7-43 小室哲哉のグレート・リセット
世間はオリンピックで、そこそこ盛り上がっていました。
私はほとんど見ていませんでしたが、ちょくちょく「Get Wild」の話題が出たりしました。
試合前に聞いている選手がいたり、入場曲で使う選手がいたりしたそうで。
また宝塚歌劇の舞台版「シティハンター」が8/7に始まり、案の定「Get Wild」も歌われたそうですが、これもtwitterでトレンドに入りました。
なんか「Get Wild」は伝説の昭和の名曲みたいな位置になったんでしょうか?
無いとは思うけど、パラリンピック閉会式の最後にBGMで「Get Wild」が流れて「Get Wild」退出があったら面白いですね。
小室さんのTETSUYA KOMURO STUDIOは、8/13で第6回を迎えました。
今のところはちゃんとやってくれているようです。
7/16(第2回)の木根さん出演回では、木根ボーカルで「Girl Friend」「Remember Me?」を演奏した他、即興で2人で「Come on Let's Dance」「Electric Prophet」などを演奏してくれたそうです。
「Electric Prophet」、いつかもう一度ちゃんとしたのを聞きたいですね。
また第5回(8/6)には「あの夏を忘れない」を演奏したとのことです。
7/30、小室さんがLynx Eyesというユニットに提供した「#ALL FRIENDS」という曲のMVが公開されました。
楽曲自体は5月にイベントで発表されていたんですが、このブログではなんとなく今まで触れていませんでした。
どうやらアニメキャラが(つまり声優が)歌っているようです。
このたびこの曲が、スマホ向けゲーム「D4DJ Groovy Mix」に使用される曲として登録されたので、これと連動してMVも公開されたのだろうと思います。
このゲームでは去年から「WOW WAR TONIGHT」が使われており、小室さんもその時点で「次回はこのユニットにフィットした新曲もプレゼントできたら嬉しいですね」とコメントしていましたが、これが実現した形です。
D4DJの公式サイトから、「#ALL FRIENDS」に関する小室さんの(5月の)メッセージも転載しておきます。
ウツの秋ツアーのタイトルは、8/12に「TAKASHI UTSUNOMIYA Solo Tour 2021 U Mix」と発表されました。
「Mix」てのは、nishi-kenさんが過去曲のリミックスでもやるんでしょうか。
ウツとnishi-kenさんの他はバイオリン奏者1人がサポートするそうで、バンド形式ではない特殊なアレンジでの演奏になりそうです。
9/25・26公演のみFC先行予約の受付を行なうことが、8/12に発表されましたが(8/24まで)、え、まだFC予約やってなかったの?
今回は会場に観客を100%収容するそうですが、現在のコロナ感染拡大の中、これが実現できるかはなかなか微妙です。
チケットの販売が遅れたのも、開催可能か判断が微妙なところがあったからでしょう(状況次第では中止・延期の可能性ありとのアナウンスもあり)。
今回はロックバンドでの演奏ではないので、歓声なし・着席とかの観覧条件があるかもしれません。
最後に木根さんについて。
8/24にリリースされる氷川きよしさんのアルバム「You are you」に、木根さんが「生まれてきたら愛すればいい」「You are you」という曲を提供したそうです。
さらに「You are you」にはTMの「Seven Days War」と木根ソロ曲の「Reset」のカバーも収録されるとのこと。
なお「生まれてきたら愛すればいい」「Seven Days War」の編曲はnishi-kenさんです。
木根さんは2019年に氷川さんに「hug」という曲も提供しており(シングル「大丈夫/最上の船頭」のカップリング)、意外と親しいようです。
9/14リリースのシングル「Happy!」のカップリングにも、木根さん作曲の「WALK」が収録されます。
なお木根さんのレギュラーラジオ番組「夜ドン!」には、8/8と8/22に氷川さんがゲスト出演するそうです。
あと前回触れ損ねましたが(前回記事みーこさんコメントでご指摘)、木根さんは久保こーじさんプロデュースの#SAVE THE ARTISTプロジェクト名義のアルバム「Unshakeable」にも、「風になれたら」を提供していました(6/23リリース)。
関連インタビューはこちらです。
それでは本題に入ります。
ある意味で第7部最大のトピックが本章となります。
今回の話題は長引かせたくないので、長文になりますが一回で終わらせます。
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2008年の小室哲哉は、globeによるTM NETWORKカヴァーシングルも含め、TMを軸とした活動を行なっており、年末にはTM25周年企画を始動させる手はずとなっていた。
ところがその背後では、破滅の日が刻々と迫っていた。
小室は2006年8月、Tribal Kicks監査役の木村隆の提案に基づいて、投資家Sから5億円を詐取した。
その具体的な経緯は以前述べた。
小室はSに対して、自らの楽曲の著作権を10億円で売却する約束をしたが、これを実現するためには前妻吉田麻美に慰謝料・養育費を支払って著作権使用料(印税)の差し押さえを解除する必要があると説明し、これに必要な額として5億円を前払いさせたのである。
ところが実際にはこの5億円は、小室が木村隆に負っていた借金や、みずほコーポレート銀行・A.C.ホールディングス(山口組系)への借金返済に使われ、麻美には支払われなかった。
当然のこととして、Sへの著作権譲渡も実現しない。
またそもそも小室の著作権は制作時に音楽出版社に譲渡されており、小室は印税を受け取ってはいても著作権自体は所有していなかった(Sが要求したのは著作権使用料取得権ではなく著作権そのもの)。
だが小室はウソをついていることになることを自覚しながら、当座の金を得ることを優先して上記の詐欺を行なったと、後日大阪地検に供述している。
Sは著作権の移転が実行されないことについて小室や木村に問い合わせたところ、5億円を別の借金返済に使ってしまったことを小室側から聞かされた。
そこでSは2006年9月、5億円の返金を要求する。
小室側は総額を10億円から7億円に減額するなどの対応をするが、肝心の著作権移転が最後まで行なわれなかった以上、Sにとってはまったく意味がないことだった。
以後も続いた5億円の問い合わせに対して、小室のスタッフや代理人は、のらりくらりと時間を引き延ばした。
2007/2/15には、Sが主催する動物保護団体のウェブサイトに、小室が「犬と会話が出来ます」など不可解なメッセージを寄せたりもしているが、これもSの怒りを収めるための時間稼ぎだろう。
7/31には、自ら兵庫県芦屋のS宅を訪れて謝罪を行なうとともに、5億円返済の約束をしたが、その約束もやはり果たされることはなかった。
らちが明かないと考えたSは、8月になると小室の関係各所に電話をして、小室に返金させるように圧力をかけた。
これはTMの「SPEEDWAY」の制作準備を行なっていた頃のことだが、あるいは本作のレコーディングが遅れたのは、この件も関わっているのかもしれない。
Sの電話先には音楽関係会社や吉本興業の副社長などもあったが、小室は特に妻KCO(KEIKO)の実家の山田家に電話が来ることに悩んだらしい。
KCOの母はSから、大分県知事にも連絡すると言われて戸惑ったという。
山田家に入り浸っていた小室は、当時山田家に対して資金援助を行なうなど大盤振る舞いをする一方で、苦しいところは一切見せないようにしていた。
早い話が見栄を張り続けたかったということだが、そうした中で山田家に実際の窮乏を知られることは、もっとも避けたいところだっただろう(こういうところが本当にダメだと思うが)。
10月になると、Sは小室を詐欺罪で告訴すると言って、山田家や小室の事務所に電話をかけてきた。
小室はパニックに陥ったが、弁護士から「こちらからも訴えて、裁判を起こし、事態を止めましょう」と言われ、10月31日に機先を制してSを神戸地裁に告訴した。
返済する債務がないにも関わらず精神的苦痛を味わったと主張して、Sに名誉棄損による損害額として1億円の支払いを要求したのである。
黙らせるための訴訟という弁護士の提案は、いかにも堅気とは別の世界の住人の発想に見える。
この頃の小室の環境をうかがうことができよう。
小室に債務がないというのは不可解な主張だが、5億円はTribal Kicksとして借りたのであって、小室個人の債務ではないという理屈だろうか。
実際に小室は、自分では送金を受けていない(木村と平根が振込口座を管理し、5億円を借金返済に充てた)と裁判で主張していた。
小室が告訴した2007/10/31は、「SPEEDWAY」制作の大詰めの頃(すでに締切を超過)である。
この頃の小室は、連日「TM NETWORK -REMASTER-」のリハーサルスタジオと「SPEEDWAY」のレコーディングスタジオで働き詰めていた。
この頃の小室が訴訟のためにちゃんとした打ち合わせができたかは疑問もある。
訴訟を主導したのは、むしろスタッフ側だったのかもしれない(「それでいいからやっておいて」くらいの指示はしたかもしれないが)。
小室は逮捕された当初も何が問題だったのか理解していなかったと発言しており、詐欺当時も告訴時も、事態をあまり分かっていなかった可能性がある。
Sは小室からの訴訟に対し、自らも小室に逸失利益1億円を含む総額6億円の支払いを求める反訴を行なったが、少なくとも訴訟が続いている間は、Sも関係者への電話をかけることもできなかったから、小室へのプレッシャーは表面的には和らいだと思われる。
もちろんこの訴訟は、実際には問題の先送りどころか、自らの破滅を早める行動でしかなかったのだが、ともかく2007年11月からしばらくの間、小室は音楽活動にある程度専念することができただろう。
「TM NETWORK -REMASTER-」「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」は、そのような環境下で実現したものだった。
とはいえ小室はS以外にも各所に借金を負っており、破滅の窮地を脱したとは言え、自転車操業の状態に変わりはなかった。
たとえば小室が立ち上げたTKCOMは2006年9月、貿易事業を展開するある経営者との間に、子供服ブランドSheen KidZの販売代理店契約を結び、同ブランドの製品を1年間独占的に販売する権利を得たが、契約金20万ドルの支払いは先送りにした。
翌年には6万ドルを支払ったものの、それ以上の送金はしなかったため、この経営者は東京地裁に訴えて、2008年9月に小室の口座を差し押さえている(しかし口座の残高は6000円余りに過ぎなかったため、小室逮捕後に改めて告訴した)。
表に出ていない関係も含め、小室は同様の問題を各処に抱えていたと思われる。
納税にも事欠く状態だったようで、2008年4月には港区役所が滞納された地方税4000万円を取り立てるため、JASRACから支払われる印税の差し押さえを行なうに至る。
当時の小室の印税は差し押さえ分を含め2億円程度だったので、地方税の税率が所得の1割とすれば、地方税4000万円は2年間の滞納分(2006・2007年納付分)と考えられる。
2006年の小室は暴力団系の闇金融への返済に追われ、5億円詐取に手を染めるなど窮地に陥っていた。
この頃にはすでに税金すら支払う余裕もなくなっていたのだろう。
なお吉田麻美は2005年より、JASRACからの印税を年間1億円差し押さえる権利を認められていたが、上記区役所の差し押さえによって、印税の一部が麻美の手に渡らなくなった(税金の徴収は他の権利者よりも優先される)。
小室逮捕後の関係者の取り調べに当たり、麻美はこのことへの憤りを隠さなかった。
2006年に小室が追い詰められた一因は、小室の窮乏を2005年にメディアで暴露した麻美にもあるのだから、一面では自業自得なのだが。
こうして各方面で窮地に陥っていた小室に最終的なとどめを刺したのは、Sだった。
小室はSにふっかけた訴訟について、勝ち目がないと判断したのか、2008年7月に和解に応じてSの要求を呑み、遅延損害金を含む6億円超を9月末日までに支払うことに同意した。
だが実際に期日までに支払われたのは、900万円だけだった。
印税の差し押さえの状況を見るに、無い袖は振れない状態だったのだろうが、一方で900万円を支払ったのは、支払いの意志はあることを示すパフォーマンスでもあったのだろう。
こうして小室は10月を迎えた。
しかし小室側の思惑は外れる。
大阪地検が、本件を刑事事件として捜査を始めたのである。
問題になったのは、小室およびスタッフが5億円をSに振り込ませた時点で、著作権移転を行なうつもりがなかったのか否か、つまりSを騙す意図が初めからあったのか否かだった。
そしてもしもその意図があったのならば、詐欺罪として立件する見込みだった。
11/3、小室は検察から大阪に呼び出しを受けた。
小室によれば2泊3日で帰宅する予定で、ホテルを予約して2泊分の荷物を持って家を出たという。
そして一日ホテルの部屋で取り調べを受けた後、11/4の早朝に大阪地検特捜部によって逮捕され、大阪拘置所に送られた。
地検は当初から逮捕を前提として小室を呼び出したものだろうが、小室の発言を信じれば、小室は家を出た時点では逮捕されることを考えていなかったという。
逮捕に至るほどの事態に陥っているという自覚はなかったらしい。
ただしすでに10/31にはゴシップ誌で、小室が逮捕の見込みであることが取り上げられていた。
同じ日にはTMの打ち合わせが行なわれることになっていたが、ウツ・木根側(ウツの事務所M-tresか)は小室の事務所から「それどころではない」との連絡を受けたとのことなので、実際にはこの頃にはかなり緊迫した情勢だったと見てよさそうである。
だが小室はそんな中でも、11/1にNack5のラジオ特番に生出演して、globeのニューシングルの話などをしている。
11/2には小室とマネージメント契約を結んでいたイーミュージックが、11/4のウェブサイトリニューアルの予定を発表している。
この頃には小室の逮捕を見越して、サイト更新の準備を行なっていたのだろう。
11/4にはウェブサイトから小室とKCOの写真を削除した上で、小室とは8月を以てマネージメント契約を解除したことを発表した。
ただし小室が保釈されると、イーミュージックは今度は小室とKCOを所属ミュージシャンとして、写真をサイトに再掲載し、以後長期に渡ってまとわりつくようになる。
この頃イーミュージックは岡村博行(ゴットプロデューサーKAZUKI)という人物を雇い、小室逮捕後にメディア対応をさせている。
岡村は2004年に脅迫の容疑で逮捕された経歴があり、チンピラの類と見られるが、パチンコ関係の雑誌やゴシップ誌・スポーツ新聞などにエッセイや漫画(原作者)を単発で執筆したこともあり、メディア関係者につながりがあると考えられたのだろう。
ただし実際には見るも無残な文章力かつ企画力で、まったく戦力にならず、半年間無報酬で働かされた挙句、翌年3月に解雇された。
岡村は11/3に各処に連絡を取って根回しをしていたらしい。
その一つと見られる熱海市議の村山憲三宛てのメールが村山のブログに転載されているが、そこには「おそらく今日、緊急逮捕されると思います」と記されている。
さらに岡村は、小室の逮捕を見越して日本テレビ関係者を事務所に呼び、イーミュージックおよびエンパイアプレイミュージック(これ以前に小室との契約をめぐってイーミュージックともめていた)が被害者である旨を報道させるように仕向けたことも、村山に伝えている。
イーミュージックが、小室の逮捕が自分たちに飛び火しないように対策していたことが分かる。
イーミュージックは小室が自宅を出た11/3の時点で、小室がこのまま逮捕されることを予測していた。
他の関係者の多くも、同様の予測をしていたものと思われる。
だが小室自身は、逮捕を考えていなかったと述べている。
小室のこの発言に虚偽がないとすれば(この点でウソをつく必然性はあまり想定できないが)、いつもの小室の楽観主義のなせる業というべきか、またはスタッフから神輿として担がれながら現実の事態を知らされない裸の王様状態だったということなのか。
小室が逮捕された11/4から数日間、新聞やワイドショーでは、連日小室の動向が取り沙汰された。
SONYはTMの「The Singles 2」、avexはglobeの「Get Wild」のリリースの中止を、逮捕日に即日発表した。
globeについては既発売CDや配信音源の販売も停止され、ウェブサイトは閉鎖された。
当然それまで進めていたTM25周年企画も水の泡となった。
ウツと木根のスタッフは、TM25周年企画のキャンセルでてんてこ舞いだったと思われる。
小室は保釈後、すぐに木根やウツに連絡を取ったというが、自分のせいで25周年企画が台無しになったことを謝ったものだろう。
大阪拘置所では、11/4の逮捕から11/21までの17日間、連日小室の取り調べが続いた。
気になるのは、小室が初日に検事から言われたという話である(「罪と音楽」)。
小室なりにかみ砕いた説明だが、オール5の通知表で卒業したいなら(=自分の無実を主張するのなら)、今年の卒業(=2008年中の釈放)はできないし、その後も長く苦労しなくてはならないが、オール1で構わないならば(=事実関係を争わずに起訴事実を認める選択をすれば)、「卒業の見込み」(=拘置所からの早期釈放)もあり得るということだった。
要するに、早く拘留を終わらせたかったら、検察の起訴事実についていちいち抗弁せずに認めろと言うことである。
小室は少しでも早く拘置所から出ることを望み、オール1での卒業を選び、初日から検察の起訴事実を全面的に認めて供述を行なったという。
小室は自分が有罪か無罪かよりも、早く拘留の現状から脱却したかったのだ。
検察も当時、小室が取り調べに協力的だったことを述べている。
検察は逮捕以前にすでに捜査を行なっており、おおよその事態は把握していたはずである。
あとは証拠から推測される事実関係について、小室の証言を得て供述調書を作る作業となる。
早期釈放を望んだ小室は、仮に検察の想定に誤りがあり異議があったとしても、それを言うことで時間が費やされると判断すれば、わざわざ口にすることは多くなかっただろう。
小室の望みは真実の確定ではなく、早期の釈放だったのだから。
さらに以前別章で言及したことの繰り返しになるが、取り調べに当たった主任検事前田恒彦の問題もある。
前田は捜査方法に問題のある人物で、この2年後には自らが逮捕され有罪判決を受けている。
検察の想定する事件の構図に合わせるべく文書偽造を行なったことが発覚したためだった。
小室事件の取り調べについても同様の疑惑があったことを証言する関係者もおり、小室の供述調書作成において自らの想定したストーリーを優先させることがあったことは、十分に考えられる。
また小室の「罪と音楽」の21頁には以下のようにある。
小室は誰とどのような話をしたのかという類のことは回答できても、日付や金の流れについて詳細は分からないところもあった。
金の管理は木村や平根が行なっていたのだから、当然と言えば当然のことである。
しかし公判で読み上げられた供述調書は、小室が具体的な日付や金額に触れながら、事件の推移を述べる内容となっている。
そこに書かれている金の流れは何らかの裏付けがあると考えられるが、小室自身が本当にそれらすべてを認識していたのかは、相当疑ってかかるべきである。
なお詳細は触れないが、実は供述調書の中には、日付を遡って作成された書類の情報に基づき組み立てられている箇所が存在する。
こうしたことが起こるのは、検察が確保した証拠書類からストーリーを作り上げ、それを小室に認めさせるという手順が取られたからに他ならない。
本ブログではこれまで、公判記録を依拠資料の一つとして利用してきたし、その場合も、できる限り前後関係の検討や他資料での裏付けを行なうようにしている。
だが本件の背後に表には出ない(出せない)事情も存在することは、念頭に置くべきであろう。
本記事の内容もその点で、あくまでも事実の一側面でしかないし、あるいは実態とは異なる部分も含まれている可能性があることは、注意されたい。
以上のことは、以前「7-32 越えてしまった一線」の段で注意喚起をしたところだが、ここで改めて記しておくことにする。
なお2005~06年に小室に高利の融資を行なったA.C.ホールディングスの河野博晶(この返済問題が2006年の5億円詐取の直接の原因)は、小室事件の判決から半年余りを経た2009/12/2に、株式相場操縦の容疑で大阪府警に逮捕されている。
あるいは小室を取り調べる中で得た情報が活用されたのかもしれない。
さて、取り調べに従順な態度を示した小室は、11/21に3000万の保釈金を支払って保釈された。
すでに関係者への聴取も済んでおり、検察は同日に小室とTribal Kicks監査役の木村隆を起訴した(Tribak Kicks社長の平根昭彦は主導的立場になかったと判断されて不起訴)。
なお小室を特任教授としていた尚美学園大学は、この日小室を懲戒解雇した。
小室の保釈金はKCOが各所に連絡し用立てたもので、その一部はかつてのKCOの所属事務所アクシブの社長だったavex副社長千葉龍平が用意した。
千葉は小室の身元引受人にもなった。
小室とKCOはこれ以後半年近く、千葉の家の地下の部屋に間借りすることになる。
なお釈放の翌日は、小室とKCOの6度目の結婚記念日だった。
この日を夫婦で過ごせたことは、小室にとっていくらかの救いになっただろう。
千葉は小室が家に来た時、最初に「2人の関係が変わることがある。僕は教育者となる。悪いことは悪いといい、守れなければ出ていってもらう」と告げたという。
KCOに対しても、朝に起きて食事を作ることや、ジャンクフードではなく自然なものを食べるなど、生活の心構えを説いたという。
これ以前のKCOの生活態度が想像できる。
小室を救ったのは、実質的にはavex社長の松浦勝人と副社長の千葉だった。
この2人はこの頃、小室と疎遠な関係になっていた。
事の始まりは1997年の小室とavexの決別に遡り、90年代終わりには両者間で露骨な対立も見られた。
2000年頃には両者間で歩み寄りもあり、BALANCeのデビューやsong+nationの企画もあったが、プライベートでは昔のような関係に戻ることはなかったようである。
しかし11/4に小室逮捕の報道があると、松浦はavexで緊急会議を開き、役員を全員招集して、「何が理由であれ、小室がいなければ我々はここにきていない」として、小室を全面支援することを決定した。
千葉が小室の身元引受人になったのも、この決定が前提にある。
年が明けると、大阪地裁で裁判が始まった。
初公判(供述調書読み上げ)は1/21、第2回公判(証人尋問)は3/12、第3回公判(弁護人の最終弁論、被告人質問と被害者への証人尋問、検察の求刑)は4/23に開催され、結審となった。
裁判長は杉田宗久で、人情派として知られる人物だったが、それが小室にとって凶と出るか吉と出るかは、判決まで分からなかった。
小室は事実関係を争う意図はなかった。
そのため初公判では、検察が証拠として小室および関係者の供述調書を読み上げ、起訴事実の立証を行なった後も、小室の弁護人から異議を述べることはなかった。
第2回公判では、小室の情状証人が出廷した。
証人は松浦と千葉である。
2人は、音楽業界のトレンドは進行が早いため、刑務所に入り情報が得られなくなることは音楽プロデューサーにとって致命的であるとして、個人としてもavexとしても小室を支え、音楽を作る環境を与えることで更生させると述べ、情状酌量を求めた。
この公判は、後の判決に大きな意味を持つものだった。
小室が詐欺被害者Sに対して弁済を行なったことが明らかにされたのである。
もちろんそれは小室自身が支払ったものではない。
松浦勝人が肩代わりしたのである。
小室の保釈後、松浦は千葉宅で何度か小室と会い話をしたが、そんな中で小室は、ピアノを弾きたいという希望を告げてきた。
逮捕以来楽器を弾く機会がなかったことはつらかったのだろう。
松浦は小室を、avexが経営するピアノのあるレストランに閉店後に連れて行ったところ、小室は朝まで一心不乱にこのピアノを弾き続けた。
これ以後も小室は何度かそのピアノを弾きに行ったが、その様子を松浦は「骨董通りのピアニスト」と呼んだという。
松浦はピアノを弾く小室の姿を見て、一緒に音楽を作っていた頃のことを思い出し、改めて手助けをしようと思い、借金の肩代わりを決意したという。
松浦が小室の支援を当初から決めていたことは先に述べた通りで、金を出すことも想定していたはずだが、最終的な決断はこの時だったのだろう。
松浦は小室を信頼して、分割返済ではなく14年後の2023年に一括返済する条件で、借金を肩代わりすることにした。
小室はこれ以前に別のツテを通じて、Sへの弁済金の肩代わりをしてくれる人を探していたが、結局松浦に頼ることになった。
松浦は第2回公判2日前の2009/3/10、2008年7月の合意条件に基づく和解金(詐取金5億円+慰謝料1億円)に遅延損害金4800万円を合わせた6億4800万円を、Sの口座に振り込んだ。
だが示談を申し込んだ松浦に対し、Sは誠意が足りないと言って応じなかった。
松浦は「誠意」とはどういうことか代理人を通じて聞いたところ、「お金だ」と言われてショックを受けたと、公判で証言している。
要するに、金を上乗せして気持ちを示せと言うことで、およそ堅気の世界の住人とは思えない要求だったが、松浦がこれに応じることはなかった。
Sの小室への敵意は止むことがなかった。
初公判の後にはわざわざ自ら検察に手紙を送り、「第1回公判の感想ですが、当方は失望と怒りを覚えた。小室被告の服装もノーネクタイだし、あいまいな発言だった。本当に反省しているのか」と伝えたことが、検察によって明かされている。
服装のマナーや発言の曖昧さなどはどうとでも文句が付けられるものであるし、そのことをわざわざ検察に伝えることの意味も分からないが、小室を徹底的に追及して欲しいという感情だけは伝わってくる。
なお小室は第2回公判後にSに手紙を送っている。
その内容は、以下のようなものだった。
金を振り込んでも示談に応じてもらえなかったことを受け、改めて小室自ら謝罪したというところだろう。
謝罪文としては言葉が不足しているようにも感じるが、それだけに小室が自らの言葉で書いた文章であることがうかがわれる。
だがSはこれを受け取ることはなかった。
第3回公判の証人尋問でも、Sは小室の不実や自らが被った被害を訴えた上で、「小室さんの真人間としての復帰を第一に考え、厳正な判決をしてくれれば幸いです」と述べた。
ただSが述べた「被害」には、言いがかりとしか言えないものも少なくない。
たとえばavexの関連会社が運営している動画サイト(ニコニコ動画)に、自分に疑惑を向ける動画が投稿されたことを挙げて、松浦・千葉がその動画の公開に関わっていると主張したことなどは、完全に妄想というべきだろう。
そもそもニコニコ動画を運営するドワンゴはavexと資本業務提携をしているだけであり、「関連会社」というのは誇張である。
実際に判決に当たっても、この主張は「関与不明」として退けられた。
Sが正常な判断ができないほど感情的になっていたのか、あるいは裁判官に悪印象を与えるための意図的な批判だったのか、どちらかと考えざるを得ない。
なおSの証人尋問が終わった後、杉田裁判長は気の利いた対応を行なった。
小室に対して、「せっかく(Sが)お忙しいなか来てくれているのだから、何か話したいことはありますか」と言って、Sと話す機会を与えたのである。
この日、Sの証人尋問の前に行なわれた小室への被告人質問の時、小室が被害者に謝罪したいので、どうしたらよいのか考えていると述べる場面があった。
杉田はこれを踏まえて、小室に謝罪の機会を提供したのである。
小室はここで、本人に直接謝罪することができた(謝罪した既成事実を作ることができた)。
もっともSはこれで終わらせることは不本意だったようで、「本当に久しぶりなので私の方からも話させてください」と言って、自らも発言を行なった。
その発言は以下のようなもので、要するに許さないから実刑を受けて来いということだった。
このように、小室は被害者の許しを得ることはできなかったものの、謝罪の意志を裁判官の面前で示したことは、形式的ではあるが意味があることだっただろう。
以上の手続きを経た上で検察から示された求刑は、懲役5年の実刑だった。
巨額の詐欺事件を犯したこと自体は小室も認めており、裁判の焦点は小室が執行猶予を得られるか否かにあった。
木根を含む小室の関係者やファン6000人からは、減刑嘆願書も提出された。
小室にとって有利だったのは、何と言っても詐取金や慰謝料を弁済したことである。
また今後の音楽活動における万全なサポート体制を確保していることも、有利な条件であった。
一方でSが小室を最後まで許さなかったという不利な条件もあったが、小室から謝罪の意を示すことができたことは、その不利を多少とも薄める効果があったと思われる。
以上3回の公判を踏まえた判決が大阪で言い渡されたのは、5/11のことだった。
通常の裁判では、量刑を伝える判決の主文を言い渡した上で、判決理由を述べる手順を取るが、この時杉田裁判長は主文言い渡しを後に回し、判決理由から述べる異例の形式を取った。
判決理由の読み上げでは、主犯が小室ではなく木村隆であることを認めた上で、
などと述べられた。
小室からすれば、時間とともに絶望が高まっていったに違いない。
実際に小室自身、この時は実刑を覚悟したと言っている。
ただ判決理由読み上げの後半になると、次第に雲行きが変わってくる。
さらに裁判長は、小室の真摯な反省およびSへの直接の謝罪などにも言及した上で、「被告人を懲役3年に処する。この判決確定の日から5年間、刑の執行を猶予する」という判決主文を読み上げた。
小室は望み通りに、執行猶予を獲得したのである。
この時の杉田裁判長は、小室への教育的指導の意味も込めて、実刑判決の可能性を脳裏によぎらせて反省させる形で、判決文を読み上げたのだろう。
その後の杉田の人間味あふれる発言の様子を、当時の産経ニュースの記事から抜粋しておく。
ここには書かれていないが、小室はこの言葉に対して涙声で「分かりました」と答えたという。
小室は法廷から退出して1時間後、大阪弁護士会館で記者会見を行なった。
小室は冒頭で謝罪の言葉を述べて深々と頭を下げ、記者からの質問を受け付けた。
最初に今の気持ちを聞かれた時は、「判決を心から真摯に受け止めて、これから人生を歩んでいきたいと思います」と述べた。
小室はこの後、記者からつるし上げにあうことを覚悟していたが、意外と「今後」のことを多く聞かれたので、ありがたく思ったという。
「ファンの皆さんの気持ちをこれ以上裏切ってはいけない。小室哲哉の音楽を一回でも好きになってよかったと今後思えるようにしなければと感じました」と述べたところでは、涙ぐむ場面も見られた。
小室はSに対してとともに、何十年も自分の曲を聴いてくれたファンに対しても、申し訳ないと思う気持ちを述べた。
その上でファンの気持ちや松浦・千葉の恩に報いるためにも、音楽活動で再起したいと語った。
この段階では必ずしも頭の整理はできていなかっただろうが、音楽を続けられることは本当に嬉しかったようで、「正直すごく働きたいです。ああ、これで音楽をやらしていただけるのか、働けるのか、というのが率直な気持ちです」という言葉などは、真実味を感じられる。
会見を終えた小室は、飛行機に乗って東京に向かった。
昨夜から一睡もしていなかったため、千葉宅に戻った後はベッドに倒れ込んだという。
検察が高裁に控訴する可能性はなお残っていたが、控訴期限日の5/25には、検察が控訴の意向がないことを発表した(Sによる民事裁判ならば控訴されていただろうから、この場合は刑事だったのが幸いした)。
こうしてこの日の午後、小室の執行猶予付き有罪判決は確定を見たのである。
その数日後、小室はKCOとともに千葉宅から出て、仮住まいに引っ越した。
なお小室とともに起訴された木村隆については、なぜか裁判の開始が遅れ、初公判は2009/9/17になった。
Sは木村隆からは慰謝料を受け取り、示談に応じている。
主犯は木村だったのに、こちらは許すとは、なんとも不思議な話である。
裁判長は小室と同じく杉田が担当し、10/21に懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の判決を言い渡した。
小室よりも刑が軽かったのは、示談成立によるものか。
小室は判決が出てから、減刑嘆願書を書いてくれた人々に礼状を出して感謝の意を伝えるとともに、avexの下で音楽制作の準備に取り掛かった。
avexとの間には専属契約を結び、7/13には初めて楽曲制作のためにスタジオに入った。
8/1には個人事務所a-nineを設立した。
社長の大竹登はavexの関係者で、千葉の親友だった。
もともと小室の世話をしていた人物でもあり、2008年の逮捕前にも小室と関わっていたことから、この人選になったものだろう。
小室の個人事務所Tribal Kickや小室の友人喜多村豊のTK Tracksに移していた著作権使用料取得権も、小室の元に戻された。
a-nineのaは、avexのイベント名a-nationと同様に、avexを意味するものと考えられる。
小室がavexの管理下で音楽活動を始めたことを象徴する事務所名でもあった。
nine(9)は設立年の2009年を意味しているが、a-nine(a9)で「A級」「永久」という語呂合わせも行なわれた。
さらに小室が好きなadd9というコードも意識していたという。
小室は保釈中の半年間、ピアノを弾くことはあっても、楽曲制作を行なうことのできる精神状態ではなかったが、ここにようやく音楽活動の構想を練りだした。
当初小室が提示したのは、a-nine feat. 〇〇の形でavexミュージシャンとのコラボ楽曲を50曲同時にリリースするというプランだった。
この計画は当時も無茶な印象を受けたし、実際に実現しなかったものの、avex所属のプロデューサー・ミュージシャンとして、avexを核に活動するという基本方針があったことがうかがうことができる。
小室によれば、判決後の早い時点で作曲の依頼があったという。
「My Revolution」「Get Wild」「Departures」を超える曲が欲しいという注文だった。
小室はこの依頼にプレッシャーを感じたが、これを引き受けた。
おそらくこれは、やしきたかじんの依頼である。
たかじんが小室に作曲の依頼をしたという報道が、2009/7/1に出ている(作詞は秋元康に依頼)。
「My Revolution」などを超える楽曲というハッパのかけ方も、いかにも大物の依頼の空気が漂っている。
たかじんはかつて小室を大っぴらに批判していたが、詐欺事件の経緯を見て、復帰への助け舟を出したものと考えられる。
ただしこの依頼の話は、年末まで公表されなかった。
この依頼に基づいて制作されたのが「その時の空」で、2010/11/24にリリースされた。
カバー曲を除けば、12年ぶりのたかじんの新曲であり、また最後のシングルでもあった。
2009/8/1には発売が中止されていたTM NETWORK「The Singles 2」が、9/30にリリースされることが発表された。
5月末の小室の刑確定を受けて、6~7月にSONYで決定されたものと見られる。
小室の判決が確定したことで、メーカー側の自粛も次第に緩められていく方向に向かったらしい。
ただ過去音源のリリースと比べ、本人の活動の再開はさらにハードルが高かったはずである。
巨額詐欺という大事件を引き起こした後だけに、その活動に批判が寄せられることは目に見えており、小室の復活劇は慎重に進められた。
しかし長期間活動をしないのも、音楽家としての勘を鈍らせることになりかねない。
2009年後半の小室は早期の活動実現のために、世間の様子を見ながら活動を徐々に再開させていった。
その最初の狼煙となったのは、8/22に東京の味の素スタジアムで開催されたavex主催の夏フェス「a-nation ‘09」だった。
事前告知はなかったものの、この時サプライズゲストとして小室が出演したのである。
小室はピアノで「Departures」「Sweet 19 Blues」「Get Wild」「Seven Days War」などを披露した。
1年前にglobeとして出演した「a-nation ‘08」以来のステージだった。
その後小室は立ち上がり、38秒間もの間お辞儀した後、観客に向けて以下のように述べた。
小室の発言が終わると、KCOとMarc Pantherがステージに現れる。
再集結したglobeの3人のパフォーマンスが始まった。
1曲目「Face」は、歌詞で気持ちを伝えようとしたものだろうか。
2曲目「Many Classic Moments」は「Face」と比べると知名度が落ちるが、この頃の小室や松浦が傑作として評価していたことにより選ばれたのだろう。
この曲も、歌詞で自分の気持ちを伝えようとしたものかもしれない。
globeは以上2曲の演奏を終えると、3人でお辞儀をして退場した。
小室はその後のTRFのステージでも呼び出されて、最後の「survival dAnce」でキーボードを演奏した。
TRFと小室のステージ上での共演は、何年ぶりのことだっただろうか。
YUKIは涙声でこの曲を歌いあげ、SAMは小室の肩を抱いて、一緒にステージに上がれたことを喜んだ。

小室はさらに8/30に大阪長居スタジアムで開催された「a-nation ‘09」最終公演にもゲスト出演した。
この時もピアノソロとglobeの演奏を披露した。
「a-nation」の小室出演は、小室の復帰を象徴するものだった。
浅倉大介はこの予定を事前に知っていたと見え、「a-nation」東京公演と同日にお台場潮風公園で開催されたガンダムイベント「DA METAVERSE 'n' GUNDAM」で、DJとしてTMの「Beyond The Time」をトランスバージョンにして流したという。
それまで、さぞかし小室を心配していたに違いない。
小室が「a-nation」東京公演で復帰を果たすと、avexはその終演後に会場で、小室逮捕後停止していたglobe楽曲の配信を再開することを告知した。
2008年11月リリース予定だったglobe版「Get Wild」も、配信が始まった。
なお東京公演の小室・globeの様子は、avexが運営する携帯電話向けサービスBeeTVで独占配信された。
こうして小室は判決後3ヶ月で、2009年8月に復帰を果たした。
もちろんこれには早すぎるという批判が寄せられる可能性もあった。
avexもその可能性を考え、自ら主宰するイベントでのサプライズゲストという扱いで復帰させたと考えられる。
数万人規模の会場は復帰宣言の舞台としては最良であり、よくできた復帰プランでもあった。
メディアでもこの復帰は、おおむね好意的にとらえられた。
おそらくavexは、「a-nation」後の世間の反応をうかがった上で、小室の復帰を進めることができると判断したのだろう。
9/16には幻冬舎から、小室のエッセイ「罪と音楽」が刊行された。
この本は8月にはすでに刊行準備が整っていたはずだが、刊行は発売日直前になって発表され、宣伝はまったく行なわれなかった。
批判的な意見が噴出するのを避けるためだろうが、avexがいかに慎重にことを運ぼうとしていたかうかがわれる。
小室は本書で自ら事件に至る経緯を語るとともに、これまでの音楽活動を振り返り、最後にはa-nineを拠点とした今後の構想にも言及している。
自らの起こした事件について説明を行なって、すべての過ちを洗いざらいさらすことによって、次の活動に進むステップとしようとしたものと考えられる。
本書の刊行に当たっては、小室がワイドショーのインタビューに応じた(9/16「とくダネ!」など)。
これが逮捕後初の小室のTV出演となる。
9/23には銀座の福家書店、9/26には有楽町の三省堂書店で、小室のサイン会が開かれた。
そこでも小室は、改めてメディアの取材に応じるとともに、来場したファンに対しても一人一人言葉を交わして、再起の気持ちを伝えた。
サインのデザインも新しいものに変わったが、これは気持ちを一新したことを示したものだろう。
11/13には、新木場ageHaで開催されたavex主催のクラブイベント「HOUSE NATION Fiesta」に出演した。
この時はサプライズゲストではなく、事前に出演が告知されている。
小室の音楽活動のハードルも、次第に下がってきたということだろう。
小室は深夜に登場し、ライブとDJプレイを組み合わせたパフォーマンスを披露した。
おそらくDJ TK時代も同様のパフォーマンスだったのだろうが、この形態は2010年以後にも受け継がれる。
時間は45分程度で、プレイ楽曲は「Speed TK-Remix」「Self Control」「Love Again」「Wow War Tonight」「Many Classic Moments」などだった。
なおこのイベントでは、別の時間に鈴木亜美(もと鈴木あみ)もDJとして出演し、最後は自ら「Be Together」を歌った。
小室と直接話すことがあったかは不明だが、小室・亜美が久しぶりに同じ会場に現れた日だった。
その他、avex関連の仕事では、12月某日に音楽講座「avex artist academy」で、ゲスト講師として講義を行なっている。
尚美学園での授業体験も生かされたことだろう。
これまで小室は、記者会見、「a-nation」、「罪と音楽」、サイン会などで、何度も謝罪の意を示しながら、新たな活動を行なうための地ならしを続けてきた。
この流れの最後に位置するのが、12/20放送のフジテレビ「芸能界の告白特別編」への出演である。
この番組では小室哲哉をゲストに迎え、1時間以上の時間をかけて事件の経緯を追った。
番組は「罪と音楽」の筋書きに沿って小室の行なってきたことを明らかにし、小室自身も反省の弁を何度も述べた。
松浦勝人のコメント映像も流されたが、かつての小室の不義理を非難するなど、必ずしも全面的に擁護していなかった。
もちろん小室の反省や小室への非難だけがこの番組の目的ではない。
それを踏まえた上で、小室は音楽の仕事を続けていきたいと強く世間に訴えたのである。
松浦も最終的には、小室にいつまでもクリエイターでい続けて、良い曲を書いてもらいたいと述べている。
要するに小室・avex側の意図は、過去の過ちを認めて反省するから、音楽活動を再開したいという意志を、番組を通じて世間の人々に伝えることだった。
司会のみのもんたも最後には小室に激励の言葉をかけた。
番組の締めくくりは、小室の「Feel Like Dance」「Wow War Tonight」のピアノ演奏だった。
あくまでも小室の音楽家としての印象を残す番組構成だった。
この年末の特番を持って、小室のミソギ期間は終わったと考えられる。
番組放送の翌週、12/26には、小室が先述のやしきたかじんの作曲依頼を引き受けたことが公表された。
さらに年が明けて2010年になると、avexは小室の音楽活動の予定を次々と発表するようになる。
逮捕と有罪判決という大きな代償を払いつつ、小室はグレート・リセットを行なって環境を一新した。
小室の音楽活動は、ここに新しい段階に入った。
そしてTM NETWORKの次の活動も、その中で実現することになるのである。

罪と音楽 - 小室 哲哉
私はほとんど見ていませんでしたが、ちょくちょく「Get Wild」の話題が出たりしました。
試合前に聞いている選手がいたり、入場曲で使う選手がいたりしたそうで。
また宝塚歌劇の舞台版「シティハンター」が8/7に始まり、案の定「Get Wild」も歌われたそうですが、これもtwitterでトレンドに入りました。
なんか「Get Wild」は伝説の昭和の名曲みたいな位置になったんでしょうか?
無いとは思うけど、パラリンピック閉会式の最後にBGMで「Get Wild」が流れて「Get Wild」退出があったら面白いですね。
小室さんのTETSUYA KOMURO STUDIOは、8/13で第6回を迎えました。
今のところはちゃんとやってくれているようです。
7/16(第2回)の木根さん出演回では、木根ボーカルで「Girl Friend」「Remember Me?」を演奏した他、即興で2人で「Come on Let's Dance」「Electric Prophet」などを演奏してくれたそうです。
「Electric Prophet」、いつかもう一度ちゃんとしたのを聞きたいですね。
また第5回(8/6)には「あの夏を忘れない」を演奏したとのことです。
7/30、小室さんがLynx Eyesというユニットに提供した「#ALL FRIENDS」という曲のMVが公開されました。
楽曲自体は5月にイベントで発表されていたんですが、このブログではなんとなく今まで触れていませんでした。
どうやらアニメキャラが(つまり声優が)歌っているようです。
このたびこの曲が、スマホ向けゲーム「D4DJ Groovy Mix」に使用される曲として登録されたので、これと連動してMVも公開されたのだろうと思います。
このゲームでは去年から「WOW WAR TONIGHT」が使われており、小室さんもその時点で「次回はこのユニットにフィットした新曲もプレゼントできたら嬉しいですね」とコメントしていましたが、これが実現した形です。
D4DJの公式サイトから、「#ALL FRIENDS」に関する小室さんの(5月の)メッセージも転載しておきます。
僕が生み出した過去の楽曲を大切に歌ってくれてありがとうございます。
当時の世の中と今とは違っているとは思いますが、「音楽」という繋がりで、過去と未来を結んで皆んなで一つになっていく事はとても素晴らしい事だと思います。
今回D4DJで新曲を作詞.作曲しました。
歌唱力のあるRaychellとドラマーのひなんちゅがDJ&RAPのこのユニット「Lynx Eyes」に表現してもらう為に作りました。
人と人との繋がりを大切にと言うテーマです。
この曲により、また未来へと繋がって行けば幸いです。
アーティストと皆さん、音楽に感謝します。
小室哲哉
ウツの秋ツアーのタイトルは、8/12に「TAKASHI UTSUNOMIYA Solo Tour 2021 U Mix」と発表されました。
「Mix」てのは、nishi-kenさんが過去曲のリミックスでもやるんでしょうか。
ウツとnishi-kenさんの他はバイオリン奏者1人がサポートするそうで、バンド形式ではない特殊なアレンジでの演奏になりそうです。
9/25・26公演のみFC先行予約の受付を行なうことが、8/12に発表されましたが(8/24まで)、え、まだFC予約やってなかったの?
今回は会場に観客を100%収容するそうですが、現在のコロナ感染拡大の中、これが実現できるかはなかなか微妙です。
チケットの販売が遅れたのも、開催可能か判断が微妙なところがあったからでしょう(状況次第では中止・延期の可能性ありとのアナウンスもあり)。
今回はロックバンドでの演奏ではないので、歓声なし・着席とかの観覧条件があるかもしれません。
最後に木根さんについて。
8/24にリリースされる氷川きよしさんのアルバム「You are you」に、木根さんが「生まれてきたら愛すればいい」「You are you」という曲を提供したそうです。
さらに「You are you」にはTMの「Seven Days War」と木根ソロ曲の「Reset」のカバーも収録されるとのこと。
なお「生まれてきたら愛すればいい」「Seven Days War」の編曲はnishi-kenさんです。
木根さんは2019年に氷川さんに「hug」という曲も提供しており(シングル「大丈夫/最上の船頭」のカップリング)、意外と親しいようです。
9/14リリースのシングル「Happy!」のカップリングにも、木根さん作曲の「WALK」が収録されます。
なお木根さんのレギュラーラジオ番組「夜ドン!」には、8/8と8/22に氷川さんがゲスト出演するそうです。
あと前回触れ損ねましたが(前回記事みーこさんコメントでご指摘)、木根さんは久保こーじさんプロデュースの#SAVE THE ARTISTプロジェクト名義のアルバム「Unshakeable」にも、「風になれたら」を提供していました(6/23リリース)。
関連インタビューはこちらです。
それでは本題に入ります。
ある意味で第7部最大のトピックが本章となります。
今回の話題は長引かせたくないので、長文になりますが一回で終わらせます。
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2008年の小室哲哉は、globeによるTM NETWORKカヴァーシングルも含め、TMを軸とした活動を行なっており、年末にはTM25周年企画を始動させる手はずとなっていた。
ところがその背後では、破滅の日が刻々と迫っていた。
小室は2006年8月、Tribal Kicks監査役の木村隆の提案に基づいて、投資家Sから5億円を詐取した。
その具体的な経緯は以前述べた。
小室はSに対して、自らの楽曲の著作権を10億円で売却する約束をしたが、これを実現するためには前妻吉田麻美に慰謝料・養育費を支払って著作権使用料(印税)の差し押さえを解除する必要があると説明し、これに必要な額として5億円を前払いさせたのである。
ところが実際にはこの5億円は、小室が木村隆に負っていた借金や、みずほコーポレート銀行・A.C.ホールディングス(山口組系)への借金返済に使われ、麻美には支払われなかった。
当然のこととして、Sへの著作権譲渡も実現しない。
またそもそも小室の著作権は制作時に音楽出版社に譲渡されており、小室は印税を受け取ってはいても著作権自体は所有していなかった(Sが要求したのは著作権使用料取得権ではなく著作権そのもの)。
だが小室はウソをついていることになることを自覚しながら、当座の金を得ることを優先して上記の詐欺を行なったと、後日大阪地検に供述している。
Sは著作権の移転が実行されないことについて小室や木村に問い合わせたところ、5億円を別の借金返済に使ってしまったことを小室側から聞かされた。
そこでSは2006年9月、5億円の返金を要求する。
小室側は総額を10億円から7億円に減額するなどの対応をするが、肝心の著作権移転が最後まで行なわれなかった以上、Sにとってはまったく意味がないことだった。
以後も続いた5億円の問い合わせに対して、小室のスタッフや代理人は、のらりくらりと時間を引き延ばした。
2007/2/15には、Sが主催する動物保護団体のウェブサイトに、小室が「犬と会話が出来ます」など不可解なメッセージを寄せたりもしているが、これもSの怒りを収めるための時間稼ぎだろう。
7/31には、自ら兵庫県芦屋のS宅を訪れて謝罪を行なうとともに、5億円返済の約束をしたが、その約束もやはり果たされることはなかった。
らちが明かないと考えたSは、8月になると小室の関係各所に電話をして、小室に返金させるように圧力をかけた。
これはTMの「SPEEDWAY」の制作準備を行なっていた頃のことだが、あるいは本作のレコーディングが遅れたのは、この件も関わっているのかもしれない。
Sの電話先には音楽関係会社や吉本興業の副社長などもあったが、小室は特に妻KCO(KEIKO)の実家の山田家に電話が来ることに悩んだらしい。
KCOの母はSから、大分県知事にも連絡すると言われて戸惑ったという。
山田家に入り浸っていた小室は、当時山田家に対して資金援助を行なうなど大盤振る舞いをする一方で、苦しいところは一切見せないようにしていた。
早い話が見栄を張り続けたかったということだが、そうした中で山田家に実際の窮乏を知られることは、もっとも避けたいところだっただろう(こういうところが本当にダメだと思うが)。
10月になると、Sは小室を詐欺罪で告訴すると言って、山田家や小室の事務所に電話をかけてきた。
小室はパニックに陥ったが、弁護士から「こちらからも訴えて、裁判を起こし、事態を止めましょう」と言われ、10月31日に機先を制してSを神戸地裁に告訴した。
返済する債務がないにも関わらず精神的苦痛を味わったと主張して、Sに名誉棄損による損害額として1億円の支払いを要求したのである。
黙らせるための訴訟という弁護士の提案は、いかにも堅気とは別の世界の住人の発想に見える。
この頃の小室の環境をうかがうことができよう。
小室に債務がないというのは不可解な主張だが、5億円はTribal Kicksとして借りたのであって、小室個人の債務ではないという理屈だろうか。
実際に小室は、自分では送金を受けていない(木村と平根が振込口座を管理し、5億円を借金返済に充てた)と裁判で主張していた。
小室が告訴した2007/10/31は、「SPEEDWAY」制作の大詰めの頃(すでに締切を超過)である。
この頃の小室は、連日「TM NETWORK -REMASTER-」のリハーサルスタジオと「SPEEDWAY」のレコーディングスタジオで働き詰めていた。
この頃の小室が訴訟のためにちゃんとした打ち合わせができたかは疑問もある。
訴訟を主導したのは、むしろスタッフ側だったのかもしれない(「それでいいからやっておいて」くらいの指示はしたかもしれないが)。
小室は逮捕された当初も何が問題だったのか理解していなかったと発言しており、詐欺当時も告訴時も、事態をあまり分かっていなかった可能性がある。
Sは小室からの訴訟に対し、自らも小室に逸失利益1億円を含む総額6億円の支払いを求める反訴を行なったが、少なくとも訴訟が続いている間は、Sも関係者への電話をかけることもできなかったから、小室へのプレッシャーは表面的には和らいだと思われる。
もちろんこの訴訟は、実際には問題の先送りどころか、自らの破滅を早める行動でしかなかったのだが、ともかく2007年11月からしばらくの間、小室は音楽活動にある程度専念することができただろう。
「TM NETWORK -REMASTER-」「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」は、そのような環境下で実現したものだった。
とはいえ小室はS以外にも各所に借金を負っており、破滅の窮地を脱したとは言え、自転車操業の状態に変わりはなかった。
たとえば小室が立ち上げたTKCOMは2006年9月、貿易事業を展開するある経営者との間に、子供服ブランドSheen KidZの販売代理店契約を結び、同ブランドの製品を1年間独占的に販売する権利を得たが、契約金20万ドルの支払いは先送りにした。
翌年には6万ドルを支払ったものの、それ以上の送金はしなかったため、この経営者は東京地裁に訴えて、2008年9月に小室の口座を差し押さえている(しかし口座の残高は6000円余りに過ぎなかったため、小室逮捕後に改めて告訴した)。
表に出ていない関係も含め、小室は同様の問題を各処に抱えていたと思われる。
納税にも事欠く状態だったようで、2008年4月には港区役所が滞納された地方税4000万円を取り立てるため、JASRACから支払われる印税の差し押さえを行なうに至る。
当時の小室の印税は差し押さえ分を含め2億円程度だったので、地方税の税率が所得の1割とすれば、地方税4000万円は2年間の滞納分(2006・2007年納付分)と考えられる。
2006年の小室は暴力団系の闇金融への返済に追われ、5億円詐取に手を染めるなど窮地に陥っていた。
この頃にはすでに税金すら支払う余裕もなくなっていたのだろう。
なお吉田麻美は2005年より、JASRACからの印税を年間1億円差し押さえる権利を認められていたが、上記区役所の差し押さえによって、印税の一部が麻美の手に渡らなくなった(税金の徴収は他の権利者よりも優先される)。
小室逮捕後の関係者の取り調べに当たり、麻美はこのことへの憤りを隠さなかった。
2006年に小室が追い詰められた一因は、小室の窮乏を2005年にメディアで暴露した麻美にもあるのだから、一面では自業自得なのだが。
こうして各方面で窮地に陥っていた小室に最終的なとどめを刺したのは、Sだった。
小室はSにふっかけた訴訟について、勝ち目がないと判断したのか、2008年7月に和解に応じてSの要求を呑み、遅延損害金を含む6億円超を9月末日までに支払うことに同意した。
だが実際に期日までに支払われたのは、900万円だけだった。
印税の差し押さえの状況を見るに、無い袖は振れない状態だったのだろうが、一方で900万円を支払ったのは、支払いの意志はあることを示すパフォーマンスでもあったのだろう。
こうして小室は10月を迎えた。
しかし小室側の思惑は外れる。
大阪地検が、本件を刑事事件として捜査を始めたのである。
問題になったのは、小室およびスタッフが5億円をSに振り込ませた時点で、著作権移転を行なうつもりがなかったのか否か、つまりSを騙す意図が初めからあったのか否かだった。
そしてもしもその意図があったのならば、詐欺罪として立件する見込みだった。
11/3、小室は検察から大阪に呼び出しを受けた。
小室によれば2泊3日で帰宅する予定で、ホテルを予約して2泊分の荷物を持って家を出たという。
そして一日ホテルの部屋で取り調べを受けた後、11/4の早朝に大阪地検特捜部によって逮捕され、大阪拘置所に送られた。
地検は当初から逮捕を前提として小室を呼び出したものだろうが、小室の発言を信じれば、小室は家を出た時点では逮捕されることを考えていなかったという。
逮捕に至るほどの事態に陥っているという自覚はなかったらしい。
ただしすでに10/31にはゴシップ誌で、小室が逮捕の見込みであることが取り上げられていた。
同じ日にはTMの打ち合わせが行なわれることになっていたが、ウツ・木根側(ウツの事務所M-tresか)は小室の事務所から「それどころではない」との連絡を受けたとのことなので、実際にはこの頃にはかなり緊迫した情勢だったと見てよさそうである。
だが小室はそんな中でも、11/1にNack5のラジオ特番に生出演して、globeのニューシングルの話などをしている。
11/2には小室とマネージメント契約を結んでいたイーミュージックが、11/4のウェブサイトリニューアルの予定を発表している。
この頃には小室の逮捕を見越して、サイト更新の準備を行なっていたのだろう。
11/4にはウェブサイトから小室とKCOの写真を削除した上で、小室とは8月を以てマネージメント契約を解除したことを発表した。
ただし小室が保釈されると、イーミュージックは今度は小室とKCOを所属ミュージシャンとして、写真をサイトに再掲載し、以後長期に渡ってまとわりつくようになる。
この頃イーミュージックは岡村博行(ゴットプロデューサーKAZUKI)という人物を雇い、小室逮捕後にメディア対応をさせている。
岡村は2004年に脅迫の容疑で逮捕された経歴があり、チンピラの類と見られるが、パチンコ関係の雑誌やゴシップ誌・スポーツ新聞などにエッセイや漫画(原作者)を単発で執筆したこともあり、メディア関係者につながりがあると考えられたのだろう。
ただし実際には見るも無残な文章力かつ企画力で、まったく戦力にならず、半年間無報酬で働かされた挙句、翌年3月に解雇された。
岡村は11/3に各処に連絡を取って根回しをしていたらしい。
その一つと見られる熱海市議の村山憲三宛てのメールが村山のブログに転載されているが、そこには「おそらく今日、緊急逮捕されると思います」と記されている。
さらに岡村は、小室の逮捕を見越して日本テレビ関係者を事務所に呼び、イーミュージックおよびエンパイアプレイミュージック(これ以前に小室との契約をめぐってイーミュージックともめていた)が被害者である旨を報道させるように仕向けたことも、村山に伝えている。
イーミュージックが、小室の逮捕が自分たちに飛び火しないように対策していたことが分かる。
イーミュージックは小室が自宅を出た11/3の時点で、小室がこのまま逮捕されることを予測していた。
他の関係者の多くも、同様の予測をしていたものと思われる。
だが小室自身は、逮捕を考えていなかったと述べている。
小室のこの発言に虚偽がないとすれば(この点でウソをつく必然性はあまり想定できないが)、いつもの小室の楽観主義のなせる業というべきか、またはスタッフから神輿として担がれながら現実の事態を知らされない裸の王様状態だったということなのか。
小室が逮捕された11/4から数日間、新聞やワイドショーでは、連日小室の動向が取り沙汰された。
SONYはTMの「The Singles 2」、avexはglobeの「Get Wild」のリリースの中止を、逮捕日に即日発表した。
globeについては既発売CDや配信音源の販売も停止され、ウェブサイトは閉鎖された。
当然それまで進めていたTM25周年企画も水の泡となった。
ウツと木根のスタッフは、TM25周年企画のキャンセルでてんてこ舞いだったと思われる。
小室は保釈後、すぐに木根やウツに連絡を取ったというが、自分のせいで25周年企画が台無しになったことを謝ったものだろう。
大阪拘置所では、11/4の逮捕から11/21までの17日間、連日小室の取り調べが続いた。
気になるのは、小室が初日に検事から言われたという話である(「罪と音楽」)。
小室なりにかみ砕いた説明だが、オール5の通知表で卒業したいなら(=自分の無実を主張するのなら)、今年の卒業(=2008年中の釈放)はできないし、その後も長く苦労しなくてはならないが、オール1で構わないならば(=事実関係を争わずに起訴事実を認める選択をすれば)、「卒業の見込み」(=拘置所からの早期釈放)もあり得るということだった。
要するに、早く拘留を終わらせたかったら、検察の起訴事実についていちいち抗弁せずに認めろと言うことである。
小室は少しでも早く拘置所から出ることを望み、オール1での卒業を選び、初日から検察の起訴事実を全面的に認めて供述を行なったという。
小室は自分が有罪か無罪かよりも、早く拘留の現状から脱却したかったのだ。
検察も当時、小室が取り調べに協力的だったことを述べている。
検察は逮捕以前にすでに捜査を行なっており、おおよその事態は把握していたはずである。
あとは証拠から推測される事実関係について、小室の証言を得て供述調書を作る作業となる。
早期釈放を望んだ小室は、仮に検察の想定に誤りがあり異議があったとしても、それを言うことで時間が費やされると判断すれば、わざわざ口にすることは多くなかっただろう。
小室の望みは真実の確定ではなく、早期の釈放だったのだから。
さらに以前別章で言及したことの繰り返しになるが、取り調べに当たった主任検事前田恒彦の問題もある。
前田は捜査方法に問題のある人物で、この2年後には自らが逮捕され有罪判決を受けている。
検察の想定する事件の構図に合わせるべく文書偽造を行なったことが発覚したためだった。
小室事件の取り調べについても同様の疑惑があったことを証言する関係者もおり、小室の供述調書作成において自らの想定したストーリーを優先させることがあったことは、十分に考えられる。
また小室の「罪と音楽」の21頁には以下のようにある。
取り調べにおいて僕は、何ひとつ拒みも抗いもしなかった。訊かれたことには、知っている限りのことを正直に答えた。ただ、応えたくても知らないことが多々あった。
「細かい数字のことをTKさんに訊いても、答えられないのはわかってますから訊きません」
検事さんから、そう言われたこともある。
僕が何を知っていて、何を知らないのか、それすらも検事さんはお見通しだった。
小室は誰とどのような話をしたのかという類のことは回答できても、日付や金の流れについて詳細は分からないところもあった。
金の管理は木村や平根が行なっていたのだから、当然と言えば当然のことである。
しかし公判で読み上げられた供述調書は、小室が具体的な日付や金額に触れながら、事件の推移を述べる内容となっている。
そこに書かれている金の流れは何らかの裏付けがあると考えられるが、小室自身が本当にそれらすべてを認識していたのかは、相当疑ってかかるべきである。
なお詳細は触れないが、実は供述調書の中には、日付を遡って作成された書類の情報に基づき組み立てられている箇所が存在する。
こうしたことが起こるのは、検察が確保した証拠書類からストーリーを作り上げ、それを小室に認めさせるという手順が取られたからに他ならない。
本ブログではこれまで、公判記録を依拠資料の一つとして利用してきたし、その場合も、できる限り前後関係の検討や他資料での裏付けを行なうようにしている。
だが本件の背後に表には出ない(出せない)事情も存在することは、念頭に置くべきであろう。
本記事の内容もその点で、あくまでも事実の一側面でしかないし、あるいは実態とは異なる部分も含まれている可能性があることは、注意されたい。
以上のことは、以前「7-32 越えてしまった一線」の段で注意喚起をしたところだが、ここで改めて記しておくことにする。
なお2005~06年に小室に高利の融資を行なったA.C.ホールディングスの河野博晶(この返済問題が2006年の5億円詐取の直接の原因)は、小室事件の判決から半年余りを経た2009/12/2に、株式相場操縦の容疑で大阪府警に逮捕されている。
あるいは小室を取り調べる中で得た情報が活用されたのかもしれない。
さて、取り調べに従順な態度を示した小室は、11/21に3000万の保釈金を支払って保釈された。
すでに関係者への聴取も済んでおり、検察は同日に小室とTribal Kicks監査役の木村隆を起訴した(Tribak Kicks社長の平根昭彦は主導的立場になかったと判断されて不起訴)。
なお小室を特任教授としていた尚美学園大学は、この日小室を懲戒解雇した。
小室の保釈金はKCOが各所に連絡し用立てたもので、その一部はかつてのKCOの所属事務所アクシブの社長だったavex副社長千葉龍平が用意した。
千葉は小室の身元引受人にもなった。
小室とKCOはこれ以後半年近く、千葉の家の地下の部屋に間借りすることになる。
なお釈放の翌日は、小室とKCOの6度目の結婚記念日だった。
この日を夫婦で過ごせたことは、小室にとっていくらかの救いになっただろう。
千葉は小室が家に来た時、最初に「2人の関係が変わることがある。僕は教育者となる。悪いことは悪いといい、守れなければ出ていってもらう」と告げたという。
KCOに対しても、朝に起きて食事を作ることや、ジャンクフードではなく自然なものを食べるなど、生活の心構えを説いたという。
これ以前のKCOの生活態度が想像できる。
小室を救ったのは、実質的にはavex社長の松浦勝人と副社長の千葉だった。
この2人はこの頃、小室と疎遠な関係になっていた。
事の始まりは1997年の小室とavexの決別に遡り、90年代終わりには両者間で露骨な対立も見られた。
2000年頃には両者間で歩み寄りもあり、BALANCeのデビューやsong+nationの企画もあったが、プライベートでは昔のような関係に戻ることはなかったようである。
しかし11/4に小室逮捕の報道があると、松浦はavexで緊急会議を開き、役員を全員招集して、「何が理由であれ、小室がいなければ我々はここにきていない」として、小室を全面支援することを決定した。
千葉が小室の身元引受人になったのも、この決定が前提にある。
年が明けると、大阪地裁で裁判が始まった。
初公判(供述調書読み上げ)は1/21、第2回公判(証人尋問)は3/12、第3回公判(弁護人の最終弁論、被告人質問と被害者への証人尋問、検察の求刑)は4/23に開催され、結審となった。
裁判長は杉田宗久で、人情派として知られる人物だったが、それが小室にとって凶と出るか吉と出るかは、判決まで分からなかった。
小室は事実関係を争う意図はなかった。
そのため初公判では、検察が証拠として小室および関係者の供述調書を読み上げ、起訴事実の立証を行なった後も、小室の弁護人から異議を述べることはなかった。
第2回公判では、小室の情状証人が出廷した。
証人は松浦と千葉である。
2人は、音楽業界のトレンドは進行が早いため、刑務所に入り情報が得られなくなることは音楽プロデューサーにとって致命的であるとして、個人としてもavexとしても小室を支え、音楽を作る環境を与えることで更生させると述べ、情状酌量を求めた。
この公判は、後の判決に大きな意味を持つものだった。
小室が詐欺被害者Sに対して弁済を行なったことが明らかにされたのである。
もちろんそれは小室自身が支払ったものではない。
松浦勝人が肩代わりしたのである。
小室の保釈後、松浦は千葉宅で何度か小室と会い話をしたが、そんな中で小室は、ピアノを弾きたいという希望を告げてきた。
逮捕以来楽器を弾く機会がなかったことはつらかったのだろう。
松浦は小室を、avexが経営するピアノのあるレストランに閉店後に連れて行ったところ、小室は朝まで一心不乱にこのピアノを弾き続けた。
これ以後も小室は何度かそのピアノを弾きに行ったが、その様子を松浦は「骨董通りのピアニスト」と呼んだという。
松浦はピアノを弾く小室の姿を見て、一緒に音楽を作っていた頃のことを思い出し、改めて手助けをしようと思い、借金の肩代わりを決意したという。
松浦が小室の支援を当初から決めていたことは先に述べた通りで、金を出すことも想定していたはずだが、最終的な決断はこの時だったのだろう。
松浦は小室を信頼して、分割返済ではなく14年後の2023年に一括返済する条件で、借金を肩代わりすることにした。
小室はこれ以前に別のツテを通じて、Sへの弁済金の肩代わりをしてくれる人を探していたが、結局松浦に頼ることになった。
松浦は第2回公判2日前の2009/3/10、2008年7月の合意条件に基づく和解金(詐取金5億円+慰謝料1億円)に遅延損害金4800万円を合わせた6億4800万円を、Sの口座に振り込んだ。
だが示談を申し込んだ松浦に対し、Sは誠意が足りないと言って応じなかった。
松浦は「誠意」とはどういうことか代理人を通じて聞いたところ、「お金だ」と言われてショックを受けたと、公判で証言している。
要するに、金を上乗せして気持ちを示せと言うことで、およそ堅気の世界の住人とは思えない要求だったが、松浦がこれに応じることはなかった。
Sの小室への敵意は止むことがなかった。
初公判の後にはわざわざ自ら検察に手紙を送り、「第1回公判の感想ですが、当方は失望と怒りを覚えた。小室被告の服装もノーネクタイだし、あいまいな発言だった。本当に反省しているのか」と伝えたことが、検察によって明かされている。
服装のマナーや発言の曖昧さなどはどうとでも文句が付けられるものであるし、そのことをわざわざ検察に伝えることの意味も分からないが、小室を徹底的に追及して欲しいという感情だけは伝わってくる。
なお小室は第2回公判後にSに手紙を送っている。
その内容は、以下のようなものだった。
私が大きな過ちを犯したことで、多大なご迷惑をおかけしたことをおわびします。詐欺事件で大阪拘置所に入っていたときに、さまざまなことを考えました。大きな過ちを犯したと反省し、おわびの気持ちを表そうと思いました。一刻も早く謝罪しようと思いましたが、公判中でしたし、被害弁償することが第一と思って過ごしてきましたので、結果として、おわびがこの時期になってしまいました。
拘置所にいる間に考え直しました。当時は、本来の仕事である音楽活動の創作も減った状況でした。しかし、改めて、私には音楽活動しかないと認識しました。今までの生活を改めるのはもとより、生まれ変わりつもりで過ごし、許されるなら音楽で社会貢献していきたいです。
平成21年3月23日 小室哲哉
金を振り込んでも示談に応じてもらえなかったことを受け、改めて小室自ら謝罪したというところだろう。
謝罪文としては言葉が不足しているようにも感じるが、それだけに小室が自らの言葉で書いた文章であることがうかがわれる。
だがSはこれを受け取ることはなかった。
第3回公判の証人尋問でも、Sは小室の不実や自らが被った被害を訴えた上で、「小室さんの真人間としての復帰を第一に考え、厳正な判決をしてくれれば幸いです」と述べた。
ただSが述べた「被害」には、言いがかりとしか言えないものも少なくない。
たとえばavexの関連会社が運営している動画サイト(ニコニコ動画)に、自分に疑惑を向ける動画が投稿されたことを挙げて、松浦・千葉がその動画の公開に関わっていると主張したことなどは、完全に妄想というべきだろう。
そもそもニコニコ動画を運営するドワンゴはavexと資本業務提携をしているだけであり、「関連会社」というのは誇張である。
実際に判決に当たっても、この主張は「関与不明」として退けられた。
Sが正常な判断ができないほど感情的になっていたのか、あるいは裁判官に悪印象を与えるための意図的な批判だったのか、どちらかと考えざるを得ない。
なおSの証人尋問が終わった後、杉田裁判長は気の利いた対応を行なった。
小室に対して、「せっかく(Sが)お忙しいなか来てくれているのだから、何か話したいことはありますか」と言って、Sと話す機会を与えたのである。
この日、Sの証人尋問の前に行なわれた小室への被告人質問の時、小室が被害者に謝罪したいので、どうしたらよいのか考えていると述べる場面があった。
杉田はこれを踏まえて、小室に謝罪の機会を提供したのである。
小室はここで、本人に直接謝罪することができた(謝罪した既成事実を作ることができた)。
もっともSはこれで終わらせることは不本意だったようで、「本当に久しぶりなので私の方からも話させてください」と言って、自らも発言を行なった。
その発言は以下のようなもので、要するに許さないから実刑を受けて来いということだった。
事件が起こり不思議と憎しみの感情がない。人としての優しさとか、私は友情を感じていましたが、今は裏切られて悲しい気持ちが大きい。保釈後の対応も感心できたものではない。優しさが精いっぱい感じられません。反省して刑を全うして真人間に戻ってください。それから音楽をつくっていただきたい。最後のチャンスだと思っていつの日かみんなに愛される、みんなを幸せにしてくれて社会貢献してほしい。
このように、小室は被害者の許しを得ることはできなかったものの、謝罪の意志を裁判官の面前で示したことは、形式的ではあるが意味があることだっただろう。
以上の手続きを経た上で検察から示された求刑は、懲役5年の実刑だった。
巨額の詐欺事件を犯したこと自体は小室も認めており、裁判の焦点は小室が執行猶予を得られるか否かにあった。
木根を含む小室の関係者やファン6000人からは、減刑嘆願書も提出された。
小室にとって有利だったのは、何と言っても詐取金や慰謝料を弁済したことである。
また今後の音楽活動における万全なサポート体制を確保していることも、有利な条件であった。
一方でSが小室を最後まで許さなかったという不利な条件もあったが、小室から謝罪の意を示すことができたことは、その不利を多少とも薄める効果があったと思われる。
以上3回の公判を踏まえた判決が大阪で言い渡されたのは、5/11のことだった。
通常の裁判では、量刑を伝える判決の主文を言い渡した上で、判決理由を述べる手順を取るが、この時杉田裁判長は主文言い渡しを後に回し、判決理由から述べる異例の形式を取った。
判決理由の読み上げでは、主犯が小室ではなく木村隆であることを認めた上で、
総じて見れば、犯行に至る経緯や動機をみても、多くの酌むべきものを見いだすことは困難である。
手口は著作権を悪用した狡猾なものだ。自己のネームバリューを利用しており、音楽家としての矜持すらかなぐり捨てている。自己がこれまで創作し続けた歌の数々を詐欺の道具に用い、果ては被害男性の信頼を取り戻すために歌を作ってプレゼントするなどは、長きにわたり人の心を打つ歌の数々を世に送り出してきた被告人の振るまいとして、あまりに嘆かわしい。
などと述べられた。
小室からすれば、時間とともに絶望が高まっていったに違いない。
実際に小室自身、この時は実刑を覚悟したと言っている。
ただ判決理由読み上げの後半になると、次第に雲行きが変わってくる。
被告人を師と仰ぐエイベックス・エンタテインメント社長の松浦勝人氏が、被告人になり代わり、慰謝料などを含めて総額6億4000万円を耳をそろえて支払っており、完璧に被害弁償を終えていることは特筆すべきものがある。なお、被害男性は共犯者(木村隆)からも1億2000万円を支払いを受けており、総額2億5000万円もの慰謝料を得ている。松浦社長らは、いわばエイベックスが丸抱えで被告人を更生させることを誓約しており、被告人の将来の更生に大きな期待を抱かせるものがある。
*以上は産経ニュースによるが、木村が支払った慰謝料は、後日の木村の裁判の判決では1億5000万円とされているので、上記の1億2000万円は1億5000万円の誤りかもしれない。なお松浦が立て替えた慰謝料は6億4800万円中1億円だから、木村が支払った慰謝料が1億5000万円ならば、総額は上にある2億5000万円に一致する。
さらに裁判長は、小室の真摯な反省およびSへの直接の謝罪などにも言及した上で、「被告人を懲役3年に処する。この判決確定の日から5年間、刑の執行を猶予する」という判決主文を読み上げた。
小室は望み通りに、執行猶予を獲得したのである。
この時の杉田裁判長は、小室への教育的指導の意味も込めて、実刑判決の可能性を脳裏によぎらせて反省させる形で、判決文を読み上げたのだろう。
その後の杉田の人間味あふれる発言の様子を、当時の産経ニュースの記事から抜粋しておく。
ここには書かれていないが、小室はこの言葉に対して涙声で「分かりました」と答えたという。
裁判長「執行猶予とは、5年間あなたの更生を見守るということです。二度とこういう、ばかなことをしないようにしてください。すべてを判決文に書き尽くしているので、新たに付け加えることはありませんが、初心に立ち返って愚直に生きてほしい。それでは被告人は退廷してください」
《小室被告は、杉田裁判長の一言一言に、小さく小刻みにうなずいた。傍聴席に向かって軽く一礼し、退廷する小室被告。扉の前まで進むと振り返り、あらためて裁判官に深く頭を下げ、法廷を後にした》
小室は法廷から退出して1時間後、大阪弁護士会館で記者会見を行なった。
小室は冒頭で謝罪の言葉を述べて深々と頭を下げ、記者からの質問を受け付けた。
最初に今の気持ちを聞かれた時は、「判決を心から真摯に受け止めて、これから人生を歩んでいきたいと思います」と述べた。
小室はこの後、記者からつるし上げにあうことを覚悟していたが、意外と「今後」のことを多く聞かれたので、ありがたく思ったという。
「ファンの皆さんの気持ちをこれ以上裏切ってはいけない。小室哲哉の音楽を一回でも好きになってよかったと今後思えるようにしなければと感じました」と述べたところでは、涙ぐむ場面も見られた。
小室はSに対してとともに、何十年も自分の曲を聴いてくれたファンに対しても、申し訳ないと思う気持ちを述べた。
その上でファンの気持ちや松浦・千葉の恩に報いるためにも、音楽活動で再起したいと語った。
この段階では必ずしも頭の整理はできていなかっただろうが、音楽を続けられることは本当に嬉しかったようで、「正直すごく働きたいです。ああ、これで音楽をやらしていただけるのか、働けるのか、というのが率直な気持ちです」という言葉などは、真実味を感じられる。
会見を終えた小室は、飛行機に乗って東京に向かった。
昨夜から一睡もしていなかったため、千葉宅に戻った後はベッドに倒れ込んだという。
検察が高裁に控訴する可能性はなお残っていたが、控訴期限日の5/25には、検察が控訴の意向がないことを発表した(Sによる民事裁判ならば控訴されていただろうから、この場合は刑事だったのが幸いした)。
こうしてこの日の午後、小室の執行猶予付き有罪判決は確定を見たのである。
その数日後、小室はKCOとともに千葉宅から出て、仮住まいに引っ越した。
なお小室とともに起訴された木村隆については、なぜか裁判の開始が遅れ、初公判は2009/9/17になった。
Sは木村隆からは慰謝料を受け取り、示談に応じている。
主犯は木村だったのに、こちらは許すとは、なんとも不思議な話である。
裁判長は小室と同じく杉田が担当し、10/21に懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の判決を言い渡した。
小室よりも刑が軽かったのは、示談成立によるものか。
小室は判決が出てから、減刑嘆願書を書いてくれた人々に礼状を出して感謝の意を伝えるとともに、avexの下で音楽制作の準備に取り掛かった。
avexとの間には専属契約を結び、7/13には初めて楽曲制作のためにスタジオに入った。
8/1には個人事務所a-nineを設立した。
社長の大竹登はavexの関係者で、千葉の親友だった。
もともと小室の世話をしていた人物でもあり、2008年の逮捕前にも小室と関わっていたことから、この人選になったものだろう。
小室の個人事務所Tribal Kickや小室の友人喜多村豊のTK Tracksに移していた著作権使用料取得権も、小室の元に戻された。
a-nineのaは、avexのイベント名a-nationと同様に、avexを意味するものと考えられる。
小室がavexの管理下で音楽活動を始めたことを象徴する事務所名でもあった。
nine(9)は設立年の2009年を意味しているが、a-nine(a9)で「A級」「永久」という語呂合わせも行なわれた。
さらに小室が好きなadd9というコードも意識していたという。
小室は保釈中の半年間、ピアノを弾くことはあっても、楽曲制作を行なうことのできる精神状態ではなかったが、ここにようやく音楽活動の構想を練りだした。
当初小室が提示したのは、a-nine feat. 〇〇の形でavexミュージシャンとのコラボ楽曲を50曲同時にリリースするというプランだった。
この計画は当時も無茶な印象を受けたし、実際に実現しなかったものの、avex所属のプロデューサー・ミュージシャンとして、avexを核に活動するという基本方針があったことがうかがうことができる。
小室によれば、判決後の早い時点で作曲の依頼があったという。
「My Revolution」「Get Wild」「Departures」を超える曲が欲しいという注文だった。
小室はこの依頼にプレッシャーを感じたが、これを引き受けた。
おそらくこれは、やしきたかじんの依頼である。
たかじんが小室に作曲の依頼をしたという報道が、2009/7/1に出ている(作詞は秋元康に依頼)。
「My Revolution」などを超える楽曲というハッパのかけ方も、いかにも大物の依頼の空気が漂っている。
たかじんはかつて小室を大っぴらに批判していたが、詐欺事件の経緯を見て、復帰への助け舟を出したものと考えられる。
ただしこの依頼の話は、年末まで公表されなかった。
この依頼に基づいて制作されたのが「その時の空」で、2010/11/24にリリースされた。
カバー曲を除けば、12年ぶりのたかじんの新曲であり、また最後のシングルでもあった。
2009/8/1には発売が中止されていたTM NETWORK「The Singles 2」が、9/30にリリースされることが発表された。
5月末の小室の刑確定を受けて、6~7月にSONYで決定されたものと見られる。
小室の判決が確定したことで、メーカー側の自粛も次第に緩められていく方向に向かったらしい。
ただ過去音源のリリースと比べ、本人の活動の再開はさらにハードルが高かったはずである。
巨額詐欺という大事件を引き起こした後だけに、その活動に批判が寄せられることは目に見えており、小室の復活劇は慎重に進められた。
しかし長期間活動をしないのも、音楽家としての勘を鈍らせることになりかねない。
2009年後半の小室は早期の活動実現のために、世間の様子を見ながら活動を徐々に再開させていった。
その最初の狼煙となったのは、8/22に東京の味の素スタジアムで開催されたavex主催の夏フェス「a-nation ‘09」だった。
事前告知はなかったものの、この時サプライズゲストとして小室が出演したのである。
小室はピアノで「Departures」「Sweet 19 Blues」「Get Wild」「Seven Days War」などを披露した。
1年前にglobeとして出演した「a-nation ‘08」以来のステージだった。
その後小室は立ち上がり、38秒間もの間お辞儀した後、観客に向けて以下のように述べた。
小室哲哉です。大変ご迷惑をおかけしました。そして、心配も沢山かけました。こうやってステージで弾けるような環境を作ってくれたavex、a-nationに感謝します。ありがとう。そして、ピアノに耳を傾けてくれたファンの皆さん、a-nationのファンの皆さん、本当にありがとうございます。
小室の発言が終わると、KCOとMarc Pantherがステージに現れる。
再集結したglobeの3人のパフォーマンスが始まった。
1曲目「Face」は、歌詞で気持ちを伝えようとしたものだろうか。
反省は毎日で 悔やまれることが多すぎて
青春が消えていく でも情熱はいつまでつづくの
少しくらいはきっと訳にはたってる でもときどき自分の生きがいが消えてく
泣いてたり吠えてたりかみついたりして そんなんばかりが女じゃない
2曲目「Many Classic Moments」は「Face」と比べると知名度が落ちるが、この頃の小室や松浦が傑作として評価していたことにより選ばれたのだろう。
この曲も、歌詞で自分の気持ちを伝えようとしたものかもしれない。
ちょっと今から思えば 不思議で変で懐かしいかな
病んでいたもんね 心とか体とかじゃなく立っていたポジションが
今からでも遅くないかな 今からでも歩けるかな 今からでもつくれるかな
globeは以上2曲の演奏を終えると、3人でお辞儀をして退場した。
小室はその後のTRFのステージでも呼び出されて、最後の「survival dAnce」でキーボードを演奏した。
TRFと小室のステージ上での共演は、何年ぶりのことだっただろうか。
YUKIは涙声でこの曲を歌いあげ、SAMは小室の肩を抱いて、一緒にステージに上がれたことを喜んだ。

小室はさらに8/30に大阪長居スタジアムで開催された「a-nation ‘09」最終公演にもゲスト出演した。
この時もピアノソロとglobeの演奏を披露した。
「a-nation」の小室出演は、小室の復帰を象徴するものだった。
浅倉大介はこの予定を事前に知っていたと見え、「a-nation」東京公演と同日にお台場潮風公園で開催されたガンダムイベント「DA METAVERSE 'n' GUNDAM」で、DJとしてTMの「Beyond The Time」をトランスバージョンにして流したという。
それまで、さぞかし小室を心配していたに違いない。
小室が「a-nation」東京公演で復帰を果たすと、avexはその終演後に会場で、小室逮捕後停止していたglobe楽曲の配信を再開することを告知した。
2008年11月リリース予定だったglobe版「Get Wild」も、配信が始まった。
なお東京公演の小室・globeの様子は、avexが運営する携帯電話向けサービスBeeTVで独占配信された。
こうして小室は判決後3ヶ月で、2009年8月に復帰を果たした。
もちろんこれには早すぎるという批判が寄せられる可能性もあった。
avexもその可能性を考え、自ら主宰するイベントでのサプライズゲストという扱いで復帰させたと考えられる。
数万人規模の会場は復帰宣言の舞台としては最良であり、よくできた復帰プランでもあった。
メディアでもこの復帰は、おおむね好意的にとらえられた。
おそらくavexは、「a-nation」後の世間の反応をうかがった上で、小室の復帰を進めることができると判断したのだろう。
9/16には幻冬舎から、小室のエッセイ「罪と音楽」が刊行された。
この本は8月にはすでに刊行準備が整っていたはずだが、刊行は発売日直前になって発表され、宣伝はまったく行なわれなかった。
批判的な意見が噴出するのを避けるためだろうが、avexがいかに慎重にことを運ぼうとしていたかうかがわれる。
小室は本書で自ら事件に至る経緯を語るとともに、これまでの音楽活動を振り返り、最後にはa-nineを拠点とした今後の構想にも言及している。
自らの起こした事件について説明を行なって、すべての過ちを洗いざらいさらすことによって、次の活動に進むステップとしようとしたものと考えられる。
本書の刊行に当たっては、小室がワイドショーのインタビューに応じた(9/16「とくダネ!」など)。
これが逮捕後初の小室のTV出演となる。
9/23には銀座の福家書店、9/26には有楽町の三省堂書店で、小室のサイン会が開かれた。
そこでも小室は、改めてメディアの取材に応じるとともに、来場したファンに対しても一人一人言葉を交わして、再起の気持ちを伝えた。
サインのデザインも新しいものに変わったが、これは気持ちを一新したことを示したものだろう。
11/13には、新木場ageHaで開催されたavex主催のクラブイベント「HOUSE NATION Fiesta」に出演した。
この時はサプライズゲストではなく、事前に出演が告知されている。
小室の音楽活動のハードルも、次第に下がってきたということだろう。
小室は深夜に登場し、ライブとDJプレイを組み合わせたパフォーマンスを披露した。
おそらくDJ TK時代も同様のパフォーマンスだったのだろうが、この形態は2010年以後にも受け継がれる。
時間は45分程度で、プレイ楽曲は「Speed TK-Remix」「Self Control」「Love Again」「Wow War Tonight」「Many Classic Moments」などだった。
なおこのイベントでは、別の時間に鈴木亜美(もと鈴木あみ)もDJとして出演し、最後は自ら「Be Together」を歌った。
小室と直接話すことがあったかは不明だが、小室・亜美が久しぶりに同じ会場に現れた日だった。
その他、avex関連の仕事では、12月某日に音楽講座「avex artist academy」で、ゲスト講師として講義を行なっている。
尚美学園での授業体験も生かされたことだろう。
これまで小室は、記者会見、「a-nation」、「罪と音楽」、サイン会などで、何度も謝罪の意を示しながら、新たな活動を行なうための地ならしを続けてきた。
この流れの最後に位置するのが、12/20放送のフジテレビ「芸能界の告白特別編」への出演である。
この番組では小室哲哉をゲストに迎え、1時間以上の時間をかけて事件の経緯を追った。
番組は「罪と音楽」の筋書きに沿って小室の行なってきたことを明らかにし、小室自身も反省の弁を何度も述べた。
松浦勝人のコメント映像も流されたが、かつての小室の不義理を非難するなど、必ずしも全面的に擁護していなかった。
もちろん小室の反省や小室への非難だけがこの番組の目的ではない。
それを踏まえた上で、小室は音楽の仕事を続けていきたいと強く世間に訴えたのである。
松浦も最終的には、小室にいつまでもクリエイターでい続けて、良い曲を書いてもらいたいと述べている。
要するに小室・avex側の意図は、過去の過ちを認めて反省するから、音楽活動を再開したいという意志を、番組を通じて世間の人々に伝えることだった。
司会のみのもんたも最後には小室に激励の言葉をかけた。
番組の締めくくりは、小室の「Feel Like Dance」「Wow War Tonight」のピアノ演奏だった。
あくまでも小室の音楽家としての印象を残す番組構成だった。
この年末の特番を持って、小室のミソギ期間は終わったと考えられる。
番組放送の翌週、12/26には、小室が先述のやしきたかじんの作曲依頼を引き受けたことが公表された。
さらに年が明けて2010年になると、avexは小室の音楽活動の予定を次々と発表するようになる。
逮捕と有罪判決という大きな代償を払いつつ、小室はグレート・リセットを行なって環境を一新した。
小室の音楽活動は、ここに新しい段階に入った。
そしてTM NETWORKの次の活動も、その中で実現することになるのである。

罪と音楽 - 小室 哲哉
この記事へのコメント
大きな転機となるタイミングの記事ありがとうございます。
多くの情報を整然とまとめられていて大変いい記事です。
大きなリセットを行ったあとの小室さん本人周辺のスタッフ体制などは心機一転で非常に良い感じだったと周辺情報では当時思っていましたが、今現在は小室さんはa-nine所属ではないんですかね?
また、松浦社長(当時)に立替えてもらった費用は2023年までに返済するという契約だったのは初耳です、現在は既に返済し終わったのでしょうか?何か昨年?松浦氏と小室さんのトラブルがあった際に未返済とかいう話も聞こえた気がしましたが。。
この当時は小室さんが逮捕されたという現実を受け止めるのに精一杯で、事件の細部を知る事も出来ませんでした。
今は復帰もして、Faniconで毎週楽しげな小室さんを見ることができるようになったので、今ならば冷静に受け止められるかと思って読み始めましたが、やはりなかなか辛く、泣きながら読み終えました。
NOと言えるスタッフを切っていったという話もありましたから、自業自得と言われればそれまでなんでしょうが‥‥
周りの人間は本当に大切ですね。
才能が音楽に全振りしているような純粋な人(これはFANKSの欲目かもしれませんが)なので、もう二度と変な輩が近寄ってこないように願うばかりです。
私としては最近の知的で穏やかな雰囲気がとても好きなので、このまま純粋に音楽を楽しみながら創り続けていってほしいと切に願います。
詳しく記録して下さって、ありがとうございます。
狡猾な詐欺事件を企てて実行したという事と、私の見てきた小室さんとがイマイチ結びつきませんでしたが、
裏には色々あったんだなと腑に落ちました。
これからも楽しみにしています。
あの事件一連を一回で終わらせるとは流石です。
当時私はあの事件はなるべく避けるようにしていました。
今回の記事を見て思ったのは、泥沼に入り込み首が回らなくなった小室さんを唯一救う方法が逮捕という荒技しかなかったんだろうなと。リセットできて良かった。ファンに囲まれて幸せそうな現在の小室さんを見るとそう思えます。
ま、今だから言えることですけど。
だけど、その後の復活がglobe経由なのが、FANKSとしてはもどかしいです。avex系だがら仕方ないし、TMを禊に使いたくないという想いがあったのかもしれませんけど。
ところで、青い惑星さんはSing Like Talking好きでしたよね?9月にまた佐藤さんと木根さんがコンサート(チケットは完売)しますけど、こういうのは興味ないのですか?私にもSLTファンの友達がいて、今回利害が一致したから行こうかと盛り上がりましたが、静岡と遠かったので(コロナもあるし)、今回は泣く泣く諦めました。その後に秩父のが中止になったから、友達はかなりがっかりしてましたけどね。
まず、イントロについてですが、キネさんと氷川きよしの繋がりは、宗教絡みのようですので、私としてはあまりいい気分になれません、、、
本論について、先生の担当検事が逮捕された事件は、社会的にも割と大きな事件のことだったので、驚きました。初めは同じ名前の別の検事だろうかと思ったりしたくらいでした。
全体的なことについて、私自身は、avexの松浦氏は、先生がTMを終了させるきっかけを作った人で、正直なところFANKSから先生を奪い去った人という位置づけでした。ただ、この時のことについては、松浦氏のおかげで30周年が実現したと思わざるをえないと思います。おそらく、小室さんは松浦氏との出会いがなくてもTMを終了させたでしょうし、いろんな事業に手を出して失敗したような気がします。そうした意味では、松浦さんのように、後に小室さんを救ってくれる人との縁がきっかけでの終了で良かったように思います。
また、この時期、木根さんと葛城さんによる「キネカツ定食」なるツアーがありました。このツアーですけど、葛城さんが楽器車を運転して移動するという、なかなかハードなツアーだったと思います。このライブの中ではTMの曲が割と多く演奏されたと記憶しています。木根さんが「あらゆるメディアでTMの曲が自粛されているので、自分たちで演奏しないと」と言って、「Girlfriend」などを演奏していた記憶があります。そして、「春を待つ」という、まさに先生のことを歌った曲が演奏されました。
私が「春」を感じたのは、浜崎あゆみさんが代々木で「Seven Days War」を歌った時だったような気がします。
そうこう書いている間に、また付加価値のない情報が入ってきました、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/f64e7b840357ea0ca1b58ee6d6e229828bee1c93
正直に言って、TKプロデュースの曲共々、聞けない日々が続きました。
作品と作者は別物だということは分かってはいるものの、2000年代のTMは小室さんの想いが歌詞に痛いほど表されているので、「ACTION」などを聞くと、どうしても普通には聞けませんでした、こういう曲の著作権を……と思ってしまって。
新聞やテレビも見ないようにしていたので、こちらのブログで当時のことが今になってよくわかりました。
今日現在も、当時のように綿密な復帰計画が立てられているといいのですが。
小室さんは、avexにいる間の事務所はずっとa-nineだったはずです。
小室さんは2018年の引退でavexからは退社しましたから、その時になくなったんだと思います。
2020年の復活時の事務所はMusicDesignだったんでしょうかねえ。
今はどうなっているのか分からないですが、少なくともa-nineではないと思います。
2023年一括返済情報は、松浦さんが怒っていた時の発言にありました。
まだ返していないと思いますよ。
>?さん
今回はなかなかつらい内容でしたよね…。
まあ表に出ていないことも含め、色々とあったんでしょうね。
小室さんが能力を音楽に全フリというのは、私もそう思いますよ。
それなら周りにコントロールしてくれる相棒なり保護者を置けばいいんですが、謎の万能感を出してきて、自分で全部やりたくなっちゃうんですよね。
今はそこらへんをわきまえてくれているといいですね。
>みーこさん
一連の流れを見ていると、強制リセットしか道はなかった感じですよね。
むしろ存命のままで落着して、ホントによかったと思いますよ。
ほとんど最善の復活劇だったんじゃないかとすら思います。
Sing Like Talkingは大好物です。
今回のライブは全然気づいていませんでした。告知ありましたっけ?
実は竹善・木根ライブは以前行ったことあるんですが、あ、こういう空気のイベントだったんだ…と、ちょっと気づいてしまうことがありまして…。
>やまびこさん
氷川さんて、そうだったんですか? その縁て強固なんですねえ。
松浦さんについては、本当に感謝感謝です。
仮に独力で執行猶予を勝ち取れていたとしても(多分難しかったけど)、その後の復活は松浦さんがいなければあり得なかったと思います。
今は松浦さんみたいな人がいないから、なかなか難航しているのかなあと思います。
キネカツは、数回後に取り上げるつもりです。まあ私は行っていないので、伝聞情報しか書けませんけど。
>ジルラココさん
2000年代の歌詞は、小室さんの訴えみたいに聞こえますよね。
自分のことで手一杯な感じが伝わります。
現在はどうなんでしょうね。
充電期間なのか、その先は考えているのか…。
竹善さん&木根さんライブの件ですけど、
竹善さんサイドは知りませんが、木根さんサイドは告知はされていなかったと思います。一度だけ、ラジオのアシスタントの方がお知らせツイートされてたのを見ました。あと、ぴあメールからもお知らせ来てました。
木根さんサイドが告知されないので開催怪しんでいましたが、どうも竹善さんと練習はしているっぽいので、やるみたいです。おおっぴらには告知しないみたいですね。
あれですか、ソロライブを想定して行ってはダメな感じですか?これ系のライブレポートを見つけれてないんですよね…。
やっぱり木根さんからは告知なかったですよね。
前の公演では告知していたのに、なんででしょ?
私が行った時について言えば、ソロライブというよりは、自分の好きな懐メロを中心に歌っていました。
ライブタイトルMy Favourite Songはその時も今回も同じなので、同じ感じだと思います。
演奏が素晴らしいフォークパビリオンみたいな感じでしょうか。
私が行った時は、バックバンドの演奏が本当にすばらしかったです。
竹善さんの関係者だった気がします。
ただこのバンドの演奏をバックにして竹善さんの神ボーカルを聞くと、どうしても木根さんとの歌手としての力量の差が伝わってきてしまうところがありまして…。
当人は気が合うのかもしれませんが、残酷な組み合わせだなあと思いました。
それと、一番気になったのは客層でしょうか。
木根さんや竹善さんの音楽のファンではないと思われる方がかなりたくさんいて、ライブのセットリストにもそれ絡みの曲が入っていました(なんだこの曲?と思って検索したら、「なるほど」となりました)。
主催が「民音」である時点で多少覚悟はしていたんですが、ライブの内容にまで影響していると、なんかもやもやとしたものが残りました。
もっとも、余計なことを考えないで見れば、二人のトークもたっぷり聞けて良いライブかもしれません。
余計なことを書いてしまいましたが、(今さらですが)先入観を持たずに楽しんできてください。
だけど、そうか、そっちか。竹善さんもとは知りませんでした。
TKのグレートな記事なのにこの話題を引っ張ってしまってごめんなさい。
「日本経済新聞」2021年12月16日「全楽曲売却、5百億円超か スプリングスティーンさん」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE16DM50W1A211C2000000/
によると、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ポール・サイモンといったアメリカの大物歌手が、全楽曲の権利を他者に売却する事例が相次いでいるようです。音楽業界はストリーミング配信の利用拡大で楽曲所有権の価値が上昇していることが理由のようです。
小室さんは著書「罪と音楽」p123~125について、音楽著作権印税の解釈を間違えて理解していたことが、事件の原因だったと述べていましたね。最近のアメリカでの事例は、小室さんの事件と具体的にどう違うのかは、情報不足で分かりません。でも、楽曲の権利売却という文字を読んで、小室さんの事件を思い出しました。
本人として見れば、年を取ってから大金積まれたら、売る方が有利な場合もあるでしょうね。
小室さんの場合は著作権を売ったこと自体が問題だったのではなく、売ることができない著作権を売るつもりもなく売ると言って、代金を受け取って返さなかったから詐欺罪になったと理解しています。