/17にはiTunesで先行配信が行なわれ、吉本のサイトでも着うたの配信が行なわれた。
先行配信という試みは、すでに2000年にROJAMで行なわれていたものだが、この頃にはMySpaceやiTunesなどのプラットフォームが普及したことにより、容易に行なうことができるようになっていた。
音源配信が一般化した時代のTM最初の作品が、「Welcome Back 2」だった。


CDの成績は16位・1.4万枚で、前シングル「NETWORK™」の13位・2.8万枚から半減した。
この結果は、iTunesでの先行配信の影響も考えるべきだろうが、CD購入者と配信音源購入者を合計しても「NETWORK™」の成績よりはかなり落ち込んだと見られる。


本作のジャケットは、神か悪魔の顔が刻まれている岩壁の近くに、巨大な機械の要塞がそびえ立っている様子を描いたもので、歴代シングルの中でも特に荘厳な雰囲気を漂わせている。
これはGAINAX(当時)の佐々木洋が手掛けたイラストである。

7-35.jpg
シングルのジャケットは、このイラストの上部をトリミングしたもの(翌年のライブDVDジャケットでは下部をトリミング)


佐々木はかつて1988年に、「CAROL」のジャケットを担当したという縁がある。
このイラストについて、TM NETWORKのMySpaceに掲載された佐々木自身の構想解説を以下に引用しておこう。

洪水の終わりを迎えた機械の箱船は、
降り立つ樹を見つけた鳩を追い、再び動き出しました。
乾き始めた陸地に火を灯すべく、
炉には新しい薪がくべられ、踏み出す脚は泥濘の浅瀬を騒がせますが、
その轟音の中でも鳩の羽音は途切れることはなく、彼の主の居場所を告げ続けるのです。
それを心頼りに、鳩を追うものはただ一心と地平に歩を進めます。


この絵自体はかなり以前に描かれお蔵入りしていたものを、小室が見て採用したもので、「CAROL」「Welcome Back 2」のために描かれたものではない。
小室がこれを見た経緯は不明だが、この頃小室は「CAROL」続編の構想を立てていたので、その関係で佐々木に接触したものだろう。


シングル収録曲について触れよう。
何と言っても衝撃なのは、1曲目「Welcome Back 2」である。
そのサビの歌詞を、以下に引用する。

Welcome 2 Back 2 Back 2 the future mind
Self Control Human System Love The Earth
U don’t forget U don’t lost
Love TrainのPassenger
まぎれもない君だったんだね
Get Wild and Tough
今やっと解った奴らは Time To Count Down


冒頭では「future mindにおかえり」とリスナーに伝えている。
future mindはTM NETWORKの音楽を表現したもので、そこに帰ってきたのは、3年ぶりにTMの新曲を聞いたファンであろう。


曲名の「Welcome Back 2」はこの部分から取ったもので、「未来志向のTMの世界におかえり」という意味と考えられる。
「2」は「to」のもじりであり(後の部分では「for」の意味で「4」も使われる)、第2弾という意味ではない。
小室はかっこいいと思って使ったのかもしれないが、個人的には曲名は「Welcome Back」で良かったのではないかと思う。


自分としては歌詞の始まりの「Welcome 2 Back 2」が語呂としてもかっこ悪く聞こえるのだが、むしろリリース当時話題になったのはその後の、「Self Control Human System Love The Earth」という文字列である。
これらは言うまでもなくTMの楽曲名であり、「克己・人間関係・地球を愛する心というTMの示してきたメッセージを、君はまだ忘れていない(はずだ)」とでも言いたいのだろう。


その後の歌詞には「Love Train」「Passenger」「Get Wild」「Time To Count Down」の曲名が取り込まれる。
なお「Self Control~U don’t lost」のフレーズは曲の冒頭と2番サビで使われるもので、1番サビでは「Wild Heaven Just One Victory All-Right All-Night No Tears No Blood」となっている。
これは言うまでもなく、「Wild Heaven」「Just One Victory」「All-Right All-Night (No Tears No Blood)」の曲名を並べたものである。


「Welcome Back 2」のPVにはこの曲の推敲中の歌詞が映っている。
そこには「レッツダンス(Come on Let’s Dance)」「アクシデント」「Kiss You」「Time 2 Count Down」が候補として挙げられ、「今やっと解ったやつらはTime To Count Down」の部分は「~ほど■えていたのに」となっていたことが確認できる(■は見えず)。
TMの曲名を並べて歌詞にするという構想がまずあり、そこに入れる曲名を考えるという作業工程が分かる。


2004年の「Screen of Life」の「ですます」調の歌詞も、当時ファンの間で話題にされたが、この時はそれ以上にザワついた。
私自身、非常に動揺したことは、当時のブログに書いているし、今でも奇異な歌詞という評価は変わっていない。
小室としてはファンの意表を突こうとしたのだろうか。


歌詞の出来についてはここでは措くとして、以下では小室がこの歌詞で書きたかったことを確認してみたい。
この曲の歌詞はインパクト絶大なサビのために、歌詞本体がほとんど読まれていないと感じるからである。
曲は冒頭のサビの後、Aメロ・Bメロ・サビと展開する。
A・Bメロの歌詞は、TM(小室)のモノローグの形式である。
そこで語られるテーマを一言でいえば、TM再開に当たり戻ってきたファンとの再会と過去のTMの思い出である。


それをもっとも端的に示すのが1番Bメロの「1991 Thanks 4 My Memories 思い出話に花が咲く」の歌詞で、ここでは過去の思い出について感謝が述べられている。
その後に曲名が並べられるのも、TMの思い出として列挙されたものであり、ファンがその思い出をまだ忘れていないこと(「U don't forget U don't lost」)を、小室は喜んでいるのだと考えられる。


ところで1番Bメロ冒頭の「1991」という数字は、何の説明もなく突然登場するが、これが1991年を示していることは推測できよう。
この年には「Love Train」「EXPO」がリリースされたが、これをあえて取り上げる理由は不可解である。


もう一つの不可解な数字として、2番Aメロ冒頭の「やっと繋がったのはそれから4年後のこと」というものがある。
指示語である「それ」が冒頭に現れるという謎の文章のため、「それ」が何なのか分からず、理解しがたい文章である。
これを1番に登場した「1991」を指すものと見て、そのまま1991年の出来事とし、2番はその4年後の1995年を歌っていると考え、1995年デビューのglobeもしくはKEIKOの思い出を語っていると考える者もいるようだが、TMファンとの再会をテーマとした歌詞の解釈としてはありえない。


そこでもう少し歌詞を見ると、「それから4年後のこと」は直後で「ロンドンの街中が赤く染まった日のこと」と言い換えられている。
そしてそれは「やっと繋がった」時だった。
TMとロンドンの関係を考えれば、「ロンドンの街中が赤く染まった日」とは、小室がロンドンに移住して「CAROL」を制作した1988年以外にありえない。
これが「それから4年後のこと」なのだから、「それ」は1984年であり、TMがデビューした年となる。
つまりTMはデビューから4年後に、ロンドンで「CAROL」を制作し、そのことによって「やっと繋がった」のである。


「やっと繋がった」というフレーズは舌っ足らずであるが、おそらく「CAROL」によってファンがTMを知ったことを意味している。
つまり「CAROL」がTM史上で最大の売上となって、もっとも多くの人に知られたことを言っているのだろう。
TMはデビュー当時は誰にも知られていなかったが、「CAROL」のヒットによって広く知られるようになったというのが、この歌詞で語られるストーリーと考えられる。
もちろん実際にはTMは「CAROL」で一挙に知られたわけではないが、ここでは「CAROL」は、過去のTMの栄光の象徴として取り上げられているのだろう。


ここまで見れば、先ほど見た1番サビの「1991」の意味も見当が付く。
これは1991年のTMではなく、1991年の物語として構想され「A Day in a girl’s Life 1991」の副題を附した「CAROL」そのものを表しているのだろう。
この歌詞では、過去のTMの活動が「CAROL」という作品に集約されて語られているのである。


ところが小室は、先に進もうと焦り過ぎていたと反省もしていた。
そのことが、2番Bメロの「まだ何もかもが僕は早すぎて焦り過ぎていたのかもしれない」という歌詞で示される。
そこで小室は、「せめて赤い糸のようなもの(があればよいのに)」と言って、ファンとのつながりに救いを求める。


この歌詞で小室は、かつての栄光を振り返った上で、新しいことを始めようとして、ファンの想いをないがしろにしたことを後悔している。
Bメロ最後は「でも未来を示唆していたのかも」の一言で締められているが、これは現在の苦しい状態が、焦り過ぎた活動の必然的な結末だと言っているのだろう。
要するに小室は、過去を振り返った上で、今の状態を自業自得と自虐的に語りながらも、TMのファンに最後の救いを求めているのである。
これがこの時点での小室の心情を反映したものとすれば、小室がTMを再開させたのは、まさに絶望的な状況下で救いを求めてのことだったということになろう。


以上が「Welcome Back 2」の歌詞についてだが、曲についても触れよう。
シンセの重い音色やそうる透のドラムのため、曲は前シングル「Screen of Life」と比べるとロック的な雰囲気が強く感じられるが、小室はシンセが主メロのEDM的な作りであると言っている。
たしかにシンセの存在感は結構強い。
特にサビの部分のシンセの音色はかっこいいと思う。


ただ私は初めてこの曲を通して聞いた時、Aメロの展開が単調でつまらない曲だなあと感じた。
サビとその後の「Get Down」の部分のオケはそこそこかっこいいと思うのだが、あとの部分はいかにも取ってつけた感じが否めない。
サビは歌詞が微妙な一方で、Aメロは曲が微妙なので、どこも満点をつけがたい曲である。


実はこの曲は、テレビ番組のタイアップ曲のプレゼン用に、8月頃サビの部分だけを作っていたという(番組名は不明だがテレビのスポーツ番組だったらしい)。
おそらくサビだけ作ってから、Aメロ・Bメロを継ぎ足したのだろう。
Aメロのやっつけ感も、そこから来ているのかもしれない。


なお「Welcome Back 2」はこのプレゼンには落ちたが、11月からよみうりテレビの「今夜はシャンパリーノ」のエンディングテーマに採用された。
ただし例によってほとんど目立たない形で使われたので、タイアップ効果は皆無だったと思われる。


シングルにカップリングとして収録される「Welcome Back 2 (TV Mix)」では、サビで小室の歌をかなり濃厚に聴くことができる。
小室の歌のファンには、お勧めのテイクである。


またアルバム「SPEEDWAY」には、この曲が「1983 Edit」のバージョン名で収録されている。
シングル版がフェードアウトで終わるのに対し、「1983 Edit」はカットアウトで終わるという違いがあるが、アレンジが異なるわけではない。
カップリング曲「N43」も、アルバムには「1983 Edit」として収録されるが、シングル版との関係は「Welcome Back 2」と同様である。


先に言及したように、「Welcome Back 2」にはPVがあり、一時TM NETWORKのMySpaceで公開されていた。
これはレコーディング風景を編集したもので、曲も全体には及ばず、1番のみ2分程度のものである。
現在ではDVD「TM NETWORK -REMASTER-」通常盤のボーナストラックで見ることができる。


シングルカップリング曲に話題を移そう。
「N43」は木根が作詞・作曲したTM史上唯一の曲である。
木根が作曲した曲は以前からたくさんあったが、作詞はこれまで「Another Meeting」(作曲宇都宮隆)のみだった。
木根はこの頃ソロで自ら作詞・作曲を行なうようになっていたので、その成果を反映したものとも言える。


木根は小室から言われて、レコーディング以前から1人でデモテープ制作を行ない、小室に送っていた。
最初に送ったのは「N43」「Pride in the Wind」が入ったテープだったが、小室はこの中で「N43」を気に入り、シングルに採用することに決定した。
小室は後にもこれを名曲と言っている。


当初木根は作曲のみ行なうはずだったが、この曲を気に入った小室は、木根に作詞を勧めた。
「SPEEDWAY」収録曲中で、小室が作詞していない唯一の曲である。


歌詞のテーマは札幌である。
デビュー当初、プロモーションのために頻繁に札幌に通っていた頃のことを歌詞にしたものだった。
曲名の「N43」は、その頃通っていた札幌のラウンジの名前である(2021年現在もある)。


歌詞の内容は、N43での女性との思い出にまつわる実話を元にしているとのことである。
TMが札幌に頻繁に通ったのは1984年後半から1985年前半だから、その頃のことだろう。


「あの頃のこの僕は今頃のあの君と愛を語ることでW(Double)にはなれずに」という歌詞を見る限り、僕(木根)と相手の女性は結局一緒にはなれなかったらしい。
1番サビ「君が描いていた未来は」「初雪のように白いまま」の歌詞は、当時考えていた未来が実現されなかったことを意味している。
2番サビで過去の思い出を「引き裂かれた星座の中」と歌っているのも、2人が別れたことを示唆するものだろう。
娘の沙織(shao)が1987年生まれなので、木根の結婚は1985~86年頃と考えられ、「N43」の歌詞はそれを少し遡る頃のロマンチックな思い出を振り返ったものと考えられる。


当初この曲は、仮題を「White Room」と言った。
歌詞は小室との打ち合わせを経て何度か変更され、その最終段階に近い9/16に、曲名が「N43」と改められた。
「White Room」はN43の建物の白い外装を表現したものだろうが、白い雪が降り注ぐ日の出来事であることも示しているのだろう。


なおこの曲名は、木根は「エヌフォーティスリー」と読んでいた。
曲の中でもウツは「エヌフォーティースリー」と歌っている。
だが「楽器フェア」開催11日前の2007/10/22に放送された「DIGA Wonderful Street World」にTMがゲスト出演した時、木根がこの読みで曲紹介をしたところ、小室から意見がついて「エヌヨンジュウサン」と改められた。
別にどちらでも良い気がするが、札幌の店名は一応「エヌヨンジュウサン」らしい。


クレジットにはないが、この曲の歌詞には一部小室の手が加わっている。
小室が打ち合わせの過程で、クリスマスソングにすることを提案し、サビに手を加えたというのだ。
逆に言えば「N43」は、当初クリスマスの歌詞ではなかった。
TM3人は1984/12/24には東京にいたことが確認できるので、実際にも木根と女性がクリスマスにN43で会ったことはなかったはずである。
だが「N43」は小室の提案で、「Twinkle Night」「Leprechaun Christmas」「Dreams of Christmas」に続くTMのクリスマスソング第4弾となった。


歌詞の変更を細かく見ると、9/16時点では1番サビ冒頭が「いつも変わらないWhite Room 引き裂かれた星座の中」だったが、商品版では「何も変わらないsilent night 君が描き始めていた未来は」となっている。
「White Room」のタイトルが変更されたことに伴い、クリスマスをイメージさせる「silent night」の文言が入れられたのだろう。
2番サビ冒頭の「どこの街よりホワイトクリスマス 引き裂かれた星座の中」も、同様の修正が加えられた結果である可能性が高い。


この曲は全般的に、温かみのある電子ピアノの音色が印象に残る。
これは木根が弾いたものを小室が手直ししたものである。
ライブでもこの電子ピアノは木根が担当した。


「Major Turn-Round」「Easy Listening」では、木根はもっぱらバラードを担当しており、木根の非バラード曲は1999年の「80’s」以来となる。
軽快なオケと気持ちの良いメロディで、個人的に木根の魅力が出ている良曲と思う。
木根の非バラード曲の中では、「パノラマジック」と並んで私がもっとも好きな曲だ。


カップリング2曲目のインスト曲「Meories」は、作曲が「モデスト・ムソルグスキー/小室哲哉」となっている。
これは楽曲全体が「Pictures At An Exhibition(展覧会の絵)」のフレーズを元にしているからである。


ただここではムソルグスキーの名が挙げられているものの、小室にとってはむしろ、この曲をプログレッシブロックアレンジでライブ演奏したEmerson, Lake & Palmer(ELP)が意識されていたに違いない。
ELPのライブアルバム「Pictures At An Exhibition」(1971年リリース)は、小室が子供の頃にエレクトーンの先生から聞かせてもらったもので、初めて触れたロック作品でもあった。
それは小室にとって、過去のTMの思い出を振り返る「Welcome Back 2」や、TMデビュー当時を歌った「N43」以上の「原点」だった。
これが「Memories」と題されたのは、「Pictures At An Exhibition」が小室の音楽の原体験であるからにほかならない。


曲はシンセのみで制作されており、アレンジもトランス的な雰囲気を残している。
ELPによるプログレアレンジとは別のアプローチで、自分なりの「Pictures At An Exhibition」を作ってみたのだろう。
面白い試みだと思う。


なお「Memories」はアルバム「SPEEDWAY」に収録されなかった。
以後のオリジナルアルバムやベストアルバムにも収録されておらず、現在ではシングル「Welcome Back 2」のカップリング以外で聞くことはできない。
TM歴代の楽曲中でももっとも影の薄い曲の一つであろう。


以上3曲の内、「N43」は木根のソロライブで演奏された他、TMでは2007年の「TM NETWORK -REMASTER-」の横浜公演(楽器フェア)と武道館公演の合計3回演奏され、2022年に配信された「How Do You Crash It? three」でも演奏された。
「Memories」は、ごく一部が「TM NETWORK -REMASTER-」の横浜初日公演(2007/11/2)で一度演奏されたに過ぎない。


これに対して「Welcome Back 2」はシングル表題曲として、この時期の代表曲の位置を占めており、「TM NETWORK -REMASTER-」およびこれに続く「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!」で演奏された。
またウツは意外と気に入っているのか、「Tour timesmile」「Dragon The Carnival」など,ソロツアーでこの曲を演奏している。
実際にライブで聞くと、CDの時ほど歌詞に耳がいかないこともあり、それなりに盛り上がれる曲である。

この記事へのコメント

ジルラココ
2021年01月24日 08:58
小室さんにとっての長く苦しい時代のブログ(書く側の管理人さんにとっても辛買ったのだと思います……)を経て、ついにきた楽曲解説のブログ。
驚きとともに拝見しました。

「Welcome Back 2」の歌詞を、2007年以後の活動のテーマだった『CAROL』に基づいて読み解く、というのは、言われてみれば当たり前のことなんですが、今日まで私には思いつきませんでした。
こういうのを「目から鱗」というんだな……ありがとうございます。

私自身は、「それから4年後のこと」を、単純に小室さんの計算間違いと捉えていました。
「1991」の4年後を「1994」だと計算間違いした、と。
(小室さんの歌詞間違いは、有名なのだと「don't lost」などがありますが、スタッフはこういうのを注意・訂正していないんですね)
「君は日本のどこかでアンラッキーな日を過ごす」は、1994年の「終了」を嘆くファンの気持ちなのかなあと。
そして、その結果として今の自分がいる、という小室さんの悔恨なんじゃないかなと思っていました。
「飲んでカラオケで」も、当時の日本のカラオケ文化を言っているように思っていました。

つまりこの歌詞は、小室さんが自身の現在を見つめ直し、「プロデューサー期の始まり=1994年の終了」の始まりである1991年を大きなポイントとして捉え、「この時の自分の奢りが今の自分のつながっているのだが、そんな自分に今でも君たちファンがいてくれる」という内容なのだと思い込んでいました。

1991年のことを振り返って、
「どこか認めなかった あの頃 自分自身で
笑顔は隠し通せた 寂しさを強がった」
「1991まだ何もかもが
僕は早すぎて焦りすぎていたかもしれない
せめて赤い糸のようなもの
でも未来を示唆していたのかも」
と言っているのだなあ、と。

このリリースから10年以上を経て、こうやって歌詞の理解が深まるなんて、小室さんの「小室語」と、デビューから40年近くたってもこうして熱心に解説される管理人さんに、感謝です。
やまびこ
2021年01月24日 09:33
更新を有難うございます。昨夜は更新があるのではないかと期待していましたw さて、個人的には「Welcome Back 2」というか、この時期の曲、つまり「SPEEDWAY」は最も聞いていない作品になります。実は「Welcome Back 2」のPVが「Remaster」のDVDに入っていることも知らず、今しがた見たところですwww しかし、今回の記事を読んで、私はとても救われた気持ちになりました。まずは、実は私が最も好きな「CAROL」を基点にした歌詞であったこと。そして、「僕は早すぎて焦り過ぎていたのかもしれない」というくだりについては、惑星様の解釈の通りだとすると、まさに私のために作られたようなもので、「せめて赤い糸のようなもの(があればよいのに)」と救いを求めてくれているのであれば、それは大変に嬉しいことです。それにしても、この曲全般を貫く、悲しそうな曲調は、当時の小室さんの窮状が表れたもののような気がします。そして、当時先生の頭の中にあったCAROLの続編が、30周年で見事に結実したのは、喜ばしいことと思います。あとは、やはり、時間の流れというものを感じてしまいます。「Welcome Back 2」が出てから「Incubation Period」に至るまで以上の時間が、30周年以降に経過してしまったことに驚きます。
GAUZE
2021年01月24日 20:43
「Welcome Back 2」リリース当時は自分もおや?って思いましたが、ライブで聴いた時はそうる透さんのパワフルなドラムも相まって印象かガラッと変わりましたね。

惑星様の歌詞考察もお見事でした!。これであの意味不明な歌詞の色々な疑問が解けました。今でも“カラオケ“という言葉がしっくりこないな〜と思ってるのですが、1991年発売の「Love Train」がTMとしては珍しいカラオケを意識して作られた曲なのでそこに絡めると歌詞の流れが無理なく繋がりますね。

あと2014年の“QUIT30-Huge Data-“で「Still Love Her」の演奏終了後にLEDスクリーンに映された赤くライトアップされたロンドンのビッグベンを初めて観た時は“ロンドンの街中が赤く染まった日のこと“のフレーズを思い浮かべてしまいました。
青い惑星の愚か者
2021年01月28日 01:10
>ジルラココさん
you don't lostは突っ込むのもヤボかなあと思い、あえて放置しました。
それ以前の問題として、日本語が変ですからね…。
アンラッキーな日を過ごしているのは、94年の終了時に限らず、現在までずっと不満を抱いてきたファンかなと思っています。

「やっと繋がった」年=「それから4年後」=「ロンドンの街中が赤く染まった日」という関係は歌詞で明示されているので、歌詞で振り返られているのがいつのことなのかはここを基準にして考えるべきではないかというのが、私の考えです。

「1991」については、本文に書いた通り「CAROL -A Day in a Girl's Life 1991-」の物語の設定を前提にしており、1番Bメロの「1991 Thanks 4 My Memories」の箇所は、「CAROL」に代表される過去のTMの思い出を振り返っているのだと思うのですが、2番Bメロの「1991 まだ何もかもが僕は早すぎて焦りすぎていたかもしれない」のところは、実際の1991年に焦っていたことを反省しているとも読めますね。
いうなれば、物語の中の1991年と現実の1991年を1番と2番で語っているみたいな。


>やまびこさん
Welcome Back 2のPVは存在すらほとんど認識されていませんよね。
多分この曲をわざわざ探す人もあまりいませんし(笑)
「せめて赤い糸のようなもの」の下りは日本語としてもたどたどしく、色々と補わないと理解できませんが、ファンに救いを求めていたという読みは、同時期に作成していたSPEEDWAYの楽曲(特にACTIONやPride in the Wind)の歌詞を見ても、間違いはないと思っています。

CAROLを振り返る意識は21世紀になって折に触れて出ているように思います。
小室さんの中でTMの最大のアピールポイントはCAROLだという思いが高まっていたんだと思います。
この時のCAROL2の構想は多分2013~14年の活動に結実したと思うんですけど、2007年の時点ではどんな風にするつもりだったのか気になります。
多分しょぼくなったんじゃないかと思っていますが。


>GAUZEさん
そうるさんのドラムは、Welcome Back2に限らず、ActionやDivingなど他のSPEEDWAY楽曲もライブで魅力的にしてくれましたね。
Huge Dataの赤いビッグベン、そういえばそうでしたね。小室さんの中で、夕焼けというのはロンドンの原風景なのかもしれません。

飲んでカラオケで~の部分は、Love Trainのみに掛かる話と言うよりも、TMが活動を休止し終了してしまった後の状況を一般的に言っているのかなと思っています(カラオケが出るのは90年代を意識してのことでしょう)。
2番Aメロ前半「やっと繋がったのは~」は1988年にCAROLでファンと知り合えたこと、Aメロ後半「君は日本のどこかで~(カラオケ)」はその後音信不通になってファンを悲しませたこと、Bメロ「まだ何もかもが~」はそのような思いをさせてしまったことの反省と弁解という感じで理解できませんでしょうか。
2021年02月02日 23:54
Welcome Back 2のCDは特典欲しさに半ばヤケクソ気味に6枚も買った記憶があります。
当時の自分は余程TMに飢えていたのでしょう。
TSUTAYA、新星堂、タワレコ、HMV、山野楽器で配布された黒地に「TM NETWORK/Welcome Back 2」の文字がプリントされた簡素なクリアファイルが特典として5種類ありました。
違いは文字の色が各店で異なるだけなんですが、何故か意地になってコンプリートしてしまったのです。
山野楽器のみ通販がなく、楽器フェスの売店で購入した記憶があります。
更に、パシフィコ横浜のライブ会場で佐々木氏のジャケットイラストが使われたB2サイズポスターが特典で貰えたのでトドメの1枚を買いました。
その後、アルバムのSPEEDWAYでまた同じ様な行動をする事になるわけですが…。

曲名の羅列の歌詞は、当時の某掲示板で「夜の芝生でクレオパトラが一千一秒ファイティング」だの「Get Wild Heaven and Earth」などとネタにされてるのを見ては爆笑していたのを思い出しました。
当時の自分には、どうしてもWelcome Back 2の歌詞が受容れ難く、面白ネタにして憂さ晴らしするくらいしかなかったのだろうと思います。
それから13年経っても自分の中でWelcome Back 2は封印されたままでしたが、今回の管理人さんの歌詞考察は本当に目からウロコでした。
椎名
2021年02月06日 14:56
やはり皆さん、Back2の歌詞については思うところがあるようですね。
私も初めて聴いた時は、「遂に才能が枯れたか」と思いました。

管理人様の考察はとても興味深くお見事です。
仮にそうだとしたら、この曲は詞先で作るべきでしたね。
おそらく曲先なので、無理矢理詰め込んだように感じますし、
哲ちゃんがファンに伝えたいことをしっかりとした言葉や文にすべきだったなと。
haru
2021年02月06日 16:41
TMが3年振りに活動再開、待望のニューシングルのジャケットはかつて「CAROL」を手掛けた方によるもの、ということで大いに期待したんですが…。「WELCOME BACK 2」を聴いて何コレ?ガク―ッとうなだれた記憶があります。まぁ、その後TMや宇都宮さんのライブで何度か聴いて慣れてきたのか、これもアリかなと思うようにはなりました。

 「N43」は良かったです。R&C時代のオリジナル曲では一番かも?当時抱えていた事情は知りませんでしたが、それぞれの楽曲に対照的に出てしまったんですかね。

 「Memories」は完全オリジナルじゃないから何とも言えませんが、パシフィコ横浜で両日演奏したわけではなかったんですね。私は初日だけ見に行ったので、生で聴けて幸運でした。
青い惑星の愚か者
2021年02月14日 01:41
>秀さん
ホントにやけくそもいいとこですね(笑)。
飲んでカラオケで忘れようとしてください。

そういや私もWelcome Back 2のポスターを持っているのですが、どうやって入手したか覚えていないのです。
パシフィコ横浜で買ったのかなあ…?
まあこのポスターはかっこいいからいいんだけど。


>椎名さん
歌詞の詰め込み方を見るに、煮詰まりながら締切があったからこれで作ったのかなて思います。
当時のファンにも歌詞のメッセージは全然届いていなかったので、その意味でも歌詞の出来として最低レベルだったのかなと思います。


>haruさん
N43はいい曲ですね。またライブでやってくれてもいいんですが、クリスマス前後だとドリクリになっちゃうだろうし、演奏される可能性は低そうですね。
パシフィコ横浜は、初日と2日目で内容がマイナーチェンジしたんですよ。この辺りはまた近いうちに書きますね。

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